第6話 暗殺者


 ファルコと名乗ったその男の言は、わりあいに早く現実のものとなった。

 その男に会ってから十日も経たないうちに、レオンとクルトは、夜盗に見せかけた賊の襲撃を受けたのだ。


 その夜、いつものように木の根方で寝具にくるまって眠っていたクルトは、レオンの手で静かに体を揺すられて起こされた。

「ん、なに……」

 と、目を擦りながら起き上がろうとすると、レオンが手のひらでクルトの口をかるく塞ぐようにしながら、黙って自分の口許に指を当てていた。これは「静かに」ということだ。

 見回せば、いつもレオンの側で翼を休めるようにしている竜のニーナの姿がない。彼女はいち早く、その姿を隠しているようだ。


 クルトはこれまでにも、何度か似たようなことがあって、レオンからこうした場合の動き方の訓練というか、指南のようなものも受けている。

 体の小さなクルトは、黒っぽい寝具にくるまり、近くの物陰だとか木のうろだとかに身を潜め、レオンが敵を撃退するまではそこで息をひそめて待つことになっていた。

 レオンが目線と指先だけで指示するほうへ、クルトは黙ったまま、足音を忍ばせて移動する。そうして、そこにあった大きめの倒木の下にできた空間へもぐりこんだ。


 クルトの周囲を潅木の枝などで隠し、すぐさまレオンが風のように木立の中に消えてゆく。

 焚き火の明かりの届かない場所は、すべて闇に落ち込んだ森のなかだ。

 それなのに、レオンはまるで、昼日中であるかのように縦横無尽にそこを駆け回り、敵を次々に屠ってゆく。

 それは相変わらず、「ただ与えられた仕事を果たした」と言わんばかりの冷厳さだ。

 相手が自分の、そしてニーナの命を狙って来る以上、そこに情の挟まる余地などない。つまり、そういうことなのだろうと思った。


 クルト自身にはまだなかなかそこまで思い切ることは難しいのだったが、自分もいずれ、成長した暁には、彼と同等とまではいかなくても、そのぐらいの覚悟のできる男になりたいと、今は思う。

 少なくとも、愛するだれかを守るためなら、自分だってそのぐらいは出来る人間でありたいと。


 しばらくの間、遠くの方で「ぎゃっ」とか「ぐふっ」というような、くぐもった男の声が何度か聞こえて、大きな荷物が地面に落ちたような音が聞こえ、やがて周囲が静かになった。


「出てこい、クルト。もういいぞ」


 戻ってきて低い声でそう言ったレオンは、まだその底冷えのするような殺気を身に纏いつかせていた。

 彼の体からは、もうクルトも嗅ぎなれてしまった人の血の臭いがした。

 レオンはすぐに、焚き火を消してここを立ち去る様子である。

 クルトも急いで荷物をまとめ、いつものように大股で山道をゆく男のあとに小走りになりながらついてゆく。


 やがて、頭上から小さな白銀の竜が、いつものようにぽうっと光っているその翼を開いておりてきた。

 レオンはほんの少し立ち止まると、彼女を篭手をつけた腕にとまらせ、しばらく彼女と話をしていたようだった。そうして視線を落とし、何かを考える様子である。


「まずいな……どうも」


 ぼそりと、そんな言葉が聞こえた。

 彼の言によれば、今回襲ってきた連中は、風体こそ一般的な山賊のようにしていたが、その身のこなしがまったくちがった。

 それは、ニーナも同じ意見なのだという。


「あの、ファルコとかいう男の言った通りらしい。奴ら、少し風竜国フリュスターンの訛りがあったそうだ」

「えっ……」


 クルトは、思わず絶句する。

 五大竜王国は、基本的に共通の言語を持っているが、国や各地方によって多少の発音や言い回しの違いがある。

 あのエドヴァルトが話していたようなものはかなり特殊というのか、辺境に住む平民たちの言葉に近いものではあるが、あそこまで崩れたものではなくとも、やはりそれぞれのお国柄によって、微妙な違いがあるのだった。

 ニーナが風竜のに詳しいのは、恐らく雷竜国王妃だったティルデ様だとか、レオンの育ての親だったアネルだとかによるものだろうと思われる。


「間違いない。山賊のなりをしていたが、持ち物に身分を示すものが何もなかった。……十中八九、俺を狙った刺客だろうよ」

「…………」


 クルトは、ごくりと喉を鳴らした。

 この土竜国ザイスミッシュの、こんな片田舎の山奥に、隣国の刺客がやって来る。

 それが何を意味しているのか、子供のクルトにだって容易にわかった。

 それはきっと、いま風竜国を支配している、ゲルハルトという国王や、その配下の宰相、ムスタファらの差し金に決まっている。

 レオンが生きていることを善しとしないのは、今のこの五竜大陸の中では、彼らを除けばあの火竜の王太子、アレクシスぐらいのものだ。

 そしてアレクシスはつい先日、ニーナを狙った刺客らの作戦において大きな失敗をしたばかり。あの大掛かりな作戦の後に、すぐにこんなことをしてくることは考えにくい。

 そして何よりの証拠が、その風竜国の訛りである。


 と、くるくるとレオンの腕にとまっている竜のニーナが何か言ったようだった。

 レオンが驚いたように彼女の顔を見る。


「いえ、……しかし、姫殿下」

 きゅる、ぴるる。

「……は。ですが――」

 ぱたぱた、きゅるきゅる。


 こんな二人の会話の様子も、クルトはもう慣れっこだ。

 しばらく黙って、そんな調子の二人を見つめ、こうやって結論の出るのを待つのも。

 そして大体、レオンがしまいには折れるのだ。


「山を下りるぞ、クルト」

「えっ? ど、どこ行くの……?」


 出し抜けにそう言われ、びっくりして問い返したが、レオンはこちらも見ないでまたずんずん歩き出した。

 小さな竜も飛び上がり、男の頭上を飛び始める。


「や、ちょ、ちょっと待ってよ、二人とも……!」


 慌ててその後を追いかけると、レオンが背中でひとこと言った。


「王都だ」



 はじめのうちこそ、頑張ってレオンの足についていっていたクルトだったが、もう真夜中のことでもあり、すぐに眠気が襲ってきて、足元がふらふらし始めた。

 レオンは何も言わず、しばらく黙って歩いていたが、そのうち、よろめきながらついてくるクルトの手から無言で荷物を奪い取ると、ぐいと少年を背負ってくれた。


「いいよ、レオン。俺、だいじょぶ……」


 一応そんなことは言ったのだったが、彼の背中で揺られているうち、クルトはすぐさま、すとんと眠ってしまったのだった。




◆◆◆




 次に目を覚ましたら、自分たちはもう、山地を抜けてすでに広々とした高原にでていた。ぽくぽく歩く、馬の背に揺られている。

 周囲はすでに日が昇って朝になっており、背後から自分を支えるようにしてくれているのは、いつもの白銀の鎧に身を包んだニーナだった。


「おはようございます、クルトさん」


 後ろから優しい声がして、クルトは慌てて目をこすった。

 黒い馬の背にゆられ、ニーナの前に座ったまま、クルトは今までずっと眠っていたらしかった。


「あっ……。ニ、ニーナさん、おはよ……。ごめんっ、俺、ずっと寝ちゃって――」

「いいのですよ。まだ寝ていても大丈夫」


 ニーナはいつもの素敵な笑顔で、ふわりと微笑んでそう言った。

 遠くの雲を桃色や橙色に光らせている朝日が、いつもにもまして眩しい気がした。


「そ、そんなわけにいかねーよ……」


 一応、レオンが馬になっている間は、まだ子供とはいえ男の自分がニーナを守るんだと、クルトだって心に決めているのである。

 いつまでも「子供だから」と甘えて、この人に守られるなんて真っ平だった。


「でも、ニーナさん。どうしてまた、王都に行こうって思ったの?」

 朝飯がわりに、荷物の中から取り出した干し豆をほおばりながら、クルトは昨夜から疑問に思っていたことを訊ねてみる。

「ええ、……そうですね」


 ニーナの弁によれば、こうだった。

 今回のことで、ある程度、あのファルコという胡散臭いの言は裏付けられた。

 勿論、ほかならぬあの男がレオンたちの居場所を彼らに洩らしたという可能性もないわけではないのだったが、ニーナの思うに、あの暗殺者の男らと、ファルコの纏う雰囲気はまるで違っていた。

 まだ、なにもかも信じるわけには行くまいが、少なくともあの男は、報酬を貰って動く人間だ。こちらがある程度の報酬さえ準備できれば、味方になって貰える可能性もなくはない。


「それに……やっぱり、気になるのです。彼の……レオンのお爺様のことが」

 たおやかな柳眉を顰めて、ニーナはそう言った。

 すると、乗っている黒馬の耳が、ぴくりとこちらを向いて話を聞く様子だった。


「周囲の貴族たちや宰相の思惑まではわかりませんが、少なくとも、国王陛下、バルトローメウス様はレオンにお会いになりたいと思し召しに違いないと思うのです」

「え、でも……それってさ――」


 当然の疑問を覚えてクルトが口を挟もうとしたが、ニーナは優しい笑顔のまま頷いて見せただけだった。


「もちろん、危険は承知です。でも、うまく工夫しさえすれば、彼がお爺様にお会いするぐらいは可能なのではないかと……。夜であれば、わたくしも竜の身として協力ができますし、彼にも少しなら、あのアネルに教わった風の魔法が使えますし。……もっとも彼は、あまり乗り気ではないのですけれどね?」


(そりゃ、そうだよ……)


 クルトは困ったような顔で、ニーナと黒馬とを見比べながらそう思った。

 レオンは何より、ニーナを危険な目に遭わせることを恐れているのだろう。

 竜のニーナが人目に触れるのは、とても危ないことだ。そのまま「珍しい生き物が手に入った」とばかりに捕獲でもされて、昼になったらこんな綺麗な女性に変わるところを知られてしまった日には――。


(ああもう、想像すんのも怖いよ、俺……!)


「と、言うわけで、ここはクルトさんにも是非協力を仰がねばならないのです。わたくしの考えた、聞いていただいてもよろしいかしら……?」


 茶目っ気たっぷりに可愛い笑顔を浮かべる女剣士を背中越しにみつめて、クルトは「ああ」と溜め息混じりの声を洩らした。


 駄目だ。

 自分も結局、あまりレオンのことは言えない。

 最後は結局こうやって、彼女の「提案」を受け入れたくなってしまうのだから。

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