第9話 父と子



 翌朝。

 竜から人の姿に戻ったニーナとクルトは、朝一番で王宮のさらに奥の区画へと案内された。

 日中に馬になってしまうレオンについては、とりあえず厩舎に戻る形となっている。

 召し使いの青年の後ろから王宮の廊下を歩いて行きながら、クルトはこそっとニーナに訊ねてみた。


「ね、ね。ニーナさん、ゆうべ、レオンのこと何て言って説得してたの……?」


 それは勿論、今回の件に、水竜国にいるレオンの養父アネルを参加させるという話のことだった。

 レオンは決して、この危険な微行おしのびの偵察行に、彼の養父を伴うことに賛同していたわけではなかったからだ。


「そうですね。第一にはやはり、レオンの身の安全のため、ということですが――」


 レオンにもある程度の風竜の魔法は使えるが、高位の医術魔法官だったアネル――故国での名はエリクと言ったが――は、それよりもはるかに上位の魔法を使うことができる男だ。

 必要な「風竜の結晶」さえ手許にあれば、あのアネルなら一足飛びでこの雷竜の王宮まで戻ってくることすら可能なのだ。そして、その高価な結晶については、雷竜王エドヴァルトが「心配いらん、まかしとき」と提供を申し出てもくれている。

 もしも風竜の国で、レオンがあのミカエラのみならず、国王ゲルハルトや宰相ムスタファの一派に追い詰められるようなことになっても、アネルが側にいてくれるなら、どんなにニーナは安心していられるか分からない。

 とにもかくにもそう言って、ニーナは彼を説得したということらしかった。


(なるほど〜。ニーナさんのじゃ、レオンは『嫌だ』なんて言えねーよなあ……)


 クルトは思わずにやにやしてしまう。

 これに関しては自分だってあんまり人のことは言えないのだったが、その時のレオンの困りきった様子を思い出すと、どうしてもにやけてきてしまうのだ。

 「ニーナのお願い」こそ最強。

 どっちみち、あのレオンがニーナの心からの「お願い」に否やを言い続けることはほとんどないのだけれど。



◆◆◆



「こちらです。どうぞ、お入りを」

 案内役の召し使いにそう促され、二人はそのまま、奥の宮らしき場所に程近い、とある大きな扉の中に入った。


 部屋は巨大な円形をしており、高い丸天井が太い円柱によって支えられている。さらにその円柱の間には、それぞれ壁面に大きな燭台が立てられていた。それぞれの燭台には、七つの蝋燭が灯されており、部屋の中にはそれ以外の明かりはなかった。

 部屋じゅうに、不思議な香の匂いがたちこめている。

 円形に開けた部屋の中央部には、獅子の脚をかたどった脚に支えられた、黄金製らしい丸い水盤が置かれている。中には清らかな水が満々と湛えられていた。


 部屋にはすでに、数名の魔法官らしき壮年や老年の男たちが控えている。

 彼らもちょうど七名いた。

 みな、凝った織り地の長衣ローベをまとってマントを羽織り、白い髭を蓄えたり飾り帽をかぶったりした、いかにも錚々そうそうたる面々だった。


 と、別の側の入り口から、国王エドヴァルトがヤーコブ翁だけを伴って、ごく軽い足取りで現れた。

「おお、おはようさん、アルベルティーナ、クルト君」

 ごく気さくな様子で片手をあげて、にこにこ笑いながらこちらへとやって来る。

「よう眠れた? なんや困ったことがあったら、遠慮のう言うたらええけんね〜?」

「は、……い、いいえ!」

 クルトはふるふると首を横に振って、ちょっと体を固くした。

 こんな様子でいながらも、相手は紛れもない国王陛下だ。うっかり、下手な態度で話をしていいとは思えなかった。

 そんなクルトの様子を見て、エドヴァルトはちょっと苦笑したが、すぐに魔法官らへ視線を向けた。


「さて。ほな、始めてんか――」


 エドヴァルトがヤーコブ老人とともに水盤の前に立つと、七名の魔法官らがそれぞれに琥珀色をした竜の結晶を手に、静かに韻律を唱え始めた。

 低い男らの声が、大きくなったり小さくなったりしながら空気のなかに満たされて、不思議な色を持ち始める。

 ニーナとクルトは、二人の少し後ろに立って、それらを静かに見つめていた。


 と、水盤の水面みなもに静かにさざなみがたちはじめ、やがてそこに、穏やかな瞳の色をした壮年の男の姿が見え始めた。

 それは、青を基調とした絹地の長衣に、王族らしい装束を纏った、美しい顔立ちの男だった。年齢はある程度いっている雰囲気だったが、それでもまだ十分に美丈夫と言ってよい佇まいである。

 ニーナがはっとしたように、その水の中を見つめたのが分かった。

 水中に見える、その知的で優しい目の色をした男が、こちらに気付いて目を見張り、ニーナに向かって声をあげた。


『ティーナ……?』

「お父様っ……!」


 父と娘の声は、ほぼ同時になって重なり合った。

 水の中から聞こえる声は、多少くぐもって聞こえているが、すこし反響する以外、聞きづらいというほどのものではない。

 ニーナは両手で口許をおさえるようにして、水面を覗き込んでいる。

 水面に現れている男の方でも、ほんのわずかの驚愕の後は、感極まった表情で、しばし絶句されているようだった。


『ティーナ……。息災のようだね。何よりだ……』

「お……父さま……。ご、ご無沙汰を、いたしております……」


 さすがのニーナも、声と体が震えている。

 クルトは隣で、マントの上から彼女の体を少し支えるようにした。

 あっという間に、ニーナの目に光る雫があふれだす。


 ヤーコブ老人なんてもう、とうの昔にまた号泣しはじめていた。

 そんなみんなの様子をひとわたり見て、エドヴァルトはほんの少しだけ、父と娘が久しぶりの会話を訥々とするのを聞いていたけれども、やがて済まなそうに口を挟んだ。


「ほんま堪忍な、ミロちゃん、アルベルティーナ。この魔術、あんまし時間がとられへんねん。とにかく、先に大事な用件に入らしてもろても構へんやろか――」

「は、……はい。申しわけありません、伯父様……」

 ニーナがまだ涙を抑えきれない様子で一歩下がり、「ほんま済まんなあ」と言いながら、今度はエドヴァルトが前へ出た。



 国王二人の話し合いは、こちらはごく慣れた様子で、さらさらと簡潔に進められた。

 エドヴァルトは必要な情報をかいつまんで説明し、水竜王ミロスラフも即座にそれに対して首肯すると、かねて約束していた通りに、レオンの養父である魔法官アネルをこちらへ送るといってくれた。


「……ああ、それから。これも以前から申し上げておりましたが。レオンがこうした事態になった場合に、是非ともそちらへ参りたいと申していた者もひとり、送ることにいたしますが。よろしいですね? エドヴァルト殿」

「おお、勿論ですわ。ほな、万事よろしゅうにな、ミロちゃん」


 エドヴァルトのほうはにこにこしてそこから下がり、ニーナの肩を押して再び水盤へ近寄らせた。


「ほな、あとは親子水入らずで、時間のあるだけ話しとってええよ。ワシらはこれで失礼さしてもらいまっさかい」

 そしてヤーコブ老人と、それにクルトも促して、三人でその部屋を出た。


(なんか……。結構、いいとこあんじゃん。このおっさん)


 クルトは妙に嬉しくなって、にこにこしてエドヴァルト王を下から見上げた。

 王のほうでも、そんな少年の嬉しげな顔を見返して、意味ありげにちょっと片目をつぶって見せ、ぽすぽすと軽く頭を叩いてくれた。


「男子たるもの、このぐらいはさらっとでけへんと。女の子にもてへんよ〜? な? 少年」


 「その余計なひと言がなければもっともてるんじゃないの」、とは思ったが、クルトは黙って笑っていた。



◆◆◆



 さて、その夜。

 ミロスラフ王は早速、レオンの「助っ人」となる人物を二人、風竜の魔法によってこちらの王宮へと飛ばしてくれた。


 両国の取り決めの通りに、それはあの「水盤の間」にて行なわれるとのことで、クルトは今度はレオンと共に、彼らを迎えるべく待っていた。

 もちろん、エドヴァルトとヤーコブもまた同席している。


 約束の刻限がやってくると、水盤の近くの空間がもやもやとねじれるように歪み始め、そこから本当に唐突に、二人の人物がひょいと現れて、床にとん、と飛び降りた。

 一人は地味な容姿の文官姿の壮年の男、もう一人は赤っぽい癖っ毛の、そばかすのういた顔をした青年だった。

 レオンが驚いたように声を出した。


「父さん……カール!」

「おお、レオン! こンのやろ!」


 レオン同様、水竜の将校姿をしたその青年は、現れるなりずかずかとレオンに歩み寄り、がしっとその首に腕を回した。


「あれ以来じゃないかよ、ばっかやろ! ちょっとはこっちに連絡ぐらい寄越せっての!」

 青年は、せっかく今は綺麗に整っているレオンの黒髪を必要以上にぐしゃぐしゃにし、拳骨を彼の頭にぐりぐりねじ込み、さらに背中をばんばん叩いて、大口を開けて笑っている。

「なんだお前、さらに男前になりやがって! くっそ、むかつく!」

 どうやらこれが、昔話に出てきたレオンの同僚、カールという青年らしかった。

 親友からもう好き放題にされながら、レオンも少し困ったような顔で微笑むようにしている。

「……すまん。心配を掛けた」


 それから、壮年の男に向き直り、レオンは改めて頭を下げた。

「父さん。まことにご無沙汰いたしております。この度は、またお手数をお掛けしますが――」

 が、それは最後まで言わせては貰えなかった。

 レオンは大股にやってきたその壮年の男に、前から力いっぱい抱きしめられていたからだ。


「よく……よく――」

 男はもう、ろくにものも言えずにぼろぼろ泣いている。

「…………」

 レオンも少しだけ顔を歪め、クルトからは顔を隠すようにした。


 が、やがてレオンに「父さん」と呼ばれた男は、はっとしたようになってレオンから飛び退すさり、慌てて頭を下げた。

「もっ、もも、申しわけございません! 大変なご無礼を――」

 それでもその声はひび割れていて、まだ泣いているように見えた。

「…………」


 レオンが困ったように彼を見返して沈黙するのを見て、クルトはちょっと溜め息をついた。


(ったく。しょーがねえなあ……)


 そうして、すたすたと相手の男に近づいた。

 その中年の男とは間違いなく初対面のはずなのだったが、どうにもそうは思えなかった。これはもちろん、レオンの養父、もと風竜の人、アネルに間違いないと思った。

 だからクルトは、相手の袖を無造作に掴んでこう言ったのだ。


「だっから、おじさん。『そーゆーなのはだ』って、前からレオン、言ってんじゃん……?」

「……え?」

 アネルが驚いたようにクルトを見下ろした。

 傍に立つレオンのほうでも、さすがに驚いたような目の色で一瞬クルトを見下ろしたが、やがてふと、その瞳が優しくなったようだった。


 エドヴァルトとヤーコブ翁が、今度はなにやらにこにこと、そんな四人を眺めていた。

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