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 「いい事? 許可なく、妾に指一本でも触れて御覧なさい。そなたを物言わぬ骸に落としてやるわ」

 覚悟するのは、俺様のほうだった。

 「こええよ!? 冗談でも止めよう、そういうの!」

 「しかし……汚い部室ね。椅子も、机も、整頓されていない。塵芥は溜まっている。……それに、あの床に転がしてある汚いビニールは何かしら? ここで、昼食でも摂ったと?」

 「ん? あれはさっき食った菓子パンの袋だよ。おやつだな。後で捨てるさ」 

 いちごメロンパンの空き袋を、俺様は拾った。

 「男の癖に、ずいぶんと軟弱な食物を好むのね」

 「え? ああ、あれは律花の好みだ。律花とふたりで食ったんだよ。お互いのくちびるを触れさせないで、全部食えるかな? っていう、遊びみたいなもん。もうほんとヒマでさー。それに律花、俺様が言うことだったら、なんでも聞いてくれるし。つい過激な遊びに走っちゃうんだよなー」

 「そうそう。面白いよね~。明日も、この人がいないところでやろうね。でもぉー、そんなに危険じゃないよ。もしチューしても、兄妹ならノーカンだもん。幼稚園のときにもう、いっぱいチューしちゃったもんね、お兄ちゃん?」

 律花、なんか言葉にトゲがあるな……。もう少し仲良くしてくれないか?

 「……」

 団藤先輩は、言葉自体をなくしていた。謝るよ。やめないけど。

 「次からは、整理整頓、清掃を行き届かせておきなさい。部屋が穢れているから、人心も乱れるの。いい勉強になったでしょう」

 「ちょっと、何それ? うちはいっつも律花が綺麗にしてるんだからね? でもお兄ちゃんを好きなのはずっと前からだし。そんなの関係ないよ。ていうか乱れるって何? 酷いんじゃない?」

 「なるほど。因果が逆であったようだ。人心が乱れているから、部屋も穢れたのね。これはお見それしたわ」

 「は? 何それー、意味わかんないし! あなただってめっちゃ口悪いじゃん! さっきから黙って聞いてれば!」

 「おいおいおいっ、下らんことで喧嘩すんな! 仲良くしようぜ、な!」

 「そなたは黙るがいい」

 「お兄ちゃんは黙ってて」

 2人の美少女から思いっきりにらまれる。あぁ幸せ! それにしても、部室がいつのまにか三国志と化していた。俺様、ぜったい真っ先に磨り潰されるパターンだろ。もう蜀とかいう弱小国家でプレイしたくないよ……巻き返すの面倒くさいだけ。

 「妾は、そなた達の関係を邪魔立てする意思はないわ。思うさま爛れればいい」

 「当たり前だよ! これからだってお兄ちゃんが大好きに決まってるでしょ!」

 「……それよりも、そなた達。先ほどから、言葉遣いを心得ていないようね。先達に対しては、相応の言葉を使うのが当然だわ」

 「え? いや、あんただって、『わらわ』とか変な言葉つかってんじゃん」

 「『妾』は自らを下げる謙譲語。そなたは、『俺様』などと、自らを上げているではないの。話にもならないわ。馬鹿馬鹿しい、まるで狂人よ。幼稚園から教育を受けなおしなさい」

 「『俺様』っつったのは中三からだぞ? こう見えて、ほぼ高校デビューだ!」

 「存じないわ。そんな世迷言。きちんと敬語を使いなさいと、妾はこう言っているの」

 「はぁ……」

 敬語ってなんだっけ。しばらく使ってないから忘れてるかもしれない。

 「俺様って、なんか他人を敬えないんだよなー。だって俺様のしたいことが全てだし。他人とか興味ねーしー」

 「したいこと……?」

 ハーレム建設したいです。などと言えなかった。

 「いやっ、なんでもない。まぁ敬語とか使いなれてないからさー。まぁ先輩みたいな美人と仲良くなれんなら、使ってもいいけど……なんか迎合すると律花が怒りそうだし?」

 団藤先輩は目を泳がせた。案外、ふつうに褒められると弱いのか? この先輩は。でも、美人なのは否定しようがない。こんなおとぎ話に残りそうな人は、なかなかいないだろう。人形じみた美しさなので、じっとしているのが当たり前に思え、動いてるとなんか不自然さを覚えるレベル。性格が、逆方向に突き抜けてるのがほんと惜しい。

 「先輩みたいな美人。先輩みたいな美人。美人。美人。美人」

 連呼してみた。恥ずかしいのか、こんどはそっぽを向いてしまった。大和撫子的反応、というやつか。可愛いとこあんじゃん。

 いっぽう律花は、またムッとした。俺様をにらんでいる。が、けん制したからか何も言ってこない。

 「……そなたのような不埒者と親交を深めるなど、ごめんこうむるわ。もはや救いようがないわね」

 団藤先輩は目をつぶる。苛立たしげにため息をついた。そして今度は律花に言う。

 「では、そなただけでも改めなさい。言葉遣いは重要よ」

 この先輩、説教くせぇな……近所のおばちゃんみたい。俺様、都会っ子だから近所づきあいとかなかったけど。あの母親が、隣人にも法律の勉強を強要とかしてたんだろう。

 「は? 私? やだよ。先輩みたいな性格悪そうな人に、敬語なんか使いたくないもん!」

 「性格悪そう」。女子語で、「お前の外見が妬ましい」という意味である。いまにも2人が3SDとりだしてポジモンバトルでもしそうな空気だ。俺様はハラハラした。

「ほう。妹のほうも、兄と同様とは。手前の品位を貶めていることにも気づかないのね」

 「そんなの知らないし! ていうか、同好会の先輩はむしろ私のほうだし! だってお兄ちゃんと同好会作ったの私だもん!」

 手続き関係も、ビラ作成も、ぜんぶ俺様がやったけどな。お前は俺様にくっついてただけだけどな!

 「あ、あのさ。こまけーけど、妹じゃねーから。律花はふたごのシスターだから」

 「うぅん、私は妹だよっ! お兄ちゃんは私に優しいもん! 世間のお兄さんみたいに偉そうじゃないんだから! すごくかっこいいんだから!」

 世間にだって、謙虚でかっこいいお兄さん達くらいいるだろうに。自分で何言ってるか分かってんのか。まぁ、いちばんかっこよくて偉いのは俺様だがな。そこはあってる。

 「……なんにせよ。言語を正しく用いない野蛮人ね。そなたたちの悪習には、最早つきあいきれないわ」

 「む~っ!」

 「そもそも、この同好会は法律が題材だろう。法律にかんしては、むしろ妾に一日の長があるわ」

 「え、どういうこと?」

 俺様は聞いた。団藤先輩はちょっと自慢げに、

 「妾は、中庸大学法学部への推薦がほぼ決まっている。ゆえに、既に法律の勉強に着手しているのよ」

 「ちょっとタンマ、タンマー。それだったら私だって、もう勉強してますぅー! ていうか先輩、どこまで勉強したんですか?!」

 あっさり敬語が混じっていた。やっぱり、素の真面目さは隠し切れなかったらしい。さすが俺様のシスターである。あるいは、団藤先輩の雰囲気が放つ、強制力にしたがってしまったのか。

 「民法総則、刑法総論、憲法の人権規定……このあたりかしら」

 「ぷっ、そんだけですか!? そんなんで一日の長とか、何にも知らない人だってほんとに一日で追いつけるじゃないですか!」

 いやいや。それはお前だけだろ。すくなくとも、俺様のようなまともな人間が、あんなバームクーヘンみたいな教科書読めるか。

 「はっ。それほど大言するなら、そなたはよほど進めているのでしょうね?」

 「当たり前ですよ! 私はね、驚かないで下さいね? もう去年で全分野やり終わってるんですよ! すごいでしょ?!」

 「なに……?!」

 あの団藤先輩が目を剥いた。無理もない。

 法分野は、「憲法」「行政法」「民法・会社法・商法」「民事訴訟法」「刑法」「刑事訴訟法」ってのが、主にある。このあたりが司法試験に出る。だから律花は、そこを勉強してる――いや、したそうだ。あと、試験には選択科目とかいろいろあるらしい。俺様は興味ないから、そこまではよく知らん。ともかく、いっぱいあると考えて、間違いない。毎日みっちりやっても、普通は2、3年かかるそうだ。

 それをこの律花は、もう全て終えているのだ。

 国語、数学、英語、そのほか義務教育がのしかかってくるはずの、中学3年までの段階で。

 「……何を馬鹿な。そなたは、いま高1だ。大人でさえ苦戦するものを……中学生の能力で、修了できるはずがないわ」

 「ほんとだもーん。ひょっとして、認めたくないんですかぁ?」

 「何を根拠に……そのような……そなたの、見え透いた虚言でしょう」

 「ウソだと思うならー、試してみます?」

 「……面白い。ずいぶんと、興に乗らせるではないの」

 バチバチバチッ! と2人の目線の間に電流が走った。ベンジャミン・フランクリンか、お前らは。

 

 かくして、青天の霹靂のような論争がはじまった。

 やると思ってなかったから、準備も何もしてない。が、こいつらにはそんな物は不要だそうだ。はいはい。無知ですんませんでした。

 お題は「日本の刑事司法」。律花が弁護士・被疑者側、団藤先輩は検察側の立場に立つらしい。どうせ、理性的な討論になんてなるもんか。1分で醜い喧嘩になるだろう。せいぜい、好きなだけ争うがいい。精神が参ったところを、俺様が優しく慰めてやるよ。そして、一気に仲良くなってやろう。これぞ二虎競食の計である。

 そして、議論の火ぶたが切って落とされた。

 「ふむ……弁護士などという者どもは、しょせん社会の害悪でしょう。口八丁手八丁、重箱の隅をつつくような賢しらな理屈をこねくり回す。そして、明らかに罪を犯した危険人物を、野に放つ。犠牲になるのは常に一般国民ばかり。それでお飯(まんま)を食べているというのだから……聖職が、聞いて呆れるわ」

 と、説く団藤先輩。

 「はぁっ、何を言ってるんですか!? うちのお母さんを馬鹿にする気!? 弁護士だって大事な職業なんですぅ! 弁護士が被疑者のために、知恵をしぼるのは当たり前でしょ? それとも、なに? 被疑者なんて、なんの知識もないんですよ。身の守り方も分からないんですよ? そんな人に、ひとりで裁判所に立てっていうの?! そっちのほうがありえない!」

 と、わめくメガ律花。まちがえた。メガネ律花。

 ……1分もたなかった。ていうかもう、初っ端からけんか腰の感情論だった。最初からクライマックスもいいところだ。

 バン! と律花が机を叩く。立て板に水を流したように、まだまだ語る。ほんと元気だ。映画館でライト振って、ペディキュアに元気分けてこいよ。

 「それに、検察だって大概でしょ! 検挙率アップのためにどうでもいい事件を起訴するくせに! そのくせ、政治家の贈収賄とか、大企業の公害事件とか……肝心な事件に限って、不起訴のオンパレードじゃないですかっ! もうわっかりやすー! どんだけ腐ってんですか! 権力の犬ですか? 税金で食べてるのに! 国民のために働かなきゃおかしいでしょっ!」

 「何を言うのかしら、この娘は。日本の検察は、世界的にも、もっとも勤勉かつ優秀な方々だわ。目に焼き付けておきなさい――」

 団藤先輩は、タブレット端末を裏返した。何かの棒グラフが記されている。

 ……いや、これ棒グラフか? すべての伸ばし棒が、枠の一番上にほとんどくっついてしまっている。グラフというより、監獄の鉄格子の設計図にしか見えない。

 「日本の刑事事件の有罪率は、ほぼ100パーセント。これすなわち、検察の捜査がきわめて精密であることの証左ではないの。潔白な無辜の市民は、ただちに放免させる。そして、有罪が疑われる者は、しっかり備えたのちにはじめて起訴する。これこそ公明正大、秋霜烈日そのものだわ」

 なるほど。

 毎年、ほとんど100パーセント、すなわち上限。だから、こんなグラフに見えないグラフになってるわけか……。たしかに優秀なのかもしれない。あるいは、何かズルでもしてるか。常識的に考えれば、そのどっちかだろう。

 それにしても、とうとうと語る団藤先輩の顔は、こころなしか火照っていた。血色がよくなっている。たぶん、検察志望なんだろうな。たしかに適職だ。あれだけズバズバ物を言う。掃除だの、言葉遣いだの、ルールにいちいち厳しい。おあつらえむきじゃないか。……まぁ、俺様の知ったことではない。ないが、彼女はやっと、人間らしくなってきた。 

 これは、ありがたい。目の保養になる。検察さまさまだ。起訴だか味噌だか知らないが、団藤先輩を良い顔にしたというだけで、検察とやらの存在意義は充分にある。俺様が、こいつらのくだらない議論から学ぶことなんて、この嬉しそうな女の子の顔だけで充分だ。

 なんにせよ、彼女にはずっと、こういう清楚でお上品なお姫様っぽい顔でいてほしい。俺様の精神衛生上、とても助かる。

 「ぷっ……」

 律花が嘲笑した。

 「何が可笑しいのかしら。我妻さん?」

 「わがつまさん?」という言い方が、もうひどかった。一文字一文字、アクセントをつけてる。実にいやみったらしい。相手の生命を、十代さかのぼって否定するかのようだ。俺様、こんな風に言われたら布団をひっかぶってぶるぶる震えてしまう。

 「そんなの、どうとでもとれるんじゃないんですか? 団藤先輩?」

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