第五話 『残虐姫』

 貴族というのは実に腐った生き物である。

 愚かで、生き汚く、礼儀に欠け、そして何より飽きっぽい。

 更に質が悪いことに、彼らの欲望は一度火がつくと途端に燃料を得たかのように燃え盛る。

 いや、これは貴族に限ることではなく人間という種の『生態』とも言うべきものだったか。

 しかし、欲望が肥大するというのはそれだけの余力があってのこと。人間の『生態』から貴族などの上流階級の『生態』と言い換えても別段代わり映えなどしないであろう。

 取り分け、彼らの肥大化する欲望の中でも性欲の類いは酷いものだ。

 肥大するのが量だけではなく質も共に肥大化していくのだから、手の施しようが無い。


 それはまるで、肥え太り過ぎた人間が自らの足では歩けなくなるように。

 それでもまだ、食料を貪るのを止めない、止めることが出来なくなるように。


 欲望とは、一度火がつき大火となると歯止めが効かなくなる。燃料など無くとも、燃え盛る業火となる。

 尽きることの無い業火は、自然と大きさを増していき、周囲を焼き払いながら肥え太る。

 際限なく、とめどなく、醜悪に、肥え太る。


 その部屋は、そんな欲望に塗れていた。


        ◆◇◆◇◆◇◆


 「なによ、これ……」

 「まあ、予想は出来ていたことだが、実際に目の当たりにすると───煮えたぎるな」


 煮えたぎるのは腹だ、そして心だ。それは憤怒であり、どす黒い感情だ。

 数少ない仲間である吸血鬼が部屋で受けていたであろう仕打ち、拷問のその一端でも垣間見れたのならば凶夜が想うそれは至極真っ当な感情だ。

 壁に下げられたおびただしい量の血塗られた、多種多様かつ大量の拷問具の数々。

 つい先程まで使っていたかのような、血が滴るものもある。

 およそ尊厳など一切無視された一方的な陵辱。その痕跡がまるで見せつけるかのように部屋一面の壁に装飾されていた。

 そしてその惨劇を象徴するかのように部屋の真ん中に拘束されているのは―――吸血鬼。

 本来底無しの生命力が売りのような者達、だが目の前にいる吸血鬼はその名残すら皆無。

 全身の服は散り散りになり裸同然、剥き出しの素肌にはおびただしい量の裂傷が見受けられ足元にはその者の血で朱い水溜まりが出来ていた。

 吸血鬼と判るのは、髪の間から見えるぼんやりと光る朱い眼光。ただ、それだけだった。


 それを目の当たりにした凶夜が屋敷を吹き飛ばさなかったのは誉められるべきことだろう。

 何せ、勇者時代はおろか力を失っている現在でも、本気を出せば屋敷一つ消し炭にすることなど造作もないことなのだから。

 だが、そんなことをしたら間違いなく進行中の奪還作戦が敵に勘づかれてしまう。他の吸血鬼もこのような仕打ちを受けづつけているのならば、そのようなことは許されない。

 決して、許されない。取り返しがつかない。

 だが、ここで凶夜は誓ったのだった。

 必ず仲間をこのような目に合わせた者たちに報いを受けさせてやると、そう今、誓ったのだ。


 「その、声は………凶夜、さん?」


 掠れる、まさに虫の息といった声音でほとんど息同然の声が凶夜とエイラの元に届く。

 永らく手入れすらされていない薄汚れた長い髪に隠された顔が、僅かに上がったのが伺えた。

 凶夜はその声でそれが誰なのか、二十人の内の誰なのか、すぐに分かった。


 「その声、オレイラか?」


 『オレイラ・オルレイアン』

 人種と魔族との和平会談に望んだ吸血鬼長とその他十九名の直属親衛隊。

 彼女はその筆頭、親衛隊の隊長を勤めていた人物だ。

 義を重んじ、武芸に長け、吸血鬼長の補佐、つまりは副長をも兼任する、それだけの能力を有する聡明な人物。

 仲間の窮地を救う為ならば躊躇い無く自らの命を差し出す、投げ出す。対して敵には一切の容赦、慈悲を掛けず総て、悉くを滅する。

 幾度も繰り返される常軌を逸した殺戮劇、ついた二つ名が『残虐姫』。

 味方であるならば頼もしいことだが、敵にすれば厄介極まりない相手。

 それが凶夜の彼女に対する印象だ。

 といっても、親衛隊の大体はそんな連中の集まり。だからこその親衛隊、最も深きを守る者達。なればこそ、それは必然では? と問われれば当然と言うべき他ないことなのだが。


 「ああ、やはり凶夜さんなのですね。よかった、よくぞご無事で」

 「莫迦、他人の心配をしている場合か!」


 両手両足に幾多の釘を刺されキリストの如く十字架に貼り付けられているにも関わらず、助けに来た凶夜の無事を喜ぶ仲間の姿。

 そんな姿に凶夜は安堵と若干の憤りを感じながら急いで十字架から釘を引き抜きオレイラを降ろした。


 「俺は回復魔法は使えない。エイラ、元聖女のお前なら幾らか使えるだろう。頼む」

 「わ、分かったわ。治癒ヒーリング


 暖かな、薄緑色の光を伴ってエイラの手から放たれた癒しの魔力はオレイラの全身を覆った。

 エイラの行使した回復魔法、治療ヒーリング。これは回復系統魔法における中級に相当する魔法である。

 その下の処置キュアリングは小さな傷を塞ぐ程度で、逆に上級に相当する回復魔法の治癒オラシオンなどは瀕死の状態からでも何事も無かったような状態に戻すことが出来る。

 更に上の最上級などもあるが、そんな魔法はまさに神の領域であろう。

 ともかく、エイラの使った中級回復魔法の治療ヒーリングはエイラ自身の持つ強大な魔力によるブーストが掛かり上級並みの効果を見せていた。

 元々は単なる傷を塞ぐだけの効果だけにも関わらず、四肢に空いた無数の風穴は塞がり更には全身を覆う痣も波が引くように無くなっていくのだからその強化具合の凄まじさが分かろうというものだ。

 もっとも、強化された要因は過剰な魔力だけではないのたがそれをエイラが知るのはまだ先だ。


 「ありがとう、ございます」

 「これくらいお安い御用よ。それよりもあくまで傷が治っただけで失った血や肉は戻ってないんだから、あんまり無理はしないでね」

 「なんだ、意外と優しいんだな。俺には厳しいのに」

 「それはあんたが蹴り飛ばしたりアフロヘヤーにしたりするからでしょ!」

 「でもま、そんな心配は既に無用なんだけどな」

 「え? どういうことよ」


 失った血や肉が戻らなく、未だ絶対安静の域を出ないのに心配無用という凶夜の言葉にエイラは疑問を投じた。

 その答えはすぐに返ってきた。


 「いわゆる吸血鬼の特性ってやつだ。外は既に夜、つまりはオレイラ達の時間帯。連れだしてみればすぐにでも理解するはずだ───彼女ら吸血鬼という種族が如何程までに『夜』に愛されているのかを」


 凶夜は不敵な笑みを浮かべながら言うと血が不足しているのか顔色が真っ白な───元々白い肌をなお白くしているオレイラを背負い来た通路を歩いていった。

 その後ろには当然のようにエイラが付き添う。

 その顔には疑問が解消しない、消化不良のような煮え切らない表情を浮かべていたが、凶夜に再びそれを問うようなことはしない。

 感じている疑問、先程の凶夜の発言について、それは外に出れば全て解ると他ならない凶夜自身がそう言ったから。

 そして、未だ予断を許すような状況ではないオレイラをすぐにでも外へと出して上げたかったからだ。

 普段の聖女とは思えない粗暴な言動からは考えられない意外な、彼女らしくもない理由───否、元とはいえ聖女だからこそ、教会という旗の下救いを求める人々を癒す象徴であった彼女だからこその理由。

 実に、エイラらしい理由なのだろう。



 外へはすぐに出た。

 本来ならば傷は消えたとはいえ間違いなく負傷しているオレイラを気遣いゆっくりと戻っていくべきなのであろう。が、それではとても時間が足りないと考えた凶夜によって出来るだけ速くかつ慎重に移動が成されたのだ。

 既に人外な身体能力を有する凶夜、そのはエイラの全力の移動速度を凌駕していたとだけ明記しておこう。


 「すぅ~、はぁ~。外が恋しいだなんて、久々に思ったな」

 「ふぅ。ホント、あんな場所二度と行きたく無いわね」


 久々、ではないがあのように異質な空間に居たのだ。外、より快適な空間を恋しく思ってしまうのは生物として当然の思考であろう。

 単に酷い空気というだけでなく、知性ある三人は帰り道にも変わらず見つめてくる膨大な視線を感じていた。

 肌を突き刺すように冷たい悲しみ、それでいて黒く熱い憤怒、それらを内包した形亡き視線を確実に感じていたのだから。

 その視線は二人が来る時、すなわち一回目よりも強烈なものだった。

 その視線が向けられるのは生者に対する怨念故か、はたまた自らとは違う運命、無事にこの牢獄から助け出された者に対する嫉妬故か。

 そのような視線に短時間ながらも強烈に晒されていたのだ、外が、その視線が無い場所を恋しく思ってしまうのは、やはり当然のことなのだ。

 ほっと一息、二人はつく。そしてもう一人の仲間を見る。


 「……ふぅ……」


 彼女、オレイラもやはり何か、大きな圧迫感から解放されたように一息つく。が、やはりそれだけだ。

 地下で意味深に凶夜が言ったことを示すようなことは彼女の体には起きていない。

 少なくとも、エイラにはそう見えた。


 「ねぇ。何にも起こんないわよ。オレイラさんの顔色も悪いままだし……。今度はどういうことか説明してくれるわよね?」


 疑問に思う、いや、それよりも単にオレイラの体を気遣ってエイラは凶夜に疑問を投げ掛けた。

 変化しないのは何か理由があるはずで、思い当たる節があるとしたらオレイラの他には凶夜しか居ないのだから。


 「説明か。オレイラ、調子はどうだ?」

 「いいえ。やはり、使えないようです」

 「やっぱりか」

 「ちょっと! 勝手に話を進めないでよ!」


 問いを発した側なのにも関わらず話に置いていかれたエイラが我慢出来ずにそう憤った。


 「ごめんごめん。吸血鬼の特性っていうのはな、簡単に言うと不死身化なんだ」

 「不死身って、それ死なないってことじゃない。そんな強力な能力を備えているのに何故捕まったりなんか……」

 「勿論欠点が無い訳じゃあない。……オレイラ、話していいか?」


 一応これからエイラに明かすのは吸血鬼族にとって秘匿の中の秘中、一族全体を危険に陥れかねない情報、念の為凶夜はオレイラに確認をとる。


 「ええ、大丈夫です。恩人である凶夜さんが認めた人物ですし、何より用心深い貴方が連れているという時点でそれは白、でしょうから」


 それにオレイラは軽く微笑み、快く承諾した。

 吸血鬼という一族、ひいては魔族全体の恩人である凶夜への信頼も大きかったであろうが、その決めてはエイラだ。

 何かと怪我人である自身を気遣う言動と行動、元人間にも関わらず魔族、吸血鬼である自分に分け隔てなく接してくる。

 かつて、そして今なお凶夜にも垣間見えるそんな優しい性質が、彼女がエイラに情報を開示しようと決断した決め手であった。

 そして凶夜はオレイラからの、吸血鬼長直属親衛隊隊長兼副吸血鬼長のお墨付きを貰いエイラに吸血鬼の特性について話し始めた。

 勿論、周囲の警戒は怠らない。この場での目的は達したとはいえ敵地のど真ん中なことには変わりないのだから。


 「そう言って貰えると俺としても嬉しいな。それで吸血鬼の特性についてだが」

 「ええ」

 「吸血鬼の特性が不死身化とはさっき言ったよな」

 「そうね。それで私は何故そんな強力な能力を備えているのに何故捕まった、捕まってしまったのかを聞いたわね」

 「ああ。それには理由がある。それは吸血鬼の欠点ともいうべきもの、吸血鬼にとっても、仲間の一人である俺にとっても、おいそれと漏らしたくはない情報だ。───聞いてしまった部外者を問答無用で始末するくらいにはな」

 「ええ、それは当然よね。もしその情報が人間側に渡ってそれを攻められたら一堪りもないだろうから。勿論私は漏らしたりなんかしない、そう誓うわ。そもそも私は既に人間じゃないし、話したところで信じてすら貰えるか怪しい、それ以前に話を聞いてもらえるかすらも。だから私は貴方達を裏切らない」


 裏切らない、それもあるがその言葉の裏を凶夜は読み取る。

 裏切らないのではなく、裏切れない。この時点で限りなくエイラは人間として詰んでいることを凶夜は読み取る。


 「それでいい。元より俺はエイラが裏切ったりなんかしないとは思っていたがな。俺は人より何倍も用心深いし、悲しいかな信用というものは既に出来ない精神構造になってしまっている。だから俺はエイラを信用することは出来ない。たが、信頼すること───、背中を預けることは出来る」

 「凶夜……」

 「この数日間でエイラのことも色々と知れた、その上での判断だ。こう見えても経験上、俺は人を見る目だけは培われているんだ。何度も、何度も、騙され裏切られ略奪されたんだからな。信用していいと思うぜ?」


 何度も騙されたから人の見る目は備わっている。

 そんな自虐的な言葉ではあったが、それは確実にエイラの心へと届いていた。

 相手に裏切る可能性を与えない為、舐められない為に常に高圧的な態度を取っている凶夜がその反対、自らを貶めるような発言をした意味。

 それは確実にエイラへと伝わっていた。


 「……うん。その眼、信用してあげる」


 そう、理屈も理由も無しに無条件で彼の目を、言葉を信用してしまうくらいには。

 そして彼女の体の温度を仄かに上昇させ、鼓動を速めさせてしまうくらいには。

 凶夜の言葉はエイラの心に響いていた。


 「じゃあ長い前座もこれまでだ。早速本題に入っていくぞ。ええと、吸血鬼が不死身化出来るということまでは話したよな?」

 「ええ」

 「一般にはその不死身化の源は夜という時間帯であると伝わってることは知ってるか?」

 「いいえ、初耳だわ」

 「そうか。実はこれ結構知られている情報でな。人間側も知り得ている情報だ」

 「へぇ。じゃあ不死身化の源は夜ってことなのね?」


 確かめるようにエイラはそう凶夜に問い掛けた。勿論それは今までの話をまとめる為でありYES以外の返答が帰ってくるとは問い掛けた本人は思ってもいなかった。

 だから凶夜が首を横に振った時に怪訝な表情を向けたのは当然のことだろう。


 「違うって、どういうこと?」

 「夜が不死身化の原因、実はそこが違う。カモフラージュだ。吸血鬼、彼女らの不死身化の源は確かに夜と関係が深いモノ、切っても切り離せないモノだが夜そのものではない」

 「ええ? じゃあ何なのよ?」

 「それは月の光だ。月の光によって吸血鬼という種族は不死身になれる。それが秘匿されている理由は分かるな?」

 「……もし人間側にそれが伝わったら吸血鬼という種族の特性、その不死身化をさせない為に戦いになったらすぐにでも何らかの策で月光を防ぐでしょうね」

 「ああ。その通りだ」


 切り札を切り札に至らしめているのはそれがどうやってもからだ。

 どんなに強力無比な攻撃でも仕掛けが判れば簡単に無力化されてしまう。

 攻撃力が著しく高い得物、例えば鎚。

 鎚は近接武器の中でも破格の殺傷力を有するが扱う者はほとんど居ない、何故か?

 それは重いからだ、遅いからだ。圧倒的な攻撃力と引き換えに速さを失っているからだ。

 どんなに強い一撃を放てたとしても、それが当たらなければまだしも小石を投げた方が有意義であるとさえ言えるだろう。

 どれ程強大な力を持っていたとしても夜を防ぐ、つまりは星の理を曲げるということは容易なことではない。だが月の光を防ぐだけならば幾らでも手段がある。

 不死身化を防ぐ手段が無数に生まれる。

 不死身を前提とした吸血鬼の狂的な戦闘術、それが使えなくなれば如何に吸血鬼といえども人間に容易く駆逐されてしまうだろう。

 現に、今もこうして捕まっているのだから。

 不死身というのは最大の利点であり、最大の弱点でもある。

 それをしっかりとエイラは認識出来ていた。だが、それと同時に一つの疑問も覚える。


 「オレイラさん達が殺されるのは嫌だわ。一時とはいえ関わった相手、友好的相手が死ぬとこなんて見たくないもの。今こうして苦しんでる姿も勿論。……月光ならここにも当たってるわよね。何故その不死身化とやらが出来ないのかしら?」


 彼らが居るのは地下へと続く階段の前。

 本来ならばそこには外からの光など入ることは無いのだが凶夜が派手に荒らした結果、壁が大きく崩れ凶夜達の場所にも月の光が届いていた。

 それなのにも関わらず、オレイラに変化はなく、相変わらず顔色も優れない。

 そのことがエイラの疑問だった。


 「ああ。確かに月光は当たってる。だが変化は無い、いや出来ない。原因なんて一つしか無いだろ?」


 エイラの疑問を受けた凶夜が逆にエイラへとそう返した。

 一瞬、エイラは考えて、今まで忘れかけていたことを思い出した。すなわち、


 「……首輪」

 「ご名答」


 オレイラが単に監禁されていた訳ではなくにされていたという事実を。

 奴隷には飼い主がいる。ならば誰の飼い主か分かるように首輪を着けることは、それが同じ知的生命体と考えず、単なるペットだと思っている連中からしてみれば当然のことだろう。

 それは凶夜とエイラにとっても常識の、嫌な常識の一つであるが、ならば何故エイラは気付けなかったのか。

 何故オレイラが奴隷であることを忘れていなたのか。

 しかしそれはある意味当然のことであった。何故ならオレイラの首には首輪など付いていなかったのだから。

 目立ちたがりで独占欲の強い貴族が、奴隷に対して所有の証である首輪を着けていなかったのだから。


 「でも首輪なんて無いわよね」

 「ああ。だが、本来の用途を考えれば首輪である必要なんか無い。ようは隷属させられればいいんだからな。オレイラ、捕まえられた時に何か、例えば肌に紋章を刻まれたりしなかったか?」

 「それは、隷属刻印のことですね。しかし私、はそんなものは受けて、いません。いつの間にか奴隷に、隷属されて、いました」

 「くそっ、やっぱり特殊な方法か。オレイラ、何でもいい。何か心当たりはあるか?」

 「ちょっと凶夜、オレイラさんも辛いんだからそんな続けざまに質問しなくても、」


 オレイラを質問攻めにする凶夜をエイラは止めた。ただでさえ血液が足りなく本来ならば意識を保つのすら辛い状況なにのも関わらず質問に答えるオレイラが明らかに無理をしているように見えたからだ。

 だが、その心配は当の本人によって阻まれた。


 「私、は大丈夫です。今は一時すら、惜しい状況、ここで、無理をしなくて、は何が親衛隊、隊長ですか。姫様を守れなかった、自身の落ち度、ここで無理をしなかったら、何時するというのでしょう」


 そう宣言したオレイラの眼は弱々しい身体とは全くの真逆。

 荒々しい程の熱意に満ち溢れていた。

 そんな眼を向けられてしまっては、エイラはもう何も言えなかった。

 返答代わりにオレイラの身体へと回復魔法を掛ける。

 先程の傷を治したのとは別の、痛みを和らげる効果を持った魔法だ。

 それを受けたオレイラはエイラに向かって優しげに微笑んだ。


 「ありがとうございます。少し、楽になりました。……それで、心当たりでしたか。………そういえば何が紙のようなモノを飲み込まされたような記憶があります。何分その時は薬を打たれ意識が朦朧としていたので曖昧ですが」

 「いや、十分だ。ありがとうオレイラ。エイラ、体を診察したりする魔法は使えるか?」

 「ええ、回復魔法と一緒に覚えさせられたから使えるけど……ああ、それで紙がどこにあるかを見ろってことね?」

 「その通りだ。但し紙はもう残ってないだろうし、エイラには魔力の流れがおかしい場所を見つけてくれればそれでいい」

 「分かったわ。診察メテカル………ここ、胸の真ん中辺りから魔力が妙な流れをしているわ」


 オレイラの身体を魔法で診察したエイラが異変が起きている箇所を指摘する。

 その指が指すのは胸の真ん中、つまりは心臓だ。

 古くから不死身の吸血鬼殺す方法としては心臓に釘を刺す方法があるが、そんなあやかったみたいな理由でオレイラの心臓に人間達は細工を施した訳ではないだろう。

 心臓は全身に血液を送る機関、と同時にこの世界では別の役割を持っている。

 それは魔力という概念が、物質が、確かに存在しているこの世界ならではの機能だ。

 この世界の人達の心臓は血液と同時に魔力を全身へと送っていくのだ。

 正確には、血液に乗せて。

 つまりは魔力の扱いに長けている者程、心臓は重要な器官ということだ。それは魔族も然り。

 体中の魔力が必ず通る心臓程、術式を付与するに適した場所は無いだろう。


 凶夜は顔をしかめた。

 それはオレイラに施された細工を取り除くことが出来ないことからの苛立ちからではなく、あくまでも面倒だなという気持ちを代弁したもののようであった。

 瀕死の仲間を救うという場面に置いても面倒という考えが起きるほどに、それは消耗する作業なのだ。

 だが、はたから見ればそれはやはり前者の表情に映るだろう。案の定エイラが不安を覗かせる声で凶夜に言う。


 「やっぱり駄目、なの?」

 「いいや、別に大丈夫だ。今すぐ取り除くから少し離れててくれ」


 その問い掛けを、凶夜は完全に否定する。

 実際彼には心臓に付与された術式の解除という極めて難度の高い行為が可能なのだから。

 それでも、心臓は全身へと魔力を送るという機能上幾つもの魔力が複雑怪奇に絡み合う、まるで何重にも重なる蜘蛛の巣のような魔力の幕で覆われている。その中からただ一つの術式を取り除くのは至難の技。凶夜でも無理だ。

 そもそも一般的な者では術式を取り除くことすら出来ないのだから。

 まあ、凶夜の場合取り除くことはのだが。

 だからこそ、彼はエイラの不安を完全否定出来るのだから。


 凶夜はオレイラの心臓の少し上に手をかざし、集中する。

 そして、唱える。


 「破壊=魔術回路ブレイク=マジック!」


 バリンッ!


 単なる魔力の塊をぶつけるだけの力技。それ故に魔力適正の皆無な、それでいて魔力量だけは軒並み外れた凶夜だからこそ出来る芸当。

 それがオレイラの心臓に炸裂した瞬間、辺りに硝子の割れるような音が響き、それを合図に彼女の顔色は目に見える速度で良くなっていった。

 凶夜がオレイラの特性を妨げていた術式を破壊したことにより本来の力が戻ったのだ。

 つまりは不死身化、月の光を供給源とする永続的な超再生能力、それが発動したのである。

 腕を失ったのならば新たに生やすぐらい造作の無い程の再生力だ、オレイラの足りない血液を生成出来ない訳がない。


 「大丈夫か?」

 「お陰様で、無事に回復出来ました」

 「そうか、よかった」

 「ええ、本当によかった……」


 凶夜は確認に対してそう返したオレイラに一安心する。

 だがエイラの方が安心していた。凶夜の反応がほっと一息つく程度だとするならばエイラの反応は胸を撫で降ろしたくらいの違いだった。

 何故知り合って間もないオレイラをこんなにも、それこそ長い付き合いである自分よりも心配していたのだろうか、それにはただ単に聖女だからでは片付けられないような理由がある気がするのだが、と凶夜は疑問を覚えた。

 だが、そんなことを問いただす時間など無い。言わないことは言いたくないことで、それを聞きだそうというのだからそれ相応の時間が掛かるはずだからだ。

 だから凶夜は最後の確認に入る。


 「俺達は次の吸血鬼を解放しに向かう。だがオレイラ、お前とは別行動だ」

 「な、何故!? 私は親衛隊、ならば同胞や姫様を救いに向かうのは当然でしょう!」


 凶夜の通告に反発するオレイラ。

 凶夜のことは信頼している彼女、だがそれを差し引いても彼女は吸血鬼長を守る親衛隊の隊長であり、そして同時に長年共に歩んできたであろう副長パートナーなのだ。

 出来れば自分も、いや自分が救いに行きたいのであろう。それが出来ないのならばせめて付いて行きたい、そう思うのも道理だ。

 だが、凶夜はその嘆願とも取れるような願いには首を縦に振らなかった。

 その理由は至極明確なものであった。


 「お前には分不相応だ」

 「なっ! そんなっ! 私ならばエイラさんにも後れを取らないはず!」

 「いいや、確かにエイラは間抜けで阿呆だが「ちょっと!」煩い……こと戦闘に関してのセンスだけは俺に匹敵するぞ?」

 「なっ……」


 歴戦の戦士である凶夜にして匹敵すると言わしめるエイラの実力。

 ここでいうセンスとは凶夜にとっては勇者時代、人間基準だった頃の話だが、それでもオレイラにとって脅威なことは変わりなかった。


 「それに外は既に警備が固まってきているはずだ。だから二人が最低だ。三人で行動なんかしていたらすぐに見つかって全て水の泡。オレイラ、あんたなら分かるだろ?」

 「それは………はい。凶夜さんの言う通り、です」


 同行出来ない、親衛隊隊長という自らの役目を全う出来ない悔しさにオレイラの顔は苦悶に歪んだ。

 エイラが自分よりも強い、などと納得した訳では無い。だがそれを確かめる為には少なくとも一戦交える必要がある。

 しかし、現在そんな時間の猶予は残されていない。今のように話している間にも人間側による包囲網、防衛線は築かれつつあるのだから。

 だからこそ、自分よりも戦闘経験豊富な凶夜に従うしかない。

 そんなことは百も承知、頭で分かっている、だが。

 ────だが、体が、精神が、姫様に忠誠を誓ったこの忠誠こころがそれを認めようとしない。

 二つの相反する気持ちの板挟みによりオレイラは苦悶の表情を更に深める。

 だが、そんなことは凶夜は承知済み。オレイラの人となりを知っていた凶夜が予想出来たこと、それに対して対策していない訳がないだろう。


 「もう一度、重ねて言う。オレイラ、お前には分不相応だ」

 「………」


 あたかも、否。まさしく確定事項のように自らの評価を『分不相応』といい放つ凶夜の苛烈な言葉にオレイラの表情は暗くなり、うつむいてしまう。

 それを見たエイラは幾らなんでも酷すぎる! と凶夜に言おうとした。

 だが、それには及ばなかった。


 「何故そんなに暗い顔をする? 俺にはその理由が理解出来ない。『分不相応』と『役たたず』は同意では無いというのに」

 「…え?」

 「つまりだな。俺達はオレイラに別の仕事を頼みたいと言っている。───もっと俺、いや。俺達を信頼しろよ? 囚われの姫様のお守りくらい、どうってこと無い」


 俺は魔族と人種の架け橋に成ろうとした男だぞ? 凶夜は薄く笑みを浮かべながら言った。

 俺を余り見くびるなと、姫様は救いだして見せると、そうオレイラに宣言した。

 元勇者、幾多の人々を戦火から守った威信溢れるその姿は、何の根拠も無いのにも関わらずオレイラを安心させうる力に満ちていた。


 「───それで、私に一体何を頼もうと言うのですか?」


 再び顔を上げたオレイラの顔にはもう、暗さなど残ってはいなかった。

 代わりにその顔を彩るのは、月の力を受け本来の色を取り戻した深紅の瞳。その色は血の滴るような鮮烈の朱、そしてその内に秘める凄絶なまでの怒りだった。



       ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 一刻ほど経った後、地下へと通じる階段前にて。



 「ふふ、良い来世を」


 血塗れの女性が優しげな笑みを浮かべる。


 その笑みはまるで聖母のような、誰かを労る慈愛に満ちたもの。

 先程まで浮かべていた憤怒、狂気の表情など面影すら存在せず。

 それが彼女本来の感情、表情なのだと照らす月明かりと『彼ら彼女ら』達のみがそれを知るのだった。

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