幕間 『幸福な日常、そして―――』
これは、とても昔にあった記憶であり、記録。
だから、それは既に過去のことであり。
そしてそれは、誰であっても覆しようのない滑稽な悲劇であり―――喜劇だった。
◆◇◆◇◆◇◆
私の名前はエレナ、エレナ・ヴァレンタイン。
やけに貴族っぽい家名が名前にありますが、私も、私の家柄も至って普通です。
当然、私の住む村も魔族の中では至って普通の村です。それでも、既に成人近い私を遊ばせているような余裕は有りません。なので私は、今日もこうして森へと入ってて薬草を採ったりしています。
まあ、この仕事自体私は結構気に入っています。楽しいです。
森の散策は、私にとって趣味ともいえるのですから。
趣味をしながら村の、家族の助けになれるというなら、それはとても嬉しいことです。
小一時間程、何時ものように採集し片手に下がる籠が一杯になるまで薬草を集めた頃、それは聞こえました。
「う………ぅ……」
「? なんだろ」
呻くような、それは人の声のようにも聴こえました。
今の時間、私以外に森に入っている村人は居ません。一瞬、野生動物と思って帰ろうかとも思いました。
けれど、断絶的に聴こえてくる声は、何だかとても辛そうで。
私は、無視することなんて出来ませんでした。
「うぅ………」
「こっち、かな?」
静かな森に響く、小さな声。それが聴こえる方へと私は進んで行きました。
それはもう、誰かの苦しげな呻き声以外に、私は聴こえませんでした。
そうして私は拓けた場所に出ます。そしてそこには呻き声を出していた者が居ました。
「だ、大丈夫ですか!?」
それを一目見、私は悲鳴を上げて駆け寄ります。
その男性は、いつ死んでもおかしくない、いえ寧ろ死んでいないことが信じられない程の重傷を追っていたのですから。
「う、ぐふ………」
「よいしょ。っ、重、い」
薬草が入った籠を投げ捨て、瀕死のその人を肩に担いで歩き出します。
身体の大部分を怪我により失っているとはいえ、怪我人は男性、持ち上げられないことは無いですが重いことには代わりありません。
「大丈夫、大丈夫ですから。もう、少しの、辛抱ですから、ねっ」
それでも私に置いていくという選択肢はありません。
たとえその人が魔族である私達と戦争を続けている人種なのであろうとも。
『誰かが困っていれば絶対に助ける』。
それが私達の村の、誇れる決まりなのですから!
「おお、エレナ。ご苦労さん……ってそれは誰だ!?」
「やっと、着きまし、た」
森から人一人を担いでの強行軍、そして流れる血の匂いに誘われて襲ってくる森の獣たち。
それにより疲労がピークに達した私は、村に着くと同時に倒れるました。
「おぉぉい!! 大変だっ! エレナが―――」
見張りの人が何か言っていますが、その声すらもだんだんと遠くなっていき―――私の意識は暗くなっていきました。
「ん、んぅ」
目が覚めると、そこは見知った天井。
それ程長く離れていないのに、何だか懐かしい感じる私の家の天井でした。
「っ! 良かった。無事に目が醒めて……。大丈夫? 何処か痛んだりしない?」
「あ、お母さん」
起き上がると、私が目を醒ましたことに気がついたお母さんが私の元へ駆けてくる。
そして私の手を握り、ほっとしたような表情で頭を撫でてくる。
その後再び不安そうな顔で、私に何処か痛む場所がないか聞いてくる。
カローラ・ヴァレンタイン。
大きく育った今でも、昔と変わらず愛してくれ、それ故に心配もしてくれる。
私には勿体無い程の、自慢のお母さんです。
「大丈夫。痛いところは何処も無いよ。心配してくれてありがとね」
「そう? 我慢とかしちゃ駄目よ? エレナはいっつも一人で抱え込むんだから」
「もぉ〜。大丈夫だってば。また痛くなったらちゃんと言うから」
心配してくれるお母さんを安心させようと返事をするが、それも逆に心配されてしまいました。
それは未だにお母さんにとって、私は子供のままなんだなと感じ、何だか微笑ましく思いました。
だけど、今は私よりも大変な人が居ます。実はほんの少し筋肉痛があるんだけど、そんなことこの際どうでもいいんです。
あの人の方が、何万倍も痛い筈なんですから。
「それよりもお母さん。あの人は?」
「ああ。それなら二階に居るよ。命はどうにか助かったってさ。なに、気になるの? うふふ、春ね〜」
「も、もう! そんなんじゃないってば! ………でも、少し気になるから見に行くね」
「は〜い。気をつけてね〜」
お母さんのやけに上機嫌な声音を背中に受けながら、私は家を後にした。
………もう。お母さんったら。
◆◇◆◇◆◇◆
「………うぅ……ここ、は……?」
目が醒めてと、そこは見知らぬ天井だった。
旅人が良く宿屋と同じ木製だ。けれどもその天井には奇妙な歪みや小さな罅がところどころにあり、素人の俺が一目見ても一目瞭然な程にくたびれていた。
思う様に浮上しない意識で思い出す。
確か俺は
「よかった! 目が醒めたんですね!」
意識を失う前の出来事を完全に思い出した時、不意に目の前が暗くなる。
見知らぬ女性が俺の顔を覗き込んできたのだ。
「………誰?」
どうやら敵ではなく、寧ろこちらを心配すらしているらしい彼女。
だが俺が抱くのは感謝でも何でもない、見知らぬ人物に対する疑問だった。
「あ……。えへへ、うっかりしてました。改めまして、私の名前はエレナ、エレナ・ヴァレンタインといいます。エレナと呼んでください。貴方は?」
「俺は
誰かは分からないが俺を助けたのは間違いなく彼女か、彼女の関係者。ならば寝転がったまま話すのは失礼だろう。
そう考え起こした俺の身体を襲ったのは、腹部に生じる引き裂かれる様を錯覚する程の激痛。
「大丈夫ですか!? む、無理に起きようとしちゃ駄目ですよ! 貴方はまだ絶対安静なんですから! さあ、横になって下さい」
「………お言葉に甘えさせてもらうよ」
チラと腹部を見ると、そこにあった傷は無くかわりに包帯がぐるぐると巻かれている。そしてその底から血が広がるのが見えた。
確かにすぐ動くだけても開いてしまうような傷を負っているようだ。安静にさせてもらおう。
エレナの言葉に従い、寝転がった態勢に戻る。
「寝たままで、申し訳無い」
「いいですよ。私や村の人もそんなこと気にしませんし、何より私達が無理をさせて死んでしまったらそれこそ目も当てられませんから」
それはそうだろう。俺を勇者と知り助けたのか、そうと知らずに助けたのか。どちらにせよ目の前で助けられた命が失われるというのは、精神的に来るものがある。
「そうか。それで、俺の治療をしてくれたのはエレナでいいのか?」
「えっと。私は森で歩さんを見つけて運んできて………恥ずかしながら村に着いたと同時に倒れてしまって。多分ですけど歩さんを治療したのは村長だと思います。簡単な治癒魔法が使えるので」
「そうなのか」
俺の治療の話をエレナから聞き、疑問を覚える。
とんでもない大怪我だった筈の俺の治療話で出てきたのが簡単な治癒魔法が使えるという話、それは逆説的にこの村での一番の治療技術がそれだということで間違いないだろう。
しかし、瀕死の重傷を簡単な治癒魔法で治せるのだろうか? あいにくと俺が治癒魔法を使えないので断言できないが、それでもとてもじゃないが不可能に思える。
「じゃ、明日にでもその村長さんにはお礼を言いに行くよ。その頃にはこの腹の傷も血が出ない程度には塞がってると思うしな」
「そうですか。それじゃ村長に話しておきますね。あ、何か食べたい物とかあります? あんまり裕福じゃないのでそこまで豪華な物は容易出来ませんけど……」
少し申し訳なさそうに、エレナはそんなことを聞いてきた。
いやいやいやいや、正直申し訳無いのは俺の方だから。そんな風にされると逆に居た堪れないから。
心の中でそうツッコんでしまう程に、彼女の献身は奇妙なものに思えた。
いや、正直エレナ以外の者にそんな風に親切にされたら不気味とさえ思い、必ず裏があると疑うだろう。
だがしかし、彼女にはその感情が湧かないのだ。本能的に解ってしまうというか、その献身が本物であることを感じているのだ。
「? どうしました、ぼーっとして」
「少し考え事をしてた。それと食事の件はお気持ちだけ貰っておく。好き嫌いは無いから、寧ろ出された物に文句言う方がどうかしてる」
「歩さん、意外と謙虚なんですね。旅人ってこう、傲慢とか、そんな感じの人が多いじゃないですか。旅をしてなまじ人よりも強いから。だから私、少し驚きました」
そう言っているエレナの表情は本当に驚いていた。
正直これが普通の感性だと思っていたのでそんなに驚くことだろうか? と思ってしまう。
だが、少し思い出してみれば旅人、冒険者が村を襲ったりする事件など、そこかしこで聞いていた。
この村も、そういう経験があるのだろうか?
ふと、そんなことが気になった。
「それじゃ、大人しく寝てて下さいね」
その間にエレナは俺の視界から消えていった。おそらく買い出しとか仕事とか、そんなところだろう。
残された俺はというと、目を瞑り眠ることにした。
「…………」
心なしか身体全体が気怠い。その感覚は魔力枯渇時の症状によく似ている。
恐らく身体が傷を治す為に体内の魔力を使用しているのだろう。勿論、こんな大怪我初めてなのと、俺自身魔力、魔法という存在への適性が皆無なせいで断言は出来ないが。
傷のせいで動くことすらままならず、傷が無かったとしても動きたくないくらいの倦怠感が襲う俺の意識は、自然と深く沈んでいった。
「おにいちゃん? 大丈夫?」
「ん?」
―――筈なのだが、耳元で小さな女の子の声が突然聞こえ目が覚めてしまう。
目を開くと、目の前には聞こえた声相応の幼い子供が俺を見下ろしていた。
その表情には色濃い不安が表れていた。
「大丈夫だよ。ほら、この通り」
「ほんとだ! よかったー。おにいちゃん、とってもくるしそうだったよ?」
無理矢理身体を起こしサムズアップする。
勿論それで傷口からは更に血が溢れ、包帯を赤く染めるのだが、それは巧く態勢を変えて隠す。
そのお陰か女の子の顔からは不安が消え、安堵とともに明るい笑顔が咲いた。
……年齢からすると、エレナの妹だろうか?
「あたしね! ハンナっていうの。おにいちゃんは?」
「俺は歩っていうんだ。心配してくれてありがとな」
すぐ側にあるハンナの頭に手を伸ばし、わしゃわしゃと撫でてやる。
するとハンナは「うにゅ〜」となんとも気の抜けるような声を出しながらされるがままになった。
それが気持ち良いことは、容易に想像出来る見ているだけで自然と頬が緩むような笑顔だ。
「じゃあねおにいちゃん! なおったらあそんでね!」
「ああ、じゃあなー」
一通り撫で終えてからハンナは去っていった。
さり気なく遊ぶ約束もしてしまった。まあ小さい子は嫌いじゃないから別にいいんだけどな。
「ふあぁ〜。………」
急に無理をした反動か、さっきまで無くなっていた睡魔が急に襲い掛かってきた。
俺は自然と目を瞑り、すぐに意識が沈んでいく。
今度こそ、俺はエレナの言いつけ通りに安静に休むことが出来たのだった。
「起きて下さいっ。ご飯の時間ですよー」
「………?」
エレナの呼び声で目を覚ます。
俺を出迎えたのは、相変わらずの古ぼけた天井だ。
頭を軽く振り、意識を覚醒させるとトントントン、と下の階から音が響いてきた。
「………(すんすん)」
軽く鼻を効かせれば空腹な腹を刺激する匂いが漂ってきていることに気がつく。そしてこのリズミカルな何かを切るような音。
間違いなく料理をしているのだろう。
このまま寝ているのも忍びない。ただでさえ家のスペースをとって寝かせて貰っているのだ、この上何もせずご飯まで頂いてしまったらそれこそ居た堪れない。
相応の対価を。働かざる者食うべからず。
「よっ……っ」
せめて手伝いを。そのために起き上がる。
少し痛むが、大人しく寝ていたのが功を奏したのか血は出ていない。激しく動くのはまだ無理そうだが、料理の手伝いくらいなら可能だろう。
◆◇◆◇◆◇◆
「手伝いに来たぞ」
「………ええ!?」
聞き慣れないその声が聞こえてきたとき、料理中だというのに私は思わず振り向き叫んでいました。
皮を剥いていた野菜を置くと、階段を降りてきた歩さんに駆け寄ります。
「て、手伝うって………駄目じゃないですか安静にしてなくちゃ! 歩さんは怪我人なんですよ!?」
「おにいちゃん、だいじょうぶなの?」
「大丈夫。少し、動けるようになったから」
「大丈夫じゃないですよ! 少し動けるようになっただけ! 何ですよ!?」
「まあまあエレナ、少し落ち着きなさいな。歩くんも困ってるでしょ?」
「おねえちゃん、すこしこわい」
歩さんにお説教をしていると後ろからお母さんが私の肩に手を置きます。
妹のハンナもその後ろからちょこんと小さな顔を出して私を諌めます。
「あ、う……すみません」
それで冷静になった私は、自分が熱くなっていたことを自覚し、途端に恥ずかしくなりました。
「いいや。別に謝る程のことじゃない。エレナは俺のことを思って言ってくれたんだ、それを有難く思いこそすれ迷惑に思ったりはしないから」
「あ、歩さん……」
私には、その気遣いがとても嬉しかった。
今のように人のこととなると熱くなることも多々あって、お節介と呼ばれたりすることもある。
だけど、今の歩さんのような言葉を掛けられたのは初めてだった。
ほんわかと、胸の奥が暖かく、不思議な感じ。
「あらあら、エレナですって。うふふ、もう仲が良いのね」
「初めまして。暫くお世話になりますが、宜しくお願いします」
「あらあらあら、これはご丁寧に。私はエレナの母のカローラです。ここを自分の家だと思ってゆっくりしてちょうだいね」
「はい、ありがとうございます。カローラさん」
私が胸の奥に生じた不思議な感覚に浸っている間に歩さんとお母さんは挨拶を済ませたようです。
年長者が相手なので歩さんの口調は私と話した時よりとても丁寧で、
「………ふふっ」
それが何だか可笑しくって―――嬉しく感じた。
だってそれは、私には気兼ねなく接してくれているということだと思うから。
人の信頼って中々確認出来ないものなんですけど、今みたいに示された時は、本当に胸が一杯になります。
ああ、この人を助けてよかったなぁ。
「さて。お手伝いに来たらしいけど、歩くんは料理出来るの?」
「はい。職業柄、野営をすることも珍しくないので料理は得意です」
「そうなの! 凄いわね〜! それじゃ今日はエレナと歩くんに任せちゃおうかしら」
「ええ、任せてください」
「うん任せて………って。え! ええ!? ちょ、お母さん!」
またもや嬉しさに浸っていたらトントン拍子に歩さんとお母さんの会話が進んていき、今日は私と歩さんの二人で料理をすることになってしまった。
咄嗟にお母さんを呼び止めようとするのだけど、その頃にはハンナと二人テーブルに鼻歌混じりに座るところで、とても今から出来ないと言える雰囲気では無かった。
特にハンナのきらきら視線が痛い。物凄く痛い。
「はあ。マジですか。マジなんですかお母さん………」
村には同年代の男性が居ない。だからこそ私は変に緊張してしまう。
さっき話せたのは、あくまでも心配から。今からみたいに日常的な場面で会話出来るかといったら、答えはNOだ。
思わぬ伏兵に、私はしょんぼりする。
「エレナ。嫌だったら、お母さんと座ってていいからな? 俺、料理得意だし」
そんな私よりもしょんぼりした声が、すぐ隣から聞こえてきた。
そして私は思う、後悔する。
『しまった………』と。
そりゃ二人きりになった途端に相方がため息なんかついてれば『あ、自分と居るのが嫌なんだな』なんて思ってしまうのは当然。
そんな簡単なことが気付けなかった私は、本当に最悪です。
だからこそ、この誤解は解かないといけません。
事態は最悪、だからこそ、その後のアフターケアは最善でなければ。
「いえいえいえいえ! 別に歩さんとの料理が嫌なんじゃ無いんです。正直に言うと、その―――緊張、してるんです。同年代の異性って、歩さんが初めてだから」
最善、それはこの場合嘘をつかないことでしょう。
それが私にとって恥ずかしいことでも、包み隠さず告白する。
だって、それ以前に私は歩さんを傷つけているんですから。
「そうなのか。………それは、ほっとした。良かったよ。世話になって、一緒に居て欲しくなくて、それじゃ恩の返しようもないからな」
ほっとした。
歩さんのその言葉に、私は凄く、ほっとしたんです。
何故かは分からないけれど、それで私が安心したのだけは分かりました。
罪悪感はまだあったけれど、それでも心は軽くなったような気がしました。
………結局、何故なのかは分からないのですけど。
「さて、始めようか。エレナはどのくらい料理出来るんだ?」
「私は―――」
その後の料理は、圧巻の一言でした。
正直に言いますと私の料理スキルなんて野菜の皮を向けることぐらい。
年頃の女の子としてどうなの? と自分でも疑問に思ってしまうんですが………しょうがないです。こればっかりは、諦めてますから。
それに比べて歩さんの手際は、本当に凄かった。
正直お母さんでもこれ程巧みに料理は出来ないと思う。
ヴァレンタイン家は貧乏です。いや、魔族では良い方ですけど、繁栄している人種と比べてしまえば貧相です。
一日三食出れば行幸、そういうレベルなのですから。
なので一食に使える食材も限られていて、それなのにも関わらず何時の間にか我が家の食卓にはとても豪勢な料理が出来上がっていました。
「さあ、召し上がれっと。一応味見して見ましたけど………口に合わなかったら残してくれて構いませんからね」
「いえいえいえ! こんなに美味しそうなんだもの、残すなんて勿体無い! それじゃ頂きましょ」
「「「いただきます」」」
部屋にいるエレナにカローラ、そして歩が一斉に食事の合図を斉唱した。
余談ではあるが、この世界の食事時の挨拶は『いただきます』と『ごちそうさま』で統一されている。
「はむ……」
「ど、どうだ?」
初めに一口、私が料理を口にしました。その様子を歩さんが少し心配そうに見てきます。
いくら料理が得意からといっても、やはり人に食べさせるのは緊張するのでしょう。
私はしばらくもぐもぐと口を動かし、ごくんっと飲み込む。そして、
「お……」
「「お?」」
「美味しいですっっ!! こんなに美味しい料理食べたことないです!!!」
その後、私もハンナもお母さんも、美味しさの余り叫んだことは覚えてますが、食事に夢中で他のことは考えられませんでした。
ただ、歩さんが嬉しげに笑っていたことだけが私はとても印象的でした。
その日、ヴァレンタイン家の食事当番が決まった瞬間です。
それを皮切りに、歩さんは私達家族、そして村の皆と打ち解けていきました。
お父さんは私達と同じように歩さんの料理を食べて更に気に入りました。二人共よく狩りについて談義をしては盛り上がっています。
お母さんは沢山の家事についての知識を教えてもらったりしてとてもご機嫌です。何故そんなことを知っているの? と聞いたらはぐらされてました。
妹のハンナとは家の中でよく遊び相手になってくれています。私も入れて三人、家族という設定でおままごもしましたが、恥ずかしくもあり何故だが嬉しくも感じた不思議な体験でした。
お隣のマエレおばさんとは、よく雑談しているところを見ます。お喋り好きなマエレおばさんのことです、まず間違いなく歩さんが捕まえられたのでしょう。
けれど、傍目から見ても嫌そうではなく、少し困ったような表情なのが、私はとても嬉しく思いました。
上がり症のアラックおじさんとは、たまーに話しているところを見ます。
歩さんと話している時もやっぱり上がって噛み噛みなんですけど、それでも辛抱強く聞いてくれていることが何だか自分のことのように嬉しいです。
盆栽が趣味のヤックおじいさんと歩さんはよく話しているところを見ます。
ヤックおじいさんは気難しい方で、正直私はあんまり得意じゃありません。だけど歩さんと話している時のヤックおじいさんは私達村の人にも見せないような明るい笑顔で、しかも饒舌でした。
長年近くに住んでいましたが初めて見ました。驚きです。
村一番の変人と揶揄されるカナミナさん。彼女は何時も惚れています。
それだけならば微笑ましいのでしょうが、彼女の場合惚れる対象が人では無いのです。
大抵動物や昆虫に惚れていて、去年なんか農道具に惚れていました。『硬い土を掘り進むその力強さがたまらない』のだとか。
歩さんも最初は驚いているようでしたが、最近では意気投合したりして談笑しています。人以外に惚れるところを除けば優しく明るい素敵な女性なのです。
そんな風に村の大人達と良い関係を築く一方、妹のハンナと一緒に子供達ともよく遊んでくれます。
少し内気なサシャにそれを引っ張るハンナ。少しお莫迦だけど活発なキットに新しい遊びを思いつくのが得意のルートル。そして彼らを纏めるリーダーのジャヌ。
歩さんが狩りを手伝ってくれたり、新しい農法を教えてくれたりして村に余裕が出てきた最近では私も混ざっておままごとをしたりしました。
私がお母さんで、歩さんをさんがお父さんなんです。ふふ、あれは少しはずかしかったな。
そんな感じで歩さんは村には欠かせない人となり、私達のより明るく平和な日常は過ぎて行きました。
それはとても、あっと言う間で。
私は何だか、幸せな夢でも見ているようでした。
◆◇◆◇◆◇◆
「…………ふっ!」
「クギャルァ!」
俺の放った矢は獲物の大熊、そのひたい目掛け真っ直ぐ飛んでいった。
甲高い雄叫びが森に木霊し、数秒後に重たい物が落ちたような音が耳に入る。
「よしっ」
俺は小さくガッツポーズをした。
勇者として今仕留めた大熊よりも遥かに強く強大な怪物を仕留めたこともあるが、初めて使う武器の弓で大物といえる相手を仕留められたのだ。経験の質の差こそあれ、それは俺に興奮をもたらした。
そしてそれが村の皆の為ならば、更に嬉しくなるというものだ。
「これだけの大物が取れれば上々、みんな驚くだろうな。くくっ!」
時刻は日が登り始めた早朝、村の殆どはまだ寝ているような時間帯だ。そんな時間に何故俺が狩りへ出掛けているのか。それは今までの恩返しの為だ。
村の世話になってから三ヶ月、今まで魔法による通信も通じなかったが、昨日の夜遅くに仲間からの連絡が来た。
俺の居場所を突き止めたらしく、今向かっているという。
到着するのは明日。なので最後のお礼にと俺はドデカイ獲物を狩ってきて村の面々に御馳走を振る舞うことにしたのだ。
「少し遠くまで来すぎたか?」
近隣の動物では大きさには限界があり、俺が求める獲物を得るには人の手が入っていない奥深くまで入ってかなければ行けなかった。
まだこの地域に敏いとは言えない。少し不安になるが、まあ地図もあるしどうにか戻れるだろう。
俺は仕留めた熊を背負い、地図を片手に歩き始めた。
異変に気づいたのは、しばらくしてからだった。
「すんすん、……何だ? 何かが燃える臭い、煙か?」
迷いに迷って空も朱くなり始めた頃、唐突に鼻を刺激する異臭。
何だか胸騒ぎがした俺は、獲物の熊を近くの茂みに隠すとその臭いの方に歩いて行った。
「…………」
見覚えの木々に見覚えのある道。
臭いが濃くなるとともに目の前に現れるそれらに俺は遭難から助かったことに対する安堵よりも不安を強く感じ、気づけば全力で森を駆けていた。
「はあっ! はあっ!」
疲れてもいないのに勝手に荒くなる息遣い。
どんなに落ち着こうとしても収まらない動悸は、そのときの俺にとって何よりも怖く感じた。
どうしても、最悪の結末を予知しているように思えてならなくて。
村の門が遠くに見える。
俺は限界まで振り絞って更に速度を上げ、その門を潜り抜けた。
きっとみんなは無事だ。何とも無い―――そう思い込もうとしながら。
「みんな無事かっ!?………っ」
小さな悲鳴が聞こえた。
それが、俺の口から出たものだと気付いたのはしばらく後のことだった。
何故なら俺は、そんなこと気にも出来なかったから。
村の家々が赤く光っていた。
そこらかしこに、何かが落ちていた。
「………家に、帰らなくちゃな」
家に、帰りさえすればいつものようにエレナが出迎えてくれる。
カローラさんがおかえりと言ってくれる。
ロウゴさんがくしゃくしゃと頭を撫でてくれる。
朧げな足取りで村を歩く。
村は相変わらず光っていて、そこら中に何かが落ちていた。
「だだいま。って家の前にこんなもの置いてちゃ入れないだろ」
家の前についた俺は、中へ入る為に扉の前に落ちている何かを拾い上げる。
奇妙な感触に、手の平へと視線を落とす。
手が
そして再び何かへ目を向ければ、そこにあるのは何かではなく―――エレナの死体だった。
「うそ、だ…ろ? おい、エレナ。目を開けてくれよ。おい、おいってば!」
目を背けていた現実を目の当たりにし、俺は膝から崩れ落ちた。
家々は楽しい記憶と共に燃え盛っていて。
村には見知った惨死体が散乱していた。
そこは紛れもない―――地獄だ。
「くそ、くそおぉぉおぉぉ!! なんで! なんでなんだよぉっ!?」
護れなかった。護ろうとすれば出来た、防げた筈なのにそれが出来なかった。
無力感で、頭がどうにかなりそうだった。いや、なった方が楽だっただろう。無責任に狂っていられるのだから。
「うおぉぉおぉおぉぉぉおぉぉぉ……」
その後、俺はみんなの死体を埋葬し、墓を作った。
使い慣れた農道具で穴を掘り、そこへ見しった人々の亡骸を埋めていき、誰の墓か判るように簡単な墓標も作る。
その作業は丸一日掛かり、仲間が迎えに来たのは作業を終えてからすぐのことだった。
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