四章
死神の鎌Ⅰ
先週と同じ教室のような部屋でシャープペンシルが紙の上を走る音を聞いていると、それだけで生き返ったような心地がした。
竜也にとってはこれこそが自分の人生そのものだったように思える。定期試験は生きていることの
静かな教室の小さな机の上で規則的に音を立てて進む秒針がリズムを刻んでいる。聞き慣れた音だ、と思いながら竜也は問題用紙の文字に視線を滑らせた。そもそも忘れるほど勉強をしていなかったわけでもないし、タナシアに教えていたおかげで感覚も取り戻している。合格に疑問はない。
「はい、そこまで」
あいも変わらず薄く笑いを浮かべた鼻につく表情でイグニスが両手を叩く。高校の定期試験と同じく五教科それぞれ五〇分の枠で行われた試験もタナシアの苦手な英語をもって終了だ。
「はぁぁ」
机の上に持っていたシャープペンシルを転がし、タナシアが残業帰りの四十代サラリーマンのような大きな溜息をついた。試験中も何かをぶつぶつと唱えていたところを見るに、あまり楽な勝負とはいかなかったようだ。
「お疲れ様でした。採点には少し時間がかかるので、今日はこれで解散としましょう。結果は明日にでもお持ちしますので」
たった二人分の解答とはいえ、イグニスは教師でも何でもない。すぐにやれ、と言うのは酷というものだろうか。それに竜也は少し安堵した。結果が出ればまた自分の答えを出すまでの過程が短くなる。結果を考えながら一喜一憂する振りをしていればそれだけで楽になるものだ。
「えぇ、とっととやりなさいよ。どうせまた仕事サボって遊びに行くんでしょ?」
「人間界の偵察、警邏は私の重要なお仕事ですから」
「嘘。絶対嘘」
小さな体を隅々まで使って威圧するタナシアをあしらって、イグニスは教室を後にした。竜也と残されたのは不満のぶつけどころを失ったタナシアの二人だけだ。
「それじゃ戻るとするか」
「何よ、アンタは結果が気にならないわけ?」
「今日返ってきても明日返ってきても結果は変わんねぇよ」
解答時間が終わった時点で自分に出来ることは既に終わったのだ。それならどんな結果であっても平静でいられるように様々な結果を想定してシミュレーションしておいた方がダメージが少ない。
「不合格でも気落ちするなよ」
「縁起の悪いこと言わないでよ」
乱暴に立ち上がったタナシアを追うように竜也も席を立つ。無意味に並べられた残りの席はおそらくイグニスが雰囲気作りのために置いただけなのだろう。だがそのせいで教室が空っぽだと無意味に主張しているように思えた。竜也はこの感覚を知っている。あの時は教室内にたくさんの人間がいたが、今よりももっと
「何? アンタも不安になってきたわけ?」
教室から出ようとしたところでタナシアが振り返る。竜也は答える気にもなれず無言のまま首を振った。
「さっきからよく喋ったり急に黙ったり、わけわかんない」
竜也を置いてタナシアは文句を言いながら教室を出る。少しここに残っていたいと思った竜也だったが、すぐに一人ではあの裁きの間に帰れないことを思い出してすぐにタナシアの後を追った。
「お疲れ様でした。大変でしたでしょう?」
「何で私じゃなくてコイツの顔見て言うのよ!」
裁きの間に戻ると、笑顔のフィニーが二人を迎え入れた。椅子に座ってシェイドもこちらを横目に見ている。まだ合否の発表はされていないが、二人とも合格を疑っていないようだ。
「まだ受かったわけじゃないですけどね」
既にひかれている椅子に案内され、落ち着かないまま竜也は席に着く。これもフィニーのメイドへの憧れから発せられる行動なのだろうが、庶民には少し落ち着かない。こうしてみると色々と世話を焼いてくれるフィニーの存在に今まで違和感を覚えなかったのは、わがまま放題のタナシアとそういう扱いに慣れたシェイドがいたおかげだったのかもしれない。
「大丈夫ですよ、きっと合格ですから」
「なんで私には言わないのよっ!」
乱暴に椅子を引いて壊すような勢いでそこに座った。その勢いのままフィニーが淹れた紅茶を飲み干す。荒れているのはおそらく必死に勉強した英語が思ったよりできなかったからなのだろう。
「そんなに焦らなくても大丈夫だろ。一日空いたんだからゆっくり休めばいいさ」
「そんな余裕ぶっててアンタだけ落ちても知らないわよ」
荒れたタナシアは手のつけようがない、と竜也もフィニーが淹れた紅茶に口をつけた。タナシアは自分が合格すれば竜也も自動的に合格になるという条件など忘れてしまっているらしい。
それに竜也からしてみればあの問題で合格ラインに乗らない可能性など考えてもいない。生きていた時に通っていた高校は仮にも進学校。対して用意された試験問題は基礎を中心とした竜也にとっては易しい問題ばかりだった。
イグニスもそのことくらい重々承知していたはずだ。そもそもタナシアが試験に合格するか、それ以前に試験をうけさせるためにどうけしかけるかという部分でしか竜也の合否は変化しないと言えそうなほどだ。
「その勝ち誇った顔が気に入らないわ」
「ずいぶんな言いがかりだな」
「お菓子もありますから、とりあえずいただきましょう」
「そうだな。前祝いとおこうじゃないか」
「俺たちをダシにしてお菓子食べたいだけなんじゃ?」
我先に、とフィニーとシェイドがお菓子の山に手を伸ばす。喜んでくれるのはいいが、以前のタナシアの話が思わず頭を過ぎった。
彼女たち、死神にとっては人間の命など取るに足らないもの。せいぜいこうして騒ぐ理由として使えるくらいの価値しかないのではないか。そう思えて、竜也は満面の笑みを浮かべる三人の顔をじっくりと眺めてみる。
それぞれ容貌にふさわしい無邪気な顔で思い思いのお気に入りを探っている。その姿は人間として生きていた頃には、遠くから見つめることすら躊躇われるような竜也の憧れた世界でもあった。
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