第5話 道連れ

 ひとしきり、離れた場所で大声を出し切ってから、ようやくクルトは二人のもとに戻った。

 その時にはもう、レオンは例によって黙々と自分の仕事をこなしていた。


 彼はクルトがその場に戻ったとき、自分の叩き斬った男らの死体を片付け、あの岩陰の近くに埋めて、その大剣でおぞましいあの箱馬車を粉々に壊し終わったところだった。

 竜はレオンの黒いマントにくるまれるようにして、そばの岩の上に丸まっていた。彼女は、ひどく疲れて見えた。じっと目を閉じ、今は深く眠っている様子だ。

 クルトには詳しいことは分からなかったが、あのみどりのドレスを着た気味の悪い女が言っていたように、あの馬車には竜のニーナを閉じ込める、なんらかの強い魔力が働いていたに違いない。

 今、ニーナはそのために消耗しきっているのだろう。痛々しい翼や鱗の様子も、それを物語っているようだった。

 そればかりでなく、こうしてぐっすり眠っているのは、ニーナ自身、やっとこのレオンと再会できて、ほっとしたことも大きいのに違いなかった。


 レオンはなるべく細かく破砕した馬車の残骸を土の下に埋めて隠し、無事だった馬に手綱をつけなおしてそれに跨った。腕には竜を抱いている。

 クルトは馬上の人となったレオンを初めて見たけれども、その姿はなかなかさまになっていた。その堂々とした手綱捌きを見ていると、彼はやっぱりどこかの武人の家か、あるいはもっと高貴な家の出の人なのだろうと思われた。


 鞍のない馬なので、クルトはあまり上手く乗る自信はなかったのだが、レオンが自分の馬から引き綱を渡して引き馬をしてくれた。

 馬たちは、もうすっかり落ち着いていた。四頭のうち残り二頭はそのまま草原に放してやったのだが、先ほどレオンが弓で射た馬は、竜がなんとか残った魔力を振り絞って治癒をほどこしてやったらしく、傷跡などもなくなって元気なものだった。



 裸馬に跨って、レオンとクルトは黙って街道を進んでいった。

 彼がどこに行くつもりなのか、それはまったく分からなかった。しかしクルトも、わざわざそれを訊ねなかった。

 レオンはずっと、自分のマントにくるんだ竜を大切そうに胸に抱いていた。竜のほうではもうずっと、彼の腕の中で昏々と眠っている。

 彼女にとってはそこ以上に安心できる場所などないのだろう。誰も何も言っていないのに、無性にそう言われているような気がして、クルトはまた、わけのわからない胸の痛みを覚えるのだった。


(ったく、おっさん……)


 そして、再認識させられる。

 あの時は「そう慌てたことではない」とかなんとか言っていたが、いまのこの男の様子を見る限り、彼が実は心底ニーナのことを案じていたのは明白だった。あれはきっと、クルトが必要以上に責任を感じなくていいようにと、そう言ってくれただけだったのだ。実際は、ニーナは相当に危険な状態だったに違いないのだから。

 クルトはちょっと、唇を噛んだ。

 自分にそんな気を遣われる資格などないのにと思えば、ただ情けなかった。


 ちなみにさきほど、クルトは預っていた彼女の革袋から木の実のような薬を取り出して、竜の口に運んでやった。竜はうっすら目を開けて大人しくそれを口にし、その後はだいぶ容態が落ち着いたようだった。それを見て、クルトはやっと少しほっとしたのだった。


 数刻ばかりそのまま進んで、周囲は起伏に富み始め、やがて皆は森に入った。

 近くに小川の流れる場所を選び、木立の間に馬を休めて、レオンは周囲を調べてまわり、ようやくそこで腰を落ち着けることにしたようだった。

 クルトが手早く火をおこす。

 自分だけは食事をする必要があるので、水を汲みに行き、傍らで湯を沸かしつつ、先ほどの街で買っておいた雑穀そのほかを料理する準備にかかった。


 これら一連のことはもう、レオンと旅をする中で、わざわざ言われなくともクルトもすぐに取り掛かるようになっている。というか、レオンは基本的に、クルトに親のように「あれをしろ、これをしろ」などと口うるさいことはいっさい言わない。

 クルトの方で「教えてよ」と言い、彼がうけがったことに関しては別だったが、それ以外については基本、「目で見て自分で考えろ」といった感じで放って置かれる。「それで分からない、何も学べない子供ならそこまでのこと。俺の知ったことか」と言わんばかりだ。

 しかし、そんな様子でいながら、これは危険だとか、命に関わるようなことは漏れなく必ず教えてくれるので、単に冷たいというのとは違うように思われた。


 間違いなく厳しいけれども、彼は決して酷薄ではない。むしろそのずっと奥深いところにあるのは、不思議に温かで、優しいもののような気がする。

 そのことが理解できてくると、クルトはニーナがこの男に対して感じている気持ちの一端が少しは分かるような気がしていた。



「ねえ……あのさ」


 食事が終わり、自分の掛け布にくるまってそばの木の根元に丸まりながら、クルトはふと、焚き火の傍に座り込んだ男にそう話しかけた。

 彼はまた、眠った竜のニーナを腕に抱いてじっとそちらを見下ろしていたのだったが、その隻眼をこちらへ向けた。

 ちろちろと燃える焚き火の温かな橙色の光に照らされて、彼はいつになく、静かで穏やかな表情にも見えた。

 だからだろうか。

 その言葉は、思った以上にするっとクルトの口からこぼれ出た。


「聞いちゃ……だめかな。あんたたちのこと」

「…………」


 男はやっぱり、沈黙でそれに応えた。

 しかしそれは、以前にクルトが同じように彼に訊いた時とは、まったく違う反応だった。

 彼は黙って、しばらく焚き火の炎と腕の中の小さな竜を見比べるようにしていた。

 彼のその様子を見て、ふとクルトはあることに気付いて言い足した。


「あ、その……。ニーナさんにも聞いてみてからじゃないと、ダメだよな……? なら、別に――」

「いや」

 男はクルトの言葉をすぐに遮り、その翠色の隻眼でじっとこちらを見つめてきた。

 そうして、意外な言葉を口にした。

「姫殿下からは、すでにお許しを頂いている。俺さえいいなら、お前に話してやってくれ、とな」

「えっ……?」

 さすがに驚いて、クルトは思わず身体を起こした。


 まさか。

 というか、いつの間に……?


 とは言え、心で通じ合っている彼らのことだ。クルトの気付かぬうちにいくらでも意思の疎通はできるのだろう。


「えっと、あの……。ほんとに? いいのかよ……?」

 自分から訊ねておいて、クルトは戸惑ってそう聞いてしまった。

「とは言え、子供は寝る時間だ。今日はもう寝ろ」

 男の声は、いつもどおりに無愛想だった。


(うわ、やっぱりかあ……。)


 クルトは、ちょっとがっかりする。

 なんだか、思った通りだ。この男なら、きっとそんな風にこちらの興味をなんだかんだとなしてしまうに違いないと、クルトだって思っていたから。

 そんな風にして誤魔化して、結局いつまでたっても、なにも教えてくれないのに決まっている。

 どうせそんなことが関の山だ。


 と、クルトがそう思って溜め息をつき、やれやれと上掛けにくるまりなおそうとした時だった。


「……だから、話は明日からだ」

「うん。……えっ!?」


 思わぬ言葉が聞こえてきて、クルトは再び跳ね起きた。

「なっ、なななに? 今、なんて……??」

 しかし男は、別段表情も変えずに抱いた竜をそっと揺すり上げるようにしただけだった。

「毎晩、少しずつしか話せんぞ。いいな」

「え、ええっと……あ、うん! うんうん! そんなの、いいよ……!」

 途端にきらきらしだしたクルトの瞳を、男はさもうるさそうに見返した。


「わかったらもう寝ろ。明日も早いぞ」

「はいは〜い。そんじゃ、おやすみい!」


 真っ黒く星空を覆い隠すような森の梢が、ちょっと楽しげにそんな二人を覗きこんでいた。



◆◆◆



 翌朝。

 クルトが目を覚ますと、ニーナはもういつも通り、輝くような白銀の鎧と濃紺のマントのいつもの姿に戻っていた。

 クルトは彼女がいつのまにか自分をそうっと膝枕してくれていたことに気がついて、慌てて飛び起きた。


「ニっ、ニーナさんっ……!」

「おはようございます、クルトさん。よく眠れましたか?」

 涼やかな声とともに、花も恥じらうような笑顔が迎えてくれる。

「あの、あのっ……、もう大丈夫なの? か、かか体はっ……?」

 クルトはもうきょときょとして、ちょっとどもりながらそう訊いた。


「ええ、もう大丈夫。クルトさんがわたくしにあの薬をくださったのが、とてもよく効いたようです。どこもすっかり、元通りです。有難うございました」

 にっこり微笑むその顔も、頬に薔薇色の明るさを取り戻し、すっかりいつもの神々しいような輝きを湛えていた。


「ほんとっ……? うわあ、良かったあああ!」

 クルトは嬉しくなって、もうそこいらじゅうを跳ね回りたくなってしまった。

 いや実際、苦笑するニーナの両手を取って、その周りをぴょんぴょん飛び跳ね、彼女をぐるぐる回してしまった。

 ニーナはやっぱり、いつもの笑顔で優しく笑っていた。

「いやだわ、クルトさん。目が回ります……」

 そう言いながらも、彼女もとても嬉しそうだ。

 昨夜のあの惨めな姿が、まるきり嘘のようだった。木々の梢から差し込む朝の光に照らされて、彼女はほんとうに、女神さまかなにかみたいに見えた。


 やがてニーナは動きを止めると、クルトの両手をにぎったまま、じっとその目を見つめてきた。

 そして、ゆっくりと心をこめてこう言った。


「クルトさん。このたびは本当に、有難うございました。心から、お礼を言わせてください。体調も優れなかったところ、レオンの命を救ってくださった上、彼と一緒にわたくしを追って来るのは、あなたにはどんなにか大変なことだったでしょうに」

「え? あっ、いや……」


 クルトはちょっと赤くなって俯いた。しかし、自分にそんなことを言ってもらう資格などないことは十分にわかっていた。だから、唇を噛み締めてこう答えた。

「とんでもねーよ……。だって、こんなことになっちゃったの、全部、俺のせいだったんだし……」

 終わりになるほど声は小さくなったけれども、俯きながらもクルトはニーナの手をしっかり握って離さなかった。

「でも……でもね、ニーナさん……」

 そのひと言を言うのには、やっぱりかなり勇気がいった。

「あの、俺……。もし、もしも――」

 それは、実はニーナを追い続けていた行程の中でずっと考えていたことだった。

「もしも、本当に邪魔だったら、俺……、俺のこともう、どっかの村で――」


 もう、どこかの村に置いていってもらってもいい。

 そう、クルトは言ったのだった。


 彼らがそう望むのだったら、どこか自分のような子供でも働けるような仕事を探して、なるべく早く彼らから離れよう。

 彼らにこれ以上迷惑を掛けるなんて、とても我慢できない。なにより、自分で自分を許せそうになかった。もう二度と、足手まといになんかなりたくない。ニーナをあんな目に遭わせるなんて、耐えられない。

 うまく言えないのだが、そう、それは多分「男の」に関わる何かなのだ。村の男連中がたまに口にしていたその言葉の意味を、まだクルトはよくわかってはいなかったけれど。

 ともかくも、クルトはここしばらく、レオンの背に揺られながらずっとそう考えていたのだ。


「……何をおっしゃるのです」

 ニーナはじっとそんなクルトを考え深げな碧い瞳で見つめていたが、やがてにっこり微笑んだ。

「わたくし、申し上げましたわね? 『クルトさんとこうしているのが、とても楽しいのですよ』って。わたくしがあの時、嘘を申し上げたと思いますか?」

「え? ……いやでも、だってそれは――」

 クルトははっと目を上げたが、すぐにまたしおしおと俯いた。


 いや、彼女のあの言葉が、嘘だったなんて思っていない。

 そもそも、彼女はそんな嘘をつくようなひとではない。

 でもそれは、こんな問題が起きる前の話だ。

 レオンだって、ニーナだって、こんなことはもう二度と御免のはずだろう。

 こんなバカな餓鬼に振り回されて、ニーナが敵の手に落ちるなんて。


 クルトがそんなことを訥々と話すのを、ニーナはじっと聞いていた。

 しかしやがて、ふ、と軽く吐息をつくと、なぜか急に、傍の木立の方へ向かって声を掛けた。

「レオン。クルトさんはこうおっしゃっていますけれど。確認しておきますが、ここまでの彼の働きは素晴らしかったという、あなたの報告に間違いはないのですよね?」

「……え?」

 びっくりしてクルトが目を上げると、その木の幹の陰からだしぬけに、ひょいと隻眼の黒馬の顔がのぞいた。

 実は先ほどからずっと、馬はそこに立っていたらしい。ニーナもとうに、それには気付いていたらしかった。


「え? あの……俺の、はたらき……??」

 何がなんだかよく分からなくて、クルトがぽかんと見上げると、ニーナはまたにっこり笑った。

「聞いていますよ。わたくしを追ってくる道中、あなたが一緒にいてくださったことで、彼がどれほどここまでの行程を短時間に踏破できたか知れないと」

「え? ……いやでも、そんなことは――」


 いや、まさか。

 あのレオンが、自分のことをそんな風にニーナに話してくれただなんて。


 そう思ってそっと馬の顔を覗きこんだが、黒馬は例によって、「人語はわからん」の顔でそっぽを向いていた。


 ニーナはさらに畳み掛ける。

「あなたが居てくださったお陰で、わたくしはこんなにも早く救い出してもらうことができました。あなたには、どんなに感謝しても、し足りないほどなのですよ」

「え、いやそれ、多分、言いすぎ――」

「ともかく。当初のお約束では、クルトさんの預り先が見つかるまではわたくしたちと同行してくださるとのことでした。いまさら、お約束をたがえるなどということはございませんわね?」

 いや、そんな素敵な笑顔で、よく分からない念を押されても。

「や、ちょっとまってよ……ニーナさん?」

「それに」

 ニーナは、ちょいとクルトの鼻先に指を触れさせて、駄目押しのように言い放った。


「昨夜、レオンと約束なさっていたではありませんか。あなたにわたくしたちの昔のお話をして差し上げることになったのでしょう? 今さらわたくしたちに、そのお約束を反故にせよとおっしゃるの?」

「…………」

 クルトはもう、二の句が継げない。

 口をぱくぱくさせながら、ただニーナと黒馬の顔を交互に見て「え、でも」とか「いや、俺……」などと言いつつ、きょろきょろするばかりだ。


「決まりですわね」

 最後にニーナがにっこり笑ってそう言って、クルトはつい、「ええええ」と変な声をあげてしまった。

 なんだか完全に、立場が逆転しているような。

 これからも同行することを、むしろニーナから「お願い」されてしまった形になって、クルトはもう頭を抱えて唸り声を上げるしかできなかった。


 そばに立っている馬たちとは明らかに様子の違う黒馬が、なんとなく少し楽しげに、ぶるると頭を振りたてた。

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