第一章 出逢い

第1話 練兵場

 その日から少しずつ、二人はこれまでの彼らの話をクルトにしてくれるようになった。


 昼にはニーナが、夜にはレオンが。

 それぞれ、大体は互いの話の続きから、まるで続きものの物語でもするかのように、毎日少しずつ、旅を続けながらの話になった。


 それぞれが自分の立場からの話をしてくれるので、各々の見方によって、時には同じことでもちょっと違って聞こえたりもする。

 レオンが話をした翌朝、ニーナがなんだか恥ずかしそうに頬を染めたりして、「レオンったら。あの時、まさかそんなことを考えていたなんて……」と独り言を言っているのも、クルトは何度か聞いてしまった。

 それがなんだか不思議でもあり、また面白くもあったけれど。


 それは大体、以下のような話だった。



◆◆◆



 レオンと、ニーナ。

 二人が始めて出会ったのは、今から十年も前のことである。


 ニーナは、南西、水竜の国クヴェルレーゲンの王女だ。そうして、今もなお、そこで賢政を敷くと言われる国王、ミロスラフの一人娘である。

 王妃である母は、名をブリュンヒルデと言った。娘は彼女ひとりだったが、他にも兄や弟ら、王子たちが数名いる。

 一応は、やんごとなき王家の人々ではあるけれども、かの方々が市井にいる庶民の家族となんら変わらぬ温かな家庭を築いておられるというのは、臣民の間でも有名な話だった。


 実を言えば、「ニーナ」というのは偽名である。

 それはこうしてに漂泊する身の上になって以降、身分を隠すために便宜的に使っているものに過ぎない。

 クヴェルレーゲン宮で大切に育てられていた当時の彼女は、アルベルティーナと呼ばれていた。それが、他国の人々の間でですら賢王の名をほしいままにする父と、さらに賢母の誉れも高い母より頂いた、彼女の大切な名なのだった。

 ちなみにレオンは今に至るまで、彼女を偽名で呼んだことはない。

 常に「姫殿下」と呼び習わしているからということもあるけれども、彼はなんとなく、彼女をそんな便宜上の名で呼びたくなかったから、ということが大きいのかも知れなかった。



 レオンは、医者の息子である。

 父はかつて、他国から流れてきた男のようだったけれども、その医師としての腕と、竜の魔法の使用方法に不思議に長けていたことから、やがてクヴェルレーゲンの王室に重用されるまでになったという、臣下の中でも変わり種といっていい人物だった。

 名を、アネルと言う。

 細身で学者肌、亜麻色の髪と大人しい灰色の目をした地味な風貌の父とは、レオンは不思議なほどに似ていなかった。父からは、母はずいぶん昔に亡くなったと聞かされていたが、父は多忙な中でもレオンを可愛がってくれていたし、一人息子として大事に育ててくれてもいた。


 父ひとり子ひとりだったレオンは、父とは違って幼い頃から武術に興味を持ち、街の師範について、馬術や剣術の鍛錬に日々いそしんでいた。もちろん、医者の息子として相応の学問を身につけることが求められていたため、父の勧める教師について、この国の基礎学問についてはひととおり修めている。

 やがてその剣の師範から、「彼はなかなか筋が良い。この際、王宮付きの仕官の口を探されては」と勧められ、父はその日、初めてレオンを伴って王宮に出向いたのだ。



 それは、レオンとニーナが、まだ十四の頃のことだった。


 その頃のニーナは、お転婆だった。

 いや、この場合、「お転婆」という言葉が正鵠を射ているのかどうかは疑わしい。というのも、この姫は、単純に「やんちゃ好きな暴れ者」というのとはちょっと違っていたからだ。

 レオンが父に連れられて、広大な王城の敷地内にある兵士らのための練兵場に見学に行ったとき、ニーナはそこで女だてらに複数の兵士らと剣の稽古に励んでいるところだった。

 白いブラウスの上に胴の部分だけの革製の軽鎧と篭手などをつけ、下は乗馬用のキュロットと黒い長靴ちょうかという姿である。


 そもそも、その国の王女がこうして下級兵やら下級士官らを相手に練兵場で剣を交えるなどということからして、他国にあっては驚天動地の話だろう。しかしそれが、不思議とこの王宮にあっては許されていた。

 なにより彼女の父である国王が、王子らについてはもちろん、王女に対しても常々、「下々の気持ちの分かる人間たれ」と諭しておられるとの由で、こうした臣下らとの交わりを勧めておられるのだった。

 その時もそのような流れでもって、王女の剣の鍛錬の場にレオンはたまたま居合わせてしまったということのようだった。


 その後すぐに考えを改めたとはいえ、はじめのうち、レオンはその「稽古」をちょっと眉唾ものといった気分で眺めていた。

 相手は卑しくも、この国の王のひとり娘なのだ。

 顔や体に僅かの傷でも残すだけで、臣下の首など簡単に飛ぶだろう。

 となれば、相手になっている兵士や将校らがまともに王女に相対するわけが無い。恐らくは手を抜いて、適当にうまく負けてやっては王女に花を持たせ、無駄な自信をつけさせてはご機嫌を取り結ぼうと、そんなことだろうと多寡を括っていたのである。


 しかし。

 レオンのそんな予想は、たやすく裏切られた。

 かれらが使っているのは真剣ではなく、練習用の木を削って作った木剣だったが、レオンはそれでも、まずは彼女のその剣勢に驚いた。

 文が人をあらわすように、剣もその人となりを顕すものだ。

 剣は嘘をつけない。いじけてねじくれた心根の者はそうした剣を使うし、素直で朴訥な者はそうした剣を使う。いや、使わざるを得ない。


 ニーナの剣は、峻烈だった。

 清く、強く、真っ直ぐで、暗く澱んだところが微塵もない。

 まだ少女であるがゆえの若さや固さは否めなかったけれども、その実、厳しいだけの人でもないことはすぐに知れた。恐らく心根は、温かく優しい人に違いなかった。

 こういう言い方は誤解を招くのかも知れないが、女性であってそういう人というのは少し珍しいのかと思わなくもないほどに、彼女は心から清廉な人に見えた。


 彼女は非常に身軽かつ華麗な動きのできる人で、立ち会う士官や下級兵らを相手に、つぎつぎに彼らを鮮やかに退けてみせた。

 それでいて、その技術を誇るような鼻持ちならない様子は少しもなく、相手に対しては常に自分から目下の者として十分の礼をとり、「それでは次のかた、お相手をお願いします」と、ただ明るく笑っているだけなのだった。

 紛れもない王族である以上、この場に彼女の目上に当たる者などひとりもいないのは明らかだったが、少なくともこの場にあっては、彼女は最も若輩の、皆から教えを受けるべきひとりの剣士として振舞おうとしているように見受けられた。


「まったく、姫殿下にはかないませんな」

「またやられました。これで五分五分とは、いや情けない――」


 対する兵らもそんな調子で、軍服に身を包んだ堂々たる偉丈夫の将校が、ごく慣れた様子で王女に向かって明るく笑っていたりする。そこには固さも、二心のある様子も微塵もなかった。それはいかにも、これがかれらの日常の風景なのだと言っているように思われた。


「いえ、まだまだです。どうかもっと厳しくご指南ください。お願いします」


 涼やかな少女の声がして、一同がまた「いや姫殿下、もうご勘弁を」「そろそろ我らも軍務に戻る刻限ですので」などと明るく笑いあった。


 その場に、清々しい風が吹く。

 その時のレオンには、この場に満ちているものが、この国の王の人徳そのものであるかのように思われた。

 そして何より、目の前の少女に目を奪われた。

 それは何も、彼女の見た目のみのことではない。いや、それは完全に二の次だった。

 ニーナはその時、まだ細身の、見た目は非常に美しい少女でありながら、輝くような剣士としての才能をすでに開花させつつあったのだ。


 練兵場の傍らで、父の隣に立って少し呆けたようになっていたレオンを、父は苦笑して肘で小突いた。

 そして、言ったのだ。


「あれが、こちらの王宮の高名なる『じゃじゃ馬姫』、アルベルティーナ姫殿下であらせられる。あとで、ご挨拶をしておこうな」

「……はい」


 そう答えつつ、レオンは彼女の一挙手一投足からまだ目が離せず、じっとその王女を見つめ続けていたのだった。

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