裁きの檻Ⅴ
「あれ、竜也さんお一人ですか?」
どのくらいぼんやりとしていたのかわからない。タナシアが去ったのを見送った時と少しも変わらない姿勢のまま、竜也は誰も通らない長い廊下を見つめていた。その背中に声をかけたのはフィニーだった。
「あぁ、はい」
答える声にも
焦点の合わない達也の瞳をフィニーが心配そうに見つめている。全く知らない場所で急に人ではないものに囲まれているのだ。精神がおかしくなったと思っても仕方ないのかもしれない。だが、それは違う。元から竜也は少しおかしかったのだ。
「あの、大丈夫ですか?」
「ちょっと考え事をしていただけですよ」
今にも泣き出しそうなフィニーに竜也はぎこちなく笑いを浮かべて答えた。
ほら、まただ。
こうして誰かに背中を押されるように自分の行動を決めてしまっている。
タナシアと話すのだって、ここにいるフィニーに頼まれたからじゃないか。俺は本当はどうしたいんだ? 生きたいのか、死にたいのか。それすらもわからないままだ。
「そうですか。あの、これちょっと作ってみたんですけど、よかったら」
フィニーが持っていたトレイを竜也に差し出す。その上には真っ白な皿に乗せられたクッキーの山。死神、今は肉体を失った竜也も含めてこの世界では食事は不要だと聞いていた。それならこんなお菓子でさえも本当ならないはずの代物だ。
「これは?」
「何も食べないと変な気分になるようだったので。本物は食べられないのでこれは偽物ですけど、何もないよりはいいかな、って」
一つを手にとってまじまじと見るが、懐かしい感覚がする。たった一日ここにいただけなのに、自分の日常が遠くなったように感じる。
そのまま口に運んでみる。
「うまい」
「そうですか? 初めて作ったので不安だったんですけど、お口に合ったなら嬉しいです」
懐かしい、という感覚がした。普段何も考えずにただ口に食べ物を詰め込んでいたことが幸せだったと知る。ここにいる竜也はもう人ではない。それほど未練なんてないと思っていた自分の人生に少しだけ後ろ髪を引かれる。
「でも、なんでクッキー?」
「私はお仕事で人間界に行くことがありますので。こんなテーブルでお話ならクッキーが似合うかなって。あ、紅茶もありますよ、いかがですか?」
「いただきます」
古城の中庭のようなこの裁きの間でメイド姿のフィニーに紅茶を淹れてもらっている。それだけ見れば中世貴族の一幕のようだ。実際のところ、竜也は死刑判決を待つばかりの哀れな囚人といったところが。
二つのカップを並べてフィニーは交互に少しずつ紅茶を注いでいく。食べたり飲んだりなんてしないはずなのに、フィニーの手つきは妙に堂に入っている。
「なんだかこなれてますね」
「はい。結構練習しましたから。本物、じゃないですけど実際に淹れたものを飲んでもらうのは初めてですけど」
そう笑いながらフィニーは最後の一滴を落とした方のカップを竜也の前に差し出す。エプロンドレスのロングスカートを器用にまとめて、空いている二脚から一つを引いてそこに落ち着いた。
「私も一枚」
子供っぽく山盛りになったクッキーから一枚をつまんで口に運んだ。サクッという乾いた音とともにフィニーの顔に喜びが広がっていく。
人ではなくとも甘いお菓子に心癒されるのは同じらしい。
「それにしても練習って。タナシアにそうするように言われてるんですか?」
「いえ、ほらメイドさんってとっても可愛いじゃないですか?」
そう言いながらフィニーはエプロンドレスの肩に付いたフリルを引っ張る。確かに可愛いことは否定しない。竜也も好きか嫌いかと聞かれれば迷うことなく好きだ。とはいってもその可愛さというのは中身、もとい着ている人物の良し悪しによるところが大きいわけで。
目の前に座ったメイドが可愛いと思えるのはフィニー自身が魅力的であるに過ぎないとも言える。そんな竜也の考えに少しも気付かないままフィニーは言葉を続けた。
「人間界で初めてメイドさんを見たとき、私も着てみたいなぁ、と思いまして。それで自分用のメイド服を作って、紅茶を淹れたりお洗濯とかお掃除とかをやってみたり。裁きの間の間取りもそれぞれに決められるんですが、ここはほとんど私の趣味で作ってます」
タナちゃんはあまり興味がなかったみたいなので、とフィニーは少しだらしなく笑みを零している。
「エーちゃん、シェイドのメイド服も私が作ったんです。エーちゃんって背も高くてすらりとしてるし、しっかりしてるからとってもお似合いですよね」
竜也としては一目見たときから似合わないと思ってしまったのだが、なるほど半ば強引に着せられていたということだ。どちらかと言えば今朝に見たようなジャージを着て汗を流している方が彼女には似合っていると思う。
竜也の乾いた愛想笑いをフィニーは都合よく受け取ったようで、満面の笑顔で返事をしながら竜也に出したはずのクッキーをいそいそと自分の口に運んでいる。
「なんだか楽しそうですね」
「はい。私はあまり人に指示したりするのは得意じゃないみたいですから」
そうだろうな、と思いながら竜也はまだ薄く湯気の立つ紅茶に口をつける。すっきりとしたほのかな苦味がぼんやりとしていた頭を刺激する。竜也はどちらかというとコーヒーの方が好きで紅茶はあまり飲まない方だったが、フィニーがデザインしたというこの空間にはやはりこの一杯が趣がある。
「本当はここの裁判官は私がやることになってたんです。でも私ってそういうの全然出来なくて。それでタナちゃんが代わりにやってくれることになって」
「へぇ、そうなんですか」
あんなに面倒そうにしていたタナシアが、と思うと意外だ。とはいえちゃんと達也の資料を読んでいたり、陰で隠れて様子を覗いていたりするところを見れば、口振りよりは真面目なのかもしれない。
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