第3話 襲撃

 さて。

 そんな調子で、二週間ばかりが過ぎた。

 クルトはこの二週間あまりですっかり、この二人との旅の生活にも馴染んできた。

 ただ二人は、今までとは違って、ただの人間であるクルトのために村に近づく機会が増えたのは確かなようだった。


 なんといっても、食事らしい食事を必要としない二人とは違って、育ち盛りのクルトには、定期的に相応の栄養摂取が必要だ。魚は川で釣ることができるし、木の実なども森で採取できるので問題なかったけれども、豆や穀物、野菜や干し肉などの類いはどうしても村人らから購入せねばならない。

 クルト自身は「え、メシ? そんなの、ほんと適当でいいよ」と言ったのだったが、ニーナが頑として「そんなことではいけません!」と言って聞かなかったのだ。

 ニーナたちは自分たちのために金を使うことは殆どないらしく、所持金の中からクルトにいくらか渡しては、自分で必要なものを購入させてくれた。彼ら自身はあまり村に入ることはせず、大抵は人目につかない村はずれなどで待ってくれている。


 ちなみに通貨は、いまから百年ほど前に中つ国ドンナーシュラークが主導して、今日では五つの国で共通のものが使用されている。その方が、交易をする上でも格段に便利がいいからだ。

 国内では、それぞれの通貨も相変わらず使用されているのだが、共通通貨を使ったからといって特に人目に立つというようなことはない。

 金貨と銀貨、それに銅貨で構成されており、単位は上からマルカとペヌヒ。銅貨が一ペヌヒ、銀貨が十ペヌヒで、金貨は一マルカとなり、それは百ペヌヒと同等である。


 今日もクルトは、山の中から少し村のあるほうの道へ出て、そこでの買い物に忙しい。


「なんだい坊主、お使いかい? あんまり見かけねえ顔だなあ」 

「あ〜、うん。家族で引越しすることになってさ。その途中。えーっとおじさん、これとこれ、五パンドずつおくれよ」


 村の市場で、人を子供だと思って頭から見下してくる雑穀売りの親父などを適当にあしらいつつ、手早く必要なものを購入してゆく。

 ちなみにパンドは重さの単位だ。一パンド(約240グラム)は八トライオンス。

 そのあたりの単位も、五カ国で共通になっている。

 それもこれも、商業と流通に力を入れている雷竜の国ドンナーシュラークの功績が大きいと言えるだろう。


 と、買い物を済ませて二人の待つ村はずれまで急いで戻る途中、クルトはふと、足もとがふらつくような感覚をおぼえた。ぐらっと、視界が一瞬揺れたのだ。


(……あれ?)


 少し気にはなったものの、二人のところへ早く戻ろうと気がいていて、クルトはさほどその事は気にもせず、買い物や商売に忙しい人々の間を抜けて、足早に駆け戻って行ったのだった。



 しかし、それがいけなかった。

 二人と合流し、また山道を辿る行程に戻っていつものように一晩野宿をしたのだったが、その明け方、クルトは凄まじい悪寒のために起き上がれなくなっていたのだ。


「……ひどい熱です。これはいけませんね……」


 クルトのおでこに自分の額を当ててくれて、ニーナが心配そうに眉を顰めた。すでに朝日が森を照らしている刻限で、ニーナは人の姿に戻っている。

 掛け布をぐるぐる巻きにして震えているクルトに、ニーナは更に自分のマントを外して幾重にも巻きつけた。そうして、「少し待っていてくださいね」と言い置くと、馬のレオンとクルトをその場に残し、水を汲みに川のほうへと下りていった。


(ちっ、くしょ……)


 クルトは歯の根も合わないほどがたがた震えながらも、悔しくて仕方がない。

 こんなことで、二人に迷惑を掛けてしまうなんて。

 彼女がまだ竜の姿であったなら、問題はずっと簡単に済んだというのに。竜である彼女なら、その魔力でこんな病、すぐにも回復させられたはずだったからだ。

 レオンは昼間に馬の姿になるが、彼は竜とは違ってだ。もとが人であるだけに、一応人語は解するが、なにか馬として以上の特別な能力があるという訳ではない。

 いや勿論、そんな事を言えばまた、彼に激怒されるに決まっていたが。それに、「馬である」そのことだけで、ニーナとクルトが道中どんなに助かっているかを思えば、それは文句を言う筋合いのことではなかった。


(あ〜あ……。『そーら見ろ』とか思ってんだろうなあ、おっさん。)


 そんなことを思いながら、やっと薄く目を開けてうかがってみると、意外にも馬は別にどうという顔もせずに、クルトの傍に静かに立っているだけだった。

 朝の冷気が森におりている時間帯である。どうやら彼は、クルトの風除けになってくれているらしかった。

 やがてニーナが戻ってきて、先日クルトがそうしたように、水に濡らした布を額にあててくれた。発熱した身体に、それはとても気持ちがよかった。


「夜まで、少し我慢してくださいね。なにか食べられそうですか?」


 ニーナはいつもにも増して優しい声でそう言って、クルトが食べられないのを見ると、傍に座って膝枕をしてくれた。そのまま、背中を優しく撫でてくれる。

 馬も黙って、その傍にずっと寄り添っているようだった。

 クルトは熱にうかされてふうふういいながら、やがてまた、ことんと眠ってしまったらしかった。



◆◆◆



 異変が起きたのは、そこから何刻後のことだったのか。


「何者ですか、あなたたち!」


 ニーナの鋭い声がして、クルトは意識を取り戻した。

 ふと気付けば、誰かの腕で自分の身体が持ち上げられているようだった。それにはまるで、首を締め上げられるような残酷な感じがあった。そして首筋に、ひやりと冷たい感触がした。


(え……?)


 状況がよくわからず、クルトはぼんやりと、目だけで周囲を見回した。

 クルトが昨夜作っておいた竈のそばに、怒りに頬を緊張させたニーナが立ち尽くしている。その脇に、クルトのためにと作ってくれていたらしい、雑穀の粥の入った銅鍋が転がっていた。

 彼女の周囲に、黒衣をまとって革鎧で武装し、顔も同様に黒い布で覆った男らが五名ばかり立っていた。

 近くに黒馬がいないのは、水でも飲みに下りていったところなのか。

 そしてクルトは、それらの男の一人に抱えられ、首に刃物を突きつけられていたのである。


(な……んだ、こいつら……)


 まだぼんやりとした意識の中で、それでも必死に考える。

 つまりクルトは今、ニーナに対して人質のような立場にあるらしかった。

 ニーナはすでに、腰の長剣を抜いている。さすが、高貴の生まれとはいえ剣の心得のある人らしく、その構えはさまになっていた。

 ニーナはこれまで一度も見せたことのないような鋭い眼差しで、クルトに刃物をつきつけている男をじっと見据えている。


「……その子を放しなさい。普通の人の子なのですよ」


 その声には、有無を言わさぬ響きがある。

 凜としてよく通るそれは、やはり紛れもなく、誰かに命令することに慣れた人のものだった。


「わたくしがだれかを知っていて、この狼藉に及ぶのですか。恥を知りなさい」


 男たちは無言だ。

 そのぎらつく瞳には、一切の妥協するような光はない。しかし一方で、あの山賊どもが浮かべていたような、なにか下劣な下心といったものもまったく見えなかった。むしろそれが、かえっていっそ不気味に見えた。

 彼らは恐らく、「狩る者」なのだ。それを生業なりわいとし、獲物を遺漏なくに送り届けることを矜持とする者らなのだろう。

 彼女の奇妙な言い回しにもさして動じないところを見ると、どうやらこの男たちは、彼女たちの特殊なについても、ある程度知っている者らであるのに違いなかった。


(追っ手、……ってことか……)


 まだ朦朧としている意識ながら、クルトはそう考える。その相手が一体誰なのかは知らないが、そうだとすれば、今、非常にまずい事態になっているのは間違いない。

 と、黒い覆面で顔の下半分を覆った男の一人が、くぐもった声でニーナに答えた。


「子供は無事にお返しします。お約束いたしますよ、姫殿下。我らの矜持に懸けて、傷ひとつたりともつけますまい」

 男の声は無感情で、ひどく淡々としていた。

「ただしそれは、無論、あなた様が大人しく我々についてきてくださるならば、の話です」


 やっぱりだった。

 男は彼女を、レオン同様「姫殿下」と呼んだ。それは彼らが、ニーナの正体と、今の彼女のおかしな境遇について十分に熟知していることを意味する。

 丸太のような男の腕で力任せに掛け布ごと抱きこまれていて、息をするのも難しかった。しかしそれでも、クルトは一心にひとつのことを考えていた。


(おっさんは……? レオンは――)


 あの男が戻ってきてくれさえすれば、このぐらいの人数、べつにどうということもないはずなのに。

 あの、瞬く間に山賊どもを蹴散らした男の腕があるならば――。

 そう考えかけて、クルトははっとした。


(いや、ちがう……!)


 今は、夜ではない。まだ日も高い、真っ昼間だ。

 今のレオンは、馬の姿だ。馬の姿の彼には、あの大剣を扱うことは不可能だろう。

 人語を解するとは言っても、馬は馬だ。魔力を持つわけでもなんでもない。この男たちが総がかりで当たったら、下手をすれば命だって危ういかもしれないのだ。

 ニーナにも、それは重々わかっているのに違いない。

 だから、あえて声を上げてレオンを呼ぼうともしないのだ……!


 考えてみれば、こと「戦闘力」のみに限って言えば、彼らの昼と夜の差は歴然としたものなのだ。竜の力は未知数だとはいえ、人間の姿のレオンがいれば、それは十数名の剣士がいるにも匹敵しよう。ニーナ一人が女の細腕でそれを贖うのは、到底無理な話だった。


(ちっくしょう……!)


 クルトは血の出るほどに歯噛みした。

 自分が、自分さえこの男らの手になければ、ニーナとて自分の身を守ったり、逃げたりするぐらいのことはできただろうに。

 自分がこんな風に彼らに捕まっているばかりに、ニーナは今、そのどちらの手も封じられてしまっているのだ。


「に……げて! ニーナさん――」


 息苦しいのも無視して、クルトは無理やりに声をだした。それはとてもみっともない、潰れた蛙が出すような声だった。

 ニーナは、はっとしてクルトを見た。その碧い瞳は、悲しげだった。

 そしてはっきりと首を横に振った。


「……お静かに、クルトさん。身体に障ります」


(な……に、言って――)


 クルトは愕然とする。

 この期に及んで、人の体調の心配をしている場合か。

 しかもこんな、ただ道で行き会っただけのクソ餓鬼の。

 何も出来ないで、ただ二人の足手纏いになっているだけのバカなガキの……!


 悔しさのあまり、目の前が真っ暗になりそうになりながら、クルトはあらん限りの力でもがき、首の辺りを抱え込んだ男の腕をふりほどこうとした。しかし、軽々と身体を持ち上げられた状態で、足は空をむなしく掻くばかりだ。その拍子に、身体に巻きついていた上掛けが地面にばさりと落ちた。


「はな……せっ! のやろ……!」


 と、クルトが喚いたときだった。

 真っ黒な塊が、木立の陰からいきなりその場に駆け込んできて、一瞬のうちに周囲の男らの二名を吹き飛ばしたように見えた。

 男らは木の幹や地面に叩きつけられ、声を立てる間もなく昏倒している。

 見れば、首や胴が変なほうへねじれて、もう息をしていなかった。


 黒馬の姿のレオンだった。

 二人の男は、その重い蹴りを食らって瞬く間にこの世の人でなくなったのだ。

 馬はニーナを庇うようにして向き直り、場の真ん中に立ちはだかった。

 彼は今やいきりたち、頭を振りたてて、全身からあの真っ黒な殺気を黒焔のように放散させていた。そのひとつだけ残った目が、ぎらぎらと残った男らを睨んでいる。

 男らは、クルトを締め上げている奴を含めて、あと三名だ。


「やめて! レオン……!」


 ニーナが鋭く叫ぶ声に、馬は一瞬だけ耳をぴくりと向けたようだったが、従う気はなさそうだった。

 ニーナかクルトかを選べと言われるなら、彼は一瞬の躊躇いもなく、ニーナを選ぶ。

 彼はいま、全身でそう告げていた。

 黒馬のそんな姿を見て、クルトはむしろほっとしていた。そして叫んだ。


「逃げろ、おっさん……!」


 そうだ、逃げろ。

 ニーナを連れて、逃げるんだ。


 そう思ったのと、自分を締め上げている男の手の力が強まって、首にぴりっと痛みを覚えたのは同時だった。刃物のやいばが、自分の首の皮を少し切り裂いたようだった。

 ニーナがこちらを見て、目を見開く。


「いけませんっ! やめなさい、レオン!」


 ニーナの鋭い声が飛ぶ。閃くような、有無を言わせぬ命令だった。

 馬がびくりと全身を硬直させ、ほんの一瞬、ニーナを見たようだった。


 男らは、その隙を見逃さなかった。

 一人が投擲用の短剣を一瞬のうちに何本も投げ、もう一人が小ぶりの弓に矢をつがえて三本を同時に放つ。それは過たず、ニーナの前に立ちはだかった馬体を襲った。

 ぶすぶすと、それらが馬の首や胴に突き立った次の瞬間には、もう男らは刀身をひらめかせて、馬めがけて突進していた。


「やめて……!」


 ニーナの絶叫が、静かな森にこだました。

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