死神の鎌Ⅹ
必死に手を伸ばしていた竜也の姿がすっかり消えて、ベッドで眠っている一人になったことを確認してからタナシアはゆっくりと大鎌を竜也の胸から抜いた。傷はない。じきに体と意識が繋がって目を覚ますだろう。
「さよなら、ね」
竜也が最後に言っていた何かはタナシアには聞き取れなかった。どんな恨み節でも構わない。どうせ目覚める頃にはすっかり忘れてしまっているのだから。
「帰ろう」
試験のことなどどうでもよくなってしまった。それに竜也なしで今回の難問に答えが出せるとはタナシア自身思っていない。
帰ったらまた怒られるかな、とタナシアは涙の跡で痒くなった頬を掻いた。
病院を出て駅に向かって歩き出す。それほど道は複雑ではなかったので、タナシアの頭にもなんとなくは入っている。
見上げる青い空に赤い太陽。夜には代わりに星と月が出てくる。イグニスは移り変わる空が好きだとよく言っていたが、眩しすぎてタナシアはあまり好きではなかった。
「アイツもこの空の方が好きだったのかな」
そういえば裁きの間にいた時も竜也はよく空を見上げていたように思えた。タナシアには見慣れた暗い空も竜也には不安な色だったのかもしれない。こっちに降りてきた時も最初にこの青い空を見上げて微笑んでいた。
本当は今日言ってしまおうと思っていたのに。ずっと一緒にいて欲しい、と。
「でもあんなに楽しそうだったんだもん」
人間界を巡る竜也はずっと笑っていた。心の底から楽しそうだった。少なくともタナシアにとっては初めて見る竜也の表情だった。あの笑顔を見て天界に残って欲しいなど言えるはずもない。
でもそれが嘘だったら。
一瞬の不安が過ぎる。
「それでもいっか」
空元気を振り絞ってタナシアは両手を空に伸ばした。あの先にはまだ自分といてくれる存在があるのだから。
「ただいま」
一人で山道を登り、自分の仕事場に帰ってくると中庭でお茶会をしていた二人が驚いたように立ち上がった。竜也が使っていた天蓋付きのやたら大きなベッドはどこかにしまわれたらしいが、白のテーブルセットは気に入ったのかフィニーとシェイドが卓を囲んでいた。
「どうしたんですか? もしかしてもう終わったんですか?」
「いつからそんな真面目になったんだ?」
「酷い言われようね」
疲れた表情のままタナシアは気だるそうに答える。その後ろに竜也の姿がないことに気がついて二人はさらに驚きの色を強くする。
「あの、竜也さんは?」
「あぁ、向こうに置いてきたわ」
「置いてきた、ってお前」
呆れたような声をあげてシェイドは髪を掻きあげた。フィニーはまだ理解が追いついていないのか口を小さく開けたまま焦点の定まらない目でタナシアの顔辺りを見つめている。
「それで申し開きはいつやるんだ?」
「どうせ近くで見てたんだからそのうち向こうからやってくるでしょ」
「それもそうだな」
キスターとイグニスはいったいどんな罰を与えてくるだろうか。古風なところで反省文あたりだろうか、とタナシアは思う。四つテーブルを囲うように据えられた椅子の一つを引いて席に着くと、落ち着きを取り戻してはいないもののすっかり癖になったようでフィニーが紅茶の入ったカップを差し出した。
「でもどうして置いてきたんですか?」
「まぁ、許してあげてもいいかなって」
「……そうですか」
苦し紛れに言ったタナシアの言葉をそのまま受け取ってフィニーはそれ以上何も言わなかった。その姿を見てか、シェイドも何も言わずにただカップを傾けている。一つだけ空いた席が物悲しかったが、タナシアは片付けて、とも言い出せずただ空席を見つめていた。
自室に戻り、机の上に広げていた問題集とノートを片付ける。すると棚に入れたままだった竜也の資料が立ててあるのに気がついた。
「こんなつまらなそうな顔してたのにね」
集めてきた資料の中には生年月日、生まれてからの学歴や主な出来事、それから数枚の写真が挟まっている。竜也はいつも唇を結んで漏れ出そうな不安を押し込めようとしているのが印象的だった。
「それがあんなに楽しそうにね」
あの笑顔が偽物だったなら、私はもう一度騙されてもいい。
「タナちゃん」
「どうしたの?」
「いえ、そろそろ寂しがっている頃かなって」
タナシアの顔を窺いながらすっきりした顔を意外に思ったのか、フィニーはタナシアの机の方に歩いてくると竜也の資料を覗き込んだ。
「ちょっと後悔してますか?」
「そんなことないわ。今回は信じてあげられると思っただけよ」
「そんなのずっと前からでしょう?」
これでタナシアが人間界に差し戻した人間は二人目になる。竜也とまだ真面目に仕事をしていた頃に帰してやったもう一人。
「でもあれはちゃんと処分してもらったんでしょ? アイツだって一緒よ」
「そうですね。もしその資料が偽物であれば」
まだタナシアが裁判官になって間もない頃だった。一人の男が裁きの間にやってきた。人間界で複数回の詐欺を働いて結局反社会組織に処分された男。本来なら審理も無しに地獄に落ちるはずだったのだが、手違いで別人と入れ替わってしまった。
「あの二人が謝るくらいだから本当に手違いだったんだろうけど」
「そうでしょうね。意地悪ですけど、本当にひどいことはしない方ですから」
その男は巧みだった。
与えられる少しの情報から新しい情報を仕入れ、少しずつ資料の人間を偽った。一週間が経つ頃にはタナシアはすっかり彼を善人と判断して人間界に帰してしまった。
男は生き返ったところで海中に沈んでいたためにほとんど苦労なくイグニスによって地獄送りにされたが、タナシアには大きな
「人は簡単に自分を偽ることが出来る。命がかかっているならなおさらだ」
それ以来タナシアは人の言葉を信じなくなった。助かるためなら何とでも言える。自分を
ただ真っ直ぐな言葉を除いては。
「少しくらいは人を信じられそうですか?」
「さぁね」
またタナシアの部屋の扉が叩かれる。
「おかえりなさい、タナシア。帰ってきたら私に報告があってもいいのではないですか?」
「どうせ尾けてたんでしょ?」
「それより試験の結果をお伝えしようかと」
ごまかしたところでタナシアたちからの疑いが晴れることはないが、あまりにも苦しい無視だとタナシアは思う。かといっていくら
「覚悟はできてるからさっさと言いなさい」
「では遠慮なく」
イグニスの言葉をタナシアは表情を変えることなく聞いていた。
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