第5話 臣下たち


「そうでしたか」


 レオンは彼らのするそれら長年の苦渋の話を、暗澹たる面持ちで聞いていた。

 そして彼らが、いかに長年、神輿として担ぐ器、つまり自分を待ちわびてきたかを理解した。

 そのあたりについては、レオンの傍らにあって一緒に聞いているアネルも同様だった。


「ああ、なんと……。なんと申し上げればよいやら――」

 彼はそんなことを言いながら、話の間じゅう、ずっと悲しげな面持ちでうなだれるようにしていた。


 ファルコはずっと、部屋の隅に傲然と立って惚けた顔をして貴族らの話を聞いていた。しかし、特に話が貴族の女たちの悲惨な末路に及んだとき、一瞬、ぴくりと不快げにその太い眉を顰めるようにしたのだ。

 ごく目立たぬようにはしていたけれども、それは確かに、レオンの目の端にちらりと入った。

 終始、「俺は部外者、関係ねえよ」という態度でいながら、やはりこの男にとって、この国が故国であることも間違いないのだ。幼いときに思いがけない騒乱に巻き込まれ、親を殺された上で国を追われた人間として、その内面は複雑には違いなくとも。

 まあ素直さからは程遠いが、そこにほんの僅かなりともこの男の性根を垣間見たような気がして、レオンはほんの少し、心胆の温もるのを覚えるのだった。


 アネルがつらさを堪えるようにして口を開く。

「レオンハルト殿下がご不在の間、皆様、そのようなご苦労を……」

 が、コンラディンはごく頼もしい声でそれに答えた。

「いえ。それはそちらもご同様にございましょう。しかし、今はこうして我らのもとに、かように凛々しきお姿で王太子殿下がお戻りくださいました。我らが手下てかの者どもの勇気は、これにていやが上にも鼓舞されましょうほどに」

 その声は、確かに苦労はしてきたものの、快活さを失ってはいなかった。この豪胆な男の目には、会ったはじめからずっと、炯々けいけいとした圧力が見て取れた。


「どうか是非とも、お父君の無念をお晴らしくださり、正当なる王位継承者であられることを、世に知らしめてくださりませ。臣らはまことに微力ながら、骨身を惜しむものではございませぬゆえ」

「そうでございますとも! 殿下のこのお姿を見れば、かつてのヴェルンハルト陛下を覚えている貴族ら、落ちぶれた武人の面々が、どんなに意気軒昂になりましょうや――」

 ベリエスも、身を乗り出すようにして熱っぽくそう言った。

「かつてのヴェルンハルト陛下の事件も、実はあの奸臣ムスタファの一派による画策であったとの噂もございます。もしもそれが事実でありますれば、どうにかしてその証拠を掴み、やつらの顔に叩き付けてやらねば」


「左様にございます! そうでなくては、お父君さまも浮かばれませぬぞ」

「そうだ、そうだ」

「なんとしても、奴らの鼻をあかさねば!」

「レオンハルト殿下こそが、まことの我らの王であられるのだから……!」

 周囲のほかの貴族らもそんな調子で、互いの顔を見合わせながら激高し、興奮した様子で肩を叩きあったりしている。


 目の前に座っているコンラディンとベリエスは、昔からアネルとも懇意にし、ヴェルンハルトへの忠誠も並々ならぬものがあった、貴族の筆頭だということだった。口角泡をとばすようにしてムスタファらへの恨みつらみ、復讐への決意を語るほかの貴族らも、積もりつもった思いと忠誠の心に嘘いつわりがあるようには見えなかった。

 そして彼らは、レオンをもはやレオンハルトとしてではなく、再来した故・風竜王ヴェルンハルトとして仰いでいるといった様子だった。


(父上は……さぞや素晴らしい王であられたのだろうな。)


 彼らの表情を見ながら素直にそう思いつつ、しかしレオンの心は、特に浮き立つということはなかった。

 かといって、消沈するというのとも少し違う。


 何を措いても自分自身の名声をこそ求めるような、いわゆる我の強い男であれば、こうした扱われ方には多かれ少なかれ疑問を抱くものだろう。いやそれどころか、「俺は父とは違うのだから」と、あからさまな不満すら覚えるとしても、ごく普通の反応であるかもしれない。

 が、レオンはただ、父の死後、ずっと辛酸を舐め続けてきたという彼らを哀れに思うだけだった。さらには自分が、己が出自すら知らないままに長く行方をくらましていたことを、彼らに対して済まなく思った。


 この男らは、いまだ何を成し遂げたわけでもないこんな若造の自分に、最後の一縷の望みを懸け、多くの悲しみや苦しみを伴いながらかつて失ったものをわずかなりとも取り戻したいと願ってここに居る。そのためにこそこうして、自分の前に跪いてくれているのだ。

 もしもこんな事が敵方に知れればすぐにも、前回はどうにか見逃してもらえた己が命も、家族の命も、風前のともしびとなるのは間違いないというのにだ。


 その姿を見て、レオンはただただ、彼らを気の毒に思い、亡き父に対する彼らの忠誠の念に対して感謝を覚えた。

 そして、彼らのため、王としてと言うよりはまず同胞として、この自分に何かができるというのであれば、それは身を粉にしても働きたいと思うのだった。


(しかし……)


 問題は、残念ながら山積している。

 その第一はまず、これらがすべて、あのミカエラあってこその作戦であるということだ。

 何よりもまず、自分がいまだ、昼間は馬の身だということがある。

 こうして夜の時間に密会をしている分には問題ないが、いざ本当に表舞台に出ることになったとき、この体質のままではいかにもまずいと思われた。

 そのあたりについても、ミカエラに言わせれば「どうぞわたくしに任せておいて」ということなのだったが、いつもいつも、あの女が魔法を使ってどうにかするには限度があろう。

 風竜の魔法は、人の視覚を欺くことができるのだという。

 だからミカエラは、その魔法を使って、馬の姿のレオン本人、あるいはアネルなど他の男の姿を人の姿のレオンに見せかけることが可能なのだ。その魔法を使うことで、昼の間にレオンにまみえる相手の視覚を誤魔化すと、ミカエラはそう言うのだったが。


(……いや。やはり、無理があるだろう)


 やはりいずれは、どうしたってこの呪いを解かねばならぬ日がやってくる。

 そのためには、やはりどうしてもかの火竜国の王太子をどうにかせねばならないのだ。

 つまり、あの男を殺せぬ以上、あの男がニーナを求め、執着する気持ちを萎えさせる、或いは諦めさせた上、呪いを解かせる方法を模索する必要があるということだ。

 そしてそれには、非常な困難を伴うのは明白だった。


(……それに)


 さらに、もし真正面から風竜国軍と激突せねばならないような事態になるのだとして、その軍は一体どうやって集め、さらにどうやって食わせるのか。

 その問題のほうが当面、はるかに大きな問題だった。

 つまりは下世話な話だが、要は金の問題だ。


 いま、権力を引き剥がされたこれら貴族がどんなに参集したところで、また圧政に苦しむ民の多くがいかにこちらの陣営に希望をかけてくれたとしたところで、貧しい身に落ちた彼らに、どれほどの兵が集められるかは定かでない。

 人がいるだけでは勿論足りない。彼らには武器と防具、さらに教育が必要だ。

 そして人は、食わねば生きてはゆけない生き物なのだ。

 戦い方にもよるけれども、もしも騎兵を使うのであれば、糧食は人のみならず、彼らの乗る軍馬の分も必要になる。

 馬というのは、意外に糧食ごくつぶしの生き物だ。多数の兵馬を抱えての遠征行などというものは、まさに国全体の経済を疲弊させる愚行に等しい。だからこそ、各国の王族たちは、わざわざ神竜の分限を超えてまで大きく他国を攻めることに手を染めずに来たわけだ。


 ともかくもいま現在、農地をみずから耕すまでに落とされたもと貴族たちの懐具合では、これらの軍費はとても賄えるものではない。

 ミカエラがもぐり込んでいるというこの比較的大きな貴族の家の財産があったとしても、王国軍に対抗できるほどの軍勢を食わせるには、せいぜいが焼け石に水といった程度のものだろう。


 それら十分な下地のないうちに、敵にこちらの存在と動きを知られるわけには行かない。

 すでに、叔父である風竜王ゲルハルトにはレオンの存在は知られてはいるわけなのだったが、あの王についてはよほどの変心でもない限り、ムスタファに対してレオンに不利になるようなことをわざわざ言うことはないだろう。

 むしろ、王座を素直にレオンに明け渡す代わり、自分の息子である王太子以下、王子や王女の助命嘆願をしたいと望むのではないだろうか。



「左様にございますな。やはり、財源については頭の痛いところにございます」

 レオンのした話を受けて、貴族筆頭のコンラディンをはじめ、みなは難しい顔になった。勿論、レオンが昼間、馬になる云々については語っていない。あくまでも、兵馬を養う資金源の話だけである。

 そこからは、集まった貴族、商人らとアネルも交えて頭をつき合わせ、しばらく意見の交換が行なわれた。


「多数の兵を率いての大戦おおいくさが避けられれば一番ではございますが、とはいえいざという時、なんの後ろ盾もないままというわけには参りませぬ」

「左様、左様。国内でもめているうち、隣国から要らぬ横槍が入らぬとも限りませぬし」

「いや、なによりもまず、我らはともかくも、さきのヴェルンハルト陛下暗殺事件の証拠を集め、それをかのムスタファらに突きつけて、真偽を世に問うべきではないかと」

「それもそうだ。まずは、我らが立場の正当性を奴らに認めさせることこそ肝要」

「いや、あの古狸が、そんな理非曲直を説いたところですぐに『はいそうですか』とひれ伏すとは思えぬぞ」

「いやまず、そうするならするで、いざという時の備えは必須。それこそ反乱と見なされて攻め込まれ、レオンハルト殿下のお命を危険に晒すわけにはゆかぬのだから――」

「最低でも五千、できれば一万の将兵をすぐに集められるようでなくては難しかろう」

「う、むむ……」 


 と、こんな具合で、話はやはり、結局のところは財源のことに戻って、またきつ戻りつを繰り返した。

 と、これまでただ沈黙を守っていた、部屋の隅にいた巨躯の男がふと話に口をはさんだ。


「……なあ。ちょっといいか」

「何だ、ファルコ」


 レオンがあっさりとそう答え、周囲の貴族連中はいっせいに怪訝な顔になった。

 一応の紹介は済ませているのだが、どうも彼らからはこの男に対して「胡散臭い」という気持ちが透けて見える。また、「この男、風竜国の正当な王位継承者たるレオンハルト殿下になんという口のききよう」という感情が、彼らの顔からありありとうかがえた。

 ファルコはそんな彼らの様子などお構いなしで、別にこれまでとあいも変わらず、終始一貫、ただぞんざいな口調でレオンに語るばかりなのだった。


「金の話なら、ちょっと俺にも任せてみてくんねえか。土竜のじいさまに、一枚、噛んでもらう手もあるかもしんねえしよ」

「な、なに……?」

 ベリエスが呆気にとられてファルコを見返した。他の皆も同様である。

「『土竜の』と申したか? それはまさか、土竜王バルトローメウス公のことではあるまいな――」

 ファルコが半眼になってベリエスを見返した。

「まさかも何も、それしかあるめえよ。……ま、ちいっと工夫は要るだろうが、あの御方はレオンの実の爺様なんだし。レオンの後ろ盾になるっつうのは、もう言質も取ってるこったしな」

「こ、こら! お前、何様のつもりなのだ。レオンハルト殿下とお呼びせんか……!」

 ベリエスが慌ててそうたしなめたが、ファルコは歯牙にもかけなかった。わざとらしく首の後ろなど掻きながら、言葉を続ける。


「陛下と王太子殿下は大丈夫だとは思うんだがよ。ちいっと、あの宰相のオッサンは危ねえからよ。でもま、うまいこと持っていきゃあ、当面、ある程度の金の出所にはなってもらえるかもしんねえよ?」

 そして、にかりと笑ってこちらに目線を投げた。

「んだからちょいと、俺をあっちに行かせてくんねえか? レオン。悪いようにはしねえからよ」

 なにか途中、聞き捨てならないことをさらっと言ったようだったが、レオンはそこには突っ込まなかった。それは自明のことだったからだ。


 確かにレオンも、あのバルトローメウス王とその息子、王太子テオフィルスには心胆に通じる温かなものを感じた。しかしその一方で、側にいた宰相ハンネマンについては、腹の底をまったく見せない、なかなか油断のならない御仁という印象を持ったのだ。

 他国に援助を仰ぐということは、今後の内政に干渉されるという危険をはらむことにもなる。その辺りの舵取りをどうするのかは、ファルコの腕の見せ所というところだろう。

 そこまでを素早く考えてから、レオンは静かに男に頷き返した。


「……そうだな。任せる」

「で、殿下……!」

 アネルをはじめ、周囲の貴族たちが青ざめてこちらを向く。

 それらの目は明らかに「こんな男を信用なさるのですか」と問うものだった。

 レオンはしばし、一同を冴えた目で見回してからこう言った。


「この男が俺の寝首を掻く気なら、これまでいくらでもその機会はあった。……それに、ファルコはそもそも、この風竜国フリュスターンに仕えた武人の息子。ゲルハルトとムスタファに対する恨みについては、もとより諸君らに遜色のあるものではない。そこはこのアネルも保証済みだ」

「…………」

 一同は呆然と、そんなレオンの言葉を聞いていた。

 当のファルコはと言えば、ちょっと居心地の悪そうな顔で、ぽりぽり頬など掻いている。


「皆には悪いが、ここはこの男に任せてみたい」

 最後にレオンは、一同にすっと頭を下げた。

「……頼む」

 それは、なんのてらいもない姿だった。


「で、殿下……!」

 皆はびっくりして立ち上がり、「どうか頭をおあげ下さい」と必死になってレオンに向かって懇願してきた。


 そんなレオンの背中を見つめて、ファルコがふっと僅かに嬉しげな目の色になったのを、その場の誰も、ついに気付くことはなかったのだった。


 

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