第八話 『奇積』

 人は暗くて狭い場所が、本能的に好きだという。

 赤子頃に過ごしていた母親の胎内を思い出して安心するからだそうだ。


 人は暗くて広い場所が、本能的に嫌いだという。

 狩りをしていた頃の名残で、敵が何処から来るのかが分からないことに恐怖を感じるからだそうだ。


 では、ただ暗い場所を、人はどう感じるのだろう?


 やみやみやみ

 その闇はひたすらに暗く、黒く、まるで何もかも飲み込みそうな色彩だ。

 包み込むではなく、飲み込む。

 飲み込まれて、咀嚼される。

 それを形容するならば、飢えた獣の口内。

 かつて出会った自らを優しく包み込む、生命を、力をくれた暗闇とは似ても似つかぬ暴力的な闇。


 そんな闇に、人は何を感じるのだろう?



        ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 「どう、なったんだ?」


 ヘドロのようなものに完全に包み込まれ、隔離されたであろうドーム内で凶夜は辺りを見渡した。

 真っ黒だ。真っ暗だ。

 外から光が入って来ないのだからそれは当然だろう。凶夜が幾ら目が良かろうと、一切の光が無ければ視覚は機能を失うも当然だ。

 故に、凶夜は視覚ではなく聴覚、嗅覚に頼り辺りの様子を探った。


 「どういうことだ?」


 不思議なことに音一つ、何の臭いも感じない。

 シャルロッテが居たであろう場所の気配を探っても、その痕跡すら掴めない。

 その事実に凶夜が訝しんでいると、突如目の前に不思議と暗闇の中でさえはっきりと視認出来る薄いもやのようなものが現れた。


 「っ!」


 手に持つ剣を構え、再び臨戦態勢へと戻る。

 怪しげな靄はすぐに凶夜を攻撃するかと思われた、だが実際にはゆらゆらと、まるで海面を揺蕩うクラゲのように揺れているだけ。


 「………」


 明らかに怪しい靄から目を離さずに、ずっと監視をする凶夜。

 靄は何をするでもなく、揺れている。何の問題の無いように思えた。


 「あれは、人か?」


 だが実際には、徐々に形を変えて人型に近付いていた。

 あまりにも自然に変化していった為に気付きにくかったのだ。

 そして靄は、だんだんと明確な形を持ち始める。

 凶夜にとって、苦い記憶の象徴を持ち始める。


 「エ、エレナ……!?」


 靄が形作った人間。それは凶夜にとってとても馴染みの深い者だった。

 瀕死の重傷を負った際、倒れていた凶夜を見つけ、村の皆を説得して身の回りの世話までしてくれた命の恩人。

 そしてその恩を返せず、凶夜を助けたことが原因で一族と共に命を終えた、終えさせられた少女。

 自らの後悔、いくら懺悔してもし足りない罪の象徴。

 彼女を目にした凶夜は、そのトラウマ、傷心故に、現在の状況など一切を忘れてただ謝り始めた。

 自らの過去を、罪を、直視出来ない幼子のように。


 「ごめん、本当にすまなかった。エレナは俺を助けてくれたのに、命を救ってくれたのに、俺のせいで君を、君達を死なせてしまったっ……!!」


 ―――闇に映るのは後悔だ。


 武器を取りこぼし、凶夜は土下座をする。

 何故彼女が現れたのか、死んだはずなのではなかったのか。

 そんなことなど意識出来ないほど、彼女達にまつわる後悔は凶夜の中で膨れ上がっている。


 『じゃあ、死んで償ってよ』

 「……分かった」


 ―――取り返しのつかない、酷く苦々し    い記憶。


 それはエレナから死を命ぜられれば決断する程に、凶夜は後悔に毒されていた。

 無表情の、死んだような顔のエレナに見られながら凶夜は土下座から正座へと体制を変える。

 横に落ちている蒼炎を手に持ち、そして自らの腹へと切っ先を向けた。

 切腹、命、それを以て罪を贖う為に。


 「………」

 「さァ! はやク死んデよ! サあ!!」


 ―――その記憶は、ただただ、際限無く    自らを責め立てる。


 醜く歪がみ、狂気に染まった表情で催促を繰り返すエレナ。

 その言葉に従い凶夜は自らの腹に蒼炎を突き刺した。


 ―――しかしどんなモノにも終わりはあ    るのだ。永久の幸福が無いように、    永久の不幸もまた存在しないのだ。



 『………めて』



 ―――諸行無常。闇もまた、決してその    例外ではない。


 腹を裂く蒼炎の刃が動きを止める。

 暖かい何かが、凶夜の手に触れている。

 何故だか自然、涙が流れた。


 「う、あ……」

 『泣か、ないで』


 凶夜の頬を流れる涙を、暖かい何かが拭うように触れた。


 手だ。

 とても暖かい、触れれば折れてしまいそうな華奢な指だ。


 ―――完全なものなど存在しない。光に    は闇が、その逆もまた、然り。


 声が聞こえた。

 鮮明に残る、この世界で一番幸せだった頃の記憶に登場する声。

 透明感のある、小鳥のような可愛い声。


 ―――そして闇が大きい程に光は強いも    のになる。後悔を振り払う奇跡も、    希望も、また大きくなるのだ。


 暖かなものが何なのか、はっきりと理解出来た時、凶夜の瞳からは涙が溢れ、口からは嗚咽混じりにその名が呼ばれた。


 ―――奇跡が起こる。

    闇に、一筋のきぼうが舞い込         んだ。


 「エ"、レナ"ぁっ!!」

 『久しぶりの再会なのに涙で酷い顔。格好いい顔が台無しですよ? 凶夜さん』


 顔を上げれば、百合のように可憐な笑顔がそこにはあった。

 亜麻栗色の長髪に茶色の瞳、汚してしまうのではないか、そう思い触れるのを躊躇ってしまう程の白い肌。

 まさに高嶺の花、けれど誰にでも分け隔てなく笑顔を振りまく、例えるならば太陽。

 万人に恵みを与える太陽のように、いつものように、日光のような暖かさを伴う笑顔を浮かべる彼女が凶夜を見詰めていた。

 彼女に涙を拭き取られる度、安堵が身を包み自然と嗚咽が止んだ。


 ―――闇には光を、後悔には希望を。


 『さあ、この手を引いて。自分を殺すなんて止めて下さい凶夜さん』


 エレナは刀を持つ方の凶夜の手に添えている自らの手に、少し力を込めた。


 ―――傷ついた心には、暖かな温もり     を。


 「けれど、君は俺のせいで命を落とした。その償いはしなければ……」

 『確かに凶夜さんが死ねば私も気軽に会えますし嬉しいですよ? だけど、駄目。貴方はまだこちらに来ては駄目なんです。償いなんて、私は望んでませんよ?』


 一瞬、エレナの言葉を受けて泣きそうになる凶夜。だが、それも暗い表情に閉ざされた。

 そして再び、切っ先がすでに腹へと入っている蒼炎に力が込められた。


 ―――そして絶望には、眩いまでの奇跡    を。


 「けれど! ……けれど、俺のせいで死んだのはエレナだけじゃない。中には俺を恨んだ人だって……」

 『はぁ。凶夜さん……貴方はほんっっっとうに莫迦ですね! いい加減気付いて下さいよ!』

 「気付くって、何を……」

 『あぁ〜、もう! みんな〜! みんなは凶夜さんを恨んでますか!?』


 エレナが明後日の方向へと大声で呼びかけた。

 次の瞬間、凶夜は自分の耳を疑った。


 ―――奇跡なんて偶然の産物。

    けれど偶然なんて、重なるもの。

    奇跡もまた、然り。


 『楽しい時間をくれてむしろ感謝してるわ、孫が見れないのが残念だってけどね』

 『恨むわけねぇだろうが。何をくよくよしてやがんだ、死んでも親の手を煩わせんじゃねぇよ………ありがとな』

 『だいすきなおにいちゃん、なかないで。ハンナはおにいちゃんのこと、ずっとだいすきだからね!』

 『んもう、凶夜ちゃんたらそんなことで悩んでたの? 私達のことを忘れないでくれるのは嬉しいけど、前を向かなきゃ駄目よ、ね?』

 『おにい、ちゃん。だいすきだよ。いつも、あそんでくれて、あり、がと』

 『にいちゃん! いつもあそんでくれてありがとな! たのしかったぜ!』

 『なかないでくださいよ。おにいさんは、ぼくたちのあこがれなんですから』

 『おにいさん、いつもおれたちにかまってくれてありがとな! にぎやかでたのしかったよ!』


 カローラさんにロウゴさん、ハンナに空き地で遊んだちびっ子達。

 その後も村の人々から様々な声援が凶夜に投げかけられた。

 それを聞いて凶夜は泣いた。

 今は亡き人々達からの言葉だったことも理由の一つだったが、何よりも―――そのどれもが凶夜を心配か励ます言葉であり、感謝の言葉だったからだ。

 ただの一つも、恨み言が無かったからだ。


 ―――闇が塗り替えられる程の希望。

    不幸が覆される程重なる奇積。

    それが、そこには確かに揃ってい     た。


 「ぐ、うぅっ!」

 『気付きましたか? みんな、貴方のことが大好きなんですよ。勿論、私も。だから、大好きな人を恨むわけ無いじゃないですか』

 「ごめ"、ん」


 好意に気付けなかったことを、みんなを信じきれなかったことを、謝る凶夜。

 だが、それを受けたエレナは静かに首を振り、

 『違いますよ、凶夜さん』

 静かにそう言った。


 嗚咽を抑え、涙を堪え、前を向く為に考えて、そして相応しいその言葉を凶夜は口にした。


 「あり、がとう」

 『っ! ………や、やっと格好いい顔に戻りましたね! さあ早く、私の偽物なんて倒しちゃって下さいよ。そしてここから出て凶夜さん、貴方の成したいことを成して下さい。私達はいつも、貴方を見守ってますからね♪ ―――大好きです』

 「っ!」


 最後に凶夜の頬に口づけをして、霞のようにエレナは消えた。

 共に、無数の暖かいモノも消え去った。

 凶夜の周囲に残るのは、エレナの形を模した"何か"。

 暗い暗い、闇に戻った。けれど、先程とは決定的に違うものがある。

 胸に、心に、精神に、そして魂に残る温もりが、決して消えぬ暖かさがある。


 ―――もう、見誤りはしない。


 不退転の意思を持ち、再び凶夜は立ち上がった。

 その片手には『蒼炎』。


 『シんでしんデシンデはヤく死ンデヨオォォォ!!!』


 自殺を誘うのは失敗したと悟ったのか、髪を振り乱し有り得ない関節の動かし方をしながら化物は凶夜に襲い掛かる。

 その顔は、溶けたようにドロドロで、もはや人間としての面影すら存在していなかった。


 凶夜は紛い物を鋭い瞳で見据え、刀を構える。


 『シィイィネエェェェッ!!』

 「エレナを、大切な人達をけがすな。偽物」


 ―――飲み込まれそうな、咀嚼されそう    な程にくらい闇。

    海のように深い、それは後悔だ。


 ―――身を、心を喰らうのはいつだって    自らの後悔だ。


 ―――そして、それを溶かすのは何時だ    って大切な人の奇跡えがお


 凶夜の怒りを体現するかのように、刀が赤熱した。刀身の周囲には陽炎が立ち昇り如何に高い熱量なのかを示していた。

 鋼をも焼き斬る焔になった剣を翻し、飛び掛かってきた化物を脳天から真っ二つにした。

 フェイントも小細工もしない本能に任せた単純な攻撃など、凶夜にとって子供のお遊びだ。


 二つになりどさっと地面に落ちた怪物は、そのから燃え上がり灰も残さず消え去った。

 同時に凶夜の周囲にあった暗闇が、硝子のように砕け散る。

 泥のようなドームに覆われ、相変わらず薄暗い周囲に姿を現したのは、紅い瞳の幼女。


 「随分と悪趣味だな。こんな技使えるなんて聞いてないぞ、シャル。って言っても多分聞こえてないんだろうな」

 「侵入者の抹殺、失敗」


 虚ろな瞳を元の赤からより紅い、鮮血に染めた吸血鬼の女王、クローフィ=サングェスト・シャルロッテが右手に小さなその身長とそぐわない巨大な鋏を持って佇んでいた。


 「対象の健在を視認。精神的抹殺から物理的抹殺へ移行。殲滅開始」


 身体を低く屈めたと思った次の瞬間には、凶夜へ刃を振り下げていた。


 「っ!」


 鋭い金属音と火花が盛大に上がる。

 辛うじてその奇襲を防いだ凶夜は、を見ながら口角を上げた。


 「影移動からの奇襲ね。問答無用で殺りにくるその姿勢。流石は千の時を生きる真祖、これは俺も少し本気を出したほうが良さそう、だッ!」


 凶夜の力に任せた押しに小さな体格のシャルロッテは吹き飛ばされた。

 空中でくるりと回転すると、そのまま片手で逆立ちのような姿勢で着地し新たな化物を生み出した。


 「眷属召喚。喰い殺せ、堕ちた賢狼」


 シャルロッテの左手を中心に地面に広がった影から、無数の狼が出現した。

 そのどれもが身体の何処かを欠損していたり、抉れていたりしていて生きているとは到底思えない外見だった。

 だがしかし、狼は低い唸り声と共に凶夜へ飛び掛かり喉笛を食い千切らんと襲い掛かってくる。

 どうみても重傷なのに、動けるのか。簡単なこと、生きていないからだ。

 そも吸血鬼という半アンデットの存在が呼び出す眷属の時点でそれが真っ当な生物か疑わしいものだ。

 シャルロッテ本人は、

 『あんな腐っている連中と一緒にするでないっ! 吸血鬼は不死身なだけでちゃんと生きてるんだからのっ!』

 と怒りそうだが。


 四方八方から飛び掛かってくる狼を斬り伏せ焼きながら凶夜はそんなことを考える。

 それだけの余裕が彼にはある。アンデットの利点は致命傷が決め手にならないということだが、それも全て燃えカスにしてしまえば問題にはならない。

 加えて理性を失い、ただ新鮮な肉を求め突撃するだけの獣風情凶夜にとっては片手間にすら至らない。


 瞬く間に狼は全て灰になった。


 「こんな小細工通用しないぞ? っ!」


 改めてシャルロッテを見た時、一見意味の無いように思えた狼共の攻撃にも確かな意味があったことに気付かせられた。

 そして凶夜は、


 『賢狼は、死してなお賢いってことかよ! くそったれ!』


 そう今は無き狼どもに感心した。

 凶夜の視線の先にあるシャルロッテはただ佇んでいるように見える。

 だが、見る者が見れば、そして心の弱い者はその光景に気を失うだろう。

 小さな身体を覆う、膨大なその魔力の多さ故に。

 己の身にどのような魔法が、超常の力が襲うのか、その恐怖故に。


 圧倒的な魔法は強力であればあるほど魔力を必要とし、その術式構築も困難なものとなる。

 それは千の時を生き、術式構築が人は疎か吸血鬼の域さえも超越しているシャルロッテでさえ他のことに意識を捌いていてはままならない程の難易度。

 それを稼ぐ為に、シャルロッテは狼を、賢狼を呼び出したのだ。

 呼び出された賢狼は、主人の意を汲み取り行動した。彼我の戦力差を認識して行動をした。

 間断なく凶夜を襲撃し、そして巧みに隙間を埋めことを成し遂げた彼らは、まさしく賢狼であった。


 そして賢狼が身体を、存在を賭して作った魔法が解き放たれた。


 「礼装召喚、血で贖い護り賜えブラッディーフォートレス


 魔力が血として、物質界に顕現する。

 滝のような鮮血はシャルロッテの肉体を覆い、固まり、金属のような鈍い輝きを放つ鎧へと変化した。

 ゴスロリ風ドレスに紅い鎧を纏ったシャルロッテの姿は畏怖を覚える程、美しかった。

 所々に悪魔を思わせる鋭い突起や装飾が施された鎧の放つ威圧感は、まさに要塞のようだ。


 だが、それだけではシャルロッテの武装は終わらない。

 右手の鋏を胸の辺りまで掲げた。


 「まずいっ!!」


 その見覚えのある行為に危機を覚えた凶夜はシャルロッテとの距離を一気に詰め阻止を試みた。


 「くそっ! 邪魔だ!」


 だが、シャルロッテを遮るかのように地面から出現した大量のアンデットに進撃を阻まれてしまう。


 紅い刀身に青白い焔を纏う剣を勢い良く凶夜は横薙に振るった。

 凶夜を中心に超高温の蒼炎が放射状に撒き散らさる。

 その威力は総数三桁にも届こうかというアンデットの大軍を瞬く間に蹂躙、灰へと帰し、周囲を覆う結界すらもミシミシとヒビが入り僅かな光が入る程。

 それはまさに一瞬。


 ―――けれど、一瞬も掛かってしまった。


 アンデット数百体を捨て駒にした僅か一瞬の停滞。それを以て、シャルロッテの武装は完成する。


 「喰え、裂閃帝リッパー


 空気が、変貌する。


 裂閃帝リッパーと呼ばれたその鋏。それが一瞬、凶夜には脈動したようにさえ見えた。

 それ程の圧力プレッシャーが、ソレからは放たれていた。


 二つの刃を纏める金具が分かれ、左右対称の双剣へと姿を変える。

 光が乏しいこの空間でなお、凶悪なまでの輝きを放つ二本の剣。

 そしてそれを携えた紅い鎧の少女、それらは神々しいまでに禍々しく、美しい。

 地獄に堕ちたワルキューレ、そんな言葉が凶夜の脳裏を掠めた。


 「っ!!」


 だが、それも一瞬。

 見惚れている場合ではない、と凶夜は己に叱咤を飛ばした。

 周囲を見ればドームが消えて、それを形成していたドロドロの物体は地面に落ちつつあった。


 「凶夜っ! 無事だったのね!」

 「ああ。そっちも無事で何よりだ。さてと、こちらも揃ったところで作戦会議だ」


 凶夜は現状を一瞥すると、素早く整理し戦略を組み立て始めた。


 「エイラが俺に呼び掛けたタイミングから結界が解かれたのはシャルが武器、恐らくは己虐こぎゃくの系統の一つ、『裂傷』の真名解放を行ったから。察するに相当魔力消耗が激しいようだな」

 「え? ね、ねぇ、その己虐とか真名解放とかって何なのよ。相手を倒す為に戦略立てるんなら味方にも解るように組み立てなさいよ!」


 小声で立てていた戦略を敏く聞きつけたエイラが疑問を投げかけあげる少しキレて来た。

 凶夜はそれを面倒くさそうに一瞥し、


 「俺はシャルと一騎討ちをやる。エイラは周りを頼んだ。だから説明意味無し、オーケー?」


 話している間に続々と地面のドロドロから姿を現し続けるアンデットの大軍。

 それを指差しながら凶夜はエイラの役割を示しながら言った。


 「それ単に説明したくないだけじゃないの!? ……いいわ、シャルロッテさんは任せた。絶対に負けないでよね!」

 「保証は出来ないな」

 「そこは嘘でも勝つって言いなさいよ! もう!」


 単に面倒くさがっているだけではないこと、その時間が無いことをエイラは凶夜の対応から理解し二丁拳銃を持ちアンデットの群れ、その中心へと飛んでいった。

 勝つと明確に宣言していないけれど、私は凶夜の勝利を信じていると、最後に目線でそう伝えて。


 数秒後、死体の群れから幾重にも重なる銃声が凶夜の耳に届いた。

 遠目で多数アンデッド達にも引かない苛烈な銃撃戦を繰り広げるエイラを見、凶夜は己の敵へと向き直る。


 「待たせたな」

 「殲滅、開始」


 瞬間、二人の姿がブレ鋭い金属音が連続して響く。


 「くっ、重いっ!」


 連続し間断なく、的確に急所を狙ってくる凶刃を一本の刀で流れるように迎撃する凶夜。

 その顔には苦悶が色濃く出ていた。


 「精力吸収エナジードレインは健在かよ!」


 精力吸収エナジードレイン

 それは吸血鬼など一部の魔族が持つ特殊能力の一つ。

 効力は、『触れた者の精力、つまりは命の糧を吸い取る』というもの。

 一般的な吸血鬼でさえ肉体的接触が無ければ発動出来ない能力、だがシャルロッテは真祖。

 吸血鬼の中の吸血鬼、ノスフェラトゥを名乗ることを許された純血種は間接的な接触のみで能力の発動を可能とする。


 永い年月で培った達人級の剣術に、打ち合えば合う程に力を吸い取られる精力吸収エナジードレイン。それに加えて、


 「ぐっ」


 シャルロッテの猛攻を捌く凶夜から苦悶の声と共に血が滴り落ちた。

 勿論凶夜がシャルロッテの攻撃を捌ききれなかったのではない。それこそが第三の能力。


 己虐鋏『裂傷』。

 それがシャルロッテの持つ双剣、元は鋏の形状をした武器の名だ。

 己虐シリーズと呼ばれるそれは総じて業物であり、独特の特徴を持っていた。

 それが『真名解放』。

 武器に刻まれた真名をワードに一定量の魔力を加えることにより発動する、いわば武器の奥義。

 銘打たれる程の業物であれば『真名解放』を行える物がほとんど、決して珍しいものではない。

 だが、その中でも己虐の奥義はまさしく特異と言えるだろう。

 ほとんどの『真名解放』が剣ならば切れ味を増したり杖ならば撃ち出す魔法の威力を高めたりと、所持者に利益を与えるもの。一方で己虐シリーズと呼ばれる武具の『真名解放』は、総じて"自傷を与える"効果だからである。

 己虐鋏『裂傷』の『真名解放』は、『刃物のように鋭利な風を纏うことによる継続的な裂傷の創造』。

 そしてそれは持ち主だけに留まらない。鍔迫り合った相手にも裂傷は及ぶのだ。


 「くっ!」


 シャルロッテの両手からおびただしい量の血が撒き散らされた。

 剣を見れば輪郭がぼやけている。それ程に強力な風を纏っているのだ。

 鎧を着けているのにも関わらず、己虐の傷は創られる。

 使えば必ず己を虐げる。

 己虐シリーズと呼ばれる所以だ。


 だが、その傷も一瞬で完治する。

 吸血鬼の、そして真祖ともなればその自然治癒力は人外の極み。

 致命傷ですら、致命的に足りえないほど。

 けれど凶夜の方はそうはいかない。

 人間を辞めたといっても吸血鬼ではなく魔王。強大な魔力は有りそうだが、真祖並の治癒力など有している筈もない。

 己虐シリーズはまさに彼女の為に生まれてきたといっても過言ではないほど、その特性は、相性は合っていた。


 「ふっ! シッ!!」


 このまま打ち合っていればジリ貧。ならばと凶夜は戦法を変えた。

 唸りを上げ襲い掛かる二本の刃をまるで打ち合わせたかのように避け、一瞬の隙間を縫い一撃を与える。

 一歩間違えれば身体の何処かが無くなること必須の、世界で一番危険な舞踏だ。


 「うおぉっ!」


 飛び上がって刃を避けた隙を突き首を狩るもう一方の刃が迫る。

 それを空中で身体を捻り、ぎりぎりで凶夜は避けた。

 剣が纏う風に頬を裂かれ、血が吹き出した。

 そんなこともお構いなしに着地態勢に入りながらシャルロッテに全力の一撃を入れた。


 確信を以て放った一撃を躱され、手痛い反撃をくらったシャルロッテは鎧の恩恵で切り裂かれはしなかったものの、大きく吹き飛ばされた。 


 「はあっ! はあっ!」


 その間に、極限の戦闘で止めていた呼吸を再開し凶夜は息を整え、脳内で戦略を練る。


 『何もシャルを倒さなくても良い。他の吸血鬼達と同じように隷属状態から解放すれば俺達の勝ちだ。その為には心臓に破壊=魔術回路ブレイク=マジックを打ち込まなければならない。だがそれにはあの鎧が邪魔だ。幾ら俺でも鎧通しで魔術破壊なんて出来ないからだ。だからこうして魔力切れを待っているんだが、何故消えないんだ?』


 本来『真名解放』とは一人につき一つが常識だ。

 その理由は単純、使用魔力量が大きすぎるのだ。己虐シリーズ程の業物となれば使用魔力量も膨大、それに加えて特殊な鎧の召喚も同時に行っていることに凶夜は違和感を覚えた。

 凶夜の知るシャルロッテは元々保有魔力量は大したものでは無かった。魔力というのはある一定の全盛期までは上がっていくが、見た目は幼女でも千年を生きる真祖。全盛期はとうに過ぎていたからだ。

 だからこそ目の前にのように同時に二つも強大な術式を使用していることが凶夜には信じられなかった。


 僅かな時間に、高速で幾重にも考えを巡らし凶夜は一つの仮説を立てた。


 『真名解放や鎧に使用している魔力は外部から得ている? だとしたら―――』


 「抹殺! 排除! 抹殺!!」

 「くぅっ!」


 体制を立て直し斬りかかってきたシャルロッテにより凶夜の思考は中断された。

 一つ一つの剣撃を受けるたびに身体が重くなるような錯覚を感じる。

 シャルロッテの精力吸収エナジードレインが凄まじいのもあるが、今日一日で凶夜が行った貴族達の通信網の破壊や囚われていた吸血鬼達の隷属魔法の破壊、監獄の壁の破壊などで少なからず疲労が溜まっていたのだ。


 「ふぅ、ふぅ、ふぅ」


 重い身体で回避すらままならず、防戦すればするほどに息は上がっていく。


 「っ! くっ!」


 徐々にシャルロッテの剣撃を捌きそこない凶夜の体には無数の傷が出来ていく。

 動きにキレが無くなり、足元が覚束ない程に凶夜は疲弊していった。それとは対照的にシャルロッテの攻撃は苛烈さを増していき、



 「っ!!」


 ぐらっ


 凶夜は大きく態勢を崩した。

 当然その致命的なまでの隙をシャルロッテが見逃すはずは無く。


 「殲滅、完了」


 勝利を確信したシャルロッテの刃が凶夜の首元へと吸い寄せられていき、


 「凶夜っ!」


 無数のアンデットに囲まれた中、凶夜の終わりを幻視したエイラが悲痛な叫びを上げた。

 しかし、彼女の思いは届く事無く、凶夜の頭と胴体が二つに別れた。

 侵入者の抹殺を完遂したシャルロッテがその達成感からか顔を歪ませ、二つになった凶夜を見下ろす。


 ―――その時、異変が起きた。


 「うぉぉおぉぉぉ!!」

 「ぐふっ!?」


 突如シャルロッテが跳ね飛ばされるように後退し、うずくまり胸を押さえ苦悶に喘いだ。

 その顔には色濃い困惑。

 顔を上げると、そこには首と胴体を分かたれたはずの凶夜が、不敵な顔で嗤っていた。


 「理解、不能っ!!」


 辛うじてそう声に出したシャルロッテの疑問に凶夜は嗤いを崩さず答える。


 「簡単なことだ。お前が斬ったのは俺であって俺じゃないもの。幻影だったってことだよ」

 「っ! うぅああぁぁぁっ!!」

 「き、急にどうしたの!?」


 凶夜の答えを聞いた直後、急に今までと一線を画するような呻きを上げてシャルロッテは苦しみだした。

 その様子に、残りのアンデットを一気に片付けてすぐ側にまで近づいてきていたエイラが驚きの声を上げた。


 「……まさか凶夜の答えを聞いて悔しくて発狂した、とか?」

 「んな訳あるか。今の一撃で魔力制御を崩した。今頃シャルの体内では鎧と剣、そして結界から供給されてた分の膨大な魔力が暴れまわってるだろうさ。この悲鳴は苦痛によるもんだよ」


 凶夜の答えを聞いてエイラは顔を青くする。

 体内で膨大な魔力が暴走しようものなら、それがどのような結末を迎えるか知っていたが故に。


 「そ、それじゃあシャルさんは、」

 「ああ、死ぬな。それも木っ端微塵に爆発して。おぉ? 早速膨れてきたな。早いとこ離れるぞっ!」

 「そんなっ! 幾ら吸血鬼の祖である真祖でも魔力が無ければ再生出来ないじゃない! アンタはシャルロッテさんを見殺しにするき!?」


 さっさと離れようとする凶夜に今にも泣きそうな顔でエイラは訴えた。

 それを受けた凶夜は面倒くさそうに頭を掻きながら、悩んでいた。

 説明する時間があるか、無いかを。

 そして、凶夜は決断した。


 「それはまた後でなっ!」

 「え。ち、ちょっと待ちなさいよ!」


 ……問題を後回し、否、ぶん投げることを決断した。

 凶夜はエイラを残しさっさと闘技場入り口まで待避をする。


 「こ、これどうするの? どうすればいいのよ!?」


 残されたエイラといえば拳銃両手にその場をウロウロとしていた。

 回復魔法が使えるエイラだったが、暴走した魔力の治し方なんて知らなかったからだ。


 そうこうしている間にも呻き声を上げながらシャルロッテは膨らみ続け、


 「………ひっ!」


 エイラがその大きさに思わず悲鳴を上げてしまった直後、遂に限界を迎える。



 シャルロッテが、破裂した。



 近くに居たエイラはその衝撃に吹き飛ばされ闘技場の壁面に頭から突き刺さった。

 遠くに避難した凶夜も、破裂時のあまりの音の大きさに鼓膜が破れ両耳からは血が流れ出していた。

 爆発のような破裂の後、闘技場には朱い雨が降り注ぎ地面をその色に染め上げた。

 言わずもがな、全てがシャルロッテの血液である。

 一人の、それも幼い体格のシャルロッテにこれほどの血液が詰まっていたのかと驚く量が降り注ぎきった後、凶夜は壁に突き刺さるエイラのもとへと向かった。

 無論、引き抜く為である。


 中枢神経が大きく揺さぶられ、まともに歩くことすら辛いなか、どうにかエイラの元へたどり着くと両足首を持ち力任せに引き抜いた。


 「――っ!!」

 「―――っ!! ―――――!!」


 抜けた拍子に闘技場の地面へ頭を強打し目覚めたエイラ。

 涙目で後頭部を抑えながら恐らく凶夜に悪態をついた後、何かを激しく言っていた。

 もっとも、凶夜は耳が聞こえないので何を言っているかさっぱりだったが。

 それでも目の前で後頭部の痛みとは別の理由で泣きそうになりながら怒られ続けるのは億劫だ。

 そう感じた凶夜は無言で闘技場の中心を指差した。


 「―――?………!?」


 凶夜の指す意味が理解らず、しぶしぶ後ろ、闘技場の爆心地を見たエイラは驚愕した。

 凶夜には聞こえないだろうが、大きく口を開けた様子を察するに驚きのあまり叫んでいるのだろう。


 血が蠢く。


 蛇のようにのたうち回る。


 闘技場の中心を目指すように血はずるずると這って行き、やがて一つの球体が出来た。


 それがエイラの見た光景。

 飛び散った血が一人でに集まる光景。


 「―――! ―――!!」


 驚きが収まると同時に、エイラは鮮血の球体へと走って行った。

 それはその光景にある可能性を感じたから。

 それを凶夜は後からついて行った。

 ゆっくりな歩調なのは可能性ではなく"確信"を得ているから。


 エイラが球体の目の前に着く頃には飛び散った血は集まりきり、凶夜がそこに追いついたのを見計らうようにして裂けた。


 断面から糸を引く血の塊、否、殻から現れたのは―――鮮血に塗れた裸体。

 真祖クローフィ=サングェスト・シャルロッテは唇の端から滴る血をぺろりと舐めると妖艶に嗤った。

 その肢体には、傷一つ存在しなかった。


 「―――――。―――――」

 「「?」」


 彼女はエイラと凶夜へ何かを言った。

 だが、二人共鼓膜が破れているので何を言っているのかが理解らず首を傾げた。

 その様子から二人がどんな状況なのかを理解したシャルロッテはちょいちょい、と手招きをした。

 二人で色々ジェスチャーをして話し合った?結果エイラからシャルロッテの元へと行くことになった。

 そろそろと近づき、一体何をされるのか訝しむエイラにシャルロッテは顔を近づけるように仕草で伝えた。

 そしてエイラはその通りに顔を近づけていって、


 「―――っ!!!」


 ―――キスされた。

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