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いらついた顔で、ぺっ! と唾を吐く団藤先輩。体育館の床を汚すなよ……。
「今こそ雌雄を決する時よ。ビデオゲームでは遅れをとったけれど、妾を舐めると痛い目に遭うのよ……我妻ぁっ!」
「やっぱり犯行動機そこかっ! ……うごっ!?」
積年のライバルのように、俺様の名を叫ぶ先輩。彼女はぐるんっ! と身体を半回転させる。鋭い蹴りを繰り出してきた。お腹を狙ったその運動靴を、両手で受け止める。いてぇ! 手がびりびりする! というか、蹴り技って。もうぜったいバスケじゃねぇ!
しかしこの人、別に運動が得意という訳ではないようだ。蹴った反動で、ふらついて片脚ケンケンしている。「実は武術の達人」とか、「文武両道」とか、そういう設定でもないらしい。こんなんで勝負を吹っかけるとか、この先輩なんなの? どこからこの、不遜きわまりない自信がやって来るの?
つややかな髪が、ばさっと宙に浮いている。ライオンのたてがみのようだ。瞳を凶悪に細め、
「つぁっ!」
先輩は、ミドルキックを繰り出す。俺様の腰に思い切りヒットした。骨盤が、ごりっ! とかいう音を立て、運動靴に押しのけられる。先輩のハーパンがまくれて、真っ白いふとももが思い切り見えた。でもぜんぜん、嬉しくないんですけど。
「いっでぇっ!? 何すんだっ!」
「黙るがいい! 舌を噛んでも、手前の責任よ!」
「殴りかかったのはそっちだろ! ゲームに勝てないからって、暴力反対!」
「このていど、ただのじゃれあいでしょう。妾の後輩愛にあふれた鞭撻、つつしんで受けとることねっ!」
「愛どころか憎しみを感じるっ!?」
先輩は、両手でバスケットボールをつかむ。しゃがみこんだ俺様の頭へ、ハンマーのように振り下ろした。これのどこが「じゃれあい」だよ!
「んぐっ!?」
俺様は、前腕をたばねてボールを受け止めた。体重の乗ったプレスがきつく、どんどんしゃがんでしまう。先輩は、
「ふふふ……。そなたたちが球技大会について話しているのを、部室で小耳に挟んだのよ。妾も籠球を選択した甲斐があったものね」
「くっ! 最初から俺様とストリートファイトするつもりでバスケを……! あれ? でも、同じ競技の中でも、班分けはいっぱいあるよな? 俺様たちと同じ班に入る――なんて芸当、どうやってやったんだ?」
「単純よ。メンバーを自由に選んで決める班分けなのよ。こういったものは、学友の多い者から決まっていくものでしょう。1班、2班、3班と……。妾や、そなたらのように、学友の無い者は、どうせ最後の班に回されるに決まっているのよ!」
「せつねぇ! 頭脳プレーはすごいけど超せつねぇ!」
「……さぁ、大人しく打倒されなさい。妾の復讐心を満足させるのよ!」
復讐って言っちゃったよ……やむなく、身体を回転させ、ボールハンマーから逃れる。背後に回りこんた。
「食らえ、先輩! 正当防衛だ!」
自分の正当性を主張しつつ、先輩の肩にガチ殴りを食らわせる。警察に告訴されたら、みんなに証言してもらうとしよう。ていうか、俺様のほうが告訴したいよ。
先輩はよろめき、ボールを取り落とした。ちょうど、そのボールをとったのは、近くにいた律花だった。
「ふむ……次はそなたかしら。我妻妹!」
「いやいや。だから、妹じゃなくてシスターだと何度」
「妹! い、妹であってるからっ! ……あ、あってるけど」
ボールを持って突っ立っている律花に、にじりよる団藤先輩。
「逃げろ、律花! 先輩は勝負バカだ! まともに相手するな!」
「う、うんっ……!」
「させるかっ!」
当てずっぽうな方向に逃げ出す律花。あんまり慌てていたのか、何もない体育館の床に脚をひっかけてしまった。
「きゃーっ!」
律花がずっこける。団藤先輩も巻き込まれ、一緒に倒れた。
「ぐぬっ……ん!?」
下敷きにされた団藤先輩は、反射的に手でガードする。
そして、運が良いのか悪いのか、律花の胸を思いっきりつかんでしまっていた。
「「!?」」
律花と、先輩の顔がすぐ近くにあった。鼻っ柱がぶつからなかったのは、ほんとに僥倖だった。しばし、呆然と見つめあうふたり。みるみるうちに、2人の頬が紅潮していく。
な……なんだこのうらやましい状況は? 喧嘩騒動のあとに、突然おとずれたガールズラブ的光景。ふたりとも美少女だけに、やたらとサマになる。雑誌の表紙みたいだ。ピンクや白の、花のエフェクトが、空中に舞っているような錯覚を覚えた。
俺様もだが、まわりのメンバーも、男女問わず目をくぎづけにしている。こいつら、見てたならさっきの殴り合いとか止めてくれよ。
「や、やだっ……!」
「あっ……これは……失敬」
押し倒されたまま、先輩は目線だけをよそにそらした。胸から離した手が、行き場無くぶらぶらしている。いつのまにか、お団子にしていた黒髪がほどけていた。床に、ぱらりと乱れ散っている。律花のポニーテイルは垂れて、先輩の頬や鎖骨をさらさら撫でていた。
「……」
先輩の上に腰かけたまま、律花も目をそらした。自分の胸を抱きつつ、怒るとも恥ずかしいともつかない表情になる。
くそっ! がんばって団藤先輩の相手してやったのに。どうして、あそこにいるのが俺様じゃないんだ。世の中不公平だ! 不純同性交遊だ!
妙なアクシデントが終わったあとは、団藤先輩は大人しくなった。
普通に試合が終わる。試合そのものは、あまり覚えてない。ぼっちが集まる班だからか、連携もない。そもそも会話も、掛け声さえもない。やらされてる感マックスである。ちょっと、お通夜のような空気だった。……まぁ、学校行事とかで、知らない奴が無理やりくっつけられても、しょせんはこんなもんだよな。
試合終了後、団藤先輩は壁際に体育座りしていた。悲しそうに、自分の胸を揉んで……いや、撫でている。不憫なので、何も言わないでおこう。
「うぁー、疲れたなぁ。色々。団藤先輩のせいで」
「……そ、そだね」
律花は、まだちょっと様子がおかしい。自分の胸を押さえ、うつむいている。くそっ、くそっ! 団藤先輩が妬ましい!
「……あ、俺様ちょっとトイレ行って来るわ」
体育館を抜ける。別に、性欲を催したんじゃない。尿意を催しただけだ。
裏のトイレに向かっていると、
「ん?」
見覚えのある姿を見つけた。廊下の蛍光灯の下で、本を……参考書を読んでいる。やたらにでかい男子生徒。
「新堂、か」
正直疲れていたので、声をかけないでUターンしようかとも思った。が尿意には逆らえない。回り道も分からないし。しかたなく、そのまま進み、
「よう。何やってんだ? もう終わったのか?」
「……?」
新堂は「何いきなり話しかけてきてるわけ?」という表情をした。
「おい、お前まだ人の顔覚えてねぇのか。我妻法人だよ」
「……ごめん」
「で、何やってんだ。こんなとこで突っ立って。誰もいないじゃん」
「……勉強」
「相変わらずそれか……まぁ止めろっつって止めるタマじゃねえんだろうけど。ってことは、試合とかもサボったのか?」
「……」
こくり、と新堂はうなずいた。おいおい。
「はは……そっか。ま頑張れよ。じゃあな」
団藤先輩といい、新堂といい。うちの会にはこういう癖のあるやつしかいないようだ。1班や2班のように、大盛り上がりで楽しく試合をするような人間は一人もいない。ま、もともとそういうシャイな奴を狙ってたとはいえ……少しばかり、接しづらいな。
新堂に「じゃあな」と言った手前、トイレから帰ってくるときがまた気まずかった。行きと同じように、寸分たがわない姿勢で、廊下で参考書を読んでいる。もう一回声をかけるというのも変な気がする。かといって、黙って通り過ぎるのも……。
新堂がぜんぜん顔を上げないこともあって、俺様は、黙って通り過ぎるほうを選択した。うーん……この距離感。たまらんな。精神的つなわたりでもしてるような感覚。体育館に戻ったとき、ものすごくほっとした。なんで俺様、今日こんなに疲れてるんだ。
《2016年4月28日 木曜日》
放課後。部室でのこと。
いつものように律花とふたりで駄弁っていたら、団藤先輩がやってきた。
すごく嫌な沈黙が流れた。
「……うす」
「どーもー……」
と俺様たちが挨拶する。と、
「……うむ」
ひかえめにうなずき、先輩は黙って椅子を引いた。俺さまたちより、机ひとつくらい離れたところに腰かける。「雨降って地固まる」とかいうことわざ。あれウソじゃん。
「……今日の議題は?」
「あー。とくに決めてないんだけど。適当に、それっぽい話、なんかするか」
「まぁ、よいでしょう」
「そ、そうだなー……」
何か妙に、会話がつながらない。友情が固まるどころか、大洪水で根こそぎ押し流されたような感じだった。
そうだ。こういう時は、なんか共通の話題でも探すか……。
「そういえば、団藤先輩って進路とかって考えてんの? こないだ、うちの大学の、法学部行くって言ってたけど」
個人的な話だからか、先輩はちょっと不満げな顔をした。法学部行くって、自慢げに言ってたのは自分だろうに……。
「……先に話すというのは、どうも負けたような気がするものよ。知りたいのなら、先にそなたから語りなさい」
「はいはい、勝ち負け勝ち負け。まぁいいよ。美人に俺様のこと知ってもらっといて、損はねぇからな」
「ふん。口の軽い男だこと」
先輩は腕を組み、憮然として言った。相変わらず素直じゃない。なお律花は、自分も「美人」と言って欲しいんだろう。俺様と、ガッチリ腕を組んできた。相変わらず素直すぎる。
「って言ってもなぁ。まだあんまり考えてないんだ。親は法律家になれっつーたけど、それは嫌だっつったからな。でも他にやることと言ったら、ゲームと、律花のお世話くらいだし」
「違いない。そなたが他の事をしているところなんて、見たことないもの。けれど、一事に精力をそそぎこむというのは、悪いことではないわ」
「そ、そうかな?」
「えぇ。かのナポレオンも述べている。『戦術とは、一点にすべての力をそそぐこと』だとね。その姿勢は評価に値するわ。今後も無駄を排していくがいいわ」
「う、うん。ありがとう先輩、なんか自分を肯定できたぜ」
「もういっそのこと、呼吸や食事も省略したらどうかしら」
「それ止めたら死んじゃうよ! 俺様の命は無駄なものじゃないよ!?」
「ふむ、失敬。そなたの生命は無駄ではなかった。むしろ有害だったわね。なにせ妾の体を、偶然を装って弄ぶくらいなのだから」
「1年に殴りかかってくるどっかの残念美人のほうが、よっぽど有害だよ! ……で何の話だっけ。あぁ進路か。とりあえず、律花は弁護士で決まってるからなぁ。俺様は、まぁ……やりたいこととかあんまないし。律花を助けられれば、それでいいよ。そうだな、律花の執事が、希望する進路かもしんない」
「そうだよねー、お兄ちゃんは私のだもんねー!」
俺様の肩あたりに、頬ずりする律花。汚物を見るような先輩の視線が突き刺さる。もはや心地いい。先輩の視線は、はり治療か何かか。
「……さあしゃべったぞ。じゃ、俺様にも教えてくれよ。先輩の進路ってどんなん?」
「妾の希望職種は、検察よ」
「あぁ、やっぱり……」
「あら。以前に、語り聞かせたことがあったかしら?」
「いやいや。話さんでも分かるって。こないだの検察擁護っぷりを見たらなぁ」
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