第7話 決断


 その夜。

 人の姿に戻ったレオンは、遂に意を決したかのようにして、竜のニーナとクルトに向かって話をした。

 いつものように森の中、焚き火の前である。


「勝手を申しますが、姫殿下。自分の、風竜国フリュスターン行きをお許し願いたく」

 彼は自分の腕にとまらせている竜のニーナに向かって頭を下げていた。

「バルトローメウス陛下や王太子殿下の言を鵜呑みにするわけではありませんが、やはり、故国の状況をこの目で見てまいりたいと思います。……その後どうするかは、事態を把握してから考えるつもりでおります」


 白い竜は、じっとそんなレオンの引き締まった表情を見つめて、しばらく考え深げな碧い瞳をきらきらさせながら黙り込んでいたようだったが、やがてひとつ、頭を縦に揺らした。

 それはさも、「わかりました」と言っているように見えた。

「……ありがとうございます、姫殿下」

 レオンがさらに頭を下げる。


(ああ、やっぱりか……)


 二人の様子を少し離れたところに座り込んで見つめていたクルトは、暗澹たる思いになりながら、それでも何も言うことはできなかった。

 ここで自分が「嫌だ、やめてくれ」とどんなにごねたところで、レオンの意思が覆ることなどないと分かっているからだ。

 彼は、相当長いこと悩みぬいた末にこの結論に達したはずだからである。

 だからクルトはだいぶ前から、もしもこうなった場合には、とにかく必要なことだけを彼に聞こうと決めていた。


「で? ニーナさんのことはどうすんのさ、レオン」

 レオンがこちらを向いて、少し驚いた目をしたようだったが、すぐに答えた。

「当然、姫殿下の安全こそが最優先だ。今回は情けない話だが、雷竜国ドンナーシュラーク、エドヴァルト陛下にお願いして、俺が風竜へ行っている僅かの期間だけでも姫殿下をおかくまい願えないかどうか、お訊ねしてみようと思っている」

「エド……あああ、『エドちゃん』かあ!」


 まるで知りあいのおじさんでも呼ぶようにしてそう言ってしまってから、よく考えたら相手は大国の王様だったということに気がついて、クルトは妙な気分になった。

 会ったこともない王様なのに、何故か親近感を覚えてしまうのは、やはりニーナの血の繋がった伯父さんだということと、その為人ひととなりについて、この二人から色々と話を聞いたからなのだろう。


「俺、ほんとは、二人が離れるなんていやだけど……。やっぱり、しょうがないよね……。んで、俺はニーナさんについてっていいんだよな?」

 まるで「それが当然」と言わんばかりの声音でそう言ったら、レオンはちょっと苦笑したようだった。

「……そうだな。そうしてくれると有難い。済まないが頼めるか」


(え……)


 偉そうな態度で言ったくせに、クルトは彼の反応にびっくりして、思わずレオンを見返した。


「姫殿下も、ぜひそうして欲しいとおっしゃっている。俺が傍にいられない間、どうか姫殿下のこと、よろしく頼む」

 レオンはなんのてらいもない声でそう言うと、すっと立ち上がってクルトの側で片膝をつき、少年の肩に手を置いた。その手にぐっと力が籠もる。


「どうか俺の代わりに、姫殿下をお守り申し上げてくれ」


(え、えええ……!?)


「頼んだぞ、クルト」

 クルトはもうびっくりしすぎてこちんと固まり、隻眼の精悍な男の顔をまじまじと見つめてしまった。

 まさかレオンに、こんなことを言われる日が来るなんて。


「……返事が聞こえないようだが」

 あまりの驚きで声も出せずにいたら、とうとうレオンが皮肉げな低い声で脅すようにしてそう言った。

「あっ……う、ううう、うん! わ、わかった……!」

 クルトはそれで、やっと呪縛が解けたようになってぶんぶん頭を縦に振った。

「まっ、まかせとけ! ニーナさんは俺が、ちゃ〜んと守っといてやるからさ!」

 拳でどんっと胸をたたき、それをできるだけそらして偉そうに言い放つ。

 レオンがふ、と満足げに一瞬だけ笑って、クルトの頭をぽすぽす叩き、すっと真顔にもどって竜に言った。

「……と、いうことですので。自分の不在の間はぜひとも、この小さなを存分にこき使っておやりください」

「……従者かよ!」


 思わずそうつっこんだが、不満というよりももっとずっと、嬉しくて誇らしい光のようなものでいっぱいになって、クルトの胸はなんだかはち切れそうになっていた。



 さて、そこからは、三人は真っ直ぐに雷竜の国、ドンナーシュラークの王都を目指した。

 行程は、あの「稲妻の峡谷ブリッツ・シュルフト」を大きく迂回しなくてはならないために、全部で二十日あまりの道のりだった。




◆◆◆




「なんちゅうこっちゃ、なんっちゅうこっちゃあああ……!」


 その日の午後、王宮にたどり着いた者たちの知らせを聞いて、雷竜王エドヴァルトは行なっていた公務のほとんどを放り出すようにして、王族のための客間へと全力で駆けつけた。


 そこに通されていた者らとは、もちろん白銀の鎧をつけた隣国の姫と、小汚い平民の少年である。姫が騎乗してきた黒馬については、今は王宮の厩舎に入れられているとのことだった。


 実のところ、王宮の護衛兵らには、これこれの風体の女性あるいは男性が城に訪ねて来た場合、すぐに中へ通すようにとよくよく通達してあるのである。

 街なかで主人あるじのない黒馬を見かけたら、すぐにも王城に連れてくるようにとのお触れまで出しているため、王宮の厩舎にはいまや、やたらと迷子の黒馬が集められるという状況にまでなっているのだったが、まあそれはご愛嬌というところだった。



「おお! アルベルティーナ、わが愛する姪よ……!」


 豪奢な客間に駆け込んでくるなり、やや太め、かつ壮年のその王は、もう目に涙を浮かべて両手をひらき、全速力でニーナに向かってどたどたと突進してきた。

 彼の背後から入ってきた、小柄な老人が止めるいとまもありはしなかった。


(うっわ……!)


 通された部屋のあまりの華美な内装に目を丸くしつつ、振舞われた上品な茶菓子にやっぱりかぶりついていたクルトは、いきなり飛び込んできた男を見て飛び上がった。

 そしてあわててニーナの前に飛び出すと、今にも彼女を力いっぱい抱きしめんとしていたその男から、ニーナを守るようにして立ちはだかった。

 両手を開き、小さな体で必死に男からニーナをかばう。


「こら、おっさん! いきなり、しゅ、しゅ、淑女に抱きつくとか、ダメだかんな!」


 そうだ。

 彼女を抱きしめていい男は、この世にレオンただ一人なのだから。

 まあ百歩譲っても、彼女の実の父、ミロスラフ王ぐらいまでだろう。


 きらびやかな軍装を窮屈そうに着こんだその男は、目を真ん丸くしてクルトを見下ろし、非常に不思議そうな顔になると、つぎには何故か、大変気の毒そうな顔になった。


「おんやまあ。えっらいまた、ちんちくちんになってもうたなあ、レオン君……」


 一瞬の間。


「……ちげぇ!!」


(だれが『ちんちくちん』だ、このオヤジ……!)


 相手が立派な身なりをしていなかったら、クルトはあっさり、そのたっぷりした腹に蹴りを叩き込んでいるところだった。


「ぷくくっ……」

 背後から噴き出すような声がして、ニーナがしっかりと口許を覆って肩を震わせはじめ、クルトはふと、「なんか前にもこんなことあったなあ」と考える。

「なっ、なんだよ、ニーナさん……」

 ちょっと膨れっ面になって後ろを向くと、ニーナが涙の滲んだ目でこちらを見返した。

「……ク、クルトさん。しょ……紹介しますわ。こちらがわたくしの伯父であられ、この国の王であられます、エ、エドヴァルト陛下でいらっしゃいます……」

 必死に笑いを堪えつつ、そう紹介してくれる。


(……え?)


 男の背後からとてとてと走ってきた色の黒い老人も、こくこくと頭を縦にふって、必死にクルトに向かって「その通り」と伝えてきているようだった。

 どうやらこの老人が、くだんのヤーコブ翁なのだろう。


「エドヴァ……って、えええ!? このおっさんが――!?」


 びしっとその王を指差してクルトが吼えると、今度は「ぶはははは」と、目の前の男のほうが大口をあけて大笑しはじめた。

 クルトはぎょっとして飛びすさり、口をぽかんと開けて彼を見上げた。


「もう、さっきから『おっさんおっさん』、ちょお、ひどない? この子ぉ。まあ、紛れもないおっさんやから、しゃあないっちゃあ、しゃあないねんけどもー!」


 エドヴァルトが頭を掻きながら笑っているのに向かって、ニーナはすぐに表情を改めると、すっと姫としての一礼をした。

 それはやっぱり、堂に入っていて美しかった。


「申しわけありません、エドヴァルト伯父様。何しろ今は、レオンの希望もありまして、彼がわたくしの『騎士リッター』を務めてくれておりますもので。土竜国ザイスミッシュの、クルトです。レオンもわたくしも、これまで大変お世話になっている少年なのです。どうぞ、以後お見知りおきくださいませ」

「『騎士』……って、……え!? ニニ、ニーナさん……!?」


 なんだか、さらっととんでもない紹介をされ、クルト本人が目を白黒させているうちに、ニーナはごくにこやかに、ソファに戻って伯父との話を始めていた。

「大変ご無沙汰をいたしておりました、伯父様。お元気そうで何よりでございます」

「おお、ほんま嬉しいで、アルベルティーナ。ずうっと音沙汰なかったけんど、あんじょうやっとったんやな。安心したわ――」


 呆然と立ち尽くしていたクルトのことは、さりげなく近づいて来たヤーコブ翁がちょいちょいと手招きして、もとの茶菓子の置かれていたところへ座らせてくれた。

 ニーナはごく手みじかに、ここまでの経緯を雷竜王に説明した。



「ほうか〜。とうとう、あの風の眷属の嬢ちゃんが動き出しよった、っちゅう話なんやな。んで、レオン君は風竜そっちのお国の偵察に行かはると……。その間、アルベルティーナの身柄をお守りしてくれ、っちゅう流れやな」


 ぽりぽり顎など掻きながら、エドヴァルトは頷いている。

 ニーナが深々と頭を下げた。

「はい。なにしろ急なことで、伯父様のご迷惑は重々承知しておりますけれど。どうかなにぶん、よしなにお願い申し上げます」

「なに言うとんの! 万事、了解や。そんなん、遠慮しいっこなしやで」

 エドヴァルトはばたばたと顔の前で手を振って破顔した。


「なんちゅうても、こんなに色々、話がややこしなってもうたんも、元はと言うたらワシのいらんお節介、あの『親睦の宴』のせいやねんし」

 エドヴァルトは笑ってはいたけれど、その悪戯っぽい瞳には確かに、悔悟の念が浮かんでいるように思われた。

「ほんま、あん時は済まなんだ。この通りや。アルベルティーナ」

 そして、雷竜王はさっと態度を改めると、ニーナに向かってぎゅっと頭を下げてきた。

「いえ、それは――」

 ニーナがそういいかけるのを、エドヴァルトはひょいと片手を上げて制した。


「ほんで八年前のあん時も、結局ワシ、ろくに君らの助けにもなれへんかってんし。……こん位は、させてもらわんとどもならんわ――」

「何をおっしゃるのです、伯父様。『親睦の宴』は、伯父様がこの五大竜王国のため、よかれと思ってなさったこと。……それに、伯父様も八年前のあの時は、わたくしたちのために、大切なティルデ王妃さまをお亡くしになったのではありませんか……」


 ニーナは悲しげにそう言うと、まだ頭を下げている伯父の手をとって、その頭を上げさせた。


「さあ、伯父様。過去のことは、今、なにをどう言ったところで覆るわけではありませんわ。それよりも、どうか、伯父様にも、わたくしたちと共に、未来を見ていただきたいのです。わたくしたちにだって、これからまだまだ、出来ることがあるはずなのですから」


(ニーナさん……)


 彼女の顔をじっと見つめてしまったのは、クルトだけではなかった。国王エドヴァルトも、その脇に立つ老人も、驚いたようにして彼女の顔を見つめていた。

 ニーナの笑顔は、まさに輝くようだった。

 そこに、誰かを恨む色は一筋もありはしなかった。


「勝手なことを申しますが、これからレオンのしようとしている事に、今後、できればご協力、ご援助を賜れれば、大変嬉しく思います……」


 そしてすっと、ニーナは貴婦人としての礼をした。

 本来であればレオンが頼むべきところなのだったが、今の彼は馬の姿で厩舎にいるわけなので、この際仕方がないということだろう。レオンからは、夜になってからまた改めて挨拶をすることになっていた。


 エドヴァルトは、しばらく沈黙して、そんな彼女をじっと見ていたが、やがて満足げに吐息をついた。


「ほんま、君っちゅう子ぉは……。あんなしょうことのない呪い受けて、こんな境遇になったっちゅうのに、そんでもそうやって人の光になれる言うんは、なかなか出来ることとちゃう。それも、紛れもない才能やなあ……。レオン君が惚れ抜いとるんも、頷けるっちゅうもんやわ、ホンマ」

「え、……いえ、あの……」

 途端、ニーナの顔がぱっと赤くなる。


「可哀想に、好きおうた同士、八年も一緒におって、男と女になることもでけんと。……ほんま、根性悪こんじょうわるな呪いやわ。さすが火竜の王太子ぼんぼんやな」

「とんでもありませんわ、伯父様」

 伯父の言葉を受けて、ニーナはきりっと頭を上げ、にこやかに答えた。

「わたくしは、幸せです。少なくとも、この八年、わたくしはずっと彼と一緒にはいられたのですから」

「…………」


 部屋にいるエドヴァルトも、ヤーコブ老人も勿論だったが、普段彼女のそばにいるクルトでさえ、それには一瞬言葉を失った。

 しばし、部屋には沈黙がおりた。

 と。


「うおおおおっ……!」

 突然、ヤーコブ老人が甲高い声をあげ、隣に居たクルトはぎょっとした。

「うわわっ! な、なんだよ……?」

 見ればもう、老人は涙を迸らせるようにして号泣している。

「も、申しわけござりませぬ、申しわけござりませぬ……! しかし、しかし……!」


 言いながら、しかしとてもそれが止められないらしいく、どうやら「なんとご不憫な」とか何とか言いながら、何度も手の甲で顔を拭い、嗚咽を洩らし続けている。

 クルトはちょっと脱力した。


「な、泣くなよもう、おじいちゃん……」

 そうして、「しょうがねえな」と言いながら、老人が懐から取り出した手巾を取って、そばからちょっと背伸びをし、ぼたぼた垂れているその涙やら鼻水やらを拭ってやった。


 エドヴァルトはそんな二人を見やって、ちょっと微笑ましげな顔になり、そっとニーナとも顔を見合わせて、にこにこと笑っていた。

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