第3話 風の大地で


 ああ、風が冷たいねえ。


 今年の風は、とくに冷たい。

 だって、抱きしめる子が、ひとりいなくなっちまったからさ。


 子供はもう、十人も生んで、でもまともに育ったのは四人だけだった。

 何人かは病気にもっていかれ、何人かの女の子は、にされた。


 そりゃあ、しかたないさね。

 生んだって、どっちみち、食べるものがなくて死んで行くなら、長く苦しませないほうがいいってほどのもんさ……。


 まあ、せっかく運よく育った子だってね、ちょっと見目がよきゃあ、あいつらに連れていかれちまうのさ。

 隣のハンスさんのとこも、谷むこうのヨハンさんのとこの娘っ子も、そうだった。

 ああ、別に娘っ子とは限らない。本当に可愛い子なら、あいつら、男の子だって見境いなしさ。


 しっかりした子は歯を食いしばっているけれど、小さな子は、そりゃあ不憫さ。

 わあわあ泣いてる子の腕を、あいつら、邪険にひっぱっていく。その親の手に、たんまりと金を押し付けさえすりゃあ、なんでも好きにできるって思ってんのさ。


 そりゃ、もっと小さな子はもっと不憫さ。

『あっちに行けば、毎日おいしいものがたらふく食べられる』

『綺麗なべべ着て、素敵な暮らしができる』

 って、嘘じゃあないかもしれないが、本当のところはなにも教えないでごきげんとって、何もわからないまんま、それで連れてっちまわれるんだから。


 あの子ら、今頃どうしているもんだか。

 ちゃんと食わせてもらってるんだろうか。

 いや、まだ生きてるんだろうかねえ……。


 風の守護竜さま、いったいどうなさっちまったもんだか。

 このところ、どうもいい風をくださらない。

 風が澱むと、山はとたんに、いい作物を下さらなくなる。


 水を運び上げるのがむずかしい、こんな高台の耕地でもね、山の霧が水をくださりゃ、芋なんてすんすん育つのさ。そりゃ、あたしらが毎日、手をかけてもいるんだけどね。

 昔はこんな季節ともなりゃあ、どこの家の風車小屋だって、粉に引くもんがたんまりあったもんだってのにね。

 最近じゃあ、来年の豊作をお祈りする祭りにも、あまりお捧げするものもないってえありさまだよ。


 それなのに、風竜の王様はごむたいなのさ。

 あたしらが食うにも困って、可愛い子供まで売っぱらっちまっているというのに、倉の床にのこった麦粒ひとつも残していっちゃくれない。


 あたしらに、どうしろって言うのかねえ。

 何も喰わずに、どうやって畑を耕せっていうのかね。

 王様はあたしらに、「食い物をつくって、喰わずに死ね」っておっしゃっているのかねえ……。



 旅の者だという、風竜の訛りのある中年の痩せた男に、村の女はぽつりぽつりとそう語って、やれやれと座っていた岩から腰を上げた。

 男が彼女に礼を言い、「礼だよ」と言ってその手に僅かの金子を渡す。


 何故か片方の目にだけ遮眼革しゃがんかくをつけた黒馬に乗り、低い石積み囲いのある道の向こうに男の姿が見えなくなると、しばらくしてそちらのほうから、小さな少年が駆けてきた。


「かあちゃん、これ……」


 見れば、小さな手のひらに、きらきらと輝く碧い宝石のようなものが握られている。

 女は目をひん剥いてそれを見つめた。


「こ、これは――」


 噂にしか聞いた事のない、金や銀、宝玉よりも貴重だと言われるその品は、女も勿論、目にしたのは初めてだった。

 だから、それが何であるかは本当ははっきりとは分からなかったのだけれど、その輝きといい美しさといい、話に聞いていたまさにそれだと確信したのだ。


「どうしたんだい、お前、これ……」


 震える声でそう訊ねると、ちいさな息子は目をきらきらさせながら答えた。


「さっきの、黒い馬にのったおじちゃんがくれたの。かあちゃんのおはなしのおれいだって言ってたよ? かあちゃんにわたして、って」

 母親の、ごつごつした震える手にそっとそれを入れながら、小さなひそひそ声で少年がまた言った。

「でも、みんなにはしばらくないしょにしなさいって。すぐにはおかねにかえちゃだめだって、『はんとしはまちなさい』って……なんかいもなんかいも、言ってたよ?」

「…………」


 女はそれを両手に包み込み、そのまま手を合わせて、男の立ち去ったほうを拝むようにして地面に両膝をついた。

 その肩が震えだし、俯いた顔から呻くような声が上がり始めたのに気づいて、少年はびっくりしたように母親の顔をのぞきこんだ。


「かあちゃん? どうしたの、かあちゃん……」


 そばの丘にたつ風車の群れが、からりからりと、虚しい音をたてて回っていた。




◆◆◆




「んな顔すんな。ある程度は、あんただってわかってたこったろう?」


 昼のあいだ、二名ずつに分かれて行動していた男四人は、風竜国の森の中で落ち合い、いま焚き火を囲んでいる。

 その中で、ひときわ体の大きな男が、先ほどからむっつりと黙り込んでいる隻眼の男にそう言った。


「俺はここ何年も、こっちに来て仕事もしてたんで知ってたけどよ。しかし、ここ数年は急に悪くなってきてるみてえだな。特に今年は、雨は少ねえわ、季節はずれの嵐は来るわで、まあひでえもんだったらしいぜ――」

 彼は彼で、もう一人の青年とともに周囲の村人らから話を聞いてきたらしい。巨躯の男の隣にすわった赤毛の男も、やや肩を落とすようにしている。


「まったく、水竜とは比べもんになんないぜ。こんだけ困ってる村人から、地主連中もまだ搾り取ることしか考えてないって、ちょっと呆れるわ――」

 人のよさそうな顔を渋面にして、さすがの彼も暗い声を出していた。

「もちろん、その上にいるのは貴族連中、さらには宰相の一派なんだろうけどな」

「…………」


 その視線の先にいる黒髪の男は、やはり片方だけの目で虚空を睨むようにしたまま座り込み、さきほどから微動だにしないでいる。

 そんな彼の表情をそっとうかがいながら、中年の男が口を開いた。


「ともかくも……『跳躍』の魔法を使いながら、これで風竜の農村部を中心に、東西南北、あちこちと回ってきたわけなのですが……。いかがなさいますか? 殿下。このあとは」

「…………」

 水を向けられた男のほうは、しばらく顎に手を当てて沈黙していたが、やがて目を上げ、低い声でぼそりと言った。


「……ゲルハルトに、直接会うことは可能でしょうか」

「えっ……」

「無論、非公式にということですが。ムスタファを介さずに、どうにか話ができないかと」

「いや……、それは」


 中年の男は困ったように、残る二人のほうを見やった。

 代わりに口を開いたのは、鷹のような鋭い目をした巨躯の男だった。


「無茶言うな。いくら魔法が使えるっつっても、それは王宮だっておんなじことよ。上級魔法官としての腕が同じなら、人数の多いほうが魔力は当然上になる。あっちはもちろん、魔力障壁を使って王宮は守護してんだろ。アネルのおっちゃんの魔法だけで中心部に跳ぶなんざ、いくらなんでも無謀すぎらあ」 


 それを受けて、申し訳なさげにアネルと呼ばれた男が頭を下げた。

「……はい。ファルコの申すとおりです。申し訳ございません……」

「うん、まあ無理だよなあ」

 と、今度は赤毛の青年が、さもいま思いついたという風に切り出した。

「そりゃまあ、例の『風竜の眷属』のお姉ちゃんが協力してくれる、ってんなら話は別なんだろうけどさ……」

「ん? なんだそりゃ。そんなもんが居るのかよ?」


 きょとんとした巨躯の男に対して、そこからしばし、ミカエラなる「風竜の眷属」の存在についての説明がなされた。

 実を言えば、この旅の道中で、レオンとニーナに掛けられている呪いとその過去の顛末等々、かなりの部分はこの男にも話し済みである。

 さすがの男も、最初のうちは日の出とともに人が馬に変化へんげするのを非常に驚いた顔で眺めていたが、すぐに慣れてしまったようだった。


「な〜んだ。そんな便利っが居るんじゃねえか。しかもレオンにホの字かよ。利用しろ、利用しろ! この際なんでも、利用すりゃあいいじゃねえかよ」

「いや、簡単にいうなって――」

 カールがちょっと脱力して、頭を抱えた。

「あんた、あの女の恐ろしさを知らないからそんなことが言えるんだって。レオンの身になってみろよ。ふた言目には、姫殿下と別れろだの殺すだの、その上で自分を妃に迎えろだのって、もうぐいぐい来る女だぞ? レオンじゃなくても願い下げだろ、そんな女……」

「そっかあ? 『一途で可愛い』ぐれえのもんじゃねえの?」


 男のほうはすっ呆けた顔で、ぽりぽり顎など掻いている。

 その、まさに「他人事」という顔に、レオンがちょっと半眼になった。男のほうではそんなレオンの顔をちらっと見やって、にかりと皮肉げな笑みを浮かべる。


「なにあめえこと言ってんだ。取り込んじまえ取り込んじまえ。惚れてくれてるっつうんなら御の字じゃねえかよ。若い女の一人や二人、軽〜く懐に入れちまえ。それぐらいできねえで、王になろうなんざ百万年早えっつうの!」

「無茶いうなって、おっさん! レオンはあんたとは違うっつうの!」


 ついに大声をあげて噛み付いてきたカールを完全になすようにしながら、ファルコはがははは、と大口を開けて笑い、顔の前でひょいひょいと手を振った。


「ま、そーだろうな。言ってみただけよ。忘れてくんな」

「言ってみただけって、おい、おっさん――」

「それに、まあ真面目な話、もしもそんなのがこの国の正妃なんぞに収まった日にゃあ、それこそ今よりもっとひでえことになりかねねえしよ。女、利用するだけしといて『ぽい』なんざ、そこのクソ真面目な兄ちゃんにゃあ、ちょいと無理な芸当だろうからな」

「…………」


 ここへきて、もう残りの三人は完全にあきれ果てて言葉を失っている。いったいもうこの男、どこまでが本気の台詞なのやら分かったものではない。


「で、だな。カールの兄ちゃん」

 男はそんな場の雰囲気などまるで無視して、ぐいと隣のカールに目を向けた。

「なんでもいいけどよ〜。あのクルトとかってガキはともかく、あんたみたいなのからまで『おっさん』呼ばわりは頂けねえやなあ。そんな、俺と年、違わねえだろ?」

「はぁ!? なわけないだろ、あんた、いくつよ――?」


 その後、互いの年齢の話になって、「ぐわあ! 五歳も離れてなかったああ!」と一人で衝撃を受けているカールをよそに、レオンは焚き火の炎をじっと見つめて、しばし物思いに耽っていたのだった。


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