試験の鬼Ⅴ
シェイドはさすがに満足したのか、もうビスケットを無心で口に入れる作業をやめて、竜也の顔をじっと見つめていた。
「不安か?」
「え?」
「この世界に留まることがお前にとっては不安か?」
意外な言葉だった。あまり竜也に感心がなさそうだったシェイドが、急に竜也の核心を突いてくるとは思わなかった。
「いや、そういうわけじゃないが」
「どこでも住めば都だ。ここの生活も悪くないぞ」
「ここも、って人間の世界で住んだことあるのか?」
イグニスは時々人間界に降りては遊びまわっているらしいが、それはあの男が似合わない実力を持っているからやりたい放題できるだけであって、タナシアの下についているシェイドが人間界で暮らしたことがあるとは思えなかった。
「そうだな。あぁ、これは一応秘密ということになっていたな。タナシアの許可が出たら聞きに来るといい」
「何で急にそんなこと」
「私がお前の先輩だからだな。後輩を導いてやるのは先輩の役目だろう?」
お菓子の山からお気に入りを目一杯掴んで、シェイドは片手を振りながら自室へと帰っていった。
先輩、という言葉に竜也は覚えがない。高校はもちろんのこと、小学校でも中学校でもまともに言葉を交わした人間など数えるほどしかいない。その中で女、それも自分よりも背が高いとなれば必ず覚えているはずだった。
「今の俺と何か似ているところがある?」
口に出してみても少しも共通点は思いつかない。せいぜいタナシアのお世話に
「明日、聞いてみるか」
タナシアが教えてくれるかはわからないが、フィニーからもらったお菓子の山もある。
すっかり冷めてしまったコーヒーのカップに口をつけて竜也は大きな息を吐いた。
「え、シェイドが人間界にいたことがあるかって?」
翌日同じように勉強に飽きてうだうだと文句を言い始めたタナシアに竜也は休憩がてら尋ねてみた。昨日まで自分も忘れていた以上強くは言えないが、タナシアの方も明日が結審の日だとは少しも気付いていないようで、ここぞとばかりに竜也の
「それどこから聞いてきたの?」
「本人だが」
ふーん、と鼻を鳴らすように答えたタナシアは少し考えた後、ノートの余白に無意味に黒丸を描きながら話し始めた。
「住んでた、っていうより人間なのよ、アイツは」
「はぁ?」
情けないほど間の抜けた声が竜也の口から漏れた。いくらなんでもそれは訳がわからない。確かに人間が死神になることは出来るとキスターやイグニスから聞いてはいたが、それなら特例だなんだと理由をつけて竜也に試験を受けさせる理由はない。とっくに前例があるということになる。
「死神ではないのよ。あくまで人間、審理中のね」
「審理って俺と同じってことか」
キスターが昨日言っていた前例とはシェイドのことだったのか。そうだとするとシェイドはこの世界に三年もの間いることになる。人の体を下界に置いたままで。
「ま、植物人間って呼ばれてる状態みたいね。最近の人間は命を延ばす技術が高くなりすぎよ。私たちよりよっぽど命の管理が出来ると思うわ」
タナシアは話を長引かせるつもりなのか、問題集とノートを閉じて、フィニーが置いていったお菓子の山に手を伸ばした。包みが解かれ、口に入れられる前に竜也は疑問を投げかける。
「でもなんでそんなこと」
「だって面白かったんだもの。もちろん無理強いはしてないわ。本人が残ってくれるって言ってるから延長してもらってるんだもの」
ふてくされたようにチューイングキャンディーを口に含んでタナシアは黙り込んだ。だから昨日俺のところに二人が確認に来たのか、と竜也は気付く。
ここに連れてこられた時は閉じ込められた狭い空間にベッドがあるだけだったが、今はこのテーブルセットに下には絨毯を敷いてもらい、お菓子の山が積まれ、コーヒーも頼めば出てくる。
環境は次第に良くなっている。いつか自分もこの生活に慣れてきて、シェイドのように一部屋もらえたりするのだろうか。
「アンタはどうする? ずっとここにいるつもりなの?」
「とりあえず試験が終わるまでは、な」
昨日言った言葉に嘘はない。一度面倒を見ると決めたのは自分で、試験を受けて死神になれる準備をすると決めたのも自分だ。竜也自身はそうだと思っている。
だが、それは結局のところ結論を先延ばしにしているだけじゃないか。先を決め切れないまま、ぼんやりと時間が過ぎていくのを見逃しているだけ。
「そっか」
とだけタナシアは答えた。竜也にどんな答えを期待していたかなど聞けるはずもない。それを聞いて、答えが返ってきたところで竜也は応えられるとは限らないのだから。
その後のタナシアは人が、いや死神が変わったように真面目に勉強に取り組み始めて、竜也を面食らわせるほどだった。試験に受かって少しでも長く一緒にいて欲しいと言われているようで、竜也は余計に心がざわついた。
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