第二話 『地面刺さるは様式美』
「それで、当てってどうするの?」
空が深い青色の、太陽すら出て間もない早朝。
凶夜とエイラの二人はロックウルフの群れと戦った場所に座って、話し合いを始めていた。
題はこれからどう行動するのか、である。
昨日は二人ともロックウルフを食した後すぐに寝てしまい、
なお、ロックウルフの氷漬けは強烈な生臭さとジャリジャリとした微妙な歯応えが抜群だったという。
それはさておき、ゆっくりと就寝出来たことで二人の体力も十分に回復し以前よりも強靭な身体を獲得していること、強力な武装を手に入れたことから広範囲の移動が可能となり早朝に話し合いの場を設けたという訳だ。
「その前に俺の目的、いや未練を話しておこう」
「未練……」
「ああ。俺は元々別の世界から召喚された勇者だった。元の世界では単なる農民だったがな」
凶夜の発言にエイラは少々驚くが、まあ自分と同じように野垂れ死ぬ者が普通であるはず無いとすぐに気を取り直した。
「勇者……聞いたことある。魔王を倒して魔物と魔族を滅ぼし人々を光溢れる道へと導く救世主だって」
「流石は元聖女、詳しいな。なら俺の成したことも知ってるんじゃないか?」
凶夜の質問に、エイラは首を横に振る。
「多分、それは知らない。ここ数年、異端認定されてからずっと教会の地下に幽閉されてたから」
「そうか。そっちも色々あるようだが、まずは俺の話をするぞ」
「ええ、それでいいわ。私は元から話すつもりも無かったし」
元から話すつもりは無いと冷たく言い放たれてしまうが、凶夜はさして気にした様子も無い。
出会ったばかりの相手の経歴には、興味が無いといったら嘘になるが、無理矢理話させるようなものでも無いと凶夜は弁えているのだ。
「ま、話したくなったら話せばいいさ。人族の大国『アウスブリアン』の王城で召喚された俺は魔王を倒す為、国から支援を受けながら旅を始めた」
「一人だったの?」
「初めはな。その後仲間も順調に増えていって、国からの支援も増えてまさに旅は順風満帆だった」
「良かったじゃない」
「ああ。でもな、旅も終盤に差し掛かってきた頃に一度、仲間とはぐれ瀕死の重傷を負ったことがあった」
「旅の終盤で? 勇者なんだから並大抵じゃ怪我なんてしないんじゃないの?」
エイラが凶夜の説明に疑問を覚えた。事実、成長した勇者は高い戦闘能力を持っていることは確かなことだった。
エイラの率直な疑問に、凶夜は頭を掻きながら恥ずかしそうにする。
並大抵のことでは傷すらつかなかったからこそ、仲間とはぐれ瀕死の重傷を負ったことが恥と感じているのだろう。
それでも凶夜は黙ったりはしなかった。話の要点は伝えられていないのだから。
「普通はな。あれは俺の慢心もあるが、やっぱり運も悪かっただろうな。仲間とは森ではぐれた俺を、何が襲ったと思う?」
「成長した勇者に瀕死の重傷を与えるくらいだから、ドラゴンとか?」
エイラの推測に、凶夜は首を横に振って間違いだと答えた。
「ドラゴンか。……決まった生息領域を持たない
「聞いたことあるも何も、聖書に出てくるような怪物の中の怪物じゃない!」
世界中の創世神話でも出てくる巨大な蛇。
魔王が人族に仇なす存在だとすれば、それは世界に仇を成すもの。
世界中に根のようにはしる魔力の流れ『龍脈』の中に潜み、時折地上に現れては破壊の限りを尽くす。
そこに何があろうと関係は無い。
狂ったように文明を、生命を、営みを、悉くを破壊する破滅の象徴。
「そうさ。怪物、化物だ。勇者だった俺さえ他の有象無象のように破壊する程の、な。応戦はしたがまるで歯が立たず、俺は傷を負った。昨日まであった腹の大穴なんか目じゃない程の大怪我でいつ死んでもおかしくない程に、それは酷い傷だった」
片腕と片足を根本から欠損、片目も潰れ、全身の骨が折れ、加えて臓器も幾つか潰れていて生きているのが不思議な程の重症。勇者として鍛えた身体と治癒力により辛うじて生き長らえている、そんな状況。
腹に空いた穴なんて、可愛く見える程の大怪我だ。
「それで、どうなったの?」
「動けず、そのままならば確実に死んでいたところを助けられたんだよ。他でもない、敵であるはずの魔族達の村にな。起きてすぐにさ、そこの村長に何故俺を助けたって問い詰めたら、なんて言ったと思う?」
「……なんて、言ったのよ?」
凶夜はその時を思い出すかのように、懐かしむかのように、薄く笑った。
「『倒れていたら誰であっても助けるさ。それで例え私らの命が奪われようとな』、そう温かな笑顔で言ったんだよ。その時俺は泣いた。ごめんなさい、ごめんなさいって、沢山魔族を殺してきたことを懺悔した。村長はそれを黙って聞きながら、ただ優しく微笑んでいてくれた」
その目元には、薄っすらと涙が浮かんでいた。
その村長は、最初から凶夜を勇者と、魔族に仇成す存在だと知りながら助けたのだ。
「当てって、その?」
エイラの質問に対し、凶夜はゆっくりと首を振って否定した。
その目に深い後悔を浮かべながら、その残酷な真実を、話を再開した。
「いいや。その村は既に無い。俺を拐ったとして周囲の国から袋叩きにされて……皆死んだよ」
「そんなっ!」
いつも優しく微笑む村長。
瀕死の凶夜を一生懸命看護してくれた、母親似の綺麗で優しい笑顔が素敵だったエレナ。
エレナの母親で、家に泊めて貰い暖かく振る舞ってくれたカローラさん。
カローラさんの旦那で、狩りから帰ってくればいつも凶夜とエレナを自らの子供のように抱き締めてくれたロウゴさん。
エレナの妹で、凶夜をお兄ちゃんと呼び慕いながら戯れて無邪気で元気な笑顔を振りまくハンナ。
いつも野菜をお裾分けに来ては凶夜を捕まえていたマエレおばさんや人見知りであがり症なアラックさん。
庭の盆栽が自慢のヤックじいさんにいつも誰かに惚れてたカナミサさん。
ハンナと凶夜と、空き地でいつも遊ぶ小さな子供達、少し恥ずかしがり屋のサシャにやんちゃなキット、新しい遊びを考えるのが上手なルートルに五人をまとめるリーダーだったジャヌ。
凶夜は短い間だが、一緒に過ごした村の面々を鮮明に思い出せた。
カローラさんの家で五人で和やかに食卓を囲む光景も、空き地で凶夜も入れた六人で賑やかに遊ぶ光景も、そして――――過ごした家が燃え、大小様々な見知った顔の亡骸が、冷たく地面に横たわる光景も。
村の皆を驚かせようと大きな魔物を狩りに行った遠出から帰って、取り返しのつかない惨状を目の当たりにした絶望も。
凶夜には、昨日の出来事のように思い出せた。
「それから俺は疑問を持った。魔族とは本当に人種の敵なのか? とな。そんな勇者今までいなかっただろう。だからかも知れないな。俺が前魔王と対面した時、講和の道を示せたのは」
「魔族との、講和? だけどそんな話は聞いたこともないけど?」
自らの勇者として成した史実を知らないというエイラ。
気が遠くなる程昔から繰り返されている魔族と人種の争い。その講和ともなればエイラが教会の地下に幽閉されていたとしても耳にする筈だ。しかし本人はそれを知らないという。
その反応は、凶夜にとって予想出来ていたことだった。
「だろうな。いよいよ会談って時になって人種に裏切られたんだんだから」
元人種である筈のエイラは、人種が講和の話を蹴って裏切ったことに対しても大した驚きは無かった。
聖女が教会に異端認定、それは見方によれば教会に裏切られたとも見れる訳で。
そういう人種の醜い部分を知っているからこそ、エイラは驚かないのかもしれなかった。
「その時に傷を負ってここまで?」
「それはまだ後だ。俺はまたしても助けられる。魔族の次は魔王にな。俺が召喚された王城の会談場所で裏切られた何十人からの魔法を、剣撃を、その身に受けて俺を庇いながら涙目で言ったのさ『お前は俺達魔族の希望だ。生きて、平和を作ってくれ───ッ!!』って。勿論俺も戦おうとしたが、魔王の他に同席していた魔族の長達に無理矢理転移させられて逃げ延びてしまったって訳だ。その後は各地を転々として情報収集しながら生きて、そして知った。魔王以外が生け捕りにされて長を盾に幾つもの魔種族が人族の奴隷と化しているのをな」
「でも、そんな話も聞いたこともないわよ?」
「相当に秘匿されていた情報だからな。一般人や表に出ることが多い聖女が知らなくても不思議じゃないだろう。幽閉されていた聖女のお前が知らないのも無理はない。だが三大教会も一枚噛んでいる、それは確実だ。それを知って奪い返そうと乗り込んだ拠点には奴らも居たからな。昨日の傷もその時負ったものだ」
「そんな過去が……じゃあ凶夜の目的って囚われた長達を解放することなの?」
「それもあるが、それだけじゃあ既に足りない」
凶夜は、エイラと出会ってから今までで一番の、世界を恨んで、全てを憎んで、人生に絶望した今際の際と同じか、それ以上かの怒りを黒い瞳に宿しながら目的を話した。
「人族の膿を取り出す。腐った国の上層部も、肥え太ることしかしない教会連中も、悉くを殺し、粛清する。旧体制が築いてきた秩序を完膚なきまでに破壊する。それが俺の目的だ。それに賛成出来ないんだったら、協力の話は無しだ」
どす黒く、それでいて私怨ではない使命感すら感じさせる狂気を宿した決意。
その迫力に圧倒されるエイラ、だが、それは宿しているのは凶夜だけでもない。
「……それには及ばないわ。私も教会から裏切りを受けた身、腐っていることは分かる。それを取り出さないと周りも腐っていくということも。だから私は貴方についていく。異端とはいえ、これでも元聖女。人の道標になり、間違いを正すのが仕事だもの。貴方が間違いを犯しそうになった時に止めるのも、だから私の仕事なのよ。それに、二人居ればそうそう間違いなんて犯さないでしょ?」
凶夜はエイラの予想外に頼もしい発言に頬を緩ませ軽く笑った。
そして彼は思った。
ああ、誰かを頼れるというのはこんなにも心強いものだったか、と。
「……そうだな。頼りにしてるぞ、エイラ」
「任せなさい! それで、今後の具体的な方針は?」
凶夜はしばし考え込むような仕草をしたあと、何かを定めたような表情で顔を上げた。
「そうだな。………俺の記憶通りだと此処から一番近い街のケイレスに吸血鬼が捕まっている。取り敢えずはそこを目指そう。幸いにして無一文という訳でもない。野宿も出来れば遠慮したいしな」
「賛成っ! じゃあ早速向かいましょ!」
そして二人は凶夜の記憶を頼りにケイレスへと進路を向けた。
道中は歩きながらお互いの知識の擦り合わせを主に行い、魔物と遭遇すれば戦闘し、すぐに行軍を再開する。
荒れ地といってもまっ平らな訳でもなく、足場はそれなりに悪い。
それなのにも関わらず強行軍をしても一向に疲れる様子が見えない異常な身体、その異常さは当の本人達が気づくことはもうしばらく先のことである。
かくして、凶夜とエイラは三日後にケイレスの街を囲む石壁に辿り着くことに成功する。
ロックウルフをはじめとする固有種が生まれる程の広大な荒れ地をたったの三日で走破するとは、異常な程の体力である。
だが、それゆえにケイレスに入る為の手段を考える為の時間が少なかった。
否、順調過ぎて考えるのを忘れていたというべきか。
思ったよりも早すぎるくらいに早く着いてしまった現在、凶夜とエイラの二人は唯一の遮蔽物である小さな岩の影に隠れながら壁を窺い、どうやって街の内部に入り込むか頭を捻らせている最中であった。
「目下の議題、どうやって身分証明するかだが」
「それが一番の問題よね。私達の身分証なんか使ったら一発でアウトだもん」
「だな。身分証明出来ないんだったら正面からは諦めるしか……おい、もうちょっと詰めろよ。門兵から見える」
「無理っ! これ以上は私が危ないって!」
「じゃあどうすんだ。このままじゃ入る前にばれるぞ」
「それは困るわね。……かくなる上は!」
「ん? ちょ、エイラ! 何を!」
丁度巡回する兵士が新たに現れ見つかる危険性を危惧しもう少し詰めるようエイラに言った。
だが既にエイラの方も限界であり、このままでは見つかるのが時間の問題になった。
焦ったエイラは岩影に二人並んで隠れることに限界を感じ、なら一列になれば? と考えた末凶夜にのしかかった。
先程の悲鳴はのしかかられた凶夜によるものだ。
元々あまり高さもない岩影、それに身を潜める為にエイラは凶夜にのしかかった姿勢のまま抱き付いて面積を小さくした。
確かに理にかなった方法だが、現在の二人の格好は他人の目から見れば非常に恥ずかしいものであった。
騎上位であった。
それはやり始めた本人にもわかっているのか、顔を赤くして「しょうがないのよ。これはしょうがない出来事なのよ私!」と小さな声でぶつぶつと自分に訴えかけていた。
そして顔を赤くしていたのはエイラだけではないようで───
「あの、エイラ!? 当たってる、胸当たってるって!」
「当ててるのよっ!」
「当ててるんですかっ!?」
普段の口調は何処へやら。
敬語だったり、おかしな口調になったりするくらいには凶夜も緊張していた。
エイラは着痩せするタイプなのか、意外に豊満な胸であったことも緊張する原因に一役かっているようであった。
「うわっ! ロックウルフの群れだ!!」
「急いで門を閉めろ! 逃げ込め!」
「………今だっ!」
タイミング良く現れたロックウルフの群れに感謝しながら兵士達が門に逃げ込み閉めたのを見計らって一気に岩から別の、今度はもっと大きな岩の岩影へと移動した。
なお、移動している間も凶夜の身体にはエイラがしがみついていたこと、振り落とされないようにより強く抱き付いて凶夜が色々と反応してしまったことは………色々と危ないのであまり詳しく記述はしないでおこう。
敢えていうならば───ごちそうさまでした!
「ほら、もう降りても大丈夫だぞ」
「これはしょうがない、しょうがなくしたことであって別に変な意図があった訳じゃない。うん。ないないな………」
どうやら自己暗示を強く掛けすぎているようである。
自分から始めたことなのに本人が動けなくなるとは、その情けない事実に凶夜は頭が痛くなり、不安が過る。
本当に、こいつで大丈夫だったのか? と。
だがしかし、このまま抱き付いていては見つかるリスクも高まり動きにくく、何より精神衛生上ヒジョーによろしくない。
そう考えた凶夜は両手が塞がってる現状とエイラに灸を吸えるという意味で、少し過激な手段を取ることにした。
「ったく。───よっこらせっ!」
ガツンッ!
「みぎゃあぁぁあぁぁぁ!!」
羞恥心を誤魔化す為の強固に掛けられた暗示によって、安全地帯に移動したことにも気付かず凶夜にしがみついたままだったエイラ。
それを引き剥がす為にエイラを抱き付かせたままの状態でブリッジ、ジャーマンスープレックスを凶夜は決行した。
それは無防備なエイラに見事成功し、本人は奇妙な声をあげて頭から地面に刺さっていた。
「暗っ!? 何処!? ここは一体何処なのっ!! 凶夜っ! 近くに居るなら助けてよっ!!」
「………」
顔面半分が地面に刺さった聖女が喚いている。
結構ガッチリうまってるのか、一向に抜け出せる気配の無いエイラにしょうがなく凶夜は手を貸した。
「本当に手の掛かる奴だ。ほらよ」
凶夜がエイラの両足首を掴み、上へ引っ張ると、
ズポッ!
そんな快活な音が聞こえてきそうなほど、綺麗にエイラは引っこ抜かれた。
まるで畑から大根を抜く時のようであった。
勿論エイラの服装は地面に刺さった時点で翻り相当に恥ずかしい状態だったのだが、幸い下着はボロボロではなかった。
とはいえ、エイラは凶夜に兎の顔が描かれた下着を見られたのだが当の本人は気付いていないようだ。
見た本人といえば、見たことを言えばまたおかしくなるだろうと容易に予想出来たので心に留めるつもりのようだ。
「……何で私地面に刺さってたの?」
「転んで気絶してそのまま刺さったんだよ」
「……凶夜がそう見たんなら、そうなのかも? あ! そういえば兵士はどうなったの?」
「今は全員門の中だ。今の内に中へ入る方法を考えないとな」
ロックウルフが門の前を未だ占拠しているとはいえ、こんなことはケイレスにとって日常茶飯事、対象は迅速に行われるだろう。
事実、凶夜の予想通り猶予は余り無かった。
「商人とかが来るのを待って荷台に紛れるっていうのはどうだ?」
「駄目。荷台をチェックされて終わり、そもそもこんな辺境にわざわざ訪れる商人が居るとは思えないし」
「……じゃあ見張りを全員、いや最低限気絶させて潜入するってのは?」
「いや、最低限でも危害加えちゃ不味いでしょ。私達の存在が知られるだけでもリスクがあるんだから」
凶夜とエイラはケイレスに囚われている吸血鬼の長を救い出すのが目的だ。
それは凶夜を知っている敵側も重々承知している。
もし相手が凶夜とエイラが街に入ったかそのような形跡があったことを確認すれば、囚われている吸血鬼の長は即座に別の場所に移されてしまう可能性がある。
凶夜達にとってケイレスに入ることにすらかなりの困難なのだ。
「じゃあどうすんだよ。あとは直接壁を登るくらいしか考えつかないぞ」
「………それで良いんじゃない?」
「……は?」
考え出した本人でさえもふざけた作戦だと思うものに好感を示したエイラに対して凶夜は信じられないものを見るかのような目を向けた。
「そんなあからさまに侮蔑の目で私を見ないでっ! これでも私なりの考えってものがあるんだからね!」
「へぇ、聞いてやろうじゃないか。だが、事と次第によってはクビだ。仲間に莫迦は要らないからな」
「クビって、何時私が凶夜の部下になったのよ!」
「いいからいいから、ろくに案出さなかったんだからはよ話せ」
「くうぅぅぅっ!」
事実だから言い返せず悔しげに顔を歪ませるエイラ。
その顔は到底聖女と呼べるような顔ではなかったがそれでも聖女、教会という巨大な組織の看板娘だけのことはあり歪んだ顔でさえ美しいのは流石であった。
「ごほん。取り乱したわ。で、私の根拠っていうのは壁の上は警備が手薄なんじゃないかってことよ」
「何でだ? 壁の上には外を見張る兵士が居るだろ」
「それでもその兵士は見張るだけ、襲撃を想定されてそこに居る訳じゃない。それに見張るっていっても遠くでしょ、まさか真下から敵が来るなんて案外気付かないんじゃない?」
「………一理ある」
聖女というより町娘のような喋り方で聡明なイメージは無いように見えたが、やはりそれでも教会に追われながら逃げ延びるだけのことはあると、凶夜は感心した。
敢えて敵の裏を掻き壁を登って街に入る、簡単には思いつかない方法だ。
「他に順当な方法も思いつかない、時間的にこれが最善だろう。じゃあ門から出来るだけ離れた壁を登ろう」
「それは何故? 何処から登っても同じじゃない?」
「幸い未だに門の前を陣取るロックウルフ達に見張りの目は集中している筈だ。ならそこから離れた場所の壁を登った方がリスクは減るだろ?」
「成る程、じゃあ早めに移動しましょ。何時ロックウルフが移動するか分からないんだから」
案が纏まり、凶夜達は岩影から岩影へと隠れながら移動をし、五分が過ぎる頃には目的の箇所へと到着していた。
だが、そこでまたしても問題が生じていた。
「無事、壁までついた訳だが……」
「うん。着いたわね。けど……」
彼らの眼前にそびえる灰色の絶壁。
その高さは悠々と彼らの身長の数倍はある。
しかし彼らも莫迦ではない。きちんと移動しながら登るすべも考えていたのだ。
凶夜曰く、
「壁っていっても石材同士の繋ぎ目はあるし今の俺達なら足引っ掻けて登れるんじゃね?」
とのこと。
………すまない。彼らは莫迦だったようだ。
だが、事実化物並の身体能力を有する彼らならばその方法でも問題は無かったのだ。
計画通りの壁ならば、問題は生じなかったのだ。
だから、問題が生じているということは普通の壁では無かったということ。
彼らの前にそびえる壁。
それは灰色一色で、普通の石壁となんら変わらない───一枚岩ような表面であることを除いて。
彼らの作戦は壁の繋ぎ目を足場としてよじ登る方法、だが実際の壁にはそもそも足場が無かったのだ───ッ!!
「どうすんの、これ。壁ピカピカよ?」
「ああ、正直予想外だ。まさかケイレスにこんな技術があるだなんてな」
壁の光沢具合はまさに鏡。女性が化粧台として使用しても問題無さそうな程である。
勿論そんな壁に足を掛ければ濡れた氷の表層の如く、つるつる滑ってとても登れたものでは無いだろう。
急がないと監視の隙が無くなってしまう。
焦りを覚えながら考える凶夜に、ある方法が思いつく。
実に突飛で、凶夜らしい考えが。
「良い方法思いついた。エイラ、ちょっとこっち来てジャンプしてみてくれ」
「こ、こう?」
「もっとだ、もっと高く。せめて俺の胸の辺りまで飛んでくれ」
「よっ!」
凶夜の言葉に従い胸の辺りまでジャンプしたエイラに向かい、凶夜は力を脚に集めるような仕草をする。
そして―――
「歯ァ食い縛れよ! ハァッ!!」
「う、みぎゃあぁぁぁ……」
何が起こったのか。
簡単なこと、凶夜がジャンプの最高高度に達したエイラの足裏を蹴り上げ擬似的な逆バンジーを再現したのだ。
元々勇者として高い身体能力を持っていた凶夜の更に強化された肉体が生み出す蹴りの威力は、大幅に能力を制限されてはいてもエイラを壁の上を通り過ぎ向こう側へ吹っ飛ばすのは容易なのだ。
エコーのように響いたエイラの悲鳴は、酷く虚しいものに聞こえた。
「おー、よく飛んだな。じゃあ俺も行くか」
そんな軽い感じで、まるでハードルを飛ぶかのように軽い跳躍。
だが、その飛距離が尋常でなく、まるで砲台のような速度で凶夜はケイレス内部へと潜入を果たすのだった。
「よっと。エイラー、無事かー?」
「んんー! んー!」
「……うわぁ」
数十メートルの跳躍、そして着地の衝撃を完璧な体捌きのみで吸収し物音をたてずにケイレスへ降り立った凶夜。
先に国内へ入ったはずのエイラを探して辺りを見渡す。
はたして、エイラはすぐに見つかった。
………顔面から地面に突き刺さった、思わず凶夜が引いてしまうようなあられもない姿で。
ズポッ!
例にたがわず大根を抜くようにエイラを引っこ抜いた凶夜。
前回よりも手慣れているのは気のせいか、だんだんとこれがエイラのお約束になりそうな予感がそこはかとなく漂っていた。
引っこ抜かれた本人といえば、顔は土だらけ銀髪が薄汚れてしまって台無しの惨事である。
「っぷはぁ! 凶夜! なんてことしてくれんのよ!!」
「いやー、思ったより軽くて飛びすぎた。すまん」
「事前に言いなさいよ事前に! ったく、おかげで余計に汚れちゃったじゃないの。情報を探す前に、取り敢えず宿屋ね」
「えぇー」
顔面から突き刺さるのは、まあ強化された身体能力とはいえそこそこ痛い筈なのだが、それよりも身体の汚れについて文句言ってくるとは。
不満げにしながらも凶夜は密かに感心をしていた。
女子って強いな、と。
「文句言わないの。こんな汚れたの凶夜の責任なんだから当然でしょ」
「う、まあ、しょうがないか」
痛いところを突かれて渋々宿屋探しに同意した凶夜。
元々国内に入ってからはまず服装をどうにかすることにしていた。お互い数日間風呂に入っていない、そろそろ精神的にも身体的にもきつい頃だ。服装を買ってその足で宿屋を取ればいいだろう。
疲れたし。
そんな本音混じりに考えた凶夜とエイラはなるべく人目を避けるようにしながら本格的に活動を始めたのだった。
「それと凶夜」
「ん? なに?」
「あんた、私の下着見てないでしょうね?」
「…見てない」
「そう。なら良いわ」
「………ふぅ」
エイラは結構、お莫迦なようだった。
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