第11話 二つの書簡


「なんと……土竜のみならず、雷竜の王からまで、斯様かようなことを……!」


 風竜国、宰相の老人ムスタファの顔色は、これまでゲルハルトが見た中でももっともよろしくないものだった。

 その震える手には、書簡が二つ。黄金色の封蝋ふうろうの施されたものと、黒色の封蝋のものが握られている。黄金色は雷竜国、黒色は土竜国からのものであることを示している。そのどちらにも、それぞれの国の神竜の意匠が施された印璽が堂々と捺されていた。

 ここは風竜宮、国王の執務室である。


「大狸どもめ、言い回しこそ異なりまするが、その若造こそわが国のまことの王だなどとほざいておりまするぞっ! 他国のこと、それも王座に関することに口出しするなど、言語道断にござりまする。斯様なことが許されて良いものか……!」


 怒り心頭で目前をずかずかと歩き回っている老人の太った身体を、執務机の向こうに座ったゲルハルト王は、悲しげな目で見返しただけだった。


 ゲルハルトの顔色も、老人のものとはその寄って立つ意味は異なるが、たいした違いはなかった。

「……いや、ムスタファ。それは、まことの話なのだから仕方があるまいよ」

 その声にもまったく覇気というものがない。

「仕方がないなどと! そのような、情けのない……!」

「あのレオンハルトが存命であったのならば、彼こそこの国の正統なる主権者だ。雷竜、土竜の御方がたがそのように仰せであられるも、道理でしかないさ」

「陛下! お待ちくださいませ。そもそも、この両王の申すその若造、まことにレオンハルトだという証拠でもございまするのでしょうか? 土竜王にとっては直接の孫ではございまするが、雷竜王エドヴァルトからすればレオンハルトなど、血のつながりも何もない小僧なのでございますぞ? それがまことのレオンハルトだなどと、どのようにして見極めたというのやら」

「いや、それは……」


 ゲルハルトは思わず何かを言いたげに口を開きかけたが、思いなおしたようにそれを閉じ、腕を組んで机に肘をついて、口許に当ててしまった。

 ムスタファは怪訝な顔でじろりとその王の顔を覗き込むような目になったが、ひとつ鼻を鳴らしてくるりと脇を向いた。

 横を向くとでっぷりとした腹が突き出しているのがより目立つ。


「さしたる証拠もないことで、他国の王から内政のことをとやかく言われるなど、わが国の恥に他なりませぬ。両王には、厳重に抗議をせねばなりませぬな」

「いや、やめておけ、ムスタファ。それこそ、わが国の恥さらしだ」

 老人は、飾り帽から下がった房の奥から厳しいまなこを名ばかりの主人に当てた。

「陛下。いったい――」


 この王は、何を考えているのだろう。

 いや、何を知っているというのか。

 この言いよう、もはやこの王はくだんの「レオンハルト殿下」なる男が紛れもなく自分の兄の子だと認めているかのようではないか。


「国内各所に放っております手下てかの者どもからは、すでにみずからをレオンハルトと称する男が国内に入り、反乱軍を組織するに至っているとの情報も入っておりまする。ただし、どうにも彼奴きやつらのねぐらが特定できぬらしく」


 そう、それは事実だった。

 あのヴェルンハルト王暗殺ののち、主だったあちら側の貴族連中は多くを処刑し、そのほかの男らも軒並み家格を下げて地方の貧しい土地へと追いやった。

 今、それらを虱潰しに調べさせているのであるが、その凋落した貴族連中の中に、ここしばらくでこちらの監視の目をくぐり、消息を絶った者が結構な数で存在するというのである。

 彼らがこの国に凱旋したレオンハルトの旗下に参集しているのだとして、それほどの人数が動くとなれば、目端のきく手下の者どもの目を逃れるのは至難の業であるはずだ。それなのに、どうしても奴らの隠れ家などは発見できない。

 そうして目立たない数ではあるが、放った者らの何名かはいつのまにか行方知れずともなっている。それは恐らく敵の手の者らによって目立たぬように始末されている、ということなのだろう。


 どうやらレオンハルト側には、相当に高度の風竜の魔法使いが存在するのではないか。この老人も、そのように考え始めているところだった。

 そして非常に嫌な予感ではあるが、このところ聞こえてくる「風竜の眷属」の出現の噂とともに、それとこれとを関連付けて考えるべきなのかもしれぬという恐るべき感覚が抜けないのである。

 そしてこの老人は、そうしたたぐいの自分の勘に大きな信を置く人間だった。


(もし仮に、奴が本物のヴェルンハルトの亡霊であり、そこに『風竜の眷属』の力添えまであるのだとすれば――)


 たとえ彼我の兵力差が獅子と蟻ほどのものであるとしても、それでもこちらに確かな勝ち目があるのかどうか。

 しかも部下らは、あちらの陣営が密かに兵力の増強にも手を広げつつあるとまで報告してきているのだ。

 証拠はないのでなんともいえないところが苛立たしいが、その背後にはおそらく、この書簡を送りつけてきた両王の思惑が絡まっていることであろう。つまり、実際の軍費を援助するという具体的な手を差し伸べている可能性が大である。


 そうでなくとも、国内にムスタファの一族を憎む者らは数多い。

 ゲルハルト王については一応、兄殺しの汚名を着ることもなくここまで王座に居続けていて、特段の恨みつらみを浴びているということもないのだったが、ことムスタファとその一族については、ここまで王宮の要職を専有してきたことなどもあって、皆から大いに反感を買っているのは事実である。

 思えばあのヴェルンハルト王暗殺とその一派の追い落としの後、我が一族とこちら陣営の貴族らの手綱を緩めすぎたのがいけなかったのだ。「これぞ我が世の春」とばかりにたがを外した男どもは、敗者の家を喰い散らかし、手酷くいためつけすぎた。


(なにも、その家の娘ら、息子らをあそこまで弄ぶ必要などなかったものを――)


 勝利と手に入れた権力に酔い、彼らはムスタファの「あまりやりすぎるではないぞ」と諫める言葉もあまり真面目には聞かなかった。そしてそのまま暴走し、多くの敵方だった家の子女らを闇に落とし、あるいは葬り去ったのだ。

 そうした暴虐は、いずれこちらに跳ね返るもの。

 さすがに上に立つ人間としてその道理が分からぬムスタファではなかったのだが、当時、まだ壮年だった自分には、若く血気に逸った男らの暴走を止めることは難しかったのだ。

 かつてそういう暴挙に及んだ男らも、今ではそれなりに落ち着いて、過去にしでかした己が行為のことなど忘れて口を拭い、家族を大事にするごく普通の父親の顔になっている。彼らの娘ら、息子らは、自分の父が過去に犯した罪を知らない。彼らを普通に尊敬し、愛する父として共に暮らしているばかりなのだ。

 それは、目の前の王、ゲルハルトもしかりである。

 王太子、王子殿下、王女殿下がたはみな、自分たちの敬愛する父が実は兄殺しによってこの座を簒奪した身だなどとは知らない。

 そしてごくのほほんと、王族としての今の境遇を謳歌しておられるのだ。


(しかし……)


 雷竜王エドヴァルトも土竜王バルトローメウスも、今回の書簡のなかでは過去のそうした騒動について触れてはいない。

 ただ「貴国の正統な王位継承者であられるレオンハルト殿下ご存命。ゲルハルト陛下におかれては、王位返還等々のご意思の有りや無しや」と問うてきているばかりだ。

 しかしここでこちらが強硬に「そのような者は知らぬ、偽者まがいものに相違なし」などと決め付ければ、次は過去のヴェルンハルト王崩御の顛末についてもほじくり返し始める可能性は高い。

 そしてそうなれば、民らの耳にそうした噂が再び流れ始めることにもなろう。

 まさに、二十年も前に寝た子を再び起こすようなもの。


(我らは、機を見るに敏でなくてはならぬ。もしもひとたびの流れを読み間違えれば、思わぬ奇禍を招こうぞ――)


 ここであのレオンハルトが王家に対し、いや、正しくはこのムスタファに対して反旗を翻し、要職から退くようにと要求してくるとすれば、そこに賛同する者らは確かに多かろう。

 かつて絶大な人気を誇った青年王が、実は弑逆によって命を奪われていた。そのことが明るみに出た上で、彼の忘れ形見である男子がその復讐のため、また虐げられた民衆を救うために凱旋したなど、恐るべき「美談」である。

 それはあっという間に、民らの口によって「美談」という以上の「伝説」にまで作り上げられてしまうに相違ない。

 疲弊する国民くにたみが、それに食いつかないことがあろうか。

 その上、隣国の王らのお墨付きまで頂いて、なおかつそのレオンハルトが今後、己が血筋の正しさをも証明できることになれば――。


(風向きが、変わる……)


 民の力というものは、実に恐るべきものだ。

 いくらこちらが権力を握っている側であるとしても、ひとたびそのうねりが起こってしまえば、そちらにいち早く乗れた方の者が必ず勝利を得ることになる。

 無論、武力と物量は絶対だし、それはある程度お互いが準備して臨むことではある。

 だから多くの場合、戦争は始める前こそが大切なのだ。互いの力の程を見極めて、どの頃合いで「線引き」をし、戦いをやめるのか、そこにこそ軍師の腕が出る。戦争なぞというものは、ほぼ物量と、戦術・戦法の巧緻の差によって決まってしまうものだ。

 実際の戦闘を始める前に、すでに様々なことは決している。

 だからその時点で「負ける」と分かる戦には、決して手出しをするべきではない。

 大切なのは、それをどの時点でうまくやめ、うまく「負けない」形で終わらせるのかに尽きる。もちろん勝てれば万々歳だ。


 しかし、単に兵力の多寡のみでは決まらない条件が、必ず世の中にはあるものなのだ。それが世のの動きである。

 前回のヴェルンハルト公暗殺の折りには、それがこちらに有利に働いていた。

 ヴェルンハルト公はよくも悪くも清廉でありすぎた。その清い水にはすめなかった我らが一族の面々が、まずは不満を募らせてやがて徒党を組むに至った。

 自分はその者らに担ぎ上げられた身に過ぎない。


 そういう意味では、今回のレオンハルトにしても、多少「やりすぎた」我が一族やこちら側の貴族らの専横に不満を抱く凋落した貴族らと、虐げられた民衆らに担ぎ上げられようとしている、といえなくもない。

 前回は民らの流れを考慮する必要があまりなかったのだったが、今回はそうは行かない。今回、もしもその「レオンハルト」が本物で、はっきりとこちらに敵意を示し、王座を奪還するとして己が勢力を集め始めているのであれば、事態は思った以上に早く動いてしまう可能性もある。


(それを……)


 老人は、苛々とまた、塞ぎこんだ様子で机の表を見つめている国王を睨みやった。


 この王は、この時点ですでに負ける気でいる。

 というか、その「レオンハルト」なる男に対してこちら側に何の大義名分も見出せずにいるのだろう。

 これでは、勝てる戦も勝てぬようになってしまう。

 そのようなことだけは、決して許すわけにはいかなかった。


「ともかく、陛下。現時点で両王に対して申せることは、『そのレオンハルトなる者、まことに出自は確かなるものか否か』と、その程度のことでござりましょう。臣は急ぎ、そのように返書を作らせて参りまする」

「えっ……あ、いや、ムスタファ――」

 王が慌てたように何かを言おうとするのを、もはやいつものようにただ無視して、ムスタファは太い腹をぐるりと回した。

「それでは、これにて」


 ムスタファはどすどすと足音を立てながら王の執務室を辞して自分の部屋に戻ると、すぐに自分の補佐官を呼んで書類を作るようにと命令した。

 その上で自分の手足になってくれる文官、武官らを呼び集めると、今後の「レオンハルト対策」について、頭をつき合わせての相談に入った。もちろん彼らは、ムスタファ一派の貴族連中によって構成されている。


「まずは、奴の身元をはっきりさせることこそ肝要ぞ」


 それから、現在の根城の特定と、彼奴きやつについている凋落貴族どもの面々を調べ上げ、できれば寝返らせるための調略をおこなう。

 さらには今後、奴につきそうな者らに対して今まで以上に厳しい移動禁止令を敷き、また家族の者らの身柄をなにがしかの理由をつけて預っておく、等々である。要は人質を頂いておくのだ。


 一同はムスタファの指揮のもと、そうした今後の方針をおおまかに纏めると、それぞれの部下に方針を下知するべく急ぎ持ち場へと散っていったのだった。


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