第6話 牽制



「貴様ら……どういうつもりだ」


 押し殺した声で、アレクシスは唸るようにそう問うた。

 白き竜のほうは、以前にも見たあの優しく流麗な姿をしている。

 一方の黒き竜は、それよりはるかに精悍で、勇壮な姿に見えた。黒光りするその体表を覆った鱗が、時おりぎらぎらと翠の色を跳ね返している。


《久しいな、アレクシス。俺だ。この度、どういうわけかこういう仕儀になってな。少し、挨拶に寄ることにした》 


「挨拶、だと……?」


(ふざけた真似を――)


 アレクシスが不快げに顔を歪める。

 この相手は間違いなく、アルベルティーナ姫と恋仲の、馬にしてやったあの男だ。

 黒馬になったはずのこの男が、なぜいま黒い竜の姿になって目の前にいるのかは分からぬが、恐らくは先ほどの「祈願の儀式」と関係があるのだろう。


「そんな下らん挨拶は要らん。要点を言え。女のようにごちゃごちゃと、無意味な言葉を並べるな」


《……そうか。では、お言葉に甘えよう》


 黒い竜はそう言うと、余裕をもった動きでぐるうりと身を翻し、その頭部を尖塔の窓に近づけてきた。

 爛々と輝く巨大な竜の瞳は、宝石のような翡翠の色に輝いている。

 背後の兵らが、「ひいっ」と声にならない悲鳴を洩らした。

 ヴァイスは無言だったが、それでも必死に足を動かしてアレクシスに近寄ってくると、ずらりと鋭い牙の並んだ竜の口と、アレクシスとの間に身体を入れるようにした。

 人ひとりなど、たやすく丸呑みにできるほどの口だった。


「陛下。……どうか、お下がりを」


 必死に勇気を振り絞っているものの、それでもヴァイスの顔は蒼白で、全身をかたかたと震わせていた。


「どけ、ヴァイス」


 アレクシスは無造作にそんなヴァイスの肩を掴んで、むしろ自分の背後に隠すようにした。さらに、竜のほうへ片手を上げて、即座に火竜魔法による結界を出現させた。

 紅に輝く風のようなものが、アレクシスとヴァイス、そして背後の衛兵らの周囲を取り囲む。

 それを見た目の前の竜の瞳が、ふと意味ありげに光ったようなのが癪に障った。


《挨拶というのは、他でもない。……この度、この姿を得るとともに、風竜国の王座に就くことになった。正式な手続きはまた後ほどとなるが、以降、俺が風竜王ということになるだろう》

「なに……?」

《ついては、水竜国アルベルティーナ姫殿下のご希望もあってな。九年前、そちらが奪った『蛇の尾』一帯と、国境付近の領土のすべてを、この機会に各国にご返還願いたい》


 竜は淡々と、ごく落ち着いた思念でそう言った。

 アレクシスは目を剥いた。


「……は!」

 どうしようもない哄笑が、胸の底から湧きあがってくる。

「なにを……馬鹿な!」


 なにが「返して下さい」だ。

 バカなのか。

 あっちこっちの女に愛されるだけあって、相変わらずの甘くてお綺麗なばかりの男である。

 へそが茶を沸かすとは、このことだ。


「欲しいなら、己が力で取り戻せ。奪われるのは、貴様らが脆弱のゆえであろうが。俺を殺して、奪い返せばいい。簡単な話だろう」

「陛下……!」


 背後でヴァイスが、もはや悲鳴のような声を上げた。後ろからアレクシスのマントを握って、必死にかぶりを振っている。

 が、アレクシスは舌鋒を緩めなかった。


れ者が――!」


 まっすぐに、竜の頭を指さして言い放つ。


「欲しいなら、奪え! 躊躇ためらうな! 誰に恨まれようが、何を踏み潰そうが、立ち止まるな。振り向くな。それが己が民と、国を守ることならなおさらであろう。どんな恨みを買おうが汚れようが、それが王たる者の務めではないか。そんな覚悟すらない男が、王など名乗るな、片腹痛いわ――!」


《…………》


 竜たちは、しばし黙った。

 そして二頭とも、その大きな瞳に悲しげな色を湛えたように見えた。

 やがてゆっくりと、レオンハルトの思念が答えた。


《……そうだな。それは貴様の言が正しい》


 白き竜が悲しげな目で黒き竜を見つめる。

 黒き竜は少しそちらを見たようだったが、またこちらを向いた。


《が、生憎と、こちらにはすでにその『力』があるものでな。我らは見ての通りの姿だ。やろうと思えばまばたきのうちに、そちらの国を焦土にするのもたやすいこと》


 それは、ごく淡々とした声だった。

 しかしそれだけに、恐るべき威力をも持っていた。


「……!」


 それを聞いて、背後のヴァイスや兵たちがびくりと身体を竦ませたのが分かった。

 当然、アレクシスもそのことは分かっていた。

 相手は、まことの竜なのだ。それも、二頭。

 こちらはいくら竜の魔力をいただいた存在だとは言っても、たかが「眷属」。互いの魔力の差は歴然としすぎるほどのもの。

 いくら自分が火竜の魔力で対抗しようとしたところで、かれら二竜に勝てる道理はない。まして相手には、恐らくあの「風竜の魔女」も加担するのに決まっているのだ。

 もちろん、そんなことになれば、あの「火竜神おやじどの」とて黙ってはいないだろうが。とはいえアレクシスも、別にここであのの威を借るなどという、無様な真似をするつもりはない。


 黒竜が言葉を続ける。

《ご忠告、有難く受け取っておく。……しかし、互いに無駄な血を流すのは不毛であろう。幾万という無辜むこの民を非業の境遇に叩き込み、浪々の身にすることは、王としての務めの放棄とは言うまいか》

 その声は、朗々として、しっかりと落ち着いたものだった。

《いかに貴国のものだとは言え、田畑でんぱたを焼き、そこを血で染めることは、我らの望むことにはあらず。……いかがか、火竜の王、アレクシス》

 アレクシスは、鼻の頭に皺を寄せて嘲り笑った。

「ふん。相変わらず、綺麗ごとまみれの野郎だな――」


「お待ちくださいっ……!」

 と、突然、ヴァイスが会話に割り込んできた。

「ご無礼の段、お許しくださいませ。しかし、陛下。『祈願の儀式』さえ行なえば、陛下もご同様にして、竜におなりになることは可能なのではございませんか? でしたら、なにも……粛々と彼らの風下に立つ必要はございません。陛下も、儀式をなさればよいだけのこと――」

「…………」

 アレクシスは、驚いて彼をまじまじと見た。


(何を言い出すかと思えば――)


 その儀式には、人命が要る。

 それも、王族たる祈願者そのものか、その者の心より愛するだれかの命がだ。

 昔、あの母を捧げたときのように、その者を火竜神に捧げれば、自分ももしかすればこのレオンハルトやアルベルティーナのような、竜たる身になれるのかもしれないが。

 そうすれば確かに、今よりもはるかに強大な魔力を手に入れることは間違いない。

 確かに魅力的な話ではある。


(……だが)


 アレクシスは、目の前でその美貌を歪ませ、必死の形相でこちらを見つめている、もはや蒼白の人を見つめた。

 その肩を、爪が食い込むほどに掴みこむ。


 ……だが、そんなことをすれば。


「…………」


 アレクシスは長いこと、白金髪を乱してそこに立ち尽くし、悲しげな桃色をした瞳で必死になにかを訴えている青年を見返していた。

 が、やがて口許を歪めて少し笑った。


「……愚かなことを言うな」

「しかし――」


 言いかけるヴァイスの口許に、素早く人差し指を当てるような仕草をして黙らせ、アレクシスは黒竜のほうへ向き直った。

 どの道、たとえこの身が竜になれたとしても、こちらは一頭、あちらは二頭なのだ。やはり勝ち目はないと思えた。下手な悪あがきは、しないが吉だ。


 アレクシスは、さも面倒くさそうに口を開いた。

「了解した。忌々しいが、止むを得ん。『蛇の港』を含む『蛇の尾』と、国境付近の領土の返還、ということで良いのだな」

「陛下……!」

 ヴァイスが驚いて叫んだが、アレクシスは構わず続けた。

「しかしだ。ただこれだけでは、いかにもつまらん。条件が二つある」

 そのままひたと、巨大な黒竜の瞳を見据えて言い放つ。


「俺と仕合え。無論、人の身の姿でな」


 そしてその片手に、あの燃え盛る「火竜の剣」を出現させた。


「ひ……!」

 背後にいた衛兵らが驚いてあとずさる。

 ヴァイスも蒼白の顔のまま、じっとその紅に光り輝く剣を凝視していた。

 アレクシスは、燃える刀身をずいと黒竜の顔に突きつけて言い放った。


「俺に勝ったら、望みのものはれてやる」


 ヴァイスが絶句し、呆然とアレクシスを見た。

 竜たちは、静かにこちらを見返している。白き竜が、さらにその瞳を悲しげなものに変えたように見えた。

 アレクシスは二竜の様子を観察しつつ、さらに付け加えた。


「それと、もうひとつ。なるべく、こちらのを潰さぬようにしてくれると助かる。臣下どもがあとあとうるさいのは、俺とていかにも面倒なのでな」


 くくっと不敵に口許をゆがめた不遜そのものの火竜王を、二竜はしばし、黙って見つめるようにしていた。

「陛下……!」

 後ろからまたマントに取りすがるようにしてくるヴァイスを片手で制する。


《……了解した》

 黒竜はひとつ、わずかに頷いたように見えた。

《が、ここではそちらの『火竜神おやじどの』の眠りを妨げよう。場所を変えさせてもらうが、よいか》

 アレクシスは嘲笑を滲ませた笑みを浮かべたまま言った。

「好きにしろ」


 その返事を聞くと、黒竜はすこし塔から離れてその身の周囲に翠に光る風を巻き起こしはじめた。どうやら彼の出現させたものらしい。


《では……くぞ》


 黒竜がその翼を広げた瞬間、ヴァイスがぴたりとアレクシスに身を寄せた。

「お待ち下さい! それでしたら、わたくしも! わたくしも、お連れくださいっ……!」


 二竜は少し、驚いたように目を見合わせたらしかったが、やがてまたこちらを向くと、その魔法を発動させたようだった。



 ごうっと、その場に一陣の風が吹く。

 次に衛兵らが目を開けたときには、もうそこに先ほどまでの竜の姿も、王と若い宰相の姿も、どこにも見えなくなっていた。


「へ、陛下……! 宰相閣下!」


 あとにはただ、空に何事もなかったかのように、月と星ばかりが煌々と輝いていた。

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