裁きの檻Ⅳ
「女と見れば誰でも声かけてればね。私はどうでもいいけど、フィニーなんかはかなり嫌がってるみたいね」
「真面目そうだからな、フィニーさん」
タナシアは綺麗な明るい金髪。イグニスは燃えるような鮮やかな赤髪だった。死神に人間の、それも日本という狭い基準が当てはまらないとはわかっていても、やはりフィニーが長い黒髪を乱さす真っ直ぐに伸ばしているというのは清純さの現われに見える。
納得したようにイグニスが去っていった方を見つめる竜也にタナシアは少し違うというように溜息をついた。
「あれはね、異常者なのよ」
「さすがにそれは言い過ぎだろ」
そりゃ女に声をかけまくる奴が煙たがられるのはおかしなことじゃない。男から見てもなんとなく嫌な気がするのに、実際にその気もないのに声をかけられる女の方はなおさらだ。それでも異常者とは言い過ぎじゃないか。
「死神にはね、恋愛なんて概念はないの」
面倒そうにタナシアはひとつ、あくびをついた。
「精神による性差はあるし、子供が生まれることもある。でも家族という言葉も愛情という言葉もここでは無意味よ。だから人でない者との色恋なんて諦めなさい。ついでに言えば天使なんてここにはいないわよ」
「お前、なんでそれを」
竜也は天使を信じていた。いや、今でも信じている。それを多くの人間に語ったし、それを死神が知っているのは不思議ではない。死神は人の善悪の所業を見ていると言った。その上で竜也はここに連れてこられたのだ。
しかし、その先は口に出したことはなかった。
天使に助けられたならその後はどうするか。それはきっと青少年なら誰もが思い描く展開。今度は竜也が天使を、フィーユを救う番になる。そして二人は。
数年前にたった一度、ノートの切れ端に書いてそのまま恥ずかしくなって捨ててしまったあの小さな出来事さえ、彼女らは知っているというのだろうか?
「アンタと私は対等じゃないの。私はアンタを裁く者。情報なんていくらでも入ってくるわ」
「俺のプライバシーは」
「あるわけないでしょ」
改めて目の前にいるのが死神だと理解する。こうして無駄話をしながら座っているタナシアを見ていると、すぐにただの女の子のように思えてしまう。しかし、時折見せる言動からはやはり大きすぎる溝が見えた。
人の中身を覗きこんでもなんとも思わない。それはその行為に慣れ切っているからだ。どんなに知りたいと思っても人には
「しかし、思ったよりちゃんと仕事してるじゃねぇか」
「別に。暇だったからよ」
顔を背けたタナシアに竜也は焦りで顔が歪んだ。だから嫌だったのだ。イグニスの提案にも簡単に首を縦にふれなかった。
たった一言で竜也は簡単に人の心を逆立てる。それが自分でわかっているから学校でも真っ直ぐ教室に入って席に着き、誰とも話さずただ教科書と携帯を見つめているのだ。そうすれば誰も傷つけず、自分も傷つかずに済む。
人の心の
静寂がただ広いだけの空っぽな空間を包む。竜也は何も言葉を継げないままタナシアの横顔を見つめていた。目の前に確かにありながら、画面越しに見つめるように。
「もういい、やっぱ暇潰しにもならなかったわ」
乱暴に立ち上がるタナシアに竜也は何も言う事ができない。言葉が浮かんでこない。いったいここで何を話せばタナシアを引き止められる?
いけ好かない好青年が吐き出すキザなセリフも、頼りない少年が放つ意外な言葉も、
竜也は立ち上がることもしないまま、タナシアが魔法陣の外に出るのを見送った。もうここからは何もすることはできない。
死ぬ気でやればなんでも出来るとは言うが、一度死んでみたところで人間の本質は変わるものではない。結局気の利いた言葉の一つも思い浮かばなければ、声をかけることもできない。ただ波風を立てないように黙って
「なにやってんだよ」
空っぽの席に向かって声をかける。当然返事はない。
せっかくタナシアと話すチャンスだったのに。
人間不信の理由も聞けず、飛びついた詫びも出来ず、自分の命乞いもせず。
容姿が好みだったからうまく話せなかったのだ。そう自分に言い訳してはみるが、そうではないことくらい竜也にはよくよくわかっていた。
結局自分が変わらなければ、世界も変わらない。
万に一つ、ここから元の世界に帰られたとしていったい何が待っている? 同じように学校でも家でもぼんやりと悟りきった顔でただ座っている人形だ。タナシアの存在があったところでそれは変わりようがない。
「俺はどうしたいんだ?」
『素直な心で人の時間で一週間の時を我々と過ごし、自分の身の振り方を考えてください』
最初にタナシアはこう言った。
竜也はまさに今、その言葉を噛み締めていた。
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