第4話 襲来 ※



 雷竜国ドンナーシュラークの王宮は、非常に広々とした敷地をもっている。

 他の国の王宮も、もちろん小さくはないのだったが、ここは特別、だだっぴろい平地に作られた王城なのだった。その周囲は、それの何倍もの面積の市街地が広がっている。

 王宮敷地の中央に尖塔をいくつも抱えた王城があり、その周囲を美しく刈り込んだ庭木が迷路のように囲んでいたり、池や小さな森までが造られている。

 その一部に、以前ニーナたちが話してくれた、例の事件の起こった離宮もあるのだということだった。


 王城そのものも相当に巨大なもので、召使いについて歩かなければ、あっというまに迷子になってしまいそうなほどのものである。

 クルトとニーナはこの王城の中で、奥の宮にあたるとある区画を与えられ、しばらくそこに暮らすことになったのだ。

 なんといっても、王の城には沢山の魔法官と、優秀な護衛兵が沢山いる。

 クルトとニーナを王城以外の場所へ移すことも一応は検討されたらしいのだが、結局もっとも守りやすいのはここであろうという結論になったらしい。

 そもそも、内密に動くといいながら、結構な人数の魔法官や兵士らをぞろぞろとつれて歩くことがまず難しい。



「退屈ではありませんか? クルトさん」

 部屋の窓辺で書物に目を落としていたニーナが、ふと顔を上げてそう訊ねた。

「ん? あー、うん、大丈夫だよ、ニーナさん……」


 いや、正直いえば退屈だった。

 それも、とんでもなく退屈だった。

 一応、建前としては内密に匿われているということなので、あまりおおっぴらに外部の人に会うわけにもいかない。だから気を紛らわすためにと、楽団だの芸人の一座だのを招き入れるわけにも行かなかった。

 必要に応じて王宮の書庫から様々な文物を運んできてはもらえるのだが、あいにくとクルトに読めるようなものはほとんどない。各地の昔話などを中心にした絵入りの読み物ならいくらかはあったのだが、それにもすぐに飽きてしまった。

 というか、そもそも、クルトはあまり文字が読めないのだ。


「あら、それでしたらいい機会です。少し、お教えいたしましょう」

 と、早速ニーナがぱっと顔を輝かせてそんなことを思いついてしまったものだから、以降、クルトは握ったこともない羽ペンなど持たされて、午前中は文字の読み書きを習うはめになってしまった。


「様々な書物が読めるようになれば、ぐっと世界が広がりますよ。楽しみも……それに、クルトさんご自身の未来だって。今からやっておけば、将来、いろんなお仕事への道だって開けるかもしれませんし」


 にこにこと楽しげに優しく笑う美しい人を見ていたら、「そんなめんどくせーことしなくていいよ」と、喉まででかかった言葉はひっこんだ。

 クルトだって、一刻も早く独り立ちし、ちゃんと自分で稼げるようになって、妹のアニカを迎えに行かねばならない身なのだ。せっかくの機会は決して、無駄にするべきではなかった。



 二人に与えられた部屋は、どちらかというと落ち着いた趣の設えで、クルトも幸い、目がちかちかするようなこともなく過ごせていた。

 服装も、「前のきらきら、ぴらぴらしたようなのはとにかく勘弁して」と召使いの女性に必死にお願いしてみたところ、今ではそれなりに落ち着いた上着と下穿きにしてもらえている。


 いつも白銀の鎧姿のニーナはといえば、一応、はじめのうち、用意してもらったドレス姿になってみてくれたりはしたのだったが、夜が来て竜になり、朝になるとまたもとの鎧姿に戻るだけなので、「申し訳ないですから」と、今ではそのままの姿でいることが多くなっていた。

 鎧は竜の体を覆う鱗のようなものということらしい。

「それを剥いでしまったら、竜の体のときにもなにか支障が出るかもしれませんし」

 と、ニーナは笑ってそう言った。


(あー……そういえば。)


 クルトは、あの「火竜の結晶」で作られた馬車に閉じ込められたとき、数週間でニーナの鎧がぼろぼろになっていたことを思い出す。逆に言えば、あの鎧が、ニーナ本人を守ってくれていたということだ。

 それなら、眷族たちの強い魔力に対抗するためには、やっぱりその鎧は着ていたほうが無難だということになるだろう。


 ドレス姿のニーナは、本当に「神々しい」とでも言いたいような本物のお姫様になってしまって、ちょっと気を失いそうなほどに美しかった。だから正直、「もったいないなあ」とは思うけれども、クルトもそこは我慢しようと思うのだった。

 第一、レオンの見られないものを、自分があまり見ていいとも思えなかった。


 雷竜王エドヴァルトと、その側近であるヤーコブ老人も、ときおりやってきてはニーナやクルトと話をしてくれている。

 この八年、五大竜王国の中でどんな動きがあったのかなど、人里離れた場所ばかり選んで旅をしていたニーナには、初耳のことも多かったらしかった。


 火竜の国との国境での衝突は、今は膠着状態にあるらしい。

 そしてあの「蛇の尾」一帯については、いまだに火竜国が占領したままだという。

 とは言え、「蛇の溝」については水竜、雷竜の両国が常に軍船を出して哨戒しているわけなので、火竜の船が海路を使って大陸の南側に出、自由に動き回るということは防がれているのだと。


 ニーナに出された課題の書き取りをえっちらおっちらこなしながら、クルトは聞くともなしに、彼らのそんな話を聞いていたのだった。




◆◆◆




 しかし。

 そんな静穏な日々が続いたのは、レオンがこの地を去ってから、ほんのひと月ほどのことに過ぎなかった。



「う、わ……!」


 今、クルトとニーナが一時の安寧を得ていた雷竜国の王城を、竜巻のような風が襲っている。

 自分たちが思うよりもずっと早く、敵はこちらの場所と状況とを特定し、すぐさま行動に移ったのだ。

 つい先ほどまで、からりと晴れた綺麗な青空の広がっていた雷竜国の上空には、どんよりとした暗雲がひろがって、巨大な渦を巻き始めていた。


「なんっ、だよ、これ……!」


 二人の滞在している部屋の周囲には、いまや屋内、屋外ともに普段から詰めてくれていた雷竜兵らが列をなし、魔法官らが電撃魔法による障壁を現れさせて、襲撃者を迎え撃とうとしている。

 普段でも一個中隊ほどの兵は常駐しているし、こうした非常時、召集をかければすぐに一個大隊、およそ千名の兵士が参集するのだと、エドヴァルトからは聞かされていた。

 いま、窓の下に見える兵らの数は、ざっと見ただけでも千五百は下らない。彼らはいかにも将軍然とした壮年の指揮官の指示のもと、速やかに防御の態勢を整えている。

 本来であれば、これだけの防備がなされていれば、どこのどんな国の軍勢が来たとしてもここを破るのはたやすいことではない。なんといっても、ここは国王陛下のおわす居城なのだ。

 それに、五大竜王国のなかで最も経済的な発展を遂げている雷竜国の兵力は、ほかのどの国よりも強大なのだった。そうでなければ、唯一ほかの四竜国すべてと国境を接する国が勢力を保つのは難しいに違いない。


 しかし、今、窓から見える状況を見ていると、どうやら敵はそれをものともしないほどの、恐るべき魔力の持ち主であるらしかった。

 空気中にはびりびり、ばちばちと不穏な衝撃音が走り、その音が質量をともなってこちらの肌まで裂きそうに思えるほどだ。

 クルトには、空気が焦げるなどということが実際にあるのかどうか分からなかったが、周囲にはものが焦げたようなきな臭いにおいが充満していた。


 そのうち、ぐわっと発生した黒い竜巻のようなものが、隊列の最前線にいた兵士らをあっという間に数十名ばかり吹き飛ばしたのが見えた。

 彼らを守るべく雷竜魔法による障壁を作り出していた魔法官らも、数名が吹き飛ばされた。

 彼らは「ぐあっ」とか「うわあっ」とか悲鳴をあげて、木の葉のように空中をきりきり舞いし、地面や城の壁に叩きつけられ、絶命したり負傷したりしているようだった。

 遠目にも明らかに、首や四肢が変な方向にねじれたまま動かなくなった者がいて、クルトは思わず目を背けた。



「ニーナさん、出てきちゃダメだよっ……!」

 クルトは自分の短剣を抜き放ち、ニーナを後ろに庇うようにして、周囲の様子を窺っていた。

「来たのですね……」

 青ざめた顔のまま唇を噛みしめ、窓外をじっと見つめていたニーナがひとことそう言って、クルトはぞわっと背筋を冷たいものが駆け抜けるのを覚えた。


「来たって、まさか……ニーナさん――」

「クルトさん、こちらへ」


 ニーナはすぐに少年の肩に手を掛け、大きな窓を閉じ、カーテンを引くと、足早に建物の奥へと移動し始めた。

「ニッ、ニーナさん、どこいくんだよ……!」

 慌ててそれについて行くが、ニーナはすぐには答えなかった。

 が、扉に手を掛ける寸前、その場にすっと片膝をつき、彼女は真正面からクルトを見つめてきた。


「……クルトさん。わたくしは、ここを出てゆきます」

「えっ……!?」

 一瞬、自分の耳を疑って、クルトはニーナを呆然と見た。


「もし、いま襲ってきているのがあのミカエラなのであれば、ここでわたくしたちを守って下さっている兵士の皆さんも、魔法官の皆さんも、到底無事には済みません。あまりに被害が大きくなれば、城そのものが危ないでしょう。エドヴァルト伯父様や、そのお子様がたも同様です。……ですから、わたくし一人が、どこかへ去ればいいのです。彼女の目的は、わたくし一人なのですから」


 美貌の人のその瞳も声も、毅然として静かだった。

 その声を聞いているうち、クルトは全身がわなわな震えだすのを止められなくなっていた。


「なっ……な、なに言って――」

「わたくしは、もう二度と、あの『蛇の港』でのような失態を犯すわけには参りません。いまここで、伯父様や兵の皆さんや……あなたに何かあったとしたら、わたくしはまた、この理性を失うようなことになりかねません――」

 ニーナの眉が、苦しげにひそめられた。

「実を言えばわたくしは、なろうと思えば昼間でも竜の姿になることができるのです。ただ、昼間はどうしても、その力をうまく操ることが難しいの。ひとたび竜になってしまえば、人としての理性や、判断力を失ってしまいやすい。以前はそれで、周囲をすべて焼き払うようなことを……。だから……」

 その声も、とても苦しそうに聞こえた。


(ニーナさん……)


 そうか。

 だから、彼女は昼間、竜の姿にならずにいるのだ。

 かつて、レオンを殺されかかって理性を失い、巨大な竜に変化へんげして、「蛇の港」を壊滅させ、多くの人の命を奪ってしまった、その罪を繰り返さないために。


 だが、いまここでエドヴァルトたちやクルトを失うことになったら、ニーナはまたあの悲劇をもう一度引き起こしてしまいかねない。

 この場にとどまっていることは、自らそれを招いているのと同じなのだ。

 だから彼女は、自ら竜になって、少しでも理性の残るうちに逃げる方向だけを念じながらこの地から一刻も早く離れようとしている。

 ニーナは諄々じゅんじゅんと、そう説明してくれた。


(けどっ……!)


 クルトは自分の肩を握っている彼女の手を力いっぱい掴んで叫んだ。

「だっ、ダメだよ、ニーナさん……! 一人で竜になって逃げるなんて、そんなの、レオンだって絶対、許さねえよっ! 俺もいっしょに――」

「いけません」

 ニーナは毅然とした声を崩さないまま、真っ直ぐにクルトを見た。


「お願いです、クルトさん。あなたを巻き込みたくないのです。エドヴァルト伯父様たちのところにいてください。伯父様たちの側にいるのが、今は最も安全のはず――」

「やだって、言ってんだろっ……!」


 クルトは遂に絶叫して、自分の肩をつかんでいたニーナの手を乱暴に振りほどいた。


「俺、レオンと約束したんだ。ちゃんと、ニーナさん守るって。レオンがいない間、レオンの代わりに、ちゃんとニーナさん守るって……!」

「…………」

 ニーナが悲しげな目をして、じっとクルトを見つめている。

「俺だけ置いて行かないでよ! そんなのやだよっ! ニーナさんが逃げるって言うんなら、俺だって連れてって。でなきゃ、俺……レオンと約束したのに、俺っ……!」


 しかし、もっともっと言いたいことはあるのに、その言葉は喉のところでひっかかった。

 そうして、その代わりに、目の前が熱くぼやけて、ニーナの顔がかすんで見えた。


「クルトさん……」


 ニーナの声が、辛そうに小さく聞こえた、その時だった。

 ばたばたと駆けつける複数の足音が聞こえたと思ったら、荒々しく部屋の扉が開かれていた。


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