裁きの檻Ⅲ
「えぇ、どうやら私の持っている情報ではあなたはタナシア、いえタナシアに似た少女に憧れを抱いている。中身はあんなのですが、お近づきになるには悪くない相手でしょう?」
「だったらなんなんだよ?」
「あなたがタナシアと恋仲になりたいというのならご協力しましょう、というご提案です」
にっこりと笑ったイグニスと対照的に竜也の顔は引き攣っていた。
この爽やかなイグニスの表情を見れば彼にとって恋仲などという言葉はそれこそ日常よくある関係の一つに過ぎないかもしれない。しかし、竜也にとっては誇張なしに最も縁遠い言葉だといってもおかしくはない。
生まれて死んで一五年。そんな相手などいたことはない。別におかしくはないはずだ。中学生のうちから付き合っているだの別れただのという話は耳にしたし、高校生になった途端に焦ったように恋人を見つけてくる奴もいる。だが、決して今まで彼女がいたことがない竜也が圧倒的少数派ではない。
明らかにイグニスの期待は間違っているのだ。
「何企んでんだ?」
「いえ、企んでいることなどありませんよ」
そう言いながらイグニスは薄く浮かべて微笑を崩さない。その表情だけで世の女性の半分くらいは彼を勝手に優しい人物だと勘違いさせられるだろう。ただ竜也にとっては見慣れているほど嫌味な顔だった。
「何か悪いことを考えている奴はたいていそんな顔でそう言うんだよ」
「いやはやそう言われましてもね」
それでも微笑みを絶やさないのは彼の経験からかそれとも本心からなのか。元々こういう顔だったのかもしれない。
「とにかく今はそんなこと言ってる場合じゃねぇよ。俺はここから帰らなくちゃいけねぇんだから」
「だからこそタナシアと良きように、と言っているのですよ」
だから他人と話すのは嫌いなのだ、と竜也は涼しい顔で座る赤髪を
「タナシアの職務放棄は人間不信によるものですから。あなたを利用、もとい手助けしようということですよ」
「本音が漏れてるぞ」
「いやはやこれは失敬」
イグニスは開いた手帳で自分の顔を隠す。それに意味がないことなどお互いに承知のことだ。彼にとっても今の言葉は失言ではない。ただ竜也をからかっているだけのことに見える。竜也が興味を示さなければそれまでのことと思っているのだ。
彼が竜也を訪ねてきたのは竜也の身を案じているわけでもなく、タナシアを更正しようとしているのでもなくただ単に面白そうだったからという好奇心のみのことだ。
「それにしたってなんでアイツは人間不信になったんだよ?」
三人ともそうは言うもののタナシアが人間不信だという理由も程度も話そうとはしない。シェイドは知らないと言っていたが、このイグニスの態度を見ているとそれも本当なのかと思えてしまう。
「さぁ、そこまでは私も。そういうことは本人に聞いてみるのがいいのではないですか?」
「え?」
イグニスの視線の先を追いかけてみる。中庭のような何もない空間の向こう側、柱の影に金色の髪が揺れている。
「タナシア、気になるのでしたらこちらに来てはいかがですか?」
「別に。アンタがまた変なこと企んでるんじゃないかと思って様子を見に来ただけよ」
柱の陰から小さな顔を半分だけ出して、恨めしそうにイグニスを睨みつけた。この一言にやっぱりイグニスという男は普段からやらかしているらしいとわかる。竜也はさっきまでの話のどこまでが本当でどこまでが嘘なのかを測りかねて頬を掻いた。
「それでは私は仕事に戻りますので。またお会いしたいものですね」
柱の陰に隠れたままのタナシアを残して、イグニスは逃げるように立ち上がる。竜也が引きとめようとしても魔法陣の外に出てしまえばもう手の出しようがない。
いったいこの状況をどうしろと言うのか。急ぎ足で去り行くイグニスの背中を見送って、竜也は半分だけ身を隠したタナシアの方をちらりと窺う。
「何よ?」
「何、って。言いたいことがあるならとりあえずこっちに来たらどうだ?」
こちらから近づけないといっても数メートル先でゆらゆらと揺れる金色の髪は視界にすぐに入ってくる。その持ち主が竜也にとって理想そのものの容姿を持っている上に、自分の命を握っている死神となれば気にするなと言う方が無理というものだ。
タナシアはその場でうろうろと何かを
とにかく隙を見せないように。そんな守りの気持ちが見えるような態度に竜也は肩をすくめた。どうにかしてこの娘を説得して命を助けてもらわなくてはならない。それに元の人間界に帰られるとしても、天使がこの世に存在すると証明するためにはこのタナシアを連れて帰らなくては。
「そんな顔で私を見ても意味なんてないわよ」
「別に何も言ってないだろ。何か俺に用があって来たんじゃないのか?」
「だからあいつが変なこと吹き込んでないか確かめに来ただけ」
「あいつ、イグニスって野郎はどんだけ嫌われてるんだ」
そういえば昨日もぺらぺらと喋り続けていたフィニーだってテーブルセットを置いて、すぐ逃げるように帰っていった。上司なんて一緒にいても嬉しくないことばかりということも少なくはないが、タナシアの口振りを見るとただ単に嫌われているだけのようだ。
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