死神の鎌Ⅶ

 電車に乗ると言うタナシアの言葉に従って駅の改札を通り、自宅の方へと向かう電車に乗る。いつもならこの区間は定期で乗れるはずなのだが、なんとなく損をしたような気分になってしまう。

「どこに行くんだ?」

「すぐに着くから。ついてきて」

 すぐに着くなら言ってくれればいいだろう、と急に変わったタナシアの態度を不思議に思いながら、竜也は隣に座る。竜也の家から一駅隣でタナシアは無言のままに立ち上がった。

 再開発された都市部から取り残されたようにぽつりと建った駅前には申し訳程度のコンビニがあるだけで残りは地主のあまり手入れが行き届いていない畑が一面に広がっていた。こんな殺風景なところではあるが、ここから徒歩で数分も行けば一気に市街地に辿り着くのだから人間の世界は恐ろしい。

「たぶんこっちだと思う」

「来たことないのか? 場所言ってくれればわかるかもしれないが」

 あまり出歩かない竜也とはいってもさすがに自宅付近ならある程度は頭に入っている。この辺りはオフィス街とそれに伴って出来た飲食店が多く、遊びには適さないが少し大きな百貨店なんかを利用したければこの市街が一番近い。

「……病院」

「病院? なんでそんなとこ?」

甘地あまじ総合病院ってこの辺りにあると思うんだけど、わかる?」

「あ、あぁわかるけど」

 死んだ人間が、いやまだ死んではいないが、肉体のない人間が医者にかかって何ができようか。

 甘地総合病院の場所を竜也はよく知っている。そのことをタナシアも同じく知っていただろう。市街地に入ってすぐの脇道に逸れると再開発計画の前からそこにある大病院が見えてくる。ここは竜也の母が勤めている病院だ。

「五〇一号室。面会できる?」

「聞いてみる」

 受付に五〇一の面会について聞いてみる。許可は案外簡単に取れた。重篤じゅうとくでもなければ面会を断る理由もない。待合椅子に座っていたタナシアを拾って百貨店よりも一回り大きなエレベーターに乗り込んだ。

「こんなところに知り合いがいるのか?」

 公私を問わず人間界を歩いているイグニスならともかく、天界ですら引きこもりのタナシアにそんな存在がいるのか。この先が少し不安になって竜也は二人しかいないエレベーターのはずなのに、小声で尋ねてみる。

「うん。アンタもよく知っている人間よ」

「俺がよく知っている?」

 最初に思いついたのはシェイドだった。入院している人間の知り合いはそのくらいしかいない。

 ただその可能性はない。樋山家のご令嬢が普通の病棟で眠っているはずがない。そうだとすればいったい誰がいるだろうか。

 五〇一号室の扉の前に掲げられた表札を見て竜也は愕然とする。

「おい、これ」

「そうよ。ここはアンタの病室。天界から見ればこのくらい調べるってほどのことでもないわ」

「そんなことは聞いてねぇよ」

 どうしてそこに連れてこられたのかということだ。幸いにも他に面接に来ている人はいないようだ。ベッドに横たわって小さく寝息を立てている少年と全く同じ顔の人間が立っている状態を見られたらどうなることかわからない。

「寝てるな」

「そりゃ意識はこっちにあるんだもの。起き上がったら怪奇現象よ」

「今の俺の状態が人間にとっては怪奇現象だよ」

 ベッドで眠る自分を改めて見下ろしてみる。外側から自分をまじまじと見るのは初めてだが、贔屓目ひいきめに見ても、竜也にはかっこいいとは思えなかった。

 電車に轢かれた人間が大怪我をしている画像をネットで見せられたことがあったが、竜也の顔はきれいそのもので自分の記憶が曖昧になっているように感じられる。

「どう、今の気分は?」

「どうと言われても、理解が追いついてないな」

「思ったより元気そうでしょ? 運がよかったわね」

 そう言ってタナシアは竜也の、体の方の頬を撫でた。感覚が繋がっているわけでもないのに、意識の方の竜也は何故か恥ずかしくなって口を尖らせた。

「ここに来て何がしたかったんだ?」

「いいこと教えてあげようと思って」

「いいこと?」

「私たちが帰すと決めた人間の戻し方」

 タナシアはそう言うと自分の背中に手を伸ばす。袖の破れたゴスロリ衣装の首元から物理法則を無視して何かが取り出された。

 大鎌。まさに死神の獲物。タナシアの背よりも長い柄を器用に取り回し、竜也の肩幅を優に超える刃を医療器材の置かれた部屋で振り回す。

「おい、危ないだろ」

「平気よ。このくらい」

 いったい何が始まるんだ。真剣そのもののタナシアの気迫に竜也はそれを聞けないでいる。目がおかしくなったのかタナシアの周囲だけ歪んで見えるような気さえする。やがて鎌の刃さえも陽炎かげろうのように揺らめき始め、黒い炎のような影を写し始める。

「やああぁぁ!」

 竜也が聞いたことのない気合の入ったタナシアの声に竜也は二度瞬きした。あの日線路に飛び込んで天界で目覚めた時でさえ夢かうつつかとは思っていたが、あのタナシアからこんな声が上がるなんて。

 振り下ろされた鎌の先端がベッドに横たわる竜也の胸を刺す。血は流れない。その代わりに竜也の意識を引きずりこむような強い引力が生まれていた。

「なんだこれ?」

 髪が強風に煽られるように乱れる。腰を落として地面にしがみつくように踏ん張るが、じりじりと体の方に引き寄せられていく。それほどの強い力を感じているのに、タナシアも病室のあらゆるものは平然と変わらずそこにある。

「意識と体が合わさろうとしてるの」

「じゃあその穴を早く閉じてくれ!」

「どうして?」

 生気のない瞳でタナシアは首をかしげた。まるで竜也とはまったく違う生物の目。それなのに竜也はその中に自分と同じものを感じた。

「お前と一緒にいられなくなるだろ!」

 自分がいる場所に大きな意味はない。誰といるかが問題なのだ。そんな言葉は物語の中で何度も聞いた。その度に陳腐な理想論だと吐き捨てていた。

 今ならその意味もわかる。

 ただ繰り返すだけの日々、変わり映えのしない日常の風景でも、隣にタナシアがいればまったく違う色に変わると教えてもらったばかりだ。

「大丈夫よ、これは長い夢。目が覚めればきれいに忘れているから」

 引きずり込まれる。抗うように伸ばした竜也の手がタナシアの服の裾に触れる。

「だから、さようなら」

 竜也の手を無機質な表情のままタナシアが払った。最後の支えを失って竜也の意識は体に吸い込まれる。

「だったら泣いてんなよ」

 掌にこぼれた涙を握り締めて言った竜也の言葉がタナシアに届いたかはわからない。

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