第三章 恋心
第1話 医術魔法官エリク
水竜の国クヴェルレーゲンへは、その後、一同みな、滞りなく帰国できた。しかし勿論、あの火竜国王子アレクシスの暴挙によって負傷し、すぐには動かせなかった者らはドンナーシュラークに残してきた形である。
道中、アルベルティーナはさすがにしっかりした様子だったが、弟殿下エーリッヒはその幼い心にすっかり恐怖が染み付いてしまったようで、姉君アルベルティーナのそばをいっときも離れたがらないご様子なのは、見ていて痛ましいものがあった。
ともかくも、帰国してすぐ、レオンは内々のうちに国王ミロスラフに呼び出されることになった。
ミロスラフ王は、事前にエドヴァルト王からの早馬による書簡によってある程度の情報を得ておられたらしく、レオンが父アネルとその前に会うことは叶わなかった。王が、二人が先に口裏を合わせるなどの工作のできないようにと、そのように計らわれたのは明白だった。
上官からの通達を受け、レオンは呼び出しに応じてクヴェルレーゲン宮のやや奥まった区画へと足を運んだ。
「レオン、参りました」
今回、レオンが呼び出されたのは王の執務室ではなく、「水竜の宮」と呼ばれる、普段は王族らが憩いの時を過ごされる建物である。いかにも水の国らしく、周囲を池や手入れのゆきとどいた植え込みや花々に彩られた、美しくも心なごむ場所だった。
ちなみに、あのアルベルティーナと会った
ミロスラフ王は、アーチ状に解放された壁に囲まれた白亜の建物の中に設えられた居室で、ゆったりとした風情でお待ちであった。広々とした居室には、あちらこちらにすがすがしい色合いの花々が飾られて、気持ちの休まる香りがしていた。
見れば、くつろがれた様子でソファに座っておられる王のそばに、王妃ブリュンヒルデと、王女アルベルティーナも同様にして座っている。
ブリュンヒルデは、このたびの騒動のことをすでにお聞きであるらしく、大変な思いをした娘を労わるように、その肩を抱き寄せていた。
長旅から帰ったばかりのアルベルティーナ王女は、やや疲れた様子に見えたけれども、それでも緊張したような顔で、じっとレオンを待っていたようだった。入室し、ふと目が合うと、すぐに嬉しげに少し微笑んでくれたのが分かったが、レオンはあえてそれには気づかぬ振りをした。
部屋の隅には、父アネルがすでに来ていて、先日以上に青白い顔をして立ち尽くしている。あれほど「あちらの王妃に顔をみられるな」と警告されていたというのに、結果このような大事になってしまい、レオンはただただ、父には申し訳ない気持ちだった。
とうに人払いはなされているらしく、レオンを案内してきた召使いの男も、レオンが入室するとすぐにそこを辞して姿を消した。
「ああ、来たね。まあ楽にしてくれたまえ」
「……は。恐れ入ります」
王の穏やかな声に
ミロスラフ王はすっと立ち上がると、無造作な足取りでこちらへやってきた。
レオンは驚いて飛び
「このたびは、若いながら
ぐっとその手に力をこめて、王が真正面からこちらを見つめ、深い声音でそう告げられた。レオンはしばし、呆気にとられて言葉が出なかった。
「……いえ。畏れ多いことでございます。自分はただ、自分の務めを果たしたまでのことですので」
そう言って、そっと手を引こうとしたのだったが、王は放してくれなかった。むしろさらに力を入れられて握りこまれてしまい、レオンは困惑する。
「いやいや。可愛い息子と、娘の命と……いやそれどころか、娘は貞操の危機でもあった。親ならば、愛するわが子を救ってもらったことで礼を言うなどは当然のことだろう」
見れば、ミロスラフ王は驚いたことに、少し涙ぐんですらおられるようだった。レオンは思わず、胸を衝かれた。
「ただの、どこにでもいる父として、是非ともそなたに言わせて欲しい。本当に、なんと言葉を尽くせばよいのかわからぬぐらいだ。……まことに、まことに、ありがとう――」
「いえ。王子殿下、姫殿下をお守り申し上げたのは、なにも自分ばかりではありませんし……。どうか、陛下――」
それ以上のことはなんとか固辞しようとする少年兵を、王は温かな笑顔で見つめながら、こう言った。
「ああ。もちろんそのことは理解している。
「ええ、そうですとも、レオン――」
隣のアルベルティーナの肩をさするようにしながら、ブリュンヒルデも言った。
「この子からも詳しく話を聞きました。その場にあなたが来てくれなければ、いったいどうなっていたことか。まことに、感謝の言葉もないほどです……」
いつもはおおらかに優しい笑顔を乗せるばかりのそのお顔が、今日ばかりは涙ぐんでおられるようで、レオンの胸はまた痛んだ。
お二人の母親である彼女が、このたびの事件を聞き、息子や娘の身をどれほど案じて待っておられたことか。人の親になったことのないレオンにも、それは十分に知れようというものだった。
ひとしきり、そんな風に王族からの感謝を受けてから、レオンはようやく彼らに本題に入ってもらうことができた。
つまり、「レオンのまことの出自について」である。
ここからの主役は、レオンの父、アネルということになるはずだった。
ミロスラフ王は、元通りにソファに戻ると、ごく落ち着いた声音でアネルに向かって切り出された。
「さて、アネル。すでに義兄どのからの書簡によって、我々もある程度の話は聞かされているわけなのだがね。……どうだろう、そなたには、私たちにまことのことを話してくれる気持ちがあるだろうか?」
「…………」
遂に水を向けられて、アネルのもともと青白かった顔が、完全に蒼白になったように見えた。
レオンは王の許可を得て、静かに父の傍に近づいた。
「父さん。自分も、できれば本当のことをお聞かせ願えればと考えています。皆様のおっしゃるように、やはり私はあなたの息子ではないのでしょうか。もしや、本当に――」
言いかけたレオンは、それでもその先を言うことを躊躇した。アネルはアネルで、そんな息子の顔を見上げて、非常につらそうな瞳をしていた。
父のその表情は、彼の胸中に渦巻くものを十分に表出していた。
そしてそのことはそのまま、レオンにその「事実」を確信させるものだった。
(そう、……なのか。)
知らず、ぐっと拳を握り締める。
それはそのまま、レオンの実の父も母も、既にこの世にないということを意味した。
アネルは恐らく、レオンにそれを知らせることを気に病んでいたのだろう。何しろ彼は、今までなんの隔てもなく、まことの親子として、レオンを実の息子として、本当に大切に育ててきてくれた人だったから。
レオンはそんな父を見つめて少し考えていたけれども、やがて静かに言った。
「……父さん。大丈夫です。どうぞ、事実をおっしゃってください。自分はもう、覚悟はできておりますので」
息子の落ち着いた声を聞いて、アネルははっと顔を上げた。そして、ソファに座ってこちらを見ておられる王族のお三方のほうをそっと見やってから、うなだれた。
「父さん……」
が、そのときだった。
アネルは突然、ぱっとレオンのそばから跳び
「お許しください、レオンハルト殿下……! おっしゃる通りです。あなた様は紛れもなく、風竜の国、フリュスターンの先王、ヴェルンハルト陛下の忘れ形見。王太子、レオンハルト殿下でいらっしゃいます……!」
部屋の中が、一瞬、静寂に包まれた。
レオンは微動だにせず、目の前で跪いた、これまで父と思ってきた人をじっと見つめていた。ミロスラフ王も、王妃ティルデも、そしてアルベルティーナも同様だった。
部屋にはしばらく、ただぴしゃぴしゃと、内苑の池で水鳥の戯れる水音が、少しばかり聞こえているだけだった。
アネルは頭を低くしたまま、押し殺したような声でやっと言った。
「どうか、愚かな臣の、これまでの数々のご無礼をお許しくださいませ――」
「…………」
さすがにすぐには紡ぐ言葉も見つからなかったけれども、それでもレオンは、唇を引き結んだまま首を横に振った。そして、跪いているアネルのそばに自分も膝をつくと、
父の肩は、震えていた。
「父さん……お手を」
レオンは低い声で、父に願った。
「どうか。……父さん」
それでも父は首を横に振って、さらに頭を下げ、そうすることを固辞した。
「…………」
父が、急に、ひどく遠い人になったような気がした。
「あらためまして、自己紹介をさせていただきます」
これまでアネルと呼ばれていたその人は、レオンのそばからいざるようにして離れると、場にいる一同に向けて低く頭を下げなおして、言った。
「もと、フリュスターン王室にて医術魔法官を務めおりました、エリクと申します。それがわたくしの、まことの名にございます。……十数年前、まだ赤子であらせられたレオンハルト殿下を故国よりお逃がし申し上げ、こちらの国へと逃れて参った者にございます――」
アネル――いや、いまやエリクというその名を明かしたレオンの養父は、その場の王族一同に向かい、深々と頭を下げたのであった。
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