二.一九二七

 


 その年の秋。

 独立政府は、首都オデロン市でのデモ隊鎮圧の為、元属していたエルタイ国の軍に協力を要請した。これにエルタイ政府が応じた事により、独立政府とエルタイ政府の癒着が表面化し、結果、アドイノラの『偽りの独立』を肯定する事となった。

 時のエルタイ政府は、最新式の二百ミリ列車砲を国境のラーテ川の手前、オデロン市の北東六十マイルの距離にまで展開させた。

 その二年前、アドイノラの北と国境を接するエルタイ国ツフイラ県で、エルタイからの独立を掲げる若手県議と一部軍人達によるクーデターが起こった。開始から数日の内に、若者を中心とした独立デモの参加者は優に一万を越え、暴徒化した一部が県庁舎や文化財登録された教会等を破壊し、警官隊や正規軍との間に小規模ながら戦闘までも起こった。対するエルタイ政府は、実用前の実験段階だった列車砲を投入し鎮圧に乗り出した。その砲弾は、当時ツフイラ県の中心だったツフイラ・ロダ市の中央市街地を軒並み焼き尽くし、数千の市民が住処を失った。命を落とした者も百を越えると言われている。二年が経った今日でも、市内は燃え落ちた家屋や破壊された道路が各所に瓦礫の山を作り、街は未だ復興半ばだと言う。

 その破壊兵器がオデロンにマズルを向けた。市民はロダの再来だと怯え、街を捨て西へ逃げる者が続出した。

 入院先の病院は、オデロンの中心から北西、北地区の貧困街の外れにあった。

 年配の看護婦長が「傷が治ったら早く町を出た方がいい」と言った。市内の東側には殆ど人は残っていないそうだ。病室の窓から見える国道に繋がる狭い道は、西のザサ市や、その先のソーデル市まで逃げようとする車群が昼夜問わず大渋滞を起こし、日がな一日ホーンが喧ましく鳴っていた。

 鉄路はオデロン中央駅まで繋がっている。列車砲が近づけばこの辺りも射程に入るだだろう。しかし逃げろ、と言われても困る、行くところがない。田舎はあるが、親父は先の独立戦争で死んだし、母親も六年前、当時流行っていた悪い風邪を抉らせ呆気なく逝ってしまった。兄弟も、親しい親戚もない。生憎この時恋人もいなかった。頼れる当てなど誰も、どこにもなかった。と言うより、最早生きたいとも思っていなかった。

 ──右腕をなくした。

 ギターで生計を立てていた自分にとって、生活の術を、いや、全てを絶たれたと等しい事だった。

 デモ隊の先頭にいた。皆、二十年前の独立の歌を歌っていた。

 太陽は昇った、冬は終わる、と。

 偽りの自由を捨てよ、我らの真の祖国を取り戻せ、武装した市民兵と、続くデモ隊の何百何千もの歌が、鈍びた雲に覆われた空へ響いていた。

 ローマ時代の噴水で名高い小さな広場には、警官隊が列と帯となって待ち構えているだろう。衝突は避けられない。だが恐れるな、数ならば我らが圧倒している、隊頭の誰かが声を上げた。おおおお、と地鳴りの様な轟音がそれに答える。

 我らの力!民の力を!今!

 多分時間にすれば、一秒か二秒。

 瞬間、視界が真っ白に眩んだ。遅れてどおん、言う音がした気がするがはっきりとは覚えていない、その瞬間を思い出そうとすると、未だ胃が上下ひっくり返るかに気分が悪くなる。

 気が付いたら病院にいた。

 目が覚めて、真っ先に目に入ったのは、所々板の剥がれた天井だった。あれ、ここはどこだ、と、右手を支えに体を起こそうとして、しかし体は大きく傾いて、そのままベッドに転がった。間髪を入れずに全身に激痛が走る。何が何だか分からなかった。

 土色の、疲れた顔をした初老の担当医が、ここに至るまでの経緯を話してくれた。あれから三日経っている事、デモ隊の直近にあった寺院に列車砲の砲弾が落ちた事、寺院は跡型もなく崩壊し、多くの人が瓦礫の下敷きになって死んだ事。例え大怪我を負い肘から先を失ったとしても、あの崩落に巻き込まれて生きていただけ君は運が良い、医者は艶の失せた白い髭を頻りに擦りながらそう言った。

 呆然と、病室から窓の外を眺める日が続いた。

 下手に何かしようとすると、己の体の不自由さに苛立ちと後悔を覚えるだけだった。麻酔の怠さも相俟って、食事とトイレ以外は動く気にもなれず、ただじっとベッドに転がって、一日中、区切られた窓枠の向こうを見ていた。先に広がる空は日に日に暗い色に変わって行き、やがて、少し残っていた木々の葉も全て落ち去って、何とも殺風景な景色になった。

 列車砲の爆撃は、昼夜を問わず続いた。

 病室はニ人部屋にベッドをもう一台押し込んだ、窮屈な三人部屋だった。貧困街の病院らしく、壁が薄いので隣の部屋の怒鳴り声は聞こえるし(病院で何をそんなに怒ることがあるのか不思議でならなかった、元気じゃないかそいつ)、食事も三度出るものの、パン一切れと薄いスープだけで、とてもじゃないが回復するに十分な栄養は取れそうにもなかった。おまけに夜は末端が凍りつくんじゃあないかと思う程に冷える。ストーブはあっても、燃やす薪が手に入らないのだ。

 窓際のこのベッドの隣には、足が弱り起き上がる事も儘ならぬ、骨と皮だけの老女が伏せっていた。長い入院で背中の床擦れが酷いらしく、毎夜、痛い、死にたい、と譫言を繰り返すのだ。  

 その向こうのベッドには、子供がいた。少し癖のあるブルネットの髪の、十にも満たないだろう少年は、崩落したあの寺院の住人で、唯一の生き残りだと医者が言っていた。大変に大人しい子供で、看護婦が話しかけようも、首を縦横に振って意思を示すだけだった。今の小生意気さからは考えられないが、それがビターゼだった。

 初めて会話した時の事を覚えている。入院から二週間程経った日の朝、額の切り傷の抜糸をする、と医者に呼ばれ、億劫に思いながら体を起こして病室を出た。抜糸を終え、思っていたより綺麗に治ったね、と言う医者に適当に礼を言って、逃げる様に処置室を出た。別に傷が残ろうが消えようが、正直どうでも良かった。

 病室に戻ると、その子供は窓の傍に立っていた。病院から貸し出された、くたびれた入院服姿の少年が、窓の外をただじっと見つめていた。裸足だった様な気がする。その後ろ姿を見つけた時、ああ、そうか、退屈だろうな、ふとそう思った。病院、しかも、列車砲にやられなくとも倒壊しそうな、古ぼけた病院、おもちゃも、甘いお菓子も何もない、遊び相手も誰もいない、そんな所にひとりでいるなど、自分があのくらいの年の頃なら、暇を持て余してベッドから抜け出そうとするに違いなかった。

 気配に気付いて、少年は弾かれた様に窓から離れ慌てて自分のベッドに潜り込んだ。構わんよ、退屈だろ?とこちらも自分のベッドに座って声をかけると、布団から小さな頭がひょこんと飛び出した。痩せっぽちの顔に目立つ、少し垂れた目が窺う様にきょろりこちらを見るもんだから、いいぞ、の意味を込めて手招きしてやった。すると少年はひとつ頷いて、とてとて、と軽い足音を立てて窓際にやって来た。

 窓を開ければもっと良く見えるだろうが、生憎の季節だ。ガラスに両手を張り付けて、爪先を立てたまま、少年は熱心に外を見ていた。今思えば古い板敷きの上で裸足は痛かったろう。スリッパくらい貸してやるべきだった。

 何が見えるのだろうか、と、ベッドに転がりながらその視線の先を追ってみたが、いつもの暗い空と、その下に立ち並ぶ貧困街のくすんだ町並みと、狭い道を我先に行こうとする車の列しか見えなかった。

 少年は次の日も、その次の日も、窓の外を見ていた。

 そうしているうちに、一言、二言、と話をする様になった。何せ隣は死にかけの婆さん、看護婦達は日に日に増える患者を看るのに手一杯と言った風で、久しく人と普通の会話をしていなかった。

 崩落した寺院は訳有って親と暮らせない子供達を預かり育てていたらしく、ビターゼもその内のひとりだったそうだ。寺院の尼さん(ビターゼは先生と呼んでいた)と、他の子供達はどうしたか分からない、ビターゼはそう言っていたが、医者の話では残らず瓦礫に巻き込まれ命を落としたはずだった。医者も、まだほんの子供だったビターゼには伝えられなかったのだろう。

 あの日は朝から皆で拝堂の掃除をしていて、ビターゼがちょうど裏庭の水場へ、ひとりで雑巾を洗いに出ていたまさにその時、砲弾が寺院を直撃した。裏門を出た道までぶっ飛ばされたんだ、と奴は言ったが、全く良く生きていたものだ。むしろその爆風が吹き飛ばしてくれたからこそ、崩落の瓦礫に潰されずに済んだのかもしれない。

 不思議なもんだなあ、確かそんなことを言った様に思う。ここでこうして話しているふたりとも、死んでいたかもしれないのだ。あの時隊列の中もう一歩後ろを歩いていたら、雑巾がまだ汚れていなかったら。僅か数センチで、ほんの偶然で。

 「怪我で済んで良かったな」

 「そうかな」

 「そうだよ」

 窓の外を見た。雪雲に覆われた空。その淵から日が透けて、淡く光る。

 「きょうはサイレンならないね」

 「そういえば、そうだな」

 毎日一度は怒鳴っている砲撃警報が、今日はまだ聞こえていない。

 「おやすみかな」

 「あいつらも毎日砲撃ばっかりやってられないだろうしなあ」

 相変わらず終わりの見えない車群、その脇の歩道を行く人々が見えた。鞄を抱えたスーツ姿の男や、買い物かごを提げ、小走りで市に向かう母子。

 俺も、散歩にでも出ようか。ふとそう思った。

 




 クリスマスの少し前、デモの発起人で、中心人物であったひとりの男が逮捕された、と言うニュースが流れた。一度か二度集会で顔を見た事はあった。そいつは指導者と呼ばれていた者達の中では比較的静かで目立たない男だった。しかしその後直ぐに、デモ隊は二つに袂を分かち、その烈度は坂を転がるがごとく急落した。アドイノラの即時完全独立を掲げた急進派と、エルタイのとの共存を訴える穏健派と、隊内でも意見が割れているのは知っていたが、それらを上手くあやしていたのが彼の男だったのだろう。

 穏健派代表がアドイノラ政府、エルタイ政府との会談に参加する、と言う記事が新聞の一面に出たのは年が明けて間もなくだった。穏健派がアドイノラ政府と共に新たな政権を作る事を条件とし反政府活動を停止、それによりエルタイ軍も撤退する運びとなった。オデロンへの砲撃は止み、破壊しつくされた街に少しずつ住人が戻り始めていた。

 その辺りまでがあの騒乱について順序立てて思い出せる事だ。何せここからは一変に忙しくなり、日々を暮らすのに必死だったからだ。

 ビターゼを引き取る事になった。

 エルタイ軍撤退との報を受けて、病院は病床数を非常から通常に戻すべく、ある程度健康状態の回復した者に退院要請を出して来た。幸い住んでいた南部地区は列車砲の被害を免れており、当時の住まいも通りから一本入った路地沿いに位置していた為、暴徒の襲撃にも遭わずに済んだ様だった。手に余る患者を受け入れ続け、どっちが患者か分からない様な顔色になってしまった医者や看護婦達の事を考えれば、退院してやった方が親切だろう、と考えそれを受ける事にした。その頃に右手の事も幾らか受け入れられる様になっていたし、まあ何より要請を受ければ未払いだった入院費が半分減額される、と言うのも大きかったのだが。

 気懸りはビターゼの事だった。

 看護婦達から漏れ聞こえる話や態度から、ビターゼを扱いあぐねているのは察しが付いていた。怪我も治り(ビターゼは爆風に飛ばされた際に背中に大きな打撲を負っていた)、しかし元いた寺院は跡形も無くなり、そこの関係者も死亡した。そして肝心の両親──ビターゼが毎日窓を眺めて待っていた、は一向に現れない。あの寺院が崩落した事は新聞等でも報じられた、ならば付近の住人にでも尋ねれば、あの崩落での被害者がここか、中区の中央病院かに運ばれた事はすぐに調べが付くはずだろう、しかしビターゼの親族を名乗るものはついぞ現れなかった。

 自分と同じ、こいつもひとりか。

 そう思うとどうしても捨て置けなかった。

 パパか、ママか来るまで、うちに来るか?

 どうしてか緊張しながらそう尋ねると、ビターゼは大きな目を瞬かせ、こくりと頷いた。



 

 道路はあちらこちらが寸断され、走る車の数も疎らだ。病院の前のバス停で三十分待ってみたが一向にやって来ない。真冬の、吹きっ晒しの風の中、看護婦の子のお下がりの、薄いカーディガン姿のビターゼを突っ立たせているのはどうにも可哀想で、しょうがなしに大通りまで歩きタクシーを捕まえることにした。いきなり痛い出費だ。

 自宅である木造のおんぼろ長屋は、砲が当たらずともその衝撃だけで倒壊しそうな築数十年のそれだったが、話に聞いた通り変わらぬ姿でそこに建っており、一先ずは安心した。これでホームレスの仲間入りは免れた。

 ビターゼは物珍しそうに目を動かしながら、リビングのソファに行儀良く座っている。やたら姿勢が良いのは先生とやらの躾なのだろうか。

 テーブルの上の、ほんの小さな鞄ひとつがビターゼの持ち物の全てだった。

 ビターゼをそのまま待たせて、寝室に入った。数か月分の埃を被った室内の奥、頼む、と祈りながらチェストの引き出しを開ける。

 預金通帳は無事だ。思わず、良かったア、と声が出た。これでしばらくは食って行けそうだ。

 リビングに戻り、ビターゼの隣に腰掛けた。大きな目がこちらを見上げてくる。

 「悪いな、何か月か振りに帰って来たもんで、薪の買い置きもないし、食いもんはカビちまってる。飯は取りあえずどこかに買いに行くけど、薪はしばらく手に入らないかも知れない」

 「病院よりあったかいから、大丈夫」

 「あそこより寒いのは地獄の底くらいだろうよ」

 あの婆さんはどうなるのだろうか。結局一言も交わさずに出て来てしまった。数か月間ひとりの見舞いもやって来なかったあの老人もまた、天涯孤独の身だったのだろう。同じく寄る瀬なき者としては、数十年後の我が身とも思えた。

 「さて、ちょっと休憩したら出掛けるぞ。まずは飯を食って、それからマーケットだ」

 ビターゼのコートと洗い替えの服がまず必要だ。この季節、こんな格好で外を歩いていたら凍え死んでしまう。ああ下着や靴下も用意しなければ。それに日用品。オデロンに住み始めてからずっと気ままな単身者暮らしだ、この部屋には、何もかもひとり分しか有り得ないのだ。いや毛布は二枚あったはずだ、枕はソファのクッションで代用するとして、後は何が必要だ?メモを、と思い右腕をペン立てに伸ばし、そして気が付いた。ペンすら掴めない今の自分にだ。

 くたりと垂れたシャツの袖の先は、どこにも届かずにただゆらゆらと揺れていた。

 



 カフェで簡単に昼食を済ませて、広場に向かった。市内最大のマーケットが出ていた市庁舎広場は爆撃によりほぼ壊滅したらしく、市内南はガラ地区の商店街にかなりの数の買い物客が集まっていた。

 迷子になるなよ、とビターゼに声を掛ける。流石にこの人混みで逸れると大事だ。

 手でも繋いでやるべきかと考えたが、そこまでするのは妙に思えて止めた。それに片手を取られると鞄も荷物も持てなくなるのだ。

 洋品店での買い物は、ビターゼのコートと、セーターを二枚、ズボンも二枚。靴下と下着は四セット。子供服の選び方や相場など見当も付かなかったので、予算と欲しい数を女店主に伝え選んで貰えないかと頼んでみると、男親はこれだから、と笑いながらも引き受けてくれた。衣食住の衣はこれでオーケー。コートだけその場で封を開けた。青いキルティング地のコートは中綿もしっかり入った店主のリコメンド品だ。

 「どうだ?」

 「あったかい」

 「そうか」

 「いいの?」

 「何がだ」

 おかね、と返った声に思わず笑ってしまった。まああの家を見れば心配にもなるだろう。

 「お前のパパかママが迎えに来たらその時に払ってもらうさ」

 父が戦死し、何かと苦労の多かった母親の口癖は『無駄金は使うな、貯金しろ』だった。お蔭で給金が出ればその足で銀行に行く習慣が付いてしまった。それがここに来て生きる事になるとは、全く親の言う事は聞いておくもんだ。

 次はパン屋だ。今日と明日の分のバケットを買う。ここは馴染みの店だった。レスリング選手張りの図体をした店主に久し振りだな、と声を掛けられ、ええ、と曖昧に返事をした。右腕の事もある、余り詮索はされたくない。

 「あんた子持ちだったんだな、いつもひとりだっただろ」

 「まあ色々あってな」

 「坊主名前は?」

 「ビターゼです」

 ぺこり頭を下げた姿に、お、賢いねえ、と店主が髭を擦りながら目を細めた。この親父からすればビターゼは孫くらいの年だろうか。

 肉屋ではベーコン、青果店を覗いてみたが、並んでいたのはジャガイモだけだった。日持ちのしない生鮮品は不足が続いているらしい。マッシュポテトはそう好きでもないんだが、しばらく食べ続ける事になりそうだ。

 日用品は取りあえず歯ブラシと食器類。薬局で消毒剤と包帯。他にも色々と必要だったが、買い物袋はぱんぱんだ。今日はこれまで。

 紙に包まったバケットはビターゼに持たせ、人混みの石畳路を行く。何度も人と肩をぶつけ、その度に頭を下げた。このふらつきは、荷物が多いからじゃあない。片肘から先の重さがなくなった分、体幹のバランスに誤差が生じているのだろう。揚げ句小さな煉瓦の出っ張りに蹴っ躓き、転びかける有り様だ。

 ブーツの底で地面を蹴り、苛立ちを逃がす。付いた溜息はマイナス近い外気に白く消えた。




 

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る