第三章 潜入

第1話 亡命



「おお? なんか、こないだとは面子メンツがえれえ変わったな? 兄ちゃん」


 その夜、土竜国の王都の片隅、安宿の一室にやってきた巨躯の男は、待っていたレオンをはじめ、アネルとカールの姿を見てちょっと目を丸くした。

 そして、レオンが何かを言う前から、もうその用件のほとんどを察したような顔をしていた。


「んで、俺を呼んだってこたあ、つまり、色々になった、っつうことでいいんだな? 殿としてもよ」


 にやりと笑ってそう問われ、レオンは少し呆れた顔になりながらも、ひとつ頷いた。

「……まあ、そういうことだ」

「そかそか。そりゃあ、バルトローメウス陛下もさぞやお喜びのこったろうよ。……んで、俺ぁ、それを陛下と殿下にお知らせすりゃあいいってこったな?」

 レオンが再び、黙したまま頷く。

「先日は、陛下にも殿下にも大変にお世話になった。どうか、俺が礼を申していたとお伝えしてくれ」

「あ〜。それなんだけどよ――」

 ちょっと顎を掻きながら、ファルコが天井を見るような仕草をした。

「俺に、一日だけくんねえか。風竜国フリュスターンに出立すんの、一日だけ遅らしてくんねえかな」


 側で木造りの椅子に腰掛けたり、寝台に座ったりして話を聞いているアネルとカールが、それを聞いてちょっと訝しげな目になった。

 それを敏感に察知したように、ファルコはにかりと笑って片手を上げた。


「ああ、落ち着いてくんな。別に、どっかにたれこもうってんじゃねえ。どうせ行くなら、俺を連れてけ、ってえ話よ」

「お前を? ……なぜだ」

 さすがにここで、レオンも怪訝な顔になった。


 どうもこの男、なかなか腹の底を見せない性格のため、信用しづらいのだ。さすがに今ではもう、決して悪い男だとまでは思っていないのだが。

 まあ、土竜王国の王族からは信頼されているわけだし、ここまでで観察した限り、仕事に見合った報酬さえ準備できれば、口は堅いし腕もいいのは証明済みではある。しかしだからといって、この潜入行へ伴うほどの信頼までができるものかどうか。


「陛下にお話ししてみて、もしお許しが出るんだったら、俺をつれてった方がいい。ぜってえ、損はさせねえからよ」

 にこにこ笑ってファルコが言う。

「こう見えて、風竜にも知り合いは大勢いるしよ。もけっこういんだぜ? 使って損はあるめえよ――」

「風竜に、知り合いが……? それはどういうことなんだね」

 と、口を挟んだのはアネルだった。

 ファルコはその言葉の、ごくわずかの発音の違いを聞き取ったらしく、ちょっと楽しげな顔になった。

「お。おっちゃんも風竜のお方らしいね。……実を言うと、俺ももとはそっちの出でな」

「……なに?」

 さすがのレオンも瞠目した。


「まあ、移ってきたのはガキの頃だからよ。風竜訛りはすっかり抜けちまってっから、わかんなかったかもしんねえが。正真正銘、もとは風竜の出身よ」

 驚く一同を後目しりめに、男はちょっと得意げに腕など組んで、べらべらとまくし立てた。


「俺の両親は、例の『ヴェルンハルト公暗殺事件』のごたごたで、国外に逃げたクチでよ。あん時ゃあそういう奴、けっこう多かったみてえだし。なにしろ当時は、ヴェルンハルト陛下側についてた一派は、身分を問わずに一網打尽、男は即、処刑台へ直行っつう、ひでえ話だったらしいからな。親父はもともと、それで凋落したお貴族サマにお仕えしてたもんでよ――」


 そこで、アネルが慌てたようにまた口を挟んだ。


「ち、ちょっと待ってくれ。それは、どちらの? なんというお屋敷のことだ……?」

「ん? あ〜……なんだっけ。俺も、まだせいぜい八つぐれえの頃だったから、ちゃんと覚えてるわけじゃねえんだが、ブ……ブ……ブルダなんとか伯爵っつたか――」

「ブルダリッチか……!?」

 頭を捻る様子のファルコに向かって、アネルがいきなり立ち上がり、その胸倉を掴まんばかりにして迫った。


「お? ……なに? おっちゃん、知り合い?? そうそう、ブルダリッチ伯爵様よ。おれの親父は、そこにお仕えしてた武人の一人だったもんでよ」

「名は? お父上のお名前はなんと言う?」

「親父か? ヘンリクだけどよ、え〜っと、あんた……」


 ファルコは完全に変な顔になって、困ったように顎を撫でている。

 そこから二人は、ファルコの母親の名前だとか、ブルダリッチに仕えていた他の使用人の名前だとか、屋敷の様子だとかをこまごまと互いに確認し合う様子だった。

 やがてアネルは、「ああ!」と言いながら天を仰ぐと、さして広くもない宿の部屋の中をうろうろと歩き回り始めた。


「私は、その家の息子なのだよ! ファルコと言ったか? 私は、もとはブルダリッチ伯爵家の息子で、エリクと言う者だ。ヴェルンハルト陛下の御許おんもとで、医術魔法官を務めていた者なのだよ……!」

「え! そんじゃあんた……まさか、『エリク坊ちゃん』かい!?」


 さすがのファルコも、素っ頓狂な声をあげて、あとは目を真ん丸くしたまま、アネルの顔に人差し指を向け、彼を凝視するばかりである。


「いや……つっても、俺ぁ親父から、あんたの話を聞かされてただけのこったから、顔までは知らねえんだけどもよ」

 そうして、「うはは」と楽しげな笑声をあげた。

「驚いたな、こりゃ。世間っつうのはせめえやねえ――」

「そ、それでは、あの時、ヘンリクと君たちご一家は、無事に国外へ逃げおおせてくれていたということなんだね?」

「あ〜。いやあ、それがよ――」


 ファルコはちょっと苦笑して、その後のことを語ってくれた。


 なんでも、ヴェルンハルト公が「事件に巻き込まれて」お亡くなりになった時、その下手人どもと目された男たちは勿論のこと、これまでヴェルンハルトについていた貴族連中も、その多くが捕縛されたのだ。

 初めのうちは、なんやかやとあのムスタファから難癖をつけられて、領地を削られたり、要職から退かされたりというところから始まって、それは次第に、まるで犯罪者を捕縛するかのような熾烈なものへと変わっていった。


 その理由は、ほかならぬアネルにあった。

 アネル――当時の医術魔法官にして、ヴェルンハルトの側近だったエリク――については、その事件の際に行方不明にもなったということで、彼らはその消息を血眼になって探していたはずである。

 エリクは王の側近であった上、若いながらも優秀な魔法官でもあった。彼なら、風竜の魔術「跳躍」によって、即座にどこへでも飛んで逃げることが可能なのだ。現場に死体がなかった以上、彼が生きていることは間違いなかった。

 そして、もしも本当に彼が生きていたら、彼はゲルハルトとムスタファによる王位簒奪劇の生き証人になってしまう。彼らはどうあっても、その命を奪い、口を封じねばならなかったのだ。

 その手は、すぐにエリクの生家であるブルダリッチ伯爵家にも及んだ。


 その嫌疑は、なんとエリク自身がヴェルンハルト王弑逆の絵図を引いたのではないかというもので、エリクの家の者らにしてみれば寝耳に水、完全な濡れ衣もいいところだった。

 とにもかくにも、そうしてエリクの家は、反逆者の一門として王家から厳しい追求を受けることになったのだ。

 巷間には、彼らが一族の子であるエリクを匿っているのではないかという噂が飛び、一族郎党は捕らえられ、遂にブルダリッチ家は爵位を取り上げられ、事実上の解体を申し渡されることになった。

 当主の家族は勿論のこと、その使用人にまでその手は及び、捕まった者に対しては、連日の厳しい詮議が始まった。

 それは事実、拷問にほかならなかったという。


 ブルダリッチ家お抱えの警備兵だったファルコの父は、妻とまだ幼かったファルコを連れて、他にも示し合わせた使用人や仲間を募り、ともに命からがら風竜国からの亡命を図った。

 しかし、その追及の手は厳しかった。

 もう少しで土竜の国というところで、父らは追っ手に追いつかれ、そこで激しい戦闘になった。


 ファルコが見た父の最期の姿は、胴を大剣に貫かれ、その首を斬り飛ばされるところだった。

 母は嗚咽をこらえつつ、ファルコとともにそこから逃れ、二人だけでどうにかこうにか国境を越えた。しかし、山中の深い森を辿るうち、母はぬかるむ山道に足をとられ、坂を滑りおちて崖から転落し、あっけなくこの世を去った。


 その時、ひとり山の中を彷徨い、寒さと飢えでほとんど死に掛かっていた幼いファルコを拾ってくれたのが、その後、彼の養父となってくれた山師の男だったのである。



「そ……うか。皆、そのような……」

 一連の話を聞いて、寝台に座りなおしたアネルは、膝の上で震える拳を握り締めていた。

「まさか、この私に……そんな嫌疑をかけてまで……!」


 悔しげに肩を震わせる養父ちちを、レオンも胸の痛みとともにじっと見ていた。

 対するファルコは、話の内容とは打って変わってごく軽い態度で、にかりと笑って皆をぐるりと見回した。


「まあ、そーゆーこったからよ。一応、信用して欲しいわけよ。今はまあ、俺も土竜の爺さまんとこで世話になってる立場なわけだし、あんたらに全面的に信用してもらえるとまでは思っちゃいねえ。……もちろん、貰うもんは貰うしな?」

 片目をつぶり、例によって太い指で輪っかを作っている。そのあたりは、相変わらずちゃっかりしているようだ。

 レオンがちょっと半眼になった。


「けど俺ぁ、少なくとも、親の仇の味方にだきゃあならねえぜ。どんなお宝、目の前に積まれようが、どんな拷問をされようがな。何があろうが、それだきゃあ譲る気はねえからよ」

 そう言ったファルコの瞳は、これまでレオンが見たどの場面よりも、底冷えのする殺気を漂わせていた。

 その瞳の色だけには、どうやら嘘はないように思われた。

「…………」

 レオンはしばらく、その鷹のような鋭い瞳をじっと見つめて沈黙していたが、やがて彼に近づくと、自分よりも頭ひとつ分も大きい男の肩をがしりと掴んで、下から見上げた。


「……了解した。貴様を信用することにする」

 ファルコも途端、にかっと笑って犬歯を見せた。

「おうよ。そう来なくっちゃな」

 そうして、レオンの頭半分ほどもあろうかという拳で、レオンの胸元をどすっと叩いた。

「……おっと。支払いの方も、しっかり頼むぜ?」


「おいおい。本当に、大丈夫かよ――」

 これまで黙って話を聞いていたカールが呆れたようにそう言うと、側に立つアネルが苦笑した。

「まあ、あのヘンリクの息子だと言うなら、信用するには足ると思うよ。彼はまことに、『誠実と男気』が服を着て歩いているような男だったからね」

 それを聞いて、ファルコが少しすっ呆けた顔になって肩をすくめた。

「……そりゃどうも」

「それよりも、だな」

 きらっと目を光らせると、アネルはファルコの側までいって、ぐいと下から彼を睨み上げた。


「一応、もと風竜の民だというなら、君も言葉遣いには気をつけたまえ。こちらの方は、本来なら私たちの王であられたはずの御方だ。そうそう、ぞんざいな物言いは――」

「いえ。お気遣いは無用です、父さん」

 言いかけるアネルを、レオンがすぐに隣から制し、残る二人に向き直った。

「いい機会だから、二人にも言っておく。どうか二人とも、今までどおりでやってくれ。いや、むしろそのままでいて貰いたい」


 ファルコとカールが、やや驚いたような目でレオンを見返した。


「俺は別に、王位を取り戻すために風竜国フリュスターンに入るわけじゃない。少なくとも今回は、人々の現状を把握するための潜入行だ。普段から妙な敬語など使われて、人々の要らぬ不審を招くのは避けたい。……それに」

 何か言いかけようとするアネルを目線だけで黙らせるようにして、レオンは続けた。

「単に、もと王太子だったというだけで得られる敬意など、今の俺には必要ない」

「…………」


 ファルコがいかにも「へえ」と、ちょっと感心したような表情かおになり、他方でカールは逆に奇妙な顔をした。

「いや、レオン。こう言っちゃなんだけど。俺はもともと、別にお前に敬語とか使うつもりもなかったけど?」


 そう言ってしまってから、アネルに凄まじい目で睨まれて、カールは「うわ、すんません……!」と思わず後ずさったようだった。


「や、でもさ……。水竜国クヴェルレーゲンで、『実はレオンは風竜の王太子様でした』って聞かされた時も、どうも俺、ぴんと来なくってさ。今まで一緒に飯食ったり、訓練なんかもやってきた仲で、今さらお前に敬語使うとか、想像つかないし。まあそれに、『そもそも俺、水竜の将校なんだからいっかあ』、とかも思うしさ――」


 いや、良くはないだろうけれども。

 いくら他国の人間とはいえ、王族に対してはそれなりの礼を尽くすのが、軍人の本義だろうから。

 しかし、レオンは少しほっとして、頭を掻きながら困った顔になっているカールに向かい、「そうだったな」と笑ってみせた。


「すまん、カール。……助かる」

「いやいや。どういたしまして」


 カールはそばかすの浮いた鼻の頭をひくひくさせて、ちょっと得意げににかっと笑った。

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