第10話 臣下ファルコ



 その夜、レオンは馬から人の姿になるとすぐ、隠れ家の屋敷の奥、いつも使っている応接の間で、「レオンハルト派」の皆との会合を持ち、それぞれからの報告を聞いていた。

 いつもどおり、その場にはアネルも同席している。部屋の隅には例によって、ファルコが壁にもたれるようにして立っていた。

 ひと通りの話を聞いて、まずはアネルが口を開いた。


「まずは良うございました。土竜王陛下におかれては、孫にあたるレオンハルト殿下に対し、快く援助をうけがってくださり、此度こたびはなんと、あの雷竜王陛下までがこちらにくみしてくださるとは」

 いずれもある程度の条件つき、またごく秘密裏にということではあるが、ともかくもひとつの山は越えたといえよう。

 これであとはレオンハルトの出自の証明を磐石にするべく、デリアなるもとレオンの乳母の女を探し出すことができれば万々歳。

 うまくいけば、血を流すこともなくゲルハルトに王権を返上させることも叶うかもしれなかった。


 参集した「レオンハルト派」の面々もみな嬉しげな様子でそれを聞いている。

「そうですか、ではいよいよ資金繰りの目処がついたと……! それは何よりにございました」

 明るい声でそういうのは、痩せた文官風の貴族ベリエスだ。

「まことに、まことに。では我らは早速にも、武器、武具の入手に掛かりとうございます」 

 他の貴族もそう呼応すると、鋭い目つきのコンラディンが落ち着いた様子で口を開いた。

「あれ以降、殿下のご存命を知った地方の者ら、もとヴェルンハルト陛下にお仕えしていた者どももどんどん我らのもとへと集いつつありまする。やはり、かのムスタファめの圧制に苦しみ、不満を持つものらが多いことの証左でありましょう――」


 すでにここに至るまでに、「レオンハルト存命」の噂を聞きつけた名のあるもと貴族連中やら商人やらが、少しずつその伝手つてを頼ってこちらへ渡りをつけ、次々に一派に加わってきており、その勢力は俄然拡大しつつあった。

 皆のまとめ役となっているのが、ごく初期の頃にこちらについたあのコンラディンとベリエスである。


 そこからは、改めて今後の作戦が立てられた。

 すなわち、いざという時のための糧食と兵馬の確保である。

 すでに何度かに分けてミカエラの運んでくれた土竜王からの援助である「竜の結晶」は密かな伝手を頼って売りに出し、多くの資金源ともなっている。こちらから足がつくのを警戒し、これらを売りさばくに当たっても、ミカエラの能力は大いにその効果を発揮することになった。

 彼女なら、たとえ他国においてですらこうしたものを売買できる。

 姿を変えるのも変幻自在、国境も関係なくあちらこちらを跳びまわれるのだから、これ以上のことはない。とくに雷竜国では、もともと商人らが五竜すべての結晶を売買しているという下地もあって、土竜の結晶が多めだからといって訝しく思われることもなく取引きができたのである。

 その資金を元手に、コンラディンとベリエスを筆頭とするもと「ヴェルンハルト派」の貴族らは武器や武装の調達に取り掛かることになり、ここまででももうすでに相当の物資を手に入れてくれてもいた。


 たとえ無血での王位奪還が叶うとしても、事前の兵力の確保は必須だ。

 兵力というのは実際に使うためなのはもちろんだが、それ以前に相手に対する威嚇として、その姿と勢力を見せ付けるためにも必要なのだ。

 だが、こうして付け焼刃で集まってきた兵というのは、たとえ傭兵を加えていなかったとしても脆弱なものだ。実際の戦闘では、その訓練不足や組織力不足が思わぬ奇禍を招く。また、こうまで大勢の兵を集めて組織的な訓練するともなれば、ゲルハルトらの目を欺くことは到底かなわぬ話ともなる。

 奴らの目に兵を見せるということは、すなわち遂におおやけに、「我こそこの国のまことの王なり」とレオンが気炎を上げるということに他ならない。

 このミカエラの屋敷だけでは手狭にもなることだし、今後は拠点を移すことも考えねばならなかった。


「殿下。それについては一案があります」

 進み出たのは、やはりコンラディンだった。

 この男はもともと、ヴェルンハルト王の時代に武官を纏める総督の息子だった者である。もちろんその父はヴェルンハルト暗殺事件の顛末の中、ゲルハルトやムスタファに対して反抗的であったために、早々に家格を下げられ、程なく変死を遂げていた。

 恐らくそれも、あちら陣営によるよろしくない仕儀の結果だったのに相違あるまい。


「過去、風竜国にはさらに北方、風竜神さまの御息所みやすどころたる『風の峡谷ヴィント・シュルフト』の近くに王都を築いた時代がありまする。我が家のもとの領地がちょうどそのあたりでありますれば。いま現在も当時の建物がまだ残っており、古いものではありますが、秘密裏に調査してみたところ、手直しすればどうにか使えそうなのでございます」


「『風の峡谷ヴィント・シュルフト』……」

 レオンは驚いて彼を見た。

 それはつまり、あの水竜国で言う「碧き水源ブラオ・クヴェルレーゲン」と同様、神竜の住まう禁足地、神域に程近い場所だということだ。

「そのような場所が? 本当か」

 アネルも驚いて聞き返している。

「は。ただ、まこといにしえの聖なる風の山にございまして、伝説によりますれば、ある地域より先はまことの風竜王にしか立ち入れぬとか、なんとか――。わたくしも、かつて何十年も前に訪れたきりにございます」

 周囲の貴族らも、目を丸くしてコンラディンの言を聞いている。

「城塞そのものは、古くから土地の者には『風の城塞ヴィント・フェステ』と呼ばれておりまする。古びたものではありますが、確かに堅牢なつくりでございまして。渓谷に囲まれた岩山を利用した天然の要害でもありまする。多少の手直しは必要ではありましょうが、何より、いくさ向きの城でございましょうぞ」

「なるほど――」


 その古城については、再度調査隊を組織してすぐに向かって貰うこととして、議題は次に移った。

「さて、そうなりますと、そろそろかねてより考えてきたことも具体的に詰めねばなりませぬな――」

 応接室の広い卓の上に大きな組織図を広げて、アネルが顎に手を当てた。

 ここまで来ると、さすがにこうした組織的なことも考えなくてはならない。

 レオンはこれまで、アネルやコンラディンらとも相談しながら、通常の軍隊でも使われる軍制で彼らを組織することを考えていた。

 多くの人々を動かすとなれば、ともかくその命令系統をきちんと決め、そこに規律を設ける必要がある。また、それを取り仕切り、厳しく目を光らせておく人材も当然、必要になるわけだ。


 ここまでで、コンラディンはある程度武術の心得、兵馬の扱いにもけた男であることは分かっている。一方のベリエスは、文官としての実務上の能力は高いものの、如何せん、武官としての力は到底、王国軍の将兵らに立ち向かえるものではない。

 他の貴族らもそれなりに能力はあるのだったが、多くの武官を纏めるだけの器量ということになると一長一短で、なかなかこれという者がいないのだった。


 レオンに関して言えば、どちらかといえば武官寄りではあるものの、一応は文武両道、どちらの能力についてもまずまずそこいらの者に劣るということはない。ただ彼には、昼間は人の姿ではいられないという大きな問題が存在する。

 そしてアネルは、昔、この風竜国で医術魔法官として仕えていた通り、文官としてまた魔法官としてはなかなかの男でもあるが、一軍の将としての器量とその才能とはまたまったくの別物だといえた。

 従って今はそのうち、特に「武」の側で自分を補佐する、信頼の置ける者がもう少し必要だと思われた。


「ここはやはり、もう少し殿下と肩を並べて兵らの指揮にあたれる者が必要かと」

「左様にございますな」

 アネルの言葉に、コンラディンも頷いている。

 他の貴族たちは、そこまでの流れを聞いて「我こそは」とまで言えるほどの自信のある者がないらしく、やや困ったように押し黙った。


 その時、レオンは一度壁際のほうに目をやってから、すらりと静かな声で言った。

「丁度いい。皆にこの場で紹介しておこう」

 実を言えば、この機会を待っていたのだ。


 と、アネルは組織図から目を上げて、ふと部屋の隅に立っている巨躯の男に目を留めた。他の貴族らもそれに倣う。

「土竜国のファルコだ。とは言え、かつてはこの国でブルダリッチ伯爵家に仕えた武官、ヘンリクの息子なのだそうだ」


「えっ……」

「あの、ブルダリッチ家でございますか?」

「しかもあの、ヘンリクの息子……?」


 その名に聞き覚えのあった者がその場にも数名いたようだった。

 というかそもそも、この中にはもともとファルコから声を掛けられて参加している者も大勢いる。彼が「風竜国にも沢山のお得意様がいる」と言ったのは間違いではなかったからだ。


「これまでは俺が個人的に雇う形で傍にいてくれていたのだが、このたび正式に、こちらに仕官を望んでくれた。今後は武官として、皆と共に働いてもらうことになるかと思うので、改めて紹介しておく。皆々、どうかよろしく頼む」

 レオンが立ち上がってすっと頭を下げると、皆は驚いてそれを制した。

「いえいえ、殿下」

「それはもう、どうか――」

 この腰の低い自分たちの「王」に、彼らはいまだに慣れられずにいるらしい。


「そうでございましたか……。それは、それは――」

 アネルも驚いたようだったが、とても嬉しそうに笑うと、ファルコに声を掛けた。

「しかし、良いのかい? 君はもともと、土竜王陛下に恩義があるとか言っていたようだったが――」

「ああ、いいのいいの。土竜の爺様のことだったら、気にするこたぁねえ」

 ファルコが破顔して、ひょいひょいと手を振った。

「もうこっちで、とっくにお伺いは立ててきてっから。さすがバルトローメウスの爺さんだ、懐がふけえや。『そうするがいい』って、二つ返事でおっしゃって下さったぜ。『わが孫のことをよろしく頼む』ってよ――」


 すでに本人の口からその話は聞いていたので、レオンも皆に向かって頷いて見せた。

 それを見て、アネルもほっとしたように微笑んだ。


「ファルコ。このたびはそなたも、ミカエラと共にあちらこちらへと、まことにご苦労だった。今後もどうか、殿下のため、祖国のために、身命を賭して働いてくれよ。改めてどうか、よろしく頼む」

 それを聞いて、ファルコはちょっと妙な顔になって苦笑したようだったが、ひょいとその大きな手のひらを上げて軽く会釈した。

 この男にとってそういう堅苦しい挨拶は、ただもうこっ恥ずかしいだけらしかった。

「まっ、そういうこったからよ。こっちこそ、改めてよろしく頼むわ」


 晴れてレオンの臣下になったというのに、態度といい言葉といい、なにひとつ変える様子がない。

 そのいかにも無骨で傲岸な様子に、場にはすこし眉を顰める向きもあったようだったが、レオンが何も気にしていないのを見て、彼らも口を出すのは控えたようだった。

「あ、けどよ」

 と、彼らの雰囲気を見て取ったのかそうでないのか、ファルコはすっ呆けた顔のまま、にかりとアネルに笑いかけた。

「ここまでの報酬は、報酬だかんな? めでたく『竜の結晶』も手に入ったここったし、一旦、ここまでの報酬は清算しちゃあもらえねえかい、アネルの旦那」

「え? ……あ、ああ、それは問題ないが。よろしゅうございますね? レオンハルト殿下」

「ああ、勿論だ」

 その隻眼に静かな色を湛えているだけのレオンを、ファルコは意味深な笑顔になって見返した。

「有難え、よろしく頼まあ。実はここんとこちょいと、あっちこっちのかさんでたもんでよ。いや〜、助かるわ――」

「…………」

 コンラディンはじめ他の貴族一同は、やっぱりしんと静まって、変な顔でこの巨躯の男を眺めていた。みな何となく、毒気を抜かれたような顔だった。


「そんじゃ今後は、改めてから『給金』を頂けるっつうことで。ご一同もまあ、よろしく頼むわ」

 呵呵かかとばかり笑いながら、男はひらひら手を振ると、高い位置にあるその頭を無造作にひょいと下げて見せたのだった。


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