第7話 ヨウコ・マーシー
――アストロナイズ技能訓練校 テンダー・キャンパス
『入学式』、『コース選別試験』と毎年恒例のイベントを終えた同校が、日々のカリキュラムを消化する平常運転状態に入って1週間あまりが経過していた。
授業開始のベルが鳴った。
とある教室に入って来た数学担当の教師が教壇に立ち、生徒達を見据える。
「みんな、おはよう。まず出席を取るので、学生証カードを提出してください」
教室の後ろの列から順に集められた学生証カードの束。教師は受け取ったカードの束を教壇横に設置された自動読取装置にセットし、『読取開始ボタン』を押下する。あとは、授業終了までの間に機械が出席をチェックしてくれる仕組みだ。
毎日、毎時限ごとに行われる授業開始前の儀式だが、学生証カードを預けてしまうため、敷地内の様々な施設や設備が使えなくなるばかりか、正門ゲートから出る事も出来なくなる。つまりこれは、授業を抜け出す不届き者を防ぐ役目もあるのだ。
――生徒1人に1枚ずつ配布されている学生証カード。
強化プラスチックで成形された名刺サイズのこのアイテムは、個人情報保護の観点からカード表面に『氏名』しか書かれていないシンプルなデザインである。だが、敷地内での利用頻度はかくの如く非常に高い。そのため校内で大部分の時間を過ごす生徒達にとっては、単なる身分証という認識だけにとどまらない。
また、授業によっては学生証カードが出席確認以上の重要な役割を果たす場合もある。例えば、ニュート達『MPUパイロット養成コース』の生徒のみが受講する『MPU操縦訓練』がそれである――。
「よし、全員整列!!」
左手に持った竹刀。その先端でコンクリ床を小刻みに叩きながら、ヨウコは生徒達が並び終えるの待った。
やや涼しめの風が吹く春の午後、緑色のジャージに着替えた1年X組の生徒達は、1列当り20人が並ぶ5列横隊を組む。彼らの背後には、外壁を灰色一色で塗られた格納庫がそびえ立っている。
「よろしい。退屈な学科講義は前回で一旦終了し、今日からは貴様らお待ちかねの実技訓練に入る。各人が搭乗する機体番号については、朝のホームルームで話した通りだ。では、5分以内に機体へ搭乗、機体を起立させて指示を待て」
ヨウコが右手に持った小型のリモコンスイッチを操作すると、格納庫の分厚い鉄扉がゆっくりと開いていく。その直後、彼女が吹いたホイッスルを合図に生徒が一斉に格納庫へ向かって走り出す!
最初に入口に到着したニュートが扉の隙間から庫内に入り込むと、ヒンヤリした油と錆の匂いに満ちた空気に少しだけむせた。この手の匂いは『ゲルマー修理工場』で慣れてはいるが、さすがに濃さが違う。
格納庫内の照明が灯されると、生徒達は格納形態のMPUと初対面となる。打ちっぱなしのコンクリート床に腰を下ろし、両腕で両足を抱えたその姿勢は……
「やっぱり、どう見ても体育座りだよなぁ……」
この姿勢が最もコンパクトであり、機体へ搭乗する負担も少ないとはいえ、何とも調子が狂う光景である。
ニュートは舌打ちして首を傾げながらも気を取り直し、機体番号順に並べられたMPUを見て回る。ステンシル・フォントで『077』とペイントされた自分の乗機を探し出すと、機体各所に設けられた簡易ステップを足掛かりにして操縦席へ乗り込んだ。機体には頭部やハッチが無く、操縦席から外の景色が丸見えである。万一の転倒事故に備えて、操縦席の周囲は太い金属パイプでロールケージが構成されてはいるが、この程度で本当に大丈夫なのだろうか。
――そして、操縦席の内部は呆れるほど簡素だった。
足元にペダルが2つ、両手の位置に1本ずつ計2本の操縦レバー、正面のコンソールパネルには、横幅50cm、縦30cmほどのモニター画面があるだけ。操縦レバーに細かいボタンが幾つか付いているが、全て親指で操作する仕様だ。教室で上映されたビデオ映像では複雑な挙動を実演していたが、あんな動きがこのシンプルな操作系で可能なのだろうか? 学科講義のテキストで操縦装置の説明を受けた時から、この疑問はずっと付いて回っている。
コンソールパネルの上に放置されていたヘッドセットを頭に引っかけ、左スピーカーから伸びるマイクアームを口の前に合わせる。4点式シートベルトを締め、背中を硬いシートに密着させた。ニュートは、素早く瞳と顔を動かし、周囲の安全を確認する。
「前方良し、左右良し。後方は――」
操縦席の端に取付けられた何ともクラシックなバックミラー。ニュートは鏡映った鏡像で後方を確認する。実際の採掘現場で使用される機体には後方監視カメラが装備されているそうだが、学生風情には贅沢という事か。
「後方良し。ニュート077、起動します」
事前の講義で教わった通り『氏名』と『機体番号』をコールし、正面のモニター画面に学生証カードをタッチする!
システム起動関連の細かい文字が画面に表示された後、座席シートの下あたりから、大きな機械音が数回響いた。リレー回路が作動したような機械音と共に、背部に背負った電池ユニットの主電力回路が接続されたようである。
モニター画面には、大きなな赤い文字で『スタンドアップ(起立)』の表示が点滅している。MPUは組み込まれた起立プログラムに従い、起立動作を開始した。機体各所の関節に配置された超電導ステッピングモーターへ最適なパルス信号が送信され、正確な角度制御により足首、膝、股関節が位置調整を行う。
そして、滑らかに……しかし、力強く……今、立ち上がった!
「おお……」
遠ざかる床、手が届きそうなほど接近する天井。周りの機体も、次々と起立していくのが見える。ゆっくりと広がる視界に、ニュートは思わず感激の声を漏らした。それでもニュートは、左足でブレーキ・ペダルを強く踏む事を怠らなかった。
学科の授業で、ヨウコから耳にタコができるほど聞かされたためだ。
――実際に歩かせる時以外、絶対にブレーキ・ペダルから左足を離すな……と。
生徒達の機体が全て起立する頃には、格納庫の正面扉は全開状態となっていた。入口から吹き込む風の帯が、ニュートの頬を掠めて行く。その心地良さは、地上にいる時とは一味違う。
格納庫入口付近に立つヨウコが、竹刀を振り回して怒鳴る。
「ようし、クズガキ共。人並みに起立だけは出来たようだな。では、これより歩行訓練に入る。10m間隔、毎時10㎞で歩行開始!」
前列の機体との距離感を見ながら、ニュートはブレーキを踏む左足の力を徐々に緩め、それと入れ替わるように右足の――アクセル・ペダルを軽く踏み込む。
ニュートの操縦する『77番機』は彼の操作に応え、ゆっくりと最初の1歩を踏み出した。続けて、2歩目、3歩目。モーター駆動音と歩行音を響かせながら進む!
買ってもらったばかりの玩具の正しい操作方法を憶えた子供のように、ニュートの頬が大きく歪む。
1秒間に1.6歩という非常にゆっくりした速度で、MPUパイロットとしての人生が実質的に幕を開けた瞬間でもあった。
もっとも、1ヶ月も過ぎる頃には、この感動もどこへやら。延々と繰り返される歩行訓練に嫌気がさしてくるのだが。
――アストロナイズ市 商工業区 某所
空き倉庫の隅に敷き詰められたブルーシートは、過去様々な場面で使い古された物らしく、所々の綻びや破れが目立っていた。その上に置かれた数万点に及ぶ金属部品は、どれも高熱と衝撃によって捩じ曲がった物ばかりだ。
「しっかし、よくまぁこれだけ……ガラクタを集めて来たもんだ」
オルダーは、1つ1つの部品を手袋を着用した手に取って確認しながら、『公共の安全に対する脅威』の証左となり得る証拠品を探した。調査に参加しているメンバーは、アストロナイズ傘下企業から派遣された技術者100名以上に及ぶが、それでも気の遠くなる作業である事に違いは無い。
『ハンマーヘッド爆発事故』から約1ヶ月。
アストロナイズ市最上層の宇宙港に、ハンマーヘッドの残骸を回収した採掘船団が到着した。
まず、防護服に身を包んだ検査官らが放射線量を計測したが、宇宙空間に曝露された際の『宇宙線による放射化』は殆ど認められず、事故調査委員会による調査の段階に移った。
安物のジャケットにチノパンという、いつものスタイルで両手をズボンのポケットに突っ込みながら……オルダーは並べられた残骸達を見て回る。彼は独特の嗅覚を働かせていたが、今の所、彼のアンテナに反応する珍品には出会えずにいた。
それでも、事故調査委員会による調査が始まって数日が経過するようになると、手掛かりになりそうなアイテムが、他の調査員によってポツポツ見付かり始めた。
自分も何か手掛かりを見つけねば……と、躍起になるが世の中はそう甘く無い。
「だぁー! やってられるか、こんな事!」
ある日の午後、倉庫の壁際に設けられた休憩エリアには、パイプ椅子にだらしなく座るオルダーの姿があった。目の下には濃い隈が出来ており、まさに精も根も尽き果てたといった状態である。
「オルダー、どうだ調子の方は? ま、その様子では、芳しく無いようだな」
オルダーが視線を向けると、そこにはクローラ課長が立っていた。
「か、課長おぉぉぉ!」
「こういう時は、一息入れた方が良い。……食うか?」
クローラ課長は差し入れに持って来たドーナツの詰め合わせと、熱いカップコーヒーをオルダーの目の前に差し出した。
飾り気の無いオールドファッション。その一部を千切って食べながら、クローラ課長はまず、オルダーに軽く詫びた。
「すまんな。お前1人を残骸調査に参加させて。……こういう事が起きると、人手不足が直ぐに露呈する。私に政治力があれば良いが、それほど器用じゃなくてな」
「いやいや、課長は悪く無いですよ。あっ……それよりも現場写真の解析、何か出ましたか?」
「いや、こっちも手詰まり状態でな。現場で撮影された写真は軽く数千点もあるから、そう一朝一夕には行かんよ。画像解析の得意な課員数名に当らせてはいるが……なかなか、苦労させられているようだ」
「そうですか……」
さらにクローラ課長は、事故調査員会上層部の動きも口にした。
「事故調査委員会の中には、今回の件で地球政府を刺激したくない連中もいる。彼らは、単なる熱核ロケットエンジンの運転ミスにしたがっている。一体、誰のための、何の目的の調査なんだろうな」
「課長も課長で……大変ですね。私には、無理な世界だ」
オルダーは手提げ箱からフレンチ・クルーラーを取り上げ、中央の穴からクローラ課長の苦い表情を覗き込む。……その時、彼の嗅覚がやっと何かを捉えた。
「……穴」
「さてと、……私は失礼するとしよう。朗報を期待してるぞ」
オルダーの表情を汲み取ったクローラ課長は、邪魔になると察して退席する。
クローラ課長を見送った後、素早く振り返ったオルダーは、ブルーシートに広げられた残骸に向かって駆け出す。彼は既に見ていたのだ。――調査の突破孔である『穴』を。今日歩き回った辺りを、もう一度繰り返して歩いてみる。すると……。
「あった! これだ」
その残骸は、縦横約1m、厚さ30mmの金属板だった。片側の面に数字の塗装がある事から、恐らく何層にも重ねられた外殻の最も外側に位置していたと思われる。だが問題は、金属板の中央に空いた『穴』であった。測定の結果、『穴』の直径は70~80mmであり、外周部分には不規則なギザギザのバリと呼ばれるささくれが出来ていた。バリの向きからすると、宇宙船の外側から何かが貫通した痕跡にも見える。――この破片はオルダーによって『ドーナツ板』と命名され、詳しい分析に回される事となった。
『ドーナツ板』が運び出されるのを見送り、オルダーは次なる手掛かりを求めて残骸を1つ1つ見て回る。――だが、それから数週間は、これといった手掛かりは誰も見付けられず、残骸調査の人員も少しずつ縮小されて行った。
――アストロナイズ技能訓練校 テンダー・キャンパス
全てがセピア色になる夕刻。正門ゲートから一旦敷地の外に出たニュートは、バイクに乗って下校するため学校指定の駐輪場にいた。ヘルメットを被ろうとした時、彼は今日の授業を思い出していた。
『MPU操縦訓練』の実技指導が開始されて約2ヶ月ともなると、授業内容も徐々に高度な技能を扱うようになり、ニュートを含めた生徒達は壁にぶち当たっていた。『歩行訓練』、『走行訓練』と順調に進めてきた彼らは、『姿勢転換訓練』と呼ばれる課程を初めて体験し、MPU操縦の本当の難しさを味わったのである。
『姿勢転換訓練』とは、MPUの操縦席に設置されたシンプルな操縦系統を用いて、機体の方向転換や細かな重心変動を習得する事になっている。だが、機体には2本のレバーと2つのペダル――アクセルとブレーキしか存在しない。それらを駆使して、機体の向きを自由に変える事は不可能に思えた。
だが、ヨウコが操縦した機体は間違いなく、その場で360度あらゆる方向を自由に向いて見せたのだ。ちなみにヨウコの操縦した機種も、生徒達と同じ物である。
生徒達の操縦する機体は無駄に腕を振り回したり、あらぬ方向へ走って行くばかりで姿勢転換を出来たものは1台として存在しなかった。
ニュートは、背中に背負ったバックパックの中から実技講習用のテキストを取り出す。軽く折り目のついた『姿勢転換』のページを何度見直しても「うまく重心を変え、方向転換してください」くらいしか書かれていない。
「ホント、……何なんだ、この教科書?」
ニュートはテキストをバックパックに突っ込み、取りあえず下校する事にした。
「バイトに遅れると、ゲル爺がうるさいしなぁ」
バイクに起動キーを差し込んでエンジンを掛けた瞬間、ニュートは誰かの視線を感じた。だが……、フルフェイスのバイザーを上げ、周りを見るが人影は無いようだ。
「まぁ、気のせいかな」
――駐輪場を出て約15分ほどバイクを飛ばすと、ニュートのアルバイト先である『ゲルマー修理工場』に到着する。ゲル爺は店の入口辺りで何かの溶接作業をしているらしく、アーク光らしき輝きが少し遠くからでも確認出来る。
ニュートが乗るバイクのエンジン音に気付いたゲル爺は、溶接を中断して生意気だが筋の良い唯一のバイト店員を迎えた。
「ニュート、今日は少し遅かったな。……取り敢えず、電装系が故障したのが1台持ち込まれたから、そいつから片付けてくれ。……そこの奥にある奴な」
ニュートはゲル爺の指差したバイクを軽く下見し、自分なりの段取りを立てる。
「ん~と、この型は
「お前さん、何時から仕事を選べるほどエラくなったんだ?」
「はいはい。やります、やらせて頂きます」
ニュートはツナギ服に着替えるため、店の奥に引っ込んで行った。
そんなゲル爺とニュートのやり取りを物陰から観察する目があった。だが、隠れ方が下手であったため、その観察者はゲル爺によって簡単に発見されてしまった。
「あの……、さっきからそこに隠れとるお嬢さん。うちに何か用かい?」
照れながら出て来た少女は、ツナギ服に着替えてきたニュートと出くわす。
「あれっ、フィーナさん?」
「ニュート君、久しぶり……元気?」
2人の様子を交互に見ながら、ゲル爺が眉を寄せた。
「何だニュート。お前の知り合いか?」
「こちらは、フィーナさん。ここで、スクーターを修理したお客さんだよ。まぁ、修理と言っても電子制御基板のヒューズ交換で済んだけどね」
ニュートの紹介が終わると、フィーナは深々とゲル爺に頭を下げた。
「フィーナ・オーキスです。その節は、ニュート君にお世話になりました!」
ゲル爺は『フィーナ・オーキス』という名前を聞いた瞬間、少し目を細めた。
だが、その様子に気付かないニュートは、フィーナにゲル爺を紹介した。
「このいかにも頑固って感じの人は、ゲルじ……じゃなくて、トニー・ゲルマーさん。この店の経営者で、整備の腕前は僕が知る限りアストロナイズ市で恐らく1番だと思うよ。もっとバイト代上げてくれれば、経営者としても1流かもね」
「誰が頑固だ。誰が! 全く、いい加減にせんか!」
そんなニュートとゲル爺のやり取りを見ながら、フィーナがコロコロと笑った。
「さぁ、どうぞ。安物のコーヒーなので、口に合うか分かりませんが」
フィーナとニュートを店の奥のテーブル席に座らせ、ゲル爺が3人分のコーヒーを淹れて運んできた。しかも、滅多に付けない茶菓子まで用意してある。
フィーナはフーフーと吹きさましながら、一口、二口とすする。どうやら、味は気に入ってもらえたようである。
普段、上得意の客にコーヒーを淹れるのはニュートの役目であるが、茶菓子まで出した事は殆ど無かった。ニュートが不思議がっていると、ゲル爺は真剣な顔でフィーナに質問した。
「フィーナさん。もしや……と思うが、ジーン・オーキス議員と関係がおありかな? 確か、オーキス議員には、あなたと同じくらいのお嬢さんがいたとか……、少し前にテレビのニュースで見たものでな」
ゲル爺の問い掛けに対し、フィーナは軽く頭を下げた後に答えた。
「ゲルマーさんが仰る通り、ジーン・オーキスは私の父です」
ゲル爺は、やっぱり……といった表情を見せた後、言葉を続けた。
「これは、失礼しました。別に詮索するつもりは無かったんじゃが、あなたの物腰や雰囲気が余りにもその……歳相応では無かったのでな。気にせんでくれ。でも、そんな議員のご令嬢が……何用で月面に?」
「はい! アストロナイズ技能訓練校に進学したものですから」
「えっ、技能訓練校? ちなみにキャンパスは?」
「ニュート君と同じ、テンダー・キャンパスです」
今まで、フィーナとゲル爺の会話に入れなかったニュートが、椅子から転げ落ちそうになった。フィーナは、少しためらいがちに話を続ける。
「実はその……校内でニュート君に似た人を見つけて、話し掛けようとしてるうちに下校時刻になってしまって。それで確かめるために、スクーターで追って来たら、ここに辿り着いたんです。でも良かった。本当にニュート君で!」
フィーナは最初こそ照れながら話していたものの、後半は何の屈託も無く一気に話し切った。この度胸というか何というか、彼女独特の豪快さにはゲル爺も面食らった様子であった。
「なるほど。そういう事でしたか。しかし、学校なら地球にも名門校が沢山あるでしょうに。それこそ、掃いて捨てるほど。何故、月面くんだりまで……」
ゲル爺が質問を言い終える前に、フィーナは強い口調で言い返した。
「それでは、駄目なんです!」
「駄目……と、言いますと?」
フィーナは椅子から立ち上がって、身振り手振りを交えて説明し始める。
「地球と
フィーナは話終えた後、茶目っ気たっぷりに舌を出してみせた。唖然とさせられたゲル爺は、数秒後に我に返り、思い出した様な表情と共に拍手した。
「大人顔負けの立派な考えですな……。いや、これは恐れ入った」
「世間を知らない子供の生意気な独り言……くらいに受け取ってください」
ゲル爺とフィーナの会話が一通り終えた所で、ゲル爺はニュートの方を向き、彼に手招きして言った。
「ニュート、仕事の事で少し話がある。ちょっと、こっちに来い。……あ、フィーナさんは、ゆっくりくつろいで頂いて結構ですから。ほら、ニュート!」
丸っきり空気が読めていないニュートは、ゲル爺に誘われるまま店の奥に行く。
「……で、ゲル爺。仕事の話って何?」
「ニュート、残念だが……彼女は……フィーナさんの事は諦めろ」
「えっ、諦めるって……どういう事?」
ゲル爺は、そのゴツい手でニュートの両肩をきつく掴みながら言い聞かせる。
「良いか。彼女の父君は、ジーン・オーキスといってな。地球政府議員の穏健派に属する重鎮だ。分かりやすく言えば、大物政治家って事だ」
だが、ニュートにはさっぱり通じていない。
「その、フィーナのお父さんが、僕とどういう関係があるわけ?」
ゲル爺は、頭を抱えながら説明する。
「本当にお前は、機械以外の事は丸でセンスが無いんだな。だがこの際、はっきり言うぞ。お前とフィーナさんでは、住む世界が余りにも違いすぎる。世の中には、バランスというか釣り合いってモンがあるんじゃ。……今日はもう仕事は良いから、フィーナさんを送って行ってやれ。そして帰り際に、きっぱり縁を切れ。今のまま関係が続いても、いずれお互い不幸にしかならん。いいな?」
ニュートは、店の奥からこっそりフィーナの様子を伺う。確かに、最初に会った時から変わった女の子だな……と思ってはいたのだけれども。
「さて、そろそろ店を閉めるので、お開きにしますか。フィーナさん、今日はお会いできて本当に良かった。ぜひ沢山勉強して、お父上に負けない大物になってください。このトニー・ゲルマー、今から期待しておりますぞ」
ゲル爺はお世辞を織り交ぜつつ、わざと滑稽に芝居がかった口調でフィーナに握手を求めた。これには、フィーナもまんざらでは無さそうな顔を見せていた。
ゲル爺に見送られ、『ゲルマー修理工場』からニュートとフィーナは帰路についた。しかし、修理工場から少し離れた所で、フィーナはスクーターのモーターを切った。それを見て、ニュートもモーターを止める。
「せっかくだから、少し歩いて帰ろうよ」
フィーナの提案に押し切られ、ニュートは愛車を押して歩いた。
「さっきは、ごめんね。私の話、面白くなかったでしょ」
「あ、いや……何ていうか、フィーナさんって凄いなって思ったよ」
本当は、殆ど話について行けなかったのだが……ニュートは適当に取り繕った。すると、フィーナは少し声のトーンを落として言った。
「全然、凄くないよ。口では偉そうな事言っても、世の中の事なんて何1つ変えられないんだもの。それより、ニュート君の方が凄いよ。バイク直せちゃうし」
「いや、あれは仕事だし。やらないと、ゲル爺がうるさいから……」
フィーナの真剣な眼差し。その瞳が持つ眼力は、ニュートを黙らせる。
「嘘。本当は機械を触るのが、大スキだからなんでしょ」
「あ……、うん」
「私に嘘言わないで」
フィーナの口調は、少し怒っているようにも聞こえた。そのせいで、暫くの間、2人は無言で愛車を押していた。
フィーナはスクーターを押す足を止め、すっかり夜の色合いとなった人工の空を見上げる。申し訳程度の小さな灯が、星のように瞬いて見えた。
「ねぇ、ニュート君の夢って何? 将来は、どんな事したい?」
「そうだなぁ……」
今までニュートは、技能訓練校を卒業し、アストロナイズ社傘下の適当な会社に勤め、一生を終えると思っていた。だが、つい2ヶ月ほど前、MPUという今まで見た事も無い機械と出会った事で少し考えが変わって来ていた。
「何ていうか……まだ、はっきり言えないんだけど。アストロナイズとか月とか、地球とか……そんなのどうでも良くて、もっと遠くに行って、もっといろんな物を見て、それをもっと沢山の人に伝える……そんな仕事がしたい」
ニュートの言葉は、フィーナの演説よりもさらに具体性を欠いていた。けれども、フィーナは彼の言葉に何かを直感した。この人はいつか、今言った事を本当にやってしまうのではないかと。
――そしてその時、彼の一番傍にいるのは自分なのではないだろうかと。
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