第十話 『今行く修羅は未来の為に』
それは、お伽噺でのみ語られる吸血鬼達の桃源郷。
建造物は全て白く、流れる水その総てが血の朱。
天井には幾重にも重なり埋め尽くす水晶のシャンデリアが、それは昼夜問わず都市を照らし流れる鮮血の河をキラキラと輝かしている。
機能美など考えず、ただただ芸術美のみ追求して建てられた建築群は都市そのものが見る者全てに等しく感動を与える芸術品だ。
それだけではない。
街には人々が行き交い、賑わいを見せている。その顔はどれも明るい笑みを浮かべていた。
都市も美しいが、そこに生きる人々も負けないくらいに輝いている。鮮血都市、それは桃源郷の名に恥じぬ理想の都市だった。
「いつ見ても凄いな………」
「ふあぁ………」
「ふふん! そうじゃろうそうじゃろう!」
凶夜ですら感動し、エイラに至っては口を開けて唖然としている。
感動で思考が飛んでいるのであろう。
「感動しているところ悪いのですが、立ち話もなんです。移動しましょうか」
「それもそうじゃな。転移っ!」
青い光がその場の全員の身を包み、万華鏡のように視界が切り替わった。
目の前に広がるのは相変わらずの芸術都市、けれど周りを見れば都市を見下ろしていた高台のような場所から城のバルコニーのような場所へと変わっていた。
「ここは……鮮血城か?」
「当たりじゃ! 凶夜、一度訪れただけなのによく分かったのう?」
「この都市で城っぽい場所つったらここしか無いだろう。ここからの風景も見覚えあるしな」
「鮮血都市の城だから鮮血城……意外と安易なネーミングね」
凶夜とシャルロッテのやり取りの間に思考を取り戻したらしいエイラがボソッと呟いた。
だがシャルロッテはその小さな呟きを聞き逃さなかったらしく、顔を顰めながら訂正した。
「失敬なっ! この城にはサン・カストロという名があるわ!」
「その意味は?」
「……鮮血、城」
「やっぱり安直じゃないの」
「うぅ〜」
墓穴を掘ったとしか言いようがないシャルロッテは、若干涙目であった。
というのも、実は城の名前を付けたのはシャルロッテ本人だったりするのである。
「凶夜よ。我、これでも魔族の中でも屈指の重鎮なのじゃが……」
「貧乳ロリっ娘が何言ってやがる。重鎮っていうのはな、髭もじゃもじゃの爺さんって相場が決まってんだよ。お前は精々看板娘か客寄せマスコットだろ」
「むぅ。……やはり威厳、なのかの? オレイラはどう思うのじゃ?」
「え!? ええっと……」
突然振られたオレイラはたじたじだった。普段の冷静な彼女は何処に行ったのやら。
だがそれでも彼女は親衛隊隊長、仕える主からの疑問には真剣に考え、答える。
「や、やはり、シャルロッテ様に威厳というのは、その、ちょっと無理があるかと」
「そうか………。ふふ、心なしか視界がぼやけておるなぁ。何でじゃろうなぁ……」
主の質問には正直に答えるのも、忠誠心の証なのである。……まあ、それで主が傷心してしまったら元も子もないのだろうけれど。
臣下からの真剣かつ的確な答えがトドメになったらしく、元々涙目であったシャルロッテの目の端からは透明な物が本人の乾いた笑いと共にキラキラと輝きながら落ちていった。
「それで、凶夜は何故この場所に来たのよ。何か目的があるんでしょ?」
傷心中のシャルロッテをガン無視に、エイラはそう凶夜に質問した。この短時間で早くもエイラはシャルロッテのキャラを把握したようである。
まあ、当の本人はオレイラを含める親衛隊に元気付けられているのでどっちにしろ構う必要はなかっただろう。
なので凶夜も気にせずその質問に答えた。
「この都市にはゲートがあるんだよ」
「げーと? って何よ」
「ゲート、まさか知らないのか………いや、案外こんなもんか」
聞き返してきたエイラのその反応に、凶夜は少し驚く。だが、教会の箱入り娘ならばこんなものなのかとすぐに思い直した。
ゲートとは、それ程までに日常生活に不可欠なものなのである。
「ゲートっていうのはな、大雑把に言い表せばどでかい転移装置だ」
「転移装置、転移ってことは私達がこの場所に来た時みたいなことを引き起こす装置ってことよね?」
「ああ。そしてゲートは世界各地に点在している。何時、誰か、何の目的で作ったのか、誰もそれは知らないが人間や魔族がそのゲートを中心として文明を広げて来たことは確かだ」
「ふぅ〜ん。
エイラからその言葉が飛び出した時、凶夜は先程とは別の意味で驚いた。
「この世界の必須教養にも出てくるゲートは知らなかったのに、そういうのは知ってるんだな」
「教会育ちよ。知識が偏るのはしょうがないでしょ?」
「そういうもんか?」
「そういうものよ」
凶夜は腐っても教会、そういう所だからこそ一般常識が大切なのだと思っていたのだが、どうやら違うようだった。
「まあ、これで俺が鮮血都市に来た目的が分かったろ?」
「ええ。此処から仲間が捕らえられている都市へ乗り込むんでしょ」
「ああ、その通り」
「それで、お主ら次は何処に向かうんじゃ?」
オレイラ含める親衛隊の慰めにより立ち直ったシャルロッテが、話に入ってきた。
鮮血都市のゲートは他と比べると少々特殊で、起動するには特定の手順が必要となる。だから彼女が話に入ってくるのは必然的なことだった。
何処に向かうのか分からなければ、その場所のゲートと鮮血都市のゲートを繋げることすら出来ないのだから。
そして、シャルロッテから目的地を聞かれた凶夜は不敵な笑みを浮かべながら答えた。
「人間の最終防衛都市にして文明の中心地―――王都アルヴェリア」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
凶夜達が話を纏めていたその頃、王都アルヴェリアでは。
「国王様っ! 失礼致します!」
「どうした。私の時間を割こうというのだ、それなりの要件であろうな?」
王城のバルコニーにて夜景を楽しみながらワインを嗜んでいた王は、突如として部屋に入ってきた伝令兵を睨みつけた。
兵士はその視線に一瞬怯みながらも、報告を開始する。
「っ! はっ! 先程ケイレスの街との通信が回復し、吸血鬼達が奪われたとの報告が入りましたっ!!」
「何だとッ!?」
王は叫びに近い驚きを表しながら勢い良く立ち上がる。
その拍子にテーブルの上のグラスとボトルが倒れ、中から零れたワインが赤い染みを広げるがそれを気にした様子はない、気にするだけの余裕が彼、ラハルド・キング・アルヴェリアには無くなっていた。
「それは、それは本当かッ!!」
「はっ! 数刻前に襲撃者により吸血鬼達が奪取され、ケイレスの貴族達は壊滅状態とのことです」
「っ! クソがッ!!」
ガシャァーンッ!
激昂した王はテーブルの上に倒れていたボトルを掴むとそのまま地面へ叩きつけた。
ボトルは粉々に砕け、僅かに残っていたワインが赤い水溜りを作る。
「ふうぅ、ふうぅぅ」
「まぁまぁ、陛下。怒りは身体に悪いですぞ。そう取り乱さずとも策はあります」
幾分だか王が落ち着きを取り戻した頃合いを見計らうようにして、兵士が入ってきた扉から新たな男性が姿を現した。
ひょろひょろとし、一見便りなさそうな人物。だが、その眼光は蛇のように怪しげな鋭さを持っていた。
「おお、それは真かヘイムダル戦術局長」
「私が陛下に偽りなと申す筈がありません。ええ、本当ですとも」
ノックもせずに王の前に現れたのだ、先程の王の様子を見るに厳罰される行為だろう。
だが、王はそんなこと気にした様子も無く、寧ろ姿を現した男を『ヘイムダル戦術局長』と呼び親しけな様子だった。
補足しておくが、例えばヘイムダルの前に入室した兵士が何の用も無しにそんなことをすれば厳罰は疎か死刑にされるであろう。それ程までに王は身勝手な独裁者なのだ。
故に王の懐が広い訳ではない、ヘイムダルが王にとって特別な存在なのだ。
「して、その策とは?」
「恐らく襲撃者は吸血鬼の長が所有する鮮血都市の機能が目的だったのでしょう。我々もそれが目的の一つだったのですから」
「ふむ、それで?」
「はい。これで敵は転移機能を持ったと言えましょう」
ヘイムダル戦術局長の言葉に、ラハルド王は顔を盛大に顰めた。
「神出鬼没の転移機能など、厄介このうえないではないか」
「ええ、しかしこの場合我々にとっては逆に好都合といえます。………十中八九、次はここ、王都アルヴェリアを襲撃してくるでしょう」
「何故それがわかるのだ?」
王から疑問が出た。その様子にヘイムダルは内心ほとほと呆れていた。人種の長たる者がこうも無能だとは、と。勿論その考えは態度には出さない。それを面には出さないからこそ今のポストまで上り詰められたのだから。
「簡単なことですよ。敵の拠点に直接行ける方法を得たならば守りが最も強力な王都をはじめに襲撃する筈です。まさか相手も最初に本拠地に来るだろうとは思いませんし、それにどのような拠点も内部の守りはたかが知れてますからね」
「ぐぬぬ、認めたくはないがその通りじゃな。ではどうするというのだ。襲撃者の好きにさせておくのか?」
「まさか。守りのたかが知れているのはあくまで襲撃が予測出来なかった場合です。分かっているならば守りを集中させればいい」
「おお! そうじゃな! ではヘイムダル戦術局長に任せるぞ!」
「ははっ!」
王のおもりも疲れる。
そんなことを思いながらヘイムダルは王に頭を垂れる。
かくしてヘイムダル主導のもと、ゲートを取り囲むようにして王都アルヴェリアの戦力が集められていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
行き先を人種の中心である王都アルヴェリアと宣いシャルロッテや親衛隊の面々、エイラのど肝を抜いた後、鮮血城サン・カストロの一室を借り二人は休息を取った。
そして次の日、目的地がそんなことになっているとも知らず凶夜達は鮮血都市を満喫していた。
「ねぇ凶夜。川みたいに流れてるコレって本物の血なのかしら?」
「んな訳あるか。これは高い魔力を含む水に赤く色を付けただけだ。俺達が飲んでも問題無い筈だぞ? 気になるなら飲んでみろよ」
「ええ!? ……遠慮しておくわ」
そんな他愛のない会話をしつつ、現在は凶夜とエイラ二人だけで街を回っていた。
捕まっていたのはあくまでも吸血鬼族の最上位だけであり、その他の吸血鬼達は鮮血都市に身を潜めていた。
だからこそ国を纏める為の仕事が山積みとなっており、シャルロッテやオレイラ、その他の親衛隊達は政務にひぃひぃ言っている。それは二人に案内役をつけることすらままならないほどであった。
それでも手元には最低限の手配として朝一にオレイラから渡された鮮血都市特有の通貨が袋に詰まっている。何でも数十年はこれで暮らせる量なのだとか。
まあそれもこの都市で、という条件付きなのだが。
「さて、取り敢えず街に出てみたが……やっぱり最初は服屋だろうな」
「そうよね。新しい服はケイレスで買ったといっても、安物だから着心地が最悪なのは代わりが無いし」
城の門を潜り街へと出て早速二人の意見が纏まったところで、エイラは通貨と同じく渡された鮮血都市の地図を広げた。
オレイラ自作というその地図は、カテゴリ毎にオススメの店が記されており最早地図というよりは一種のガイドブックのようだった。
それに従い、一番近くのピックアップされていた服屋へと二人は足を踏み入れた。
「あら、いらっしゃい。貴方達が噂の二人ね。話は親衛隊から聞いてるわ」
「お邪魔します……え? それってどういうこと?」
「あ〜。大方オレイラの気遣いだろ。無駄に気が利く奴だな」
凶夜の推測通りオレイラが凶夜達が向かうであろう店舗に予め伝えておいたのである。
ガイドブックは予め用意しておけるとしても店への紹介はオーバーワーク真っ最中の彼女が何時どうやったか凶夜でも疑問だが。
まあ、そんな気にすることでもないか、と凶夜は気を取り直し店員に勧められるまま店の奥まで入っていった。
「え? え?」
「ほら、そこの美人さんも」
「びび美人!? わわわ私のこと!?」
「他に誰か居るの? さぁ早く!」
「はは、はい……」
一人事情が飲み込めずあたふたとしていたエイラは、店員に美人と言われたことに動揺しながらも凶夜と同じように店員の先導のもと、店の奥へと入っていった。
「二人共ちょっと待っててね」
店の少し奥に並ぶ個室、恐らくは衣装部屋だろう前に着くと店員は二人にそう言い残し服並んである方へ向かっていった。
様子を見るにどうやら凶夜達用の服を見繕っているらしい。
時間が空いた凶夜は未だ緊張しているエイラに話しかけることにした。
「エイラ、お前ってこういう店初めてなのか?」
「み、見れば分かるでしょ。服屋に限らずこういう街の店自体が初めてなのよ。だがら、どうすればいいのかよく分からないの」
「そんな難しく考えなくてもいいと思うぞ。今回の場合は、選んで貰った服を着てみて、それが気に入ればそれを買えばいい。資金ならたっぷりあるんだからな」
「……が、頑張るわ」
買い物って頑張るものじゃないんだがな、と凶夜は思いつつも店員が二人分の服を手にこちらへ戻ってくるのが見えたので話を一旦終わらせた。
「さぁ着てみて頂戴。こっちが貴方で、こっちが美人ちゃんのね。着方とか分からなかったら手招きして貰えば教えるから」
「ああ」
「わ、わかったわ」
凶夜が個室へ入り布で遮蔽したのを真似してエイラも同じように個室へと入った。
中ではゴソゴソと二人が着替えており、時折「お、良いな」とかの主に凶夜の独り言が個室の前で待つ店員の耳に届き機嫌を良くさせるのだった。
しばらく経ち、まずは凶夜が個室から出てきた。
エイラの方は慣れない服に少し苦戦しているようだ。
見かねた店員が凶夜の出てくる前に「手伝いましょうか?」と声を掛けたのだが当の本人に「だ、大丈夫です」と断られてしまったので遅くとも店員からは何も言えないのだ。
それはともかくとして、個室から出てきた凶夜の服装は安物の市民服から様変わりしていた。
上は黒い無地の服、下はジーンズのような服装だ。
上半身はその上から某デスゲームモノで活躍する剣士の服とトレンチコートを足して割ったような服を羽織っていた。
ぱっと見ヴィジュアル系の服装、しかもご丁寧に手には黒の指ぬきグローブまで嵌め込んでいた。
一番下の靴は勇者時代から愛用している少し色が褪せた茶色の厚底靴だ。
そんな一見痛々しく見える服装も、凶夜が着れば中々に様になっていた。
手近な鏡の前に立ちうんうんと頷く様子を見れば、彼自身もその服装を気に入っているらしかった。
「お似合いですよ」
「そうか?」
「ええ、中々着られる人がいなかったので助かりました」
「在庫処分に困ってた品かよ……。まあいいが」
どうやら巧く利用されてしまったようだと、凶夜は嘆息した。
それでも目の前の店員のセンスは本物だったので文句は言わなかったが。
「ま、待たせたわね」
そうこうしている内にエイラも着替えが終わったようで個室から出てきた。
「おお」
「こ、これは予想以上ですね」
その姿は凶夜を感嘆させ、服を用意した店員でさえも目を見張る変わりようだった。
エイラが身に着けている物を一言で表すとするならばバトルドレス、だろうか。
上と下、共に白を基調に赤い装飾が施されたている。
所々にリボン等の装飾があるその服装は一見貴族のドレスを想起させるが、裾は膝がギリギリ隠れるくらいと短い造りだ。
肋の辺りには紫寄りの黒いコルセットのような防具が付けられており、それが下地の白い服装と実にマッチし、ある種妖艶な雰囲気さえ醸し出していた。
剥き出しの足には黒いソックスが履かれており、元々細く美しいエイラの脚線を更に強調している。
清楚でありながら強さを連想させるその服装は元聖女で現在は反逆者であるエイラを現しているように凶夜は感じた。
ただ一つ、惜しい所があるとすれば靴だろう。
これから戦闘行為は避けられないとは言え、機動性を重視した無粋なデザインの靴はエイラの服装にはミスマッチと言えた。
凶夜の服装に合わせ靴は同じく無粋なデザインだが黒い。まだ寛容出来るが、エイラの白を基調とした服装にスニーカーもどきはどうなのだろうか、と凶夜はエイラの服装に関心しながらも思わずにはいられなかった。
「へぇ、似合ってるじゃないか」
まあ、思うだけで口には出さないのだけれど。
しかし褒められた方のエイラの方は、凶夜の予想と違いあまり芳しいもので無いようだった。
「冗談言わないでよ、もう。……すーすーして、なんだか落ち着かないわ」
そんな台詞が、スカートの裾を掴み恥ずかしそうにもじもじしているエイラから発射された。
その威力はICBMの如き!!
「ぐっ」
「くはぁっ! な、何てあざとい、たがそれが良い!!」
凶夜でさえダメージを受け、店員に至ってはキラキラした目で
「嗚呼、お粗末さまでした……」
等と叫んだ後にお礼を言う程であった。
「あ、あざといって……。べ、別に狙ってやってる訳じゃないんだからね!」
「○○だからね頂きましたありがとうございますっ!!」
「………」
元々業が深かったのだろう、先ほどとは豹変した店員に凶夜はドン引きし彼女を捉えるその目は、まるで生ゴミでも見るような目だ。
勿論、当事者であるエイラの方が凶夜よりも酷い視線を店員に送っているのだが、それさえも彼女にはご褒美らしかった。
オレイラ特性ガイドブックによれば目の前の彼女は一代で店を大きくした敏腕女性店長らしいのだが、そのような面影は既に無かった。
「エイラ、手遅れだ。早く出よう」
「そうね。そうしましょう」
そして二人は後ろに敏腕女性店長の成れの果てを連れながら会計を済ませる為に店の入り口付近へと向かった。
そこそこ広い店内とはいえ、すぐに辿り着いた。ただ、二人の瞳は死んだ魚のように濁っていた。
後ろに付きまとう
素気無く会計に向かえば後ろから「ねぇねぇこれも着てみませんか。ハァハァ」等と鼻息荒く服装を見せられ、エイラが「いりません」と蔑む視線と共に拒絶すれば「はうぅ!」等といいお礼を言うのだ。それも、満面の笑みで。
そのようなやり取りを短い間に何度も繰り返されれば遠い目をしたくもなるだろう。
だが、それもこれで終わり。資金を持つ凶夜は手早く会計を済ませようと口を開いた。
「で、幾らだ? この際幾らでもいい、早く出さして―――」
「お代は結構です」
「―――」
お代を払い、さっさとお暇しようとしていた凶夜は、しかし次の敏腕女性店長(の成れの果て)の言葉に凶夜は警戒を強める。
商売とは、単なる物の売り買いではない。商人とは、人との繋がりが不可欠な職だ。
物を売ると当時に信用も売る、そしてその対価として金を受け取る、その繋がりこそが商人にとって何よりも大切なものである。
つまりは等価交換、そのどちらも欠けては成り立たない構図であり、それが商いだ。
裏を返せばお代を受け取らないというのは客に信用を売ることを拒否しているとも取れ、それは客を侮っているとも取られかねない行為だ。
そんなこと、一代で店を大きくしたという敏腕ならば重々承知の筈。ならばそれをみすみす犯す筈はない。等価交換は必ず行われる、それが商売である。
そしてお代、つまりは金が要らないということは対価は別の物でということだ。凶夜の警戒が強まるのは必然的なことであった。
「金じゃないなら、何が欲しい? あくまでも等価交換、だ。価値と釣り合わないような無理難題は断るからな」
「いえいえいえ、この店の店長の立場に賭けて、そんなぼったくりじみたことしません。商売に一番必要なのはお客様との良好な関係、それを地に墜とすような真似、頼まれたって致しませんよ」
一応釘を刺してみる、が案の定彼女が無能という訳では無さそうだ。
「そりゃそうだな。それで、改めて聞くが何が欲しいんだ? または―――何をして欲しいんだ?」
「ふふ、流石は元勇者。中々鋭いですね。ですが、まあ安心して貰って結構です。そんなに難しいことではありません。数枚、写真を取らせてもらえればそれで結構ですので」
「………なる程な」
「え、えっと………何がどういうこと、なの?」
凶夜が店長の意図を理解し、頷いていると横で二人の話し合いを眺めていたエイラから疑問の声が上がる。
当事者同士で一人だけ理解が追い付かないことがあるということは、教えないと後々面倒なことになると思った凶夜はエイラに説明を始めた。
「つまりは取った写真を宣伝に使うんだよ。俺は曲がりなりにも人と魔族を和平に導きかけた元勇者、そしてエイラは吸血鬼族の長を救った立役者の片割れだ。この都市内で、宣伝の素材としてはこれ以上無い程有用、そういうことだ」
「へぇ〜。でも、商人でもない凶夜によく分かったわね?」
「旅をすると、自然と身につくもんなんだよ。こういう知識は」
良くも悪くも、この世界の文明レベルは魔法、その他の特殊文化を除けば凶夜の元の世界で中世辺りの水準である。まだ碌に法も制定されていない弱肉強食の世界、その中を旅するのであれば否が応でも淘汰はされるものである。
もっとも、旅というのに箱入り娘らしい幻想を抱いていたようであるエイラは凶夜の返答を聞き非常に微妙な顔をしていたりするのだが。
「不満か?」
「ええ。私、旅ってもっと楽しそうなものを想像していたから」
「確かに楽しいこともあるが、楽しいだけじゃ世の中成り立たないんだよ。世の中は等価交換で成り立ってる。今回のを良い例として甘い想像なんて捨てるんだな」
「うぅ。わ、分かったわよ」
若干不満そうな気配はあるが、これから長旅なのだ。今のうちに世間知らずの甘い考えは変えてもらわなければ本人は元より、何より凶夜が後々後悔することになるだろう。
そんな考えで施した忠告により、エイラが渋々納得したのを見届け満足した凶夜は返答を待っていた店長に向き直った。
「待たせたな。写真で結構だ」
「ありがとうございます。では、こちらへ」
「たが、こちらからも一つ条件を付けさせて貰おうか」
「………はい?」
困惑気味に振り向いた店長を無視し、凶夜は付け加える条件を早口で述べ始めた。
「一つ、俺達の写真はあくまでもお前の店のみの使用とすること。二つ、使用は鮮血都市に限ること。三つ、前着ていた服を今着ている服の値段で買い取ること、勿論金は人の通貨で。一つ目は契約があくまでも俺達とお前との間に結ばれるものだから、二つ目は俺達は指名手配中の身だ。無闇に現在の服装を晒したりしたくないんでな。三つ目は俺達のこの店に対する口止め料だ。客を客とも思わぬあの反応、正直どん引きだぞ」
「ぐっ」
凶夜の正論に、店長はぐえの音も出ないようだ。
「この三つが守れないというのならば、この服はお返ししよう。代わりにお前の店には元勇者お墨付きの悪評降り注ぐだろうがな」
「………わ、わかりました」
店長に契約書を書かせ、服から取り出した判を押させ契約を有効にする。
凶夜に付け加えられた中には狙っていた利益も含まれていたようで、店長の表情には口惜しさが滲み出ていた。
その後、二人は店長の案内で店の奥にある部屋に連れてこられ一人ずつ何枚かの写真を取られた。
それが済むと二人はすぐに店を後にした。
心なしか、背後から聞こえる「今後ともご贔屓に〜」という店長の声も悲しげに聞こえる。
脅迫じみた凶夜の交渉により、要らない商品を売れるどころか逆に金を巻き上げられてしまったのだから仕方の無いことだろう。
ちなみに、凶夜とエイラが得た資金は十万ゼル。
人種の一般的な家庭が二万ゼルで一ヶ月、余裕を持って暮らすことが出来ることを思えば中々の大金であった。
「やっっと出られたな」
「そうね。服を選ぶまでは良かったのに会計であんなにややこしくなるなんて、ね。凶夜、まさかいつもあんな風に買い物してるの?」
「まさか。今のように資金がたりない時と店の態度が気に入らなかった時だけだ」
流石の凶夜も毎度毎度あんな風に買い物していては身が持たないらしかった。
そんな取り留めの無い会話をしながら歩いていると、食欲を刺激する良い匂いが漂ってきた。
それに釣られ、二人は近くの広場へと向かっていった。
「おお、美味そうだな。そろそろ飯にするか」
「そうね。お腹も空いてきたし」
人が集中する広場だけあって出店している屋台も多く、何種類もの食欲をそそる匂いが代わる代わる凶夜達の腹を刺激する。
どうせなら朝食は街で摂ろうと朝から何も食べておらず、加えて服屋にそれなりに拘束されていた凶夜とエイラ。
強烈なまでのその誘惑に抗う術も理由も、二人には無かった。
『きゅるるる』『ぐぅ』
二人のお腹も、それぞれの意志を代弁するかのように音を鳴らした。
「身体も欲しがっていることだ。早速食いに行こうぜ!」
「そ、そうね!」
さして気にするようでもなく、露天へと足を伸ばす凶夜とその後ろに続くエイラ。
若干顔が赤く、お腹が鳴ったことを恥じらっていたらしいエイラだったが空腹には勝てないようだった。
「ババブ二つ、一つは激辛でもう一つは普通で」
「あいよ! 合わせて一二〇ラドだよ! ………毎度あり!」
露店の店主からケバブのような物を挟んだバーガーを受け取り、近くの開いている席へ二人は座った。
「はい、これお前のな。おぉ、うまそ」
「ねぇ。これ、どうやって食べるの?」
「何だ。エイラはこうゆう食べ物は初めてなのか。じゃ先に食べるからよく見とけよ」
そう言うと凶夜はすぐにバーガーへとかぶりついた。
しばらくモグモグと口を動かしていたかと思うと「ふぅ〜」と出来なかった呼吸をする。その顔はとても満足そうだ。
「ピリッとした辛味が肉の旨味を引き立てていてめちゃくちゃ美味いな! ほら、エイラも食えよ」
「え、ええ。んっ………!! 美味しい!」
やや遠慮がちに小さな口を開いてバーガーに齧り付いたエイラも、凶夜と同様に久しぶりであろう普通の食事の美味しさに感動すらしているようだ。
二人共長きに渡る逃亡生活を続けていた身、禄な食事など取れなかったのだ。その美味しさも一入というものだろう。
その後も、味を占めた二人は露店巡りを続けた。
一見小籠包のようだが中は魚のつみれが入っている
途中で飲食店に入ってバイキングし店員を真っ青にさせるなど、お腹一杯になるまで二人は露店巡りを楽しんだのだった。
「ふぅ〜。食った食った。正直動くのもしんどいな」
「私もよ。多分生まれてから今日ほど食べた日は無いわ。ほんと、教会に育てられていてこういう機会があるなんてね」
凶夜は張ったお腹を擦りながら、エイラはかつての環境では考えられないと遠い目をしながら。
テラスの一角にて、ともに満腹による幸福感に酔いしれていた。
「さて、次は何処へ行くとするか」
「行くって、もうそろそろ日も落ちるわよ? ………って。この都市も暗くなるのかしら?」
「鮮血都市には人には秘匿されているが魔族には観光名所だ。勿論住んでるのも吸血鬼以外が多いからそいつ等に合わせて夜は暗くなるようになってる。昨日過ごしたろ?」
「昨日はすぐに寝ちゃったから……。でもそれだともうすぐ暗くなるってことよね。あんまり遅くまで帰らないとお城、閉め出されちゃうんじゃない?」
「それも、そうだな。かなり高い門だが俺は登れるとして、エイラはやっぱり俺が蹴らないと駄目そうだからな」
「その、出来れば蹴る以外でお願い、ね?」
「……そんな尻を抑えてまで警戒しなくていいぞ。冗談だからな」
「そう、良かった……」
「………………」
ちょっとした冗談のつもりがこの反応、むくむくと罪悪感が凶夜の心に飛来し何だか申し訳ない気分だった。
そんな気持ちが凶夜をそうさせたのかどうかは分からないが、次の行き先はすぐに決まった。
「じゃあ装飾品店行くか。小物なら選ぶのに時間も掛からないだろうからな。ほら、丁度向かいの通りにあるし」
「日が落ちるって言っても少しは大丈夫だろうし。うん、そうしましょ」
そうして二人は鮮血都市最後の観光としてアクセサリー屋に足を運んだ。
「へぇ。凄いな。こういう店は初めてなんだが、中々凄い技術じゃないか」
「わ、綺麗………」
店に入ると二人は感嘆の声を上げる。
綺麗に整理され、客を第一に考えた配置の机、棚にはアクセサリーが照明を反射し煌びやかに輝いていた。
その様はまさに宝石箱。外とは一線を画す絢爛な世界は二人が一瞬本当に宝石箱の中に入ったのかと錯覚してしまう程、美しいものだった。
「いらっしゃいませ。ふふ、当店を気に入って頂いたようでありがたいです」
「ああ。壁の装飾や的確な配置、まるで宝石箱のようだった」
「この店のコンセプトは『宝箱』ですから、そう言って頂けると嬉しいです。何かご希望はお有りですか?」
「簡単な小物を俺と彼女に一つずつ」
「かしこまりました」
出迎えた店員が小物類を置いている机に行き、二つのアクセサリーを手に帰ってくる。
「では、こちら等どうでしょうか。こちらが凶夜様で、こちらがエイラ様。とてもお似合いだと思いますよ」
名前を知っているということはオレイラの紹介があったということ、かなり離れている店にも関わらず向かう店を当てたことを凶夜は密かに驚いた。もっともエイラの方はそれに全く気付かず店員が持ってきたアクセサリーに夢中のようであったが。
店員が左右の手に持っているアクセサリー、凶夜に差し出されているのは銀色の片翼を模したネックレス、エイラに差し出されているのは金色の十字架を模したネックレスだった。
「へぇ。中々いいじゃないか。エイラはどうだ?」
「神を信仰しない聖女に十字架はどうなのかと思うけど、まあ長年近くにあった物だから落ち着くのも確かだわ。金色の十字架っていうのも新鮮で綺麗なものね。気に入ったわ」
「そりゃ良かった。じゃそれ二つで。包みはしなくていいから」
「かしこまりました。合わせて一〇〇〇〇ラドになります………ありがとうございました〜」
代金を支払い、それぞれ商品を受け取ると店の外に出る。背後から聞こえる店員の声も服屋と違い満足そうだ。
「よっ……と。どうだ?」
「おぉ。服と合ってて、中々格好いいわよ」
早速凶夜が付けてエイラに感想を聞いた。
返ってきた感想は中々に高評価なもの。黒い服装に添えられた銀の片翼は、確かに下地と合って映えていた。
エイラも早速十字架のネックレスを付けてみようと試みる。しかし、
「……あ、あれ?」
初めてこの手のアクセサリーを付けるのだ。首の後ろ、手元を見ずに付けることはエイラにとって難しいことだった。
その後も何度も試みるが、全て敢え無く失敗してしまう。
「ほら、ちょっと貸してみろ」
「うぅ、はい」
見かねた凶夜がエイラにネックレスを貸してみろ、と手を出す。
幾度も失敗していたエイラは素直に、その手にネックレスを渡した。
「あんま、動くなよ」
「わ、分かったわ」
エイラの顔の前から凶夜の手が首の後ろに回される。
必然的に二人の顔は近くなり、エイラは動くどころでは無かった。心臓が、煩い程に鼓動を速めていた。
凶夜の顔を見上げると、人にネックレスを付けるのは初めてなのか、少し苦戦しているようだった。そこにはエイラの顔のように恥じらいの表情は無く、逆にそれがエイラの羞恥心を加速させていた。
「……っと。こんなもんか。どうだ? 外れたりしてないか?」
「……え、ええ。大丈夫、みたい。ありがと」
体感時間でとても長く感じた一時は終わりを告げ、エイラはどうにか顔を上げ返答し、お礼を口にする。
それを見た凶夜が何か気付いたように、心配するような表情になる。
突然どうしたのだろうか、とエイラが思っていると、突然凶夜の顔が近づいてきた。
「ふぇぇ!?」
唐突な接近にエイラがフリーズしている間にも二人の顔はどんどんと近づいていき、思わずエイラは目を瞑ってしまう。
そして額と額がくっつき、何かを期待しているような、そんな不思議な気持ちと胸が破裂するのではないかと錯覚する程に高まる鼓動。
それらを感じながら、体が固まり動けないエイラ。永遠とも思えるその時は、しかし終わりはすぐに訪れた。
「熱、は無いみたいだな」
その一言の後に額同士がくっつくまでに接近していた顔は遠くなる。
「………え?」
それを訝しんで、エイラが恐る恐る目を開けると、そこには普段と変わらない凶夜の顔が。
「顔、赤いが具合とか大丈夫か? 熱は無いみたいだが……」
「………っ。だ、大丈夫よ」
顔を近づけてきたのが自らの身を案じてのことだと理解し怒ることも出来ず、何だかモヤモヤした気持ちのままエイラはそう返事をした。
「それで、どう?」
「どうって……ああ。似合ってる」
「似合ってるって、それだけ? 何か、こう、他に無いの?」
「レポートしろってか? 無茶言うな。俺にはそんな豊かな語彙は無い。言えるとしたら、可愛いくらいだ」
「か、可愛い………」
「………」
エイラは『可愛い』、なんて有りがちな感想じゃ満足しないと思っていた凶夜だが、言ってみれば意外と満更でも無さそうだったので少し驚いていた。
ほんのりと頬を染め恥じらう姿は、見た目相応の女の子そのもの。普段は強気な態度だが考えてもみれば彼女も普通なのだ。
普通の、少し道を外れただけの、女の子なのだ。自らのように勇者としての修羅の道を歩んだりもしていないごく普通の、教会育ちの女の子。
その生い立ちに教会の思惑が多少介入しているが、それでも教会の庇護のもと従っていれば俺の戦いに付き合うことも無かった筈なのだ。
ちら、と彼女をこのまま俺の戦いに連れて行って良いのだろうか。そんな思いが凶夜の頭を掠める。
このままエイラと別れ、彼女は別の、戦いも無い、血の臭いも死体の山も無い、そんな
「エイラ、お前は―――」
「ストップ。それ以上は言わないで。もし言ったら―――頭、撃つからね」
「………」
口を開けば脳が飛ぶ。
前科があるエイラにそう言われてしまった以上、凶夜は口を閉じるしか無かった。
「凶夜が何を言おうとしているのか、何となくだけど分かる」
「どうしてだ?」
「そりゃあ休みを満喫してる人の顔見て考え込んでれば、嫌でも想像つくわよ」
「………」
そんなに分かりやすかっただろうか? と凶夜は疑問に思ったがそれを口に出す程彼も野暮では無かった。
「私は、今の
「どうしてだ? 何で、幸せを目指さないんだ? 目指そうと思えば目指せる、手に入れられるのに」
凶夜の問に、エイラは少し笑う。
「ふふ。分かってる癖に。そんなこと、分かりきっている癖に。過去は過去、そう割り切っても自分自身であることに変わりはないの。切っても切れない、過去とはそういうモノ。だから、過去が自分を縛る鎖になってるなら、ちゃんとけじめをつけなくちゃ。……そうじゃないと、私は本当の意味で
「…………」
ただ黙ってそれを聞きながら、凶夜は夢想し、そして悟る。
この少女がどれだけの決意を秘めて、込めて、自らと同じ修羅の道へと身を墜としたのかを。
「醒めない
「………ハハッ、敵わないな。―――ありがとう、んで改めて宜しくな。エイラ」
「こちらこそ、宜しく。凶夜」
長い長い、決意とも取れるエイラの強烈な意志を聞いた凶夜。その顔には先程まであった悩む素振りなど微塵も無く。
ただ、そこにあるのは絆という不確かなものを、確かな形で触れ、顔を綻ばせる二人の仲間だった。
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