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 負けじと、律花もやりかえす。「だんどうせんぱい?」と、似たような口調だ。ただ、いやみったらしい言い方には、団藤先輩に分がある。先輩の言葉を借りれば、「一日の長がある」というやつだ。そんなもんに長けてどうすんだよ。

 律花の言い方は、たんなる即席のまねっこ。がんばって、やりこめようとはしてる。けど、小学生の言い争いみたいな、可愛らしさが抜け切れていない。あっちは目の保養。んで、こちらは耳の保養か。しゃべくるだけで、脇にいる少年の心をくすぐるとは……こいつらは本物の美少女戦士だ。あとでジュース奢ってやろう。

 「有罪率ほぼ100パーセントって……ふつう、そこまでできるわけないじゃないですか」

 「たわごとを。現に、毎年そうではないの」

 団藤先輩は、自分のタブレット端末を机においた。そして、ザーッと滑らせる。律花に渡したのだ。が、当の律花は、やる気なさそうに、端末をトントン叩いていた。

 お前ら。距離近いんだから、ちゃんと手渡しぐらいしろよ。何、その渡し方? タブレット壊れてもいいの? ここは、荒くれ者が集う西部のバーですか?

 「そもそも、有罪率を自慢にするのがおかしいと思いません? 有罪か無罪か、決めるのは裁判官ですよね。裁判官に見せる前に、検察さんたちが、有罪のだけ選別しちゃうんでしょ! 団藤先輩のおっしゃったことって、そういう理解でいいんですよね」

 ばさっ! と律花が茶髪をひるがえした。

 「……なにそれ。神さまきどりですか? ……検察の方って、ちょっとおこがましいんじゃないですか?」

 「ぐっ……!」

 おお! 団藤先輩が押されている! 痛いところを突かれたようだ。エロい意味ではない。

 「……しかし、無罪になるべき者を、起訴してしまうよりはまだよろしい」

 先輩は、長い黒髪を手で梳いた。自分の美しさに勇気をもらい、この苦境をしのごうとしているようだ。なにそのナルシスト。

 「裁判となれば、その負担も大きいのよ。いったい、何日拘束されると思っているの? その不安がどれほど激しいか、想像したことはあるの? 現実が、分かっているのかしら? そなたは、無罪になるべき者を裁判に引きずり込め、と言っているも同義よ。いっぺん、ブタ箱に入って、裁判にでもかけられてごらんなさい。さぞ後学になるでしょうね。学校で白昼堂々、兄妹で乳繰り合うよりも、百恒河沙倍は有益な時が過ごせるわ」

 「ふーん? 先輩が犯罪教唆なんかしちゃって、いいんですかー? わー、たいへんだー」

 律花は、「うーん」とのびをした。そして、なんでもないように、世間話でもするように告げる。だがその実、言葉の中身はしんらつだった。

 「だ・か・ら。その、無罪に『なるべき者』っていうのは誰が決めるんですか? 最初から決まってるんですか? 神さまみたいに、ぜんぶ分かっちゃうの? へー、すごいですねー」

 いよいよ、律花はノってきたようだ。茶髪を両手で、シュルシュルこすりだしている。 

 女ってのは、どうしてこう自分の容姿と、ムカつく同性のことばっかり気にするのか。もっと気にするべきことが、他にあるでしょう? お前らの真横で、ヒマそうにスマホゲーやってる、紅顔の美少年が目に入らねぇのか?

 「……違うでしょ。それって、裁判官のおしごとですよね? ちゃーんと、公開の法廷で決着つけるべきなんじゃないんですか? なんで検察が、勝手に密室で決め付けちゃうんですか? それで、へいきな顔してるのがおかしい……と言いたいんです! 私は!」

 がたっ! と椅子を蹴って団藤先輩が立ち上がった。くだらない、とでも言うように首をふる。

 「平行線ね。考えの違い……いや、生物種の違いだわ。どこまで講釈してさし上げても、理解が伴わないのだから」

 律花は知的生物じゃなかったのか……。初めて知った。このシスターでさえそうなら、俺様はさしずめ三葉虫だな。なわけねぇだろ。

 律花も、もんどりうつように立ち上がる。こっそり、膝ぶつけてた。が、痛くないフリをしている。授業が終わった瞬間、ゲームやるために家にダッシュする俺様みたいである。はたから見て分かったが、これほど間抜けな動作もない。もう少し落ち着こうと思った。

 「……ふんっ! そんなの負け惜しみじゃんっ! どーせ反論できないだけでしょ!」

 牙を剥いたマイ・シスター。もとから牙しかない3年の先輩。両者が、一瞬沈黙し、にらみあう。

 そろそろ、潮時だな。

 俺様は、スマホを操作し、アラーム音を大音量で鳴らした。

 「「!?」」

 「いやー、時間測ってたんだけどさ。もうけっこう経ったみてぇだな。2人とも、すげぇ博識じゃん、さすがだなっ! 律花は1年なのにこれだ。団藤先輩だって超有望な新会員だぜ、うん。入ってくれてありがとな。じゃ、まぁ、ちょっと休憩しようぜ。ご褒美にジュース奢ってやるよ。青汁でもいいぞ?」

 一気に言い切る。俺様は、2人の手をつかんだ。

 この後、2人を自販機までエスコートする。適当な言い訳を作って、団藤先輩を一人にする。そこでベタ褒めする。その後、下校時に律花とふたりきりになる。むろん、律花も褒めておく。完璧な計画だ。こんなものを瞬時に思いつく、自分の鬼才がおそろしい。この議論で、いちばん得をしたのは俺様なのだ。この、秀才バカの、頭でっかちどもめ。いいか。頭ってのはな、こうやって使うんだよ。法律ばっか勉強してるから、こうやって美少年にたぶらかされるんだ。覚えとけ。はっはっは!

 ばしっ! ばしっ!

 俺様の手が払いのけられた。……え?

 「お兄ちゃんは黙って!」

 「そなたは黙るがいい!」

 「えっ、あれ?」

 思わず素になってしまった。

 完璧なはずの計画は、最初から甘かったようだ。2人は議論を再開しながら、早々に部室を立ち去って行った。俺様に指摘されて、自分たちののどの渇きに気づいたに違いない。あるいはトイレか? 廊下のむこうから、ギャーギャーという怪鳥のような声が、まだ聞こえる。これでなお、喧嘩を続けるとはな。やつらの胆力には恐れいった。

 「って感心してる場合じゃねぇ! おい待てコラ! これだけ待たせてイベントなしとか、ざっけんなよ! お前らのために、ずっと我慢してやってたんだからな!」

 とくに律花のやつ。道に迷うくせに、なぜ出て行った? 団藤先輩に置き去りにされて、干からびたらどうする。

 叫びながら、俺様は美少女2人のケツを追っかけるのだった。

 

 その後、論争は18時ごろまで続いた。もし門限厳しい家だったら、これでアウトじゃん。

 最後は、俺様が律花を半ば引きずるようにして部室を出たのだ。

 「先輩。もう帰ろうぜ。そうそう、入会祝いだ。ジュースでも奢ってやるよ。お汁粉でもいいぞ。あんた和風好きそうだからな」

 「そのような気違いは願い下げよ」

「狂人扱いされた?! 俺様が何したっていうんだ! 一緒に帰ろうとしただけだろ!?」

 「失敬。そのような気遣いは願い下げよ」

 「……分かったよ。まぁいいや。あ、あと、そうだ。いちおう連絡することとかあるかもだから、連絡先教えてくれ」

 「そなたからの連絡など不要だわ。耳に汚物がかかるわ」

 「俺様の声は毒電波かなんかかよ! 通話はそんなしねぇだろうけど、議題とか連絡したいときあるだろ? だから教えてくれ。PINEtalkやってるか?」

 俺様はそのアプリを起動した。が、意外なことに、

 「やっていないわよ。そんなもの」

 「え!? お前、PINEtalk入れてないの? 普段、どうやって連絡とかしてんだ?」

 「お父さま、お母さまとはプロバイダのメールか電話で事足りるわ」

 「じゃ友達とかは?」

 「……」

 「……」

 いやな沈黙だった。

 「あー分かったー! 団藤先輩、ひょっとしてクラスに友達とかいないんじゃないですか? だってー、なんかあんまり人と打ち解けそうにないですもんね」

 おいやめろ! いままで黙ってたくせに、なんでいま口を開いた!? 何かシャレにならん地雷を踏み抜いてるぞ!

 団藤先輩は、ちょっと顔をしかめた。

 「……妾に、学友など不用よ。妾が争う価値のある者など、あのクラスにはもういないのだから。学業においても、容貌においても」 

 翻訳すると、こいつにとって「友達」とは争う相手のことを言うらしい。そして、勉強もおしゃれも相手と争うための手段らしい。スパルタ人並みのマッチョ思想だった。

 ……そうか。この先輩はたぶん、身の回りのものすべてを、「争い」ととらえている。なんという厄介な性格だ。

 このとっつきにくい性格。それから、後ずさってしまうほどの壮絶な美貌。これで、友達ができるほうがおかしい。

 「ま……まぁ、あんまり気にすんなよ。俺様も律花も、実はクラスに友達少ねーんだ。見れば分かるだろ? いっつもふたごでベタベタしてっから」

 「そなた達、教室でもあれをやっているというの? 驚きね……でも、目に浮ぶようだわ」

 団藤先輩は微笑した。うん……やっぱり、笑うと可愛いな。可愛いっていうか、上品で、綺麗だと思う。なかなか笑わないのが難点だが。

 とりあえず、メルアドと携帯番号を俺様、律花と交換してもらった。

 「じゃあな先輩。幽霊会員とかになるなよ? うちの会はまだ弱小なんだからな」

 「……ふん」

 団藤先輩は、バカにするように鼻を鳴らし、去った。無駄に歩き方が綺麗である。どうせ校門までは同じ道のりのはずなんだから、一緒に帰ってくれてもいいのに……。あと、最寄り駅が国鉄側か私鉄側か確認したかったのに……。ストーカーか俺様は。 

 それにしても、言葉遣いがうんたらと言ってたくせに、挨拶もなしだった。なんだよ、「ふん」って。「法人くんのことが好きになっちゃった! また明日も会いたいな~卍卍卍」ぐらい言えないのか。かしましい論争を、数時間も聞かされるという拷問に耐えたんだ。そのくらいのご褒美があってしかるべきじゃないか?

 ……想像してみたら、かえって鳥肌が立った。

 

 《2016年4月20日 水曜日》

 「ねー、もう帰ろうよ。お兄ちゃん。あんな先輩、ほっとこうよー」

 「まぁ待て。そう焦るなよ」

 放課後、俺様と律花は、3年の教室付近で待機していた。授業終わりを待ち構えている。

 なぜそんなめんどくさいことをしてるかと言えば、好感度稼ぎだ。

 団藤先輩、今日は部活にこないという。帰るときを、狙う。偶然を装い、挨拶してやろう。さすがのあの先輩とはいえ、人間だ。毎日、見かけるたびに声をかけられたら、きっと気を許すに違いない。

 「私、あの先輩ほんとキライ! 口が悪いし! 押し付けがましいし!」

 「まぁまぁ。お前と違って普通の人間なのに、あれだけ知識あるってのもすごいだろ。只者じゃない。実はいい奴かもしれないぞ」

 あと、美人だし。

 「あ、分かった。お前、あいつに嫉妬してんだろ?」

 「なっ……!?」

 律花は大口を開けた。ぷっくりした桃色の舌が、ちろっと見えた。

「先輩が美人だから、俺様が取られると思ってんじゃねーか? どうだ、合ってるだろ?」

 「う、うっ……!」

 律花は涙目で歯軋りした。ぱっちりしたまつ毛が、ピコピコ揺れた。

 「心配しなくてもいいんだぞ? この先どんな女が現れたって、俺様には、お前が一生必要なんだからな?」

 「そ……そんなこと、急に真顔で言わないでよ。ドキッとしちゃうじゃん……!」

 律花は周囲を見回した。ツンとおすましした鼻先が、俺様を誘惑していた。

 こいつ、何やっても可愛いな。そのうち、屁をしても可愛いと思えるようにかもしれない。あばたもえくぼ、というやつである。

 ついでに、壁にドンッ! と手をやってみた。律花を精神的に圧迫する。そしてほそいあごの先を、くいっともちあげてやった。流れるような壁ドン&あごクイである。そしたら、律花は目を回していた。ふっ、他愛ない。

 律花は、俺様のイケメン的アクションで胸キュン状態異常である。そのときちょうど、団藤先輩が教室から出てきた。あの人、どこから見ても一発で分かる。髪の綺麗さも、顔の整い具合も、姿勢のよさも。ほかの生徒と一線を画している。名前の通り、みやびそのものの佇まい。

 律花を柱の影に置き去りにし、なにげなく廊下を歩いていった。

 「よう、先輩。奇遇だな!」

 爽やかな挨拶だ。

 ……しかし、団藤先輩は何の反応もせず通り過ぎていった。

 「あ、あれー……?」

 なんだ今のは。こっちのほうを見もしなかった。気づいていて、無視されたのか。そもそも、気づかなかったのか。

 俺様は、後者ではないかと睨んだ。「学校で他の生徒に声をかけられる」という経験が、あの先輩、おそらくほぼないのではないか。だから、普段は他の生徒をいっさい意識の外に排除している。いざ、声をかけられても、それが自分への挨拶だと気づけなかった――というかんじ。だって、気づいたなら、また「……ふんっ!」とか言いそうだし。

 「どんだけクラスメイトと交流断ってんだよ……悲しすぎるだろ」

 いつも律花がいる俺様には、その生活は想像もつかないが。

 だったら、なおのこと。挨拶くらいしてやるべきだろう。友達がいない奴の気持ち、は分かっているつもりだ。

 きっと、先輩は会話に飢えている。こっちに気づきさえすれば、よろこんで挨拶してくれるんじゃないか?

 「おい、先輩! 団藤先輩! こんちは!」

 「……?」

 先輩は、ちらっとこっちを振り向いた。きっ、と細めた片目が、一瞬だけ見える。

 そして、それだけだった。先輩は、さっさと向こうへいってしまったのだ。

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