第6話 調練


「ああ、随分と補修もはかどっているようにございますね」


 黒馬のレオンを連れて、あの岩山に登ったアネルは、傍らの黒馬の首にそっと手を掛けながらそう話しかけている。

 彼の言葉どおり、長年の風雪に晒されてあちこち傷んでいた「風の城砦ヴィント・フェステ」は、いまやすでに相当、かつての威容を取り戻しつつあった。

 土竜、雷竜両王の後押しを受け、またミカエラの魔力のおかげもあって、工事は信じられないほどの速さで進捗している。

 いわゆる工兵がいるというのではなかったが、「レオンハルト派」に属してくれている凋落したもと貴族の面々は、風竜国内各地から土木建築に詳しい人材を見つけてきては雇い入れ、彼らをうまく指揮して作業に当たってくれていた。

 もちろんここには、あのファルコが話をつけ、土竜王の援助の一環として送り込まれてきた魔法官や工兵らが、己が身分を隠しつつ秘密裏に協力してくれてもいる。


 いま、この「風の城砦」の周囲には、ミカエラの発生させている濃いもやが取り巻いている。それはこの城砦を取り巻く川の流れのすぐ外側にあって、ここで働く人々と作業の様子が見られないようにすっかり隠してくれていた。

 そればかりではない。この靄は、足を踏み入れた人間をけっして中心までは踏み入らせないで方向感覚をおかしくさせ、最終的には靄の外へと誘導してしまうしかけが施してあるのである。

 もちろん、靄の周囲に田舎装束に身をやつした見張りの兵も目立たぬようにして立たせてあった。


 急ごしらえの兵たちは、作業の合い間にそれぞれの隊で集まっては軍事教練などにも勤しんでくれている。「レオン軍」の統括に当たっているのはあのコンラディンだ。王国軍よりも遥かに規模は小さいのだが、それでも一応、彼にはこれを機にこの軍の元帥としての立場をとってもらうことになったのだ。

 少し組織だてに手間取りはしたけれども、その下に将軍らや上級将校を初めとする武官らも配置させ、軍制もようように整ってきた。

 見たところ、全体的に王国軍よりも若い兵が多いようだが、それぞれの部隊長らは己が仕事に熱意と気骨をもって当たってくれているようなのがレオンとしても心強かった。

 馬の姿でいることにある種の効能があるのだとしたら、そのひとつはこうして兵たちの普段の姿を自然な形で観察できることかもしれないと思う。もしもレオン自身が人の姿でここにいたなら、兵らだってそうそうざっくばらんに笑いあったり、訓練に勤しんだりはしづらいだろうからだ。


 ミカエラはあの後、翌日になってから、そ知らぬ顔をしてまたレオンたちの前に現れて、もくもくと城塞補修の作業のためのさまざまの仕事に当たってくれている。城塞の周りに結界を張ることは、その大きなもののひとつだった。

 彼女はあれ以降、ファルコを見るとなぜかさりげなくその側から離れ、彼と顔を合わせるのを避ける様子がみられたけれども、特にその仲が険悪だからという風にも見えないのが不思議だった。

 やはりファルコにも言われた通り、レオンはまだまだ、の勉強が足りない、ということなのかも知れなかった。

 老女デリアとその家族については、ミカエラの屋敷に大切に匿われている。


 ものの言えない今の姿のレオンに向かって、アネルはぽつぽつと様々の話をしながら、ゆったりとその引き綱を持ったまま城砦の様子を眺めて回った。端からは、真面目な顔をして馬に話しかけているちょっと気の毒な男に見えなくもないだろうが、アネル本人は勿論、大真面目なのだった。


「不思議な男にございますね……あの御仁は」


 アネルは少し可笑しそうに笑いながら、ファルコのことをそんな風に評した。

 あの男が近頃ミカエラに興味を持っているらしいのは、レオンにもなんとなく分かっている。実際、あの男が傍にいると、ミカエラがひどく大人しくなるのだった。

 このところ、たとえ癇癪を起こしていても、あの男がミカエラにひと言、ふた言なにかを言うと、不思議に彼女の機嫌がずっと穏やかなものになる、という場面をレオン自身何度も見てきた。

 つまり、彼らはどうやら、「が合う」、ということなのだろう。

 気のせいかもしれないが、あの夜以来、ミカエラが自分に対して必要以上に接触してきたり誘惑めいた行為を仕掛けてくることもなくなったようだった。情けない話だが、それについては正直、ほっとしている自分がいる。

 さすがの自分でも、迫ってくる女に向かって何度もああした態度に出ることは、女の矜持を傷つけ、恥をかかせる行為だというぐらいは理解していたからだ。


「それで……どうなさいますか、殿下」


 アネルは近頃、馬のレオンと二人きりになれると、こうして大切な密談をするのが常になってきている。いまだにあのコンラディンやベリエスはじめほとんどの者らには、レオンのこの特殊な体質と呪いの顛末については語っていない。

 それは彼らを信用しないからと言うよりも、日中ただの馬の姿になる男のことで、彼らに過度の心配をさせたくないと思ってのことだった。このようなことをいまさら聞かされたところで、兵らの士気が上がるとは到底思えなかったのである。

 とはいっても、いつまでもこのままという訳には行くまい。

 コンラディンとベリエスのみならず、何故レオンが日中には席をはずし、軍議にも現れないばかりか直接会うことすらできないのかと訝しむ者も、ちらほらと出てきているからだ。これから王と仰ごうと思っている男の意見をなるべく細かく聞きたいという思いは、どの臣下も同じだからである。


「こうまでなりますと……どうにも、そのお身体のままというわけには参らなくなって来ましたな。どうにかしてその呪いを解く、あるいは跳ねのける方向で考えて参らねば――」


 レオンとて、思いはアネルと同じだった。

 だから、アネルに分かるように、一度だけ耳をぴくりと震わせてその意思を伝えた。


「そもそも、御身への呪いを作り出したのは、火竜王アレクシス。その呪いは、あなた様とアルベルティーナ姫殿下の人としての時間を、昼と夜とに分かつものだった。そしてアレクシスはあなた様を別の生き物に、ミカエラは姫殿下を別の生き物の姿に変える呪いを、それぞれの神竜に願い、成功した……と、そういうことでございましたね」

 アネルは訥々と、ここまでレオンから聞かされたことを整理している。

「しかしながら、姫殿下は雷竜神、水竜神のご加護を受けられ、白き竜へと化身なさるお体に変貌なされた――」


 そのとおり。

 そしてその加護はもちろん、レオンの身にも及んでいる。

 本来であれば、もっと人として嫌悪を催すような生き物にされたはずのところ、この黒馬になる程度で済んだのは、二竜の加護があってのことだ。

 アレクシスの魔力がミカエラのそれを相当に凌駕するものであったがために、魔法効果の程度が変わってしまい、より強い魔力に呪われた形になったレオンだけが、竜になるなどの赫々かっかくたる変化へんげはできない身になった。要は、バランスの問題なのだろう。

 それはもしかしたら、ニーナが水竜と雷竜の王族の直系の血を引く姫であるのに対し、レオンはそうでないということも関係するのかもしれなかった。


 あの二人の魔力の程度に差がある理由は、こちらで推測するほかはない。

 が、何よりもまず、彼らがその身に取り込んだ「竜の結晶」の量の違いではないかとレオンは考えている。

 もちろん、取り込んだ結晶が多ければ多いほど、身体への負担は大きくなろう。アレクシスが「火竜の眷属」になったとき、彼は恐らく何十日も生死の狭間をさまよったはずである。それに対してミカエラは、あの水竜宮の牢の中でほんの数日、体調を崩していた程度に過ぎなかった。

 あるいはまた、彼らが王家の直系の血筋にあるのか、また傍系に属するのかといったことも関係があるのかも知れぬ。


(いずれにしても……)


 馬のレオンは思考する。

 竜の魔力による呪いを跳ねのけるには、竜の魔力によるほかはない。

 または、呪いを発生させた張本人の命を奪うか。


(……しかし)


 ふ、とレオンがそのひとつしかない馬の目でアネルを見つめると、彼もこちらの意を汲んだように困った顔で頷いた。

「左様にございますね。今となりましては、あのミカエラを手ずからお討ちになるなど、あなた様には到底、ご無理な話にございましょう――」

 そしてもう一人いちにんのアレクシスは、心理的にはともかくも、実力的にとても今の自分が立ち向かって勝てるような相手ではない。


(やはり……どうにもならんか。)


 馬のレオンは仕方なく、ぶるると首を振りたてた。


「それに、ひとつ心配ごともございます。先日、ゲルハルトとご連絡いただいた際、あやつはどうやら、あなた様に王位をお返しすることに否やを申さなかったとおっしゃっていましたが――」

 馬はまた、ぴくりと耳を動かした。

「ゲルハルトめがそれで良くとも、あのムスタファがそのようなことをむざむざと許すとは思えません。あの奸臣のことでございます。もしゲルハルトのそのような内心を知れば、激怒するは必定でしょう。下手をすればムスタファめ、またもや己が手を王族の血で汚すつもりになるかも――」


 そのことは、レオンも当然、危惧していた。

 あのとき、この養父の魔法を使ってゲルハルトと直接に話をしてみて、こちらにも多くのことが分かった。

 あの男はいまや、かつて奸臣の口車に乗せられてうかうかと兄王を弑逆したことをひどく悔やんでいる。そしてできれば王位をレオンに返上したいと願っている。彼はあの時、レオンに向かって「おのが叔父の首を獲るがいい」とまで言ったのだ。


 あのように心弱い状態になっている王を、あのムスタファがいつまでもその座に置いておくとは思えない。王の失脚は、すなわちあの男の一族の滅亡を意味するからだ。

 しかしそれを、こちらもむざむざやられるままに放置しておくわけにもいかぬ。できることならゲルハルトには、レオンがその場に到達し、王権に手を掛けるまでだけでも生きていて貰うことが必要なのだ。

 今更、親の仇であるあの叔父に対して肉親の情などありはしないが、もしあの男が自分に対してかけらでも申し訳ないという気持ちがあるのであれば、何としてもその時までは、王として生きてその座にいてもらう必要がある。

 それまでは、どうにかその命と王権を保ってもらえるよう、こちら側で説得あるいは保護してやる必要さえあるのかも知れなかった。

 なんとも、皮肉なことではあるが。


「この際、もう一度、あの男に連絡を取ってみられますか? 殿下――」


 レオンの意をじっと汲み取るようにして見つめていたアネルが、控えめな様子でそう訊ねてくる。

 アネルのその言葉に、黒馬はまた、耳をぴくりと動かして見せた。

 どうやらそろそろ、そういう頃合いだろうと思われた。

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