死神の鎌Ⅵ

「何か言われたらごまかしてくれよ」

「ま、適当にね」

 頼りにならないタナシアの返事に竜也は少し不安に思いながら、今朝カツを買った肉屋のある商店街の方へと歩き出した。

「何もないって言ったけど、人の数が少ないっていうのも悪くないわね。落ち着いていられるし」

「フィニーさんと出掛けてただろ? あの時はどんなとこ行ったんだ?」

「秋葉原とか中野? っていうところ。フィニーが好きなのよね。フィギュアとか」

 そういえば部屋の玄関にもいくつか飾ってあったと思い出す。あれは誰が置いたのかと思っていたが、本人だったか。メイド趣味といい少し気が合いそうな気がして、竜也は小さく笑った。

「アンタは本が好きなの? 結構読んでるみたいだけど」

「まぁ、人並みにな」

 竜也はぼそりと答える。タナシアは今までの竜也の人生を知っているが、心の中まで見通せるわけではない。だから竜也が本が好きな理由を知らない。

 竜也が本が好きな理由。一つは空想に浸れるからだ。そしてもう一つは読んでいれば他人と関わらない理由になるからだ。だから本屋に行く時は決まって一人だった。別に他の場所に行く時に友達がいたかと言えば、そんなことはないのだが。

「私、これでも読書は好きな方なのよ」

「意外だな」

 最近読んだ、と自慢げに語るタナシアの口から零れてくるマンガのタイトルを聞きながら、竜也は溜息を堪えていた。

 アーケードの中央辺り、生鮮食品の店が昼食前の盛況に嬉しい悲鳴を上げる中、竜也のよく通っている本屋では店主が店先に座って湯飲みを傾けていた。

「おう、坊主。学校はサボりか?」

「店先でサボってる店主に言われてもなぁ」

 そう言ってから今の自分は木野竜也ではないと気付く。見た目は同じではあるが、自分の体は今も入院中だ。

「それもそうだな」

 けっ、としわを深くして笑った店主はそれ以上追求することなく、また手元に開いた囲碁の指南書に視線を戻した。竜也の来店理由が八割方立ち読みであることをこの店主は知っている。それでもこうして嫌な顔一つせずに迎えてくれるのだ。

「ごまかすんじゃなかったの?」

「いいんだよ。わかってないんだったら、それで」

 竜也が自殺を図ったことなどこの店主は知らないのだろう。最近あまり顔を見せていなかったくらいにしか思っていない。ただたったそれだけでも竜也のことを考えてくれている人間はこの一帯にどれほどいるか、竜也自身にもわからない。

「ねぇ、あの本取ってよ」

「その辺りに踏み台があるだろ」

「もうちょっとなの。だから取って」

 理由にならない理由で竜也を呼ぶタナシアに溜息をつきながら本棚の上に手を伸ばす。タイトルは『中世メイドの全て』。

「フィニーのお土産にしようかと思って」

「それで喜ぶのか、フィニーさんは」

 メイドとついていればなんでもいいわけではないだろうに。とはいえこういうものは気持ちだろう、と竜也は何も言わずにその本をタナシアに手渡す。

 最近は来ていなかったといっても一ヶ月ほどのことだ。小さな本屋では商品が大きく変わることもないし、まして以前来たときにあった本がなくなっていることも滅多にない。竜也は読みかけだった一冊を抜き取り、どこまで読んでいたかとページをめくる。

「なんか文字ばっかりでつまんない」

「本っていうのはそういうもんだ」

 記憶を辿りながらページを探していると、隣でタナシアが不満そうな声をあげる。

「私が読んでたのはもっと絵がたくさんついてたし」

「それはマンガだからな」

 本と呼べるかと言えば広義には本なのだろうが、竜也としてはマンガはマンガだ。小説もマンガも好きだからこそきちんと区別しておきたいのだ。

「何読んでるの?」

「少し前にドラマ化したやつだな。俺はこっちの方が好きだけど」

「じゃあ私はドラマの方が見たい」

 活字嫌いだな、と竜也は納得したように視線をページに戻す。タナシアの仕事嫌いの理由は活字嫌いも含まれるんじゃないだろうか。

 隣ではしゃぐタナシアがいてはまともに本を読むことも出来ない。ただ隣が騒がしいとそれだけでイライラするものだが、今日はまったくそんな気分ではなかった。どの辺りまで読んでいたかだけわかっただけ来た甲斐はあったかもしれない。そのくらいの晴れやかな気持ちだ。

「それじゃそろそろ行くか」

 今日は買って帰るわけにもいかない。何も買わずに帰っても文句を言われることもない。結局フィニーのお土産ということでタナシアが買ったメイドの本を胸に抱えている。

「試験の課題もやらないとな」

「あのさ」

 竜也の言葉を遮るようにタナシアは低く控えめな声で割り込んだ。さっきまでの奔放ほんぽうな物言いではないことくらい竜也にもすぐにわかる。

「あと一つだけ、行きたいところがあるの。そこで最後だから」

 散々振り回しておいて今更だ、と竜也は思ったが、別に断る理由もなくなっていた。何か愛の証に心当たりがあるわけでもない。それにこうして二人で色々な場所を巡るのは楽しかった。

 竜也にとって人間の世界がつまらなかったのは、世界に楽しみが落ちていないからではない。ただ隣にこうして同じように楽しんでくれる誰かがいなかっただけだったのだ。

 竜也は自分が人間と死神の間で揺れ動いている原因をようやく理解した。

 人間界と天界、どこにいるのかが問題なのではない。こうして一緒にどこかに行きたいと言ってくれる存在が欲しかったのだ。

「わかったよ。どこに行きたいんだ?」

 ゲームセンターでも観光地でも遊園地でも。

 どこでも行ってやろう。この時間はもう、多くは残っていないかもしれないのだから。

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