第5話 顕現 ※


 その苦しみは、何日にもわたって続いた。

 臓腑を引き裂かれる。砕かれたはずの骨が、さらに粉々に粉砕される。

 頭の中身も、すべて擂り潰され、あらゆるものが練り直される――


 小さく、狭く、真っ暗な岩だらけの奈落の底で、アレクシスはその苦痛にのたうちまわり、断末魔の叫びを上げつづけた。

 こんな苦痛があるということが、信じられなかった。

 事前に聞かされていた話では、その結晶を口にすれば、すぐにも死が訪れるはずだったのに。


(それとも、これが……罰だというのか。)


 あまりの怒りのために赤黒くなった父王の顔。

 さも「ざまを見ろ」と言わんばかりの、兄どもの顔。

 それらがちらりと脳裡を掠めたが、それもまた、凄まじい苦痛によってすぐに霧散してしまった。


 だから、次に意識を取り戻した時、アレクシスにはもう時間の感覚もよく分からなくなっていた。

 真っ暗で何も見えはしなかったが、潰されて引きれていたはずの自分の瞼がいつもどおりに開閉できることに気付いて、ちょっと不思議な気持ちがした。のろのろと起き上がり、そこで初めて、そういえば手足をへし折られていたはずだったがと奇妙に思った。

 その時にはもう、そこからの痛みは消えうせて、ごく当たり前に動かせるようになっていたのだ。


(なんだ……?)


 状況がよく分からなかったが、ともかくアレクシスは動き出し、もともと転がり落ちてきたその穴を這いのぼることにした。

 身体は異様に軽く、まるでなだらかな坂でものぼるように易々と、アレクシスは元の場所へ戻ることが出来た。しかし、周囲は真っ暗である。目を開いている自覚はあるが、何が見えるというわけでもなかった。


 と、そう思ったとき。

 すうっと周囲の様子が見えはじめて、アレクシスは驚いた。

 手許に火があるわけでもなんでもないのに、そして真っ暗であることは分かるのに、それでもぼんやりと周囲が紅く仄見えるのだった。


(これは……?)


 そうして、自分の手足を眺めてみて、また驚いた。

 着ているものはあの囚人服に違いなかったが、あれだけ棘鞭でずたずたにされていたはずの皮膚が、いまは綺麗に治っていた。いや、その傷跡さえ見当たらなかった。折れていたはずの手足も、撫でてみればなんの痛みも痕跡もない。


(なにが、どうなっている――)


 まったく、訳がわからなかった。

 しかしともかく、この洞穴から出ることを考えることにした。

 すると、その途端に、なぜか脳裡にどこをどう歩いていけば出口に到達するのかが閃くようにして映し出された。

 不審に思いながら、それでも一応は慎重に足を運んで、脳裡に描かれたとおりに歩を進めてみると、ものの二刻ぐらいのことで、アレクシスはもとの洞穴の入り口に辿りついていたのだった。


(どういう、ことだ――)


 茫漠とした火山の麓の景色は、以前に目にしたとおりだった。

 乾いた冷たい風が吹きすさび、ぼろぼろの衣服の隙間から容赦なく肌を刺した。

 ちょうど夕方の刻限で、これからますます気温は下がってくると思われた。


(……もう少し、まともな衣服モノが要るな)


 ちらりとぼろの囚人服を見てそう思った、その時だった。

 しゅわわ、とかそけき音がして、一瞬、その囚人服が赤いもやのようになって空気に溶けたかと思うと、次にはもう、アレクシスは白い軍装に黒い軍靴、緋色のマントを流したいつもの姿に変貌していた。


(な、……に?)


 さすがに驚愕して、呆然と自分の姿を見下ろし、アレクシスはそこに立ち尽くした。

 一体自分は、どうなってしまったと言うのだろう。

 が、その疑問の答えは案外すぐに、によって与えられることになった。



 ずずずず――



 そんな音と共に足もとが細かく震えだしたかと思うと、次の瞬間、ずどんと腹に堪えるような震動が突き上げてきて、アレクシスはよろめいた。

「うお……!」

 そのまま、立っていられずに地面に両手をつく。

 大地の鳴動は激しさを増してゆき、周囲の岩塊や土くれがばらばらと転がったり、崩れたりするのが目に入った。

 そして。


 ぐわん、と鼓膜をつんざくような破裂音が虚空に響いたかと思うと、眼前に威容を晒す「竜眠る山ドラッヘシュラーフェン・ベルク」の頂上、その噴火口から、いままさに、膨大な蒸気が噴出するのが見えた。

 冠雪していたはずの頂上では、あっという間にその熱で雪が溶かされ、蒸発してしまったらしい。


 きゅばばば、ばりばりと足元の揺れる衝撃とともに、視界が奪われる。周囲は火山の噴き上げたもので暗くなり、瞬く間に湧き上がった噴煙が空を覆いつくした。

 先ほどまでの冷気がまるで嘘のように、山肌を駆け下ってきたその熱い蒸気の渦がぶわっとアレクシスの体を包み込んで、そのまま蒸し焼きにするようだった。どす黒い噴煙の混じった蒸気にとりまかれて、まったく前が見えない。


 その後、ひゅん、ずがんと重量のあるものが空気を裂いて飛来する気配がし、アレクシスはそこに片膝をついた姿勢で、はっと身構えた。

 そう思ううちにも、恐らくは火口から飛来したものであるらしい、荷馬車ほどもあるような岩塊が目の前にわっと現れた。


 そんなものが激突すれば、人の体などひとたまりもない。


「ちいっ……!」


 アレクシスが顔を歪め、奥歯を軋らせたのと、構えた両手から炎の柱が立ちのぼるのとは、ほぼ同時だった。


(なに……!?)


 自分の為したことではありながら、アレクシスは驚愕した。

 目の前には、どうやら自分のてのひらから出現したらしい炎の盾のようなものが立ち現れて、アレクシスと飛来した岩塊とを遮っていた。高さは、人の身長の五倍ほどはあろうか。

 飛んできた岩はその分厚い炎の幕にぶち当たると、一瞬にして燃え上がった。ぶすぶす、じゅうじゅうと土くれの焦げる臭いが鼻をつき、派手な色で燃えたった岩の溶けたものがぼたぼたと地面に落ちかかって、そこで煙を上げながらもすぐに冷えては、黒く固まり始めた。


(こ……れは、まさか――)


 しかし、愕然としている暇はなかった。

 似たような岩塊がまるで雹のようにして次々に落ちかかり、しばらくはそれを焼き尽くして身を守る仕事に没頭せねばならなかったからだ。

 アレクシスは自分の体の周囲を同様の炎の盾で守るようにしながら、雨あられと降り注ぐ岩塊だの土の雨だのを焼き払い続けた。



 やがて、その大地の鳴動は、相当のあいだ続いたあと、嘘のようにぴたりとその動きを止めた。

 しばらく、周囲はしんとしていた。

 アレクシスは少しの間、その場で慎重に周りの様子を窺いながらじっとしていた。

 胸の鼓動はまだばくばくとうるさかったが、武術の心得のある身として、なるべく呼吸を整え、精神を落ち着かせることに専念する。そうしながらも、アレクシスは周囲の状況を観察し、状況を把握することに集中した。


(噴火……? いや、ちがう――)


 思ったとおり、そうではなかった。

 何故ならいきなりが、耳の中に響き渡ったからだ。



《久方ぶりよな。我が眷属よ――》



(なに……!?)


 周囲には誰も居ない。

 それがわかっていてもなお、アレクシスはまわりをきょろきょろ見回した。



《地を這う者たるそなたらが、我が魔力に耐えうるは数百年ぶり。よくぞ耐えたな、わが息子よ――》



 その声は朗々として深く、世界の覇者たる者の響きを帯びていた。

「貴様、……何者だ」

 アレクシスは慎重に身構えながら、そう問うた。

 そうは言いつつも、そろそろ事態が飲み込めてきてはいた。

 その声は、確かに「我が眷属よ」と自分を呼んだ。

 だとすれば、その意味するところは明らかだ。



《我は竜。かの「竜の星ドラッヘシュテルン」よりこの地にくだり、この火の山に眠る者なり――》



(……!)


 アレクシスは目を見開いた。


 火の竜。

 つまり、ニーダーブレンネンの守護竜だ。


「いきなり、息子呼ばわりされるのも迷惑だがな。なりたくてなった訳でもなし」

 アレクシスは飽くまでも不遜に、せせら笑ってそう答えた。

「しかし、能力ちからを与える以上はタダではあるまい? 何が望みだ、火の竜よ」

 しかし、火竜の答えは茫洋としたものだった。



《地の子らの瑣末な騒乱ごときに、我らが干渉することは無い。その力を用いて何を為そうが、そなたの自由。好きにせよ》


 それはさも、「くだらぬことを言わせるな」と言わんばかりの声音だった。

 その言いざまを聞いて、アレクシスの腹に、じくりと不可思議な苛立ちがくすぶりたった。


 奴の言い方は、紛れもなく「上位者」のそれだった。

 やつら竜は、この地上にいる人間を、単なる虫けらのようにしか考えていないのだろう。喩えるならそれは、人間が地を這う虫、蟻やなにかを見る時に感じるような気持ちのありように近いのかも知れぬ。

 小さな子供が面白がってやるようにして、わざわざ踏み潰しもしないけれども、だからといってその動向にさしたる興味も湧かないような、ごくごく卑小で、か弱き存在。

 竜たちに言わせれば、この五竜王国がどうなろうが、人間どもが生きようが滅びようが、さしたる問題でもないことなのだ。


 そう思って、姿の見えぬ相手を睨みつけるようにしながら拳を握り締めて立ち尽くしているアレクシスに、その火竜神はお構いなしに、勝手に自分の言いたいことだけを告げてきた。



《ただその能力ちからを得し者の魂は、その命尽きるとき、我が元に還ることを定められる》


(なるほど……)


 彼奴きやつが求めるのは、この「魂」それのみだと言うことか。

 ただアレクシスには、竜の言う「魂」とやらが何を意味するのかはよく分からなかったが。



《朋輩らにはあまり迷惑を掛けるな。五竜あってこその均衡である。たとい一竜が欠けるとも、この地の安寧は崩れよう》


《彼らの領域を侵さぬ限りは、そなたの好きにするが良い――》



 「朋輩ら」というのは勿論、他国の守護竜たちのことなのであろう。

「ほう。たったそれだけのことでいいのか? 火竜殿おやじどのはまた随分と、お心広くていらっしゃる。まあ、折角のことでもあるし。お力、有難く頂いておこう」

 そうしてその後、アレクシスは二つ三つ、自分にとって当面必要と思われることを質問してから、火竜との話を終わらせた。

 火竜は最後に「そなたの行く末に僥倖あれ」と告げて、ふっとその意識をまた深い眠りへと落ち込ませたようだった。



(手に入れたか……!)


 ぐっと拳を握り締め、アレクシスは沈みゆく黄金色の夕日を睨みつけた。

 じわじわと、頬にのぼってくる笑みを抑えるのは難しかった。


 手に入れた。

 これで誰も、自分を止めることなど出来ない。

 父王も、兄どもも、これでどのようにも退けられよう。

 これでこの王国は、我が物になったも同然。


(いや、さらには――)


 この国の火竜の魔力がこれによって増大したとなれば。

 隣国との国境線を、より遠くへ引くことも可能になろう。

 火竜おやじどのが許す範囲には限りがあろうが、それでも国の家臣らへ、自分の王としての能力を見せ付けるための手柄とするには十分であるはずだ。

 あとはいかにしてなるべく自然に、父王や兄どもを退けるか。

 まあ、別に自然でなくともよい。この手に入った魔力を使えば、いかようにも隙のない「暗殺」はしおおせてしまえるのだから。


「く、くく……」


 知らずもれ出る含み笑いを抑えるようにしながら、アレクシスは乾いた冷たい風に紅のマントを嬲らせて、しばし立ち尽くしていた。

 目の前には、ただ荒涼とした火山の麓が、次第に沈みゆく太陽に照らされて錆び色に眠っているばかりである。しかし彼は、さもそこに地上の楽園でも出現したかのように、目を細めてその景色を眺め続けていた。


 そうして、やがてそのマントを翻し、口許に薄い笑みを貼り付けたまま、アレクシスは石ころだらけの灰色の坂道を軽い足取りで下っていったのだった。



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