裁きの檻Ⅶ

「なんか陰鬱いんうつな感じとか企んでそうな感じが全然しないってこと。アンタってもしかして人類で一番バカだったりする?」

「そんなわけないだろ」

 これでも竜也は学業は優秀な方だ。友人は少ないが常識がないわけでもない。流行には疎いかもしれないが。

 自分よりバカな人間なんて腐るほどいる。自分より賢い人間が押し潰されそうなほどいるように。

「でも天使がー、なんて夢見てる人間なんてそうそういないでしょ?」

「それとこれとは話が別だ」

 タナシアの言葉は嘘ではない。確かに天使や悪魔やその他おおよそファンタジーの世界に住んでいるものたちを本当にいると信じている人間は決して多くはないだろう。世界中で合わせれば神の存在を信じている人間の方が圧倒的に多いはずだが、それは竜也の信じる天使とはまた違った存在だ。

 結局のところ竜也が求めているのは自分にとって相性のいい存在。あるいは社会から爪弾つまはじきにされた自分を受け入れてくれる何かでしかない。

「さぁ、それはどうかしらね」

 竜也の思いを見透かしているのか、タナシアは含みのある言葉で竜也を見ると手元に置かれたカップを手に取った。そのまま口に運んで、少し顔をしかめる。どうやら思っていたより苦かったらしい。

 どこからともなくフィニーがそっと角砂糖の入ったビンを取り出す。これはトレイには乗っていなかった。タナシアはそれを見て何も言わずにカップをそっとフィニーに差し出す。

「竜也さんも入れますか?」

「いえ、俺はこのままで」

 もう半分以上飲んでから聞かれても困る。首を振った竜也は数が少なくなってきたクッキーの山からまた一枚を取って口に入れた。

「ふん、大人ぶって」

「そういうお前は見た目相応なことで」

 言われるばかりでは、と思わず嫌味を返す。はっと思ったときには既に遅かった。自分はこの少女に命を握られている。そんなことは頭の中からすっぽりと抜け落ちていて、ただ一言くらい言わなければ落ち着かないという奇妙な反骨心に支配されて出た一言だった。

「何よ、それ」

「何だよ」

 むっとした表情のタナシアに動揺を隠すように言葉を重ねた。竜也は内心ひどく焦ったが、タナシアの反応は意外なものだった。

「アンタ、結構面白い奴なのね」

「は?」

 聞き違いかと思った。面白いことなんて竜也は言った覚えがない。初めて出会った時と同じセリフでもその音はずいぶんと違って聞こえる。

「面白いって言ったのよ。こんな人間、初めてだわ」

 こらえ切れなかったようにタナシアは声を漏らす。薄く小さな笑いだが、確実に楽しそうだ。

「別に俺はお前を笑わせに来たわけじゃないんだが」

「そういうところが面白いのよ」

 わけがわからない、と竜也は肩をすくめる。とにかくさっき失言だと思ったそれはタナシアにとっては悪いことではないどころかひどく面白かったらしい。死神の感性がわからないのは人間たる竜也にとっては当然なのかもしれないが。

「だからずっと言ってるじゃないですか。竜也さんは他の人間と違うって」

「そうね、それは認めてあげるわ。とびきり変な奴だけど」

「人に向かって変だ変だ、って言うのやめてくれないか?」

 竜也の抗議を気にも留めず、タナシアとフィニーは好き放題言っている。嫌われているわけではないとわかっていてもどこかに落ちない。

「どうですか、信頼できそうですか?」

「まぁ、そうね。少しくらいは考えてあげるわ」

「では、この魔法陣は取り払っても……」

「それはヤダ」

 一瞬での拒否。そう簡単にはいきませんね、とフィニーが小さく漏らす。

「だいたいなんで閉じ込める必要があるんだよ。ここは俺の住んでいた世界じゃないから勝手もわからないし、そもそも死神って人間より能力高そうに見えるんだが」

「アンタだって自分の部屋を虫が好き勝手に歩き回ってたら嫌でしょ? 叩き潰さないだけありがたいと思いなさいよ」

「いや、そこまで節操ないわけじゃないんだが」

 竜也がこの魔法陣から解放されたとして興味本位に歩き回るかと言われれば、そんなことはないと断言できる。理のわかった人間界ですらほとんど人と交流せず外に出歩かない竜也が見ているだけで不安になりそうな真っ暗な空の下、古城のような死神の巣を徘徊はいかいするなど中身がすっかり入れ替わりでもしない限りありえないと言える。

「うーん、このままではらちがあきませんね」

 最後の一枚になっていたクッキーを当然のように手に収めながらフィニーが深刻そうに呟いた。神妙な表情と手元の行動が少しも合致していない。

「そうだ、ここは一つ何か勝負事で決めてみませんか?」

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