第六話 『優しき悪霊達』

 「どのような命令であろうと迅速かつ過剰に。凶夜、今は貴方が私の主なのだから」


 地に片膝をつけ、頭を垂れるその様は西洋に存在した騎士の忠誠を誓う姿のようだ。

 吸血鬼には珍しい闇夜に溶け込む漆黒の長髪、高名な彫刻のように長く美しい肢体、浴びる月の光よりもなお透き通った白い肌。

 そのどれもが天上の月と遜色無いほどの輝きを放っていた。

 そしてその主、凶夜は目の前の騎士に第一の命を下した。


 「俺がオレイラに命ずるのはただ一つ。『好きなようにやれ』、だ」

 「………」


 てっきり『他の吸血鬼の救出に向かえ』などの命令が下されると思っていたオレイラは凶夜に告げられたその言葉に反応出来なかった。

 好きな、とは一体どういう───問おうとしたオレイラだが、それよりも先に凶夜が地図を取りだし広げ、口を開いた。


 「俺達は全吸血鬼を救出した後、この地点で集まる。それには軽く見積もって一時間は掛かるだろう。オレイラ、あんたには正直救出の手伝いをしてもらいたかったが、掛けられている術式は俺しか解けない。じゃああんたはこれからどうするか、その答えが『好きにやれ』だ」

 「と、突然好きにと言われても一体何をすれば良いのか……」

 「そんなことまで俺は知らん。自分で考えて行動しろ。でもまあ、参考程度に情報を与えるとするならば───屋敷の住人は絶賛夢の中だ。この情報をどう役立てるかはあんた次第だかな」


 じゃあ、また後でな。

 そう言い残すと凶夜とエイラの二人は夜の闇へと消えていった。他の吸血鬼達の下へと向かったのだろう。


 「………」


 オレイラはしばらくその場で佇んでいた。

 目を瞑り、久方ぶりの月の光を堪能しているのだ。

 辺りには彼女の静かな息遣い以外の音は無く、痛い程の静寂に包まれていた。

 それは勿論、屋敷の中であっても例外ではない。

 吸血鬼の優れた五感が屋敷に人の気配がするものの音がしないことが先程の凶夜の言葉を肯定していた。

 それを確認するとオレイラは目を開き屋敷の中へと足を向けた。


 「凶夜さん、貴方という方は……」


 そんな呟きがオレイラの口から洩れた。彼女は凶夜の真意を正しく理解しているようだった。

 凶夜の真意、即ち『俺の代わりに貴族へ意趣返ししておけ』という命を。

 凶夜は仲間想いでありであり、故に仲間を傷つける者には容赦しない。その過去故に、裏切らないと信頼出来る仲間を何よりも大切に思う。

 そんな凶夜が現在の状況に頭にきていない訳がない。だが報復しようにも時間が無い。

 自分が報復したい気持ちはあるが、それでもやはり当事者がするのが一番であろう。状況的にも、心情的にも、それが最良であろう。

 そう考えた凶夜はオレイラに報復を任せたのだ。

 情報さえあれば少し考え気づけること、それに長年吸血鬼達の副長として交渉事をしてきた身でもあるオレイラが気づかないはずがなかった。


 「居た居た、それでは回収しましょうか」


 屋敷内を歩きながら倒れている人間を見つけては片手で担いでゆく。

 四人ずつ程担いだら運んで行く。そんな行為を四回程繰り返すと屋敷に住んでいた貴族とその使用人、その全員がある場所に一ヶ所に集められた。

 暗く、饐えた匂いが充満する場所。

 外とは隔絶された月の光が届かない場所。

 血の匂いが部屋に染み付き、怨嗟が空間に染み付いた重い場所。

 オレイラが先程まで閉じ込められていた場所、地下室に彼らは集められた。


 「う………っ! 貴様はっ!!」

 「丁度良いタイミングで目覚めてくれましたね」


 集められた十六人の内一人が目を覚まし声を上げた。

 それにつられてまた一人、一人と目覚めていく。

 それぞれ声高々に怒号をオレイラへと向けるが不思議なことに誰一人として逃げ出そうとしない。

 否、出来ないのだ。

 凶夜によって浴びせられた電撃が未だに尾を引いている。口は動かせるまで回復したようだが体は動かすまでには至っていないようだ。

 その事実を認識するとオレイラはニイィッと口角を吊り上げた。


 「何という幸福なのでしょう。意識がありながら身動きが取れない、まさしく私のような状態の彼らに報復出来る状況が巡ってくるなんて。これは凶夜さんに改めて感謝をしなければいけませんね」


 嬉しそうな顔。綻ぶ笑みに狂気を乗せながら手近な一人へと歩いていく。


 「な、何をする気だ!」


 不気味な部屋と狂気の垣間見える笑みを浮かべる女性が一歩、また一歩と近づいてくる。

 その恐怖に耐えかねて男を声を張り上げた。

 その姿はまるで、自分を大きく見せて自らの内に巣食う恐怖を誤魔化そうとする小心者。

 それが彼に出来る唯一の行動、威嚇。精一杯の抵抗だった。

 だが、そんなことでオレイラが止まる訳も無し。遂にオレイラは男の下へとたどり着き、だらんとしている両腕、それぞれの付け根に手を伸ばした。


 バキバキバキッ!


 「っ! ぐぎゃあぁぁぁあぁぁぁっ!!」


 辺りに本来人体から聞こえるはずの無い音が響き、直後男の口から絶叫がほとばしる。


 「煩いですね。たかだか両肩の骨を握り潰された何を叫ぶ必要が? 貴方、男でしょう?」


 周囲がオレイラの言葉に顔を青ざめさせる中、今度は男の膝へと足を伸ばし軽く踏む。

 それに気がついた男は自らに再び先程の痛みが襲ってくることを理解し下半身を濡らした。

 そしてそんな無様な格好のままに懇願を始めた。


 「や、止めてくれ! お願いだ、いやお願いします! 何でもします! だからこれ以上は───」

 「止めてくれ? まさか。止める訳無いでしょう? 貴方達は私が止めてと、許してと、幾ら叫んでも止めなかった。それどころかその嘆願さえ餌に更に責め立てたのだから。ね?」


 バキバキバキッ!!


 「ぎゃあぁぁぁあぁぁぁっ!!」

 「んふふ、二つ目……」


 男の絶叫をオレイラは恍惚とした表情で楽しむ。その様はまるで獲物を嬲る捕食者のようだ。

 瞳の中の狂気が増す。

 右膝を踏み砕き、左膝へと足を置く。


 「どうです、身動きすらままならない状況での拷問の味は? 私を拷問して楽しんでいたのだから余程拷問が好きなんでしょう?」

 「やめでっ! もゔごれい"じょゔは──」


 バキバキバキッ!!


 「があ"ぁぁぁあぁぁぁっ!!」


 三度目の絶叫が部屋に響く。

 その様子を間近で見ていたオレイラを除く十五人は、恐怖で揃って失禁をした。

 自らを待ち受ける運命を理解したのだ。

 部屋を満たすツンとしたアンモニア臭、しかしそれすらも今のオレイラには心地よいスパイス。

 普段なら顔をしかめるその匂いも、今は彼らが恐怖しているという何よりの証拠なのだから。

 それからオレイラは同じようにして残り十五人の手足を使い物にならなくした。

 痺れが残っている内にやらなければならない逃走を封じる為の作業だったが故に最初の一人よりも素早く行わなければならない為に悲鳴の量は少なくなった。

 たがそれも、後に控える拷問劇を思えば別に良いというもの。オレイラの顔にみが浮かぶ。


 「ヒィッ!」


 その笑みを見た女が悲鳴を上げる。その顔は完全に恐怖を刻み込まれた顔だ。

 オレイラはその一人に決め、残り全員に見える位置に引っ張り出す。

 これから何が始まるのか、声も出せない緊張感で人間達がオレイラを注視する。

 そして気づく。オレイラの視線が足元の女性でも残り十五人でも無い別の何かに注がれていることに。

 その方向は並ぶ十五人の後ろの壁。

 そこに何があるのかに気づいた幾人かが、顔を蒼白にする。


 「さて、こうも種類が多いと選ぶのも一苦労ですね。どれにしましょうか?」


 その言葉により気づかなかった者は理解し、気づいていた者の間違いであって欲しいという期待は砕かれた。

 彼らの後ろに飾ってあるのは数々の装飾品だ。しかし、こんな場所にある装飾品が普通であるはずはないだろう。

 血がこびりつき、鉄と生臭い香りを放つ異様な空気を纏う数々の道具。

 それは拷問具だ。何十人、何百人と殺める時に使用してきた道具の数々。

 その痛みは使用してきた彼らが一番よく分かっていた。だからこそ全員が絶望した。

 今度こそ、彼らの心は完膚無きまでに折られた。

 選ばれた女性などは、恐怖で失神してしまっていた。

 だがそんなものは所詮現実逃避でしかなく、


 「では、手始めにこれにしましょう」


 オレイラが部屋の壁から取ってきた拷問具を気絶している女性の右手に嵌めた。

 そしてゆっくりと、拷問具についているレバーを下げる。


 「っ! あ"ぁぁぁあぁぁぁ!!」


 右手の指に走る痛みで女は強制的に覚醒した。

 そして彼女は自らの指を見る。そこには拷問具が嵌められていた。

 名称は知らない、だがそれの用途は知っている。爪を剥がす為のものだ。

 拷問器具から目を離し、嵌められている指の爪を見る。


 「ひっ!」


 彼女の口から細く鋭い悲鳴が上がる。

 それは彼女が無惨にも剥がされ血に塗れる表面をさらす爪をを見たからであり、そして残り九回は繰り返されると理解したが故の悲鳴であった。

 その悲鳴を受けて更に笑みを深めるオレイラは、再びゆっくりとレバーを下げ始める。

 それと同時に再びゆっくりと、別の爪が剥がれ始め部屋には女の絶叫が響き渡る。


 「いやあぁぁぁぁいだいぃぃぃ!! やめでえ"ぇぇえぇぇぇっ!!」

 「んふふふふふ………」


 その爪が剥がれ終えれば隣の爪に、それが剥がれればまた次へ。

 右手が終われば左手へ、両手が終われば足の爪へ。


 そうして全ての爪が剥がされる頃には、女の目は焦点が合わなくなり、口からは「いや………いや………」と呟くだけのオブジェと化していた。


 「やはり人間というのは壊れるのが早い。私はこれの数百倍もの苦痛を受けたというのに」


 オレイラは女に向かいそう呟くと興味を失ったように蹴り飛ばした。

 オレイラの力ならばその威力のみで女の体は木っ端微塵に破裂していたはずだが、そんなことはこちらを見つめるに申し訳が無いので退かす程度の強さに留めていた。


 「貴方達もやりたいでしょうが、もう少し我慢して下さいね? 貴方達は私が何をされたのかを知っているはず、だからその権利があることも、また承知しているはず。ああ、心配せずともちゃんと貴方達の分は残しますから、ね?」


 オレイラは部屋の入り口で蠢く無数の影にそう言った。

 すると影は闇の中へと消えて行った。彼女にはまだその権利があることを認めたのであろう。


 「さて、あまりにも壊れるのが早すぎてこうも時間が余るとは、こうも報復心が満たされないとは予想外でしたね。本当なら残りの十五人は彼ら彼女らに任せようと思っていたのですが致し方ありませんね」

 「ひっ! ……ぐっ!」


 壊れてしまった女を除く十五人の中から適当に一人、今度は男を選んで引っ張りだす。

 乱暴に引っ張り出した為硬質な地面に顔面を強かに打ち、男は苦悶の声を出す。

 その顔を見ると何本か歯が折れ、鼻血が流れ出していた。

 その程度の痛みで既に半べそをかいている男の身なりは他の人間と比べると上等な物。年齢から推測してこの貴族家の長男なのであろう。

 貴族であり、この歳まで痛みというものに縁遠かったはずの男が果たして自分を満足させられるだろうか? とオレイラは後悔を覚えるが選んでしまったものは致し方ない。

 壁に掛かっている拷問器具を見ながらどれにするか彼女は悩む。

 そして貴族の男の問う。


 「人間、痛いのと熱いのはどっちがお好みですか?」


 その問いに貴族の男は恐怖で腰を抜かし折れた歯をガチガチと鳴らしながら「……あ、あ"ずいので」と答えた。

 答えなければ何をされるか分からない。だが痛いのは嫌だ。そう思ったが故の彼の妥協案だった。

 最もその選択を、彼はすぐに後悔することになるのだが。


 「ではこれにしましょうか」


 オレイラが壁に吊るされた拷問器具を取り外す。

 先程女に使われた片手で持てる程の大きさの拷問器具比べ、こちらは人一人が内部に入れる程の大きさだ。

 それを片手で取り外せるのもひとえに吸血鬼の腕力によるもの。人間ならば取り外すのに五、六人の成人男性が必要となるであろう重さをそれは持っていた。

 その拷問器具の名は『ファラリスの牡牛』。

 その名の通り牡牛を模した銅製の拷問器具だ。

 製作者が初めの犠牲者となった逸話を持つ有名な拷問器具。まあそれも、この世界に転移し製作した転移者の話しなのだから真意の程は不明な逸話だ。

 それに現状大事なのは道具のルーツではない、いかに対象を苦しませられるかという性能、そしてこの拷問器具の残虐性はこの部屋にある拷問器具群の中にあってなお折り紙つきだ。

 それは使われたオレイラが身を持って知っている。

 利用方法は簡単、中に対象を閉じ込め炎で熱するだけ。

 熱をよく通す銅製の牡牛の内部は容易に高温になり、中の者は生きたまま、逃げ場が無い場所で焼かれることになる。

 自らが焼かれる音と匂いを暗く、密封された空間で研ぎ澄まされた五感全てに感じながら息絶えるのだ。

 その上対象が発する叫び声すらも牡牛の特殊な構造により音楽となり執行者を楽しませる。

 対象の最後の叫び、尊厳すらも娯楽へと変える。まさしく無慈悲といえる拷問器具なのだ。


 キイィィィ……


 地に立つ牡牛の背にある扉が開いた。肉片がこびりついているのにも関わらずこうもすんなりと開いたのは、牡牛が新たな贄を欲しているが故か。

 自らが招いてしまった事態に戦慄し、動けない男をオレイラは掴み上げ牡牛の中へと放り込む。


 「では悪名高い『ファラリスの牡牛』、その音色がどのようなものか早速聞いてみましょうか?」


 牡牛の腹のすぐ下の地面に炎が発生した。勿論それはオレイラが生み出したものである。

 吸血鬼として全快した彼女ならば、その中でも特に得意な火系統の魔法ならば無詠唱でこの程度造作も無いこと。

 生み出された炎はすぐに牡牛を熱する。異変に気づいたのか中からバンバンッ! と激しく扉を叩く音が聞こえる。

 そしてすぐ後には共に悲鳴も聞こえるようになった。

 いや、悲鳴だった音か。

 ファラリスの牡牛によって悲鳴から変えられた音色は重く低い音となって牡牛の口から発せられた。


 「これは……確かに中々良い音です。熟練のトロンボーン奏者には及びませんが、それでもこの重低音には引き付けられるものがありますね」


 それは音を生み出す存在の痛みが、憎しみが、死に直結する強烈な感情が音に乗っているからか。

 時間と共に音量を増していく重低音と共にオレイラはそんなことを考えていた。


 そして部屋に人間が焼ける匂いが充満し、更に残りの十四人による汚物による臭いが加えられ流石にオレイラも顔をしかめた頃、遂に牡牛が静まった。

 オレイラは手が焼けるのも構わずに扉を開けた。

 途端に濃度を増す焼き爛れた人間の匂い。その余りの濃さに何人も嘔吐する中、オレイラは牡牛を逆さまに持ち上げ中に入っていた者を出した。


 「う、おえぇぇえぇぇぇ!!」


 今まで嘔吐を耐えていた者も、それを見たことにより限界を迎える。

 男の体はまるで燻製のように赤く爛れており、四肢の爪は外に出ようと引っ掻いた為全て等しく剥がれていた。

 顔を見れば肉がついている分ミイラより人間に近い、だがそれ故にミイラよりも醜悪な、吐き気を催すものがある。

 眼球は熱により白く濁り、その片方は完全に外へと垂れていた。


 先程まで生きていたとは思えないその変わり果てた男の死体。

 それを目の当たりにした残りの十四人は示し合わせたかのように舌を噛み切る。

 せめて元の外見で死ぬ、その為に。


 「何を勝手に死のうとしているのですか? そんなもの私が許すはず無いでしょう」


 だがそれも、目の前の悪魔に止められる。

 十四人は回復魔法により舌は再生され、その直後歯を全てに殴り折られた。


 「自ら死のうとするなんて、流石に追い詰め過ぎましたか? まあこれだけ見れば私の炎も流石に治まるというもの。しかしまあ、」


 そしてオレイラは並ばされている一つの死体と十五人の咎人の後ろ、再び部屋の入り口でひしめきあっている彼らを見ながら言った。


 「この場の首謀者である貴族を生まれた来たことを後悔させて殺したいという衝動はありますが」

 「ひいぃ!!」


 まだ関節を潰され歯を全て折られたの十四人、その中の一人が悲鳴を上げる。

 この場にいる他の人間とは一線を画した絢爛豪華な衣装、恐らくいや、十中八九この屋敷の主である貴族の家主だろう。

 だがオレイラはそんな男の醜態など気にも留めずに言葉を紡ぎ続ける。

 彼らに向かって、語り続ける。


 「私は生きている、生き残っている。だが、貴方達は助からなかった者達だ。吸血鬼である私の受けた苦痛は貴方達が受けた苦痛とは比べ物にならないほどに大きかったでしょう。けれど私は生きている、未来がある。それだけで私の怨みは貴方達には劣るでしょう。希望を持つ、それすらも許されなかった貴方達には劣るでしょう。だから私の報復は十分です。これよりは貴方達の復讐劇、既に終わった演目の主役は、さっさと去りましょう」


 オレイラは彼らに語り終えると入り口へと歩いていく。

 闇の中で蠢く彼らはオレイラに道を差し出すように通路の両側に避けた。

 そこをオレイラは通り過ぎる、その最中彼女は確かに耳にした。


 『ありがとう』『ありがとう』『ありがとう』『ありがとう』『ありがとう』『ありがとう』『ありがとう』『ありがとう』『ありがとう』『ありがとう』『ありがとう』『ありがとう』『ありがとう』──────


 老若男女、様々な声音で紡がれる御礼を。

 その声はどれも心の底から溢れ出る感謝の念で染まっており、報復心で狂気に身を墜としていた彼女の心にも染み込んでいく暖かいものだった。


 『お姉ちゃん。ありがとう』


 最後に聞こえたのは、幼さの色濃く残る少女の声だ。

 あどけなさのある優しさの詰まったその声を聞いたオレイラは苦笑した。

 そして背後にいるであろう彼ら彼女らに最後に一言。


 「優しい悪霊さん達───良い来世を」


 一瞬、背後から暖かな空気が増した。

 しかしそれは、もしかしたらオレイラの幻覚だったのかもしれない。

 その直後に地下一杯に響き渡った十六人分の気が狂ったような悲鳴により、それは掻き消されてしまったから。

 今頃は彼ら彼女ら───貴族に殺された人々の怨念の具現、霊鬼ゴーストにより拷問などより余程残酷な目に合っていることだろう。

 彼らに慈悲など存在しない。否、それは単なる因果応報。

 自らの罪が、自らに罰となって降り注いでいるだけだ。だからそれはただの事象、慈悲とか無慈悲とかは関係無いものであろう。

 しかし彼女は考える。もし彼らに慈悲が掛けられるとして、そんな心当たり自らにあるだろうか?、と。

 そして、一つだけ思い当たる。

 ただ一つ、感謝することがあるとしたら………それは私の処女を散らさなかったことだろう。

 人間ではないとはいえ、れっきとした女性である私が捕まれば犯されるのは必然。

 覚悟はしていたのだが、彼らは性行為よりも拷問の方が余程楽しかったらしい。はたまた他種族との交尾を忌避しただけか。

 どちらにしろ、吸血鬼にとって尊く特別なものである処女を無意味に散らされずに済み無事に解放されたことは嬉しい。

 絶叫を背にそんなことを考えながら、オレイラは外へと出た。

 煙臭い場所にいたからか、外の空気が酷く美味しく感じた。心なしか気分も軽い。

 それは凶夜とエイラに助けて貰った時も彼女が感じていた感覚だが、今の感覚はその時とは似ているようで確実に違うものだ。

 少なくとも、背後で怨みを晴らす―――彼女の復讐を待ってくれた優しき霊達の分だけ違うことは確かだろう。


 「時間的にも丁度良いはず。それではお二人が待つ場所へ向かいましょうか」


 未だに悲鳴が鳴り止まない地下を背に、今度は凶夜達の下へとオレイラは走り出した。


 背負っていた憎しみを処分することが出来た彼女の背中はとても、とても軽いものだった。

 共に心も、微かな微笑が浮かぶくらいには軽いものだった。

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