第6話 エルザ・クローラ

 建設計画の最初期から階層型地下都市ジオフロントとして設計されたアストロナイズ市は、居住区もまた特異な構成となっており、時に人々を不思議な感覚の世界へ誘う。


 アストロナイズ市の住民はもとより仕事や観光等の理由で訪月した者達は、市の中心部を貫通するエレベーター・シャフトを使用して階層間を移動する。その際、道路交通網によって格子状に区切られた居住区を上空から見下ろす事になる。眼下に広がる景色は、まるで電子部品内部の半導体素子のようであり、ミクロ化した自分自身が部品の中に落ちて行く錯覚をおぼえる。しかも区画単位で複製されたような整然とした街並みが、遥か彼方まで延々と続いている。


 人類は自らの技術でこんな事も実現してしまうのだな……と感じた次の瞬間、自分もその人類の1人であり、この社会を構成する部品の1つである事を再認識する。

 もっとも、世の中には本当に人を『部品』扱いする非情な人間もいるのだが……それもまた、この社会の現実ふしぎではある。


 ――アストロナイズ技能訓練校 テンダー・キャンパス

 360000㎡の面積を持つ同校の敷地は、居住区内に配置された他の技能訓練校の殆どがそうであるように四方を自動車道路に囲まれている。敷地外周を覆うフェンスのうち、最も幅の広い道路と面する部分には電子制御式正門ゲートが設置されており、キャメルのスクールブレザーに身を包んだ数名の男女――登校してきた生徒達が並んで順番待ちをしていた。


 登校してきた生徒が学生証カードをゲート右側の認識装置にかざすと、傍に備え付けられた小型スクリーンに『氏名』、『所属クラス』そして『顔写真』が表示される。加えて言うと、流暢な合成音声のアナウンス付きである。もちろん、ゲート通過時刻も記録が残るため、遅刻の有無も同時にチェックされる。


 学生証カードの提示から生徒の認識にかかる時間は約1秒程度であり、ゲートが20基も並んだ正門ゲート前が大渋滞する事はまず無い。自動化による人件費削減と『遅刻するのは生徒自身の問題』という学校側の言い分を同時に具現化したとも言える設備である。


 正門ゲートには昨日行われたコース選別試験の結果も既に反映されており、新入生達はゲート装置のスクリーン表示によって『所属クラス』を初めて知る事となる。――そう、たったいま学生証をかざしたエルザ・クローラのように。


 『エルザ・クローラ、1年X組』

 滑らかな合成音声のアナウンスを聞き、エルザは一瞬耳を疑った。そして、改めて学生証カードをタッチさせる。

 『エルザ・クローラ、1年X組、登校済』


 ――なに、X組って?

 エルザの背後で列が詰まり始め、生徒達が文句を言い始める。

 「おい、早くしろよ!」

 押し出されるようにゲートを通過した彼女は、自分の学生証カードの表裏をジロジロ見ながらトボトボと歩いて行く。

 X組……バツ、ペケ、駄目、最悪って事なの? あまりに選別試験の出来が酷過ぎて、最下位のクラスに編入されてしまったという事なの? 

 ……中学時代、自分なりに勉強を頑張って来たというのに。


 ふと我に返ると周囲に他の生徒は無く、自分がどの校舎に向かえば良いのかも分からなくなっていた。……エルザの首筋がしっとり汗ばむ。周りを見回したエルザは教師の1人を見つけ、短いスカートが捲れるのも気にせず猛烈なスピードで駆け寄った。学校側はゲート通過時に初めてクラス分けを知る新入生のため、各所に説明役の教師を配置していたのだ。


 「すみません。1年X組は、どこに行けば……」

 整髪料の匂いをプンプンさせた男性教員に声を掛けた瞬間、全く同じセリフを同時に口にした男子生徒がエルザの隣に立っていた。

 「2人とも、念のため学生証カードを見せてください」

 「はい!」

 2人は、提示を求められた学生証カードを突き出すタイミングも同時だった。

 「エルザ・クローラさんと、ニュート・カーバイン君ですね。1年X組の教室は、正門ゲートから見て一番右奥……あの茶色い校舎の1階にあります」

 「ありがとうございました!」

 エルザとニュートは丁寧に教えてくれた教師に同時に礼を言い、目的の校舎の方へ振り向く時、互いの肩が強くぶつかった。


 「痛ってぇ!」

 「そっちこそ、気を付けなさいよ!」


 2人は改めて同じ方向に歩き出す。エルザは1年X組という謎めいた名のクラスに編入されてしまった事が相当ショックだったのか、些細な事でニュートに絡んだ。

 「あんた、ついて来ないでよ!」

 「仕方無いだろ。同じクラスなんだから」

 「はぁ……、朝から変な奴に会うし。X組なんて変な名前のクラスに入るし。きっと名前の通り、猿みたいな低レベルの連中ばっか揃った最悪の所なんだわ!」

 エルザが芝居がかったな振り付けを交えながら、薄幸のヒロイン振りをアピールをしている……その様子を横目で見ていたニュートは、冷静な突っ込みを入れた。

 「大袈裟だなぁ。たかが、コース選別くらいで」

 「大袈裟って……。あの試験結果で、自分の人生が決まっちゃうのよ!」

 「人間の人生は、あんな紙切れで決まるほど簡単じゃないと思うけどね」

 エルザは気の毒そうな表情で、ニュートの顔をまじまじと見る。

 「あなた、余所から引っ越してきたの? でなきゃ……、頭、大丈夫?」

 「大きなお世話だよ! それから、X組ってのは単にアルファベット順に名付けただけだろ。ほら、このプリントにも書いてあるし」


 ニュートがエルザに手渡したプリントには、コース選別試験後の注意事項が事細かに書かれていた。ニュートの指摘通り、技能訓練校のクラス構成概要も次のように記されてある。


 ★コース選別について――

 コース選別試験によって、新入生は5つのコースに選別されます。

 また、各コースは5つのクラスで構成され、クラス総数は25クラスとなります。


 ①幹部候補コース (1年A~E組)

 ②技能特待生コース(1年F~J組)

 ③自然科学コース (1年K~O組)

 ④人文科学コース (1年P~T組)

 ⑤MPUパイロット養成コース (1年U~Y組)


 これによると、エルザやニュートが所属する『1年X組』は、MPUパイロット養成コースの中の1クラスという事になる。


 エルザは、自分の心配が杞憂だった事を取りあえず安堵した。……が、同時に新たな疑問が浮かんだ。

 「……こんなプリント、何時何処でもらったの?」

 「昨日、コース選別試験が終わった後、先生達から配られただろ」

 ああ、そう言えば――何か紙を配られた気もする。だが、試験の出来が絶望的だった彼女はそれ所ではなく、配られた注意事項のプリントを無意識に丸め、何処かに捨ててしまっていた。通りで記憶にないわけである。


 「あと、MPUパイロットって何かしら?」

 「そんなの、僕が知る訳ないだろ」

 ニュートは答えながら、エルザの手から注意事項プリントを奪い返そうとする。

 「何よ、見せてくれても良いじゃない! ケチ!」

 「ケチィ? 親切で見せたのに、なんで文句言われなきゃいけないんだよ!」

 「男のくせにゴチャゴチャと……ちょっとぉ、見せなさいよ!」

 喧嘩腰の言葉が飛び交う間、プリントは2人の手を行ったり来たり。

 ……2人が同時に引っ張り合った瞬間、プリントは真っ二つに裂けてしまった。

 「あ……」

 その声も2人同時であった。

 「これ、もう返すわ。じゃあね」

 エルザは破れたプリントの半分を廊下に放り投げ、教室のドアを開けて中に駆け込んでいった。

 「なんだよ、あいつ……」

 ニュートも首を傾げて舌打ちしつつ、破られたプリントの一片を拾った。


 さて、ニュートが足を踏み入れた『1年X組』の教室。彼が感じた第一印象は、『マニア向けの映画を上映するミニシアター』であった。

 入口のすぐ横に配置された教壇と約5mの間隔を空けて、生徒用の座席が並んでいる。横一線に並んだ10人掛けの座席が10列並んでおり、全ての席が埋まると最大100人座れる事になる。また、奥の席になるほど高くなるよう、床に緩やかな段差が設けられていた。後ろの席からも黒板が見えるようにとの配慮であろう。


 ニュートは室内を見回した後、最前列中央の席についた。やがて、ポツポツと席が埋まりだし、最終的に隣の生徒の肘が気になる位に詰め込まれた状態となった。


 ――始業のベルが鳴った。

 廊下から聞こえてくる足音が徐々に大きくなるにつれ、生徒達は雑談を止めて静かになっていく。自分達の担任は、どんな教師なのか……緊張の瞬間である。

 入口のドアを開け、教室に入って来たのは、――若い女性教員であった。


 (よっしゃ!)

 生徒達の中から小さな歓喜の声が漏れ聞こえる。

 「ひぃ~ふぅ~みぃ~……、ようし全員いるようだな」

 女性教師は、まるで小銭でも確認するように生徒達の席を目視で数えた。呟いたその声は、大よそ女性とは思えない野太い声だった。しかも、相当ドスが利いている。勘の良い生徒は、この辺りから何か怪しい雲行きを感じ始めていた。


 彼女は、教壇の背後にある黒板に『ヨウコ・マーシー』と板書した。だが、チョークと黒板が絶妙な角度で擦れたため、キーキーと爪を立てるような音を響かせる。先天的にこの音を苦手とする数名の生徒が、耳を塞いで苦悶の表情を浮かべていた。……何かを暗示するような不吉な出だしである。

 女性教師は持っていたチョークを置いて振り返り、自己紹介を始めた。

 「今日から、この1年X組で貴様らクズガキ共の面倒を見る――ヨウコ・マーシーだ。言っとくが、女だからって舐めてると後悔する事になるからな!」


 とてもプロが切ったとは思えないザク切りのミディアム・ヘア。縁なし眼鏡のその奥で、両目が炎に燃えている。エンジ色のジャージーは所々ほころびており、悪童達と交わした幾多の激闘を想起させる。そして極めつけは、右手で床に突き立てた竹刀である。

 この瞬間、とんでもないクラスに編入された事をほぼ全員が直感した。だが、ヨウコは生徒達の反応など気にも留めずに言葉を続けた。

 「注意事項のプリントにもある通り、この1年X組は『MPUパイロット養成コース』を構成する5クラスのうちの1つだ。恐らく、ここにいる大部分の者は、MPUについて見た事も聞いた事も無いと思う。まずは、MPUが何かを説明しよう」


 ヨウコが教壇に備え付けられたAV機器のスイッチを操作すると、小さな機械音と共に黒板を隠すようにスクリーンが降りて来る。併せて、室内が少し暗くなった。


 「我々、宇宙居住者アストロナントは、地球に対して様々な鉱物資源を輸出している。そうして得た通貨を用いて、日々の必要な物資を手に入れたりしているわけだが……輸出品である鉱物資源をどうやって獲得しているか分かるか?」


 マイクに見立てた竹刀の先端が、1人の生徒へ向けられる。

 「資源採掘船で小惑星帯に行き、採掘してきます」

 「……まぁ、ハズレでは無いが、正解でもないな」

 ヨウコが教壇のスイッチを押すと、画面が切り替わった。旧式採掘船の船体が小惑星の衝突で醜く歪んでいる。

 「小惑星帯――俗にメインベルト呼ばれる宙域は一般に思われているほど、岩石が過密状態で浮遊しているような場所では無い。実際、人類が過去に打ち上げた無人探査機の幾つかは、この小惑星帯を通過して太陽系外に飛び出している。……だが、資源採掘船が長期間停泊して作業を行うには、その船体は大きすぎる。万一、事故でも起きようものなら、月面に帰還出来なくなるからな。そうなれば、貴重な乗員が全滅だ。つまり、採掘船だけあっても採掘作業を行う事が出来ない訳だ」


 再び、ヨウコが教壇のスイッチを押す。すると今度は、原始的な宇宙服を着用した作業員達が何か大きな装置を使用し、資源採掘作業を行う映像となった。

 「……そういった事情もあって、小惑星上に直接人間が降りて作業する事も、実は過去に行われた。だが、より精密で高度な装置が使用されるようになると、この方法はすぐに廃れてしまった。……作業員の負担が大き過ぎたからだ」


 ヨウコはそう言った後、教壇のスイッチをさらに操作した。

 「そこで、MPUの出番となる訳だ」

 

 スクリーンに5秒間のカウントダウンが表示された後、『アストロナイズ・プローブス』というロゴマークが大きく映し出された。やがてそれがフェードアウトすると、画面カメラは真っ暗な宇宙空間を進む高速移動物体を捉える。人間に近い両腕両足を持ち、頭部に相当する透明ドームの内部に各種センサー装置が詰め込まれている。背中には、動力機関と空間機動用のブースターユニットが装備されているようだ。


 多数の小惑星群をクルクルと器用に回避した後、目的の小惑星に派手な着地を決め、画面カメラに向けて右手親指を突き立ててポーズを決める!

 映像はここで止まった。


 「……ロボット?」

 ニュートが思わず漏らした驚嘆の声。それを聞いた後、ヨウコが説明を加える。

 「これが、MPU――機動Mobile探査Probe装置Unitである。宇宙服と各種測定装置、動力ユニットを組み合わせた採掘装置だ。貴様らの最終目標は、MPU操縦技能を身に付け、自由自在に扱えるようになる事だ。それから……」


 ヨウコは、『ロボット』と言ったニュートに竹刀を向けた。

 「貴様、名前は?」

 「ニュート・カーバインです」

 「よし、ニュート……良く憶えておけ。実際の採掘現場ではMPUは、あくまでMPUと呼ばれる。誰もロボットと言ったりしない。貴様もいずれプロになるなら、今からプロの作業員と同じ言葉を使い、理解しろ。いいな?」

 「はい!」

 ニュートは、顔を強張らせて答えた。

 「よし、返事の良さは気に入った。頑張れよ」

 今まで厳しさを前面に出していたヨウコは、ほんの少しだけ笑顔を見せる。


 教室の雰囲気が若干軟化したその時、一番奥の席に座る少々態度の悪そうな生徒が、立ち上がってヨウコを指差して茶々を入れた。

 「先生よぉ、どうせ機械が全部やってくれんだろ? こんなの誰だって出来るんじゃねぇの? 何つうかぁ……はっきり言って楽勝っすよね」


 ヨウコの眼鏡が室内照明の光をキラリと反射した。この手の言動を口にする生徒は、毎年1人や2人いるものだ。彼女はこういった挑戦的な態度を木端微塵に打ち砕く事――それを仕事中の楽しみの1つにしていた。

 「ほう、なかなか言うじゃないか。貴様、名前は?」

 「バッド・フェローズっす」

 「よし、バッド。お前、これを見ても本当にそう言えるかな?」


 ヨウコが教壇のスイッチを押すと、スクリーンに別の映像が写し出された。1機のMPUが手足をバタつかせながら、画面の前を通り過ぎて行く。背中の空間機動用ブースターから不規則な噴射炎が出ており、搭乗員がパニック状態となっているのは誰の目にも明らかだった。MPUは速度を緩めずに小惑星へ接近し、そのまま激突。さらに、機体の一部から漏れたブースター燃料が引火し、粉々に爆発!

 撮影者が何か絶叫している声も記録されていた。恐らくそれは、事故機の搭乗者の名前と思われる。


 「この映像は、当時3年生だった生徒が、空間機動研修の授業中に事故を起こした際に撮影されたモノだ。事故が起きたのは、今から2年前。この生徒は研修中に空間失調症を発症、パニック状態のまま着地目標だった小惑星アルカードに衝突・死亡した。人間というのは、普段感じている上下感覚を失っただけで事故死するものだ。簡単とか難しいとかの話では無く、人間の持つ生物としての機能が空間機動に適応しきれてないのだ。

 なお、この映像を撮影した生徒もPTSDを発症し、MPUを操縦出来なくなった」


 教室内は、一気に騒然となった。まかり間違えば、死ぬクラスなのだと。

 「せ、先生も冗談キツいよなぁ。俺らをビビらせようなんてよぉ……」

 バッド・フェローズは、焦りながらも自分の主張を曲げようとしない。ヨウコは彼の席まで歩いて近づくと、竹刀の先端を向けながら静かに言う。

 「私の話が信じられんのなら、今から学生課にでも行って聞いてみろ」

 引くに引けなくなったバッドは、ヨウコを睨み返して虚勢を張るのが精一杯だ。

 「ほらどうした。早く学生課に行って聞いて来い!!」

 ヨウコは竹刀で床を殴りつけた。その音に驚き、バッドは駆け足で教室を出ると、一目散に学生課へ向かって行った。教室の空気が絶対零度まで凍りつく。

 「良いか、貴様ら。彼奴みたいな気持ちでいると、本当に死ぬぞ!」

 その後、明日からの授業について説明があり、午前中は終了……昼食となった。


 技能訓練校の構内にはカフェテリア――いわゆる学生食堂もあるのだが、一度に大勢を収容し切れない事情もあって、弁当持参の生徒が大半である。

 だが、衝撃の事故映像を見せられた1年X組の生徒達は、ショックのあまり昼食に手を付ける気分では無くなっていた。

 そんな中、エルザだけは母ウィニーの詰めてくれた弁当の蓋を開け、手にしたフォークで食べようとする。

 「みんな、バカじゃないの? ああいう事故を起こさないために、しっかり勉強するってもんじゃない。それを、明日はもう命が無いみたいな顔しちゃってさ」

 だが、エルザも強がってはいるが、右手に持ったフォークの先が揺れている。左手で右手を押さえても一向に止まらない。目頭からは、涙がこみ上げてくる。彼女の意識とは別に、彼女の肉体は正常に死への拒否反応を示していた。


 昼食時間が終わると、午後は学校内に設置された施設・設備の説明が行われ、明日からの授業開始を控えて生徒は全員帰宅となった。


 ――アストロナイズ社 社宅用マンション 305号室(ニュートの自宅)

 気分が優れないという理由で『ゲルマー修理工場』のバイトを休んだニュートは、自室のベッドの上に放心状態で寝転がっていた。父親と母親を宇宙開発事故で亡くした彼は、他の生徒と比べて多少は宇宙での死に耐性があった。だが、意外な事に自分が宇宙で死ぬ事を考えてはいなかった。胸の動悸は止まらず、手は小刻みに震えている。


 ハンマーヘッド爆発事故の合同葬儀で母に献花した時、自分を納得させるために『母は宇宙で死ぬ事を覚悟していただろう』と考えたものだが、そんなはずあるわけがない。自分だって、こんなに考えるほど怖いのだから。


 「母さんは、どんな気持ちで資源採掘船に乗っていたんだろう?」

 もしも、宇宙船に乗らずに働ける仕事があったのなら、母はその仕事を選んだだろうか。恐らく死の恐怖は常に心のどこかにあっただろう。でもそれを超えて余りあるがあったはずなのだ。

 ふと、今日のオリエンテーションで、担任のヨウコが言っていた言葉を思い出した。宇宙居住者アストロナントは、地球に対して様々な物を輸出していると。地球にしてみれば、宇宙から輸入する――その物資がどうしても必要という事だ。もし、必要な物資が手に入らなければ社会が成り立たなくなる。

 鉄鉱石が無ければ宇宙船も街のビルも建造できない。同じように銅、鉛、ニッケル、その他……どれが枯渇しても人類社会に大きな影響を及ぼす。もしかすると母は、地球と月が形成する社会は自分と言う部品が支えている……たとえ自分が小さな一本のネジであっても。――そんなプライドを持って採掘船に乗っていたのかもしれない。プライドか……もう一度、ニュートは自分の手のひらを見る。

 もう、彼の手から震えは消えていた。


 ――レコン・クローラ課長宅(エルザの自宅)

 母ウィニーが繰返しドアをノックしていた。ちょうど目線の高さには、『エルザの部屋♡』と書かれたプレートが貼付けられている。

 「エルザ、お弁当、全然食べてないじゃない。何か食べないと体に毒よ」

 「今、食べたくない……」

 かつて自分もそうだったが、年頃の娘というのは難しい……そう考えたウィニーは、すごすごと台所に引き上げて行った。

 ――下手したら死ぬ授業って何よ。馬鹿じゃないの? 将来を背負って立つ学生を何だと思ってんのよ。

 だが、それでも腹は減る。15分ほど悩んだ後、エルザは台所に向かった。台所では、ウィニーが何か作っている。肩越しに覗くと……また、タマゴサンドだった。

 こんな料理でも、死んでしまえば口にする事は出来なくなるのだ。

 事故の映像が、エルザの脳内で再び再生される。次の瞬間、無意識に母の背中にしがみついていた。――怖い夢から覚めた幼子のように。


 「ママ、あたし……死にたくないよ……。まだ、やりたい事、何もしてないのに」

 ウィニーは、ニコニコと微笑みながら娘に答える。

 「あらあら、どうしちゃったの? いつものエルザらしくないわね」

 「今日ね、学校で……MPUが事故で爆発するビデオをね……それでね……」

 タマゴサンドを作り終えたウィニーはタオルで手を拭き、涙でグシャグシャになった娘の顔を正面から見つめ、大きく肉厚な手で頭を撫で回した。

 「ねぇ、エルザ。あなたが死ぬのはいつ? 明日、それとも明後日かしら?」

 エルザは母の質問に呆気にとられながらも、力強く首をブンブンと振った。

 「でしょう。そんな事を言ってたら、パパなんて、いつ暴漢に襲われるか分からないって事よね。そんなんじゃ、パパを馬鹿にする資格は無いわね~」

 母の一言で、エルザの中にある『父への思い』に再び火が入る。

 「……分かったわよ。パパになんか絶対負けない! クラスの中で1番になってやるんだから!」

 「そう、その意気よ。エルザ!」

 「それはそうと……お腹減ったぁ~」

 タマゴサンドをモグモグと食べるエルザが、何気なく母に聞いた。

 「ママは、パパが死んじゃうとか考えた事無いの?」

 「まさか。いっぱい考えて、いっぱい悩んで、いっぱい泣いたわよ」

 「で、今はどう思ってるの?」

 「もう、飽きたわ。考えてどうなる物でもないし、人生は楽しまなくちゃ」

 やはり、母ウィニーはラテン系の遺伝子を継承していた。


 ――アストロナイズ技能訓練校 テンダー・キャンパス

 少なくとも2人の若者が自宅で恐怖心に打ち勝っていた頃、『1年X組』の教室では、緊急の職員会議が開かれていた。参加者は、1年生各クラスの担任25名と校長や教頭等の管理職併せて総勢30名程度であった。

 教壇に立つヨウコに対し、普段生徒達が着席する場所に教師達が座っており、彼らから罵声に近い追及が飛んでいる。事の経緯は、次のようなものであった。


 午前中のオリエンテーションで例の事故映像を見せた結果、学生課に『コース変更申請』を提出する学生が押し寄せたのだった。毎年、自分の適性を検討した数名の生徒が申請する事はあったが、今回は例年の数倍もの申請者が殺到したのだ。


 学生課の課長が申請に来た学生に聞いた所、ヨウコの事故映像上映が発覚。教職員達にクレーム報告されたという次第である。


 「あんな事故映像を最初に見せたら、学生達が驚くに決まってるだろう。何を考えているんだね。君は」

 「こんなにコース変更申請者がいたのでは、選別試験をやった意味が無いだろ」

 「黙っていないで、何とか言いたまえ!」


 教師達の追及の声が一通り終わった後、ヨウコは校長の許可を得て発言した。

 「先生方の仰る事は、確かにもっともかと思います……」

 彼女は先輩教師達の言葉を真摯に受け止めた素振りを見せ、反撃に転じた。

 「……ところで、皆さん。アストロナイズ市の総人口は何人か御存知ですか?」

 身構える教師軍団。校長も先の展開を読めずに困惑する。

 「マーシー先生、急に何を……」

 ヨウコは、『まぁまぁ』と抑える手振りをして話を続ける。

 「そう、正解は約1000万人です。では次に、労働人口はどれくらいですか?」

 「確か、去年の統計では、600万人くらいだったはずだ」

 社会学を専攻した教師が即答した。ヨウコは、それを受けて話を続けた。

 「回答ありがとう御座います。また、現在のシステムでは、技能訓練校を卒業する20歳から定年退職する70歳まで……つまり、人間は約50年間働き続ける事となります。長いですね、50年間……半世紀ですよ。半世紀」

 教師達は、ヨウコの話がどこに着地するのか見守っているようであった。

 「つまり言い換えれば、技能訓練校は毎年約12万人の労働者――高品質な部品を社会に送り出す事が使命となります。これは、我がテンダー校だけで考えると、毎年コンスタントに2500個の部品を出荷する人材工場と言えます」

 ヨウコは言葉を切り、ぬるま湯に浸かりきった教師共の顔を睨んだ。

 「生徒達が一旦社会に出てしまえば、我々教育者は無力です。かつての教え子が、卒業後にどんな苦境に立たされようと、手を差し伸べる機会はありません。……であるなら、生徒達が将来直面するであろう危険についても、しっかり教えておくべきだとそう思います。味のしない餌だけ与えて生徒を飼い馴らすのは簡単です。でも、それだけでは人として育ちません。人間は嫌でも血の味を憶えてこそ、高品質な部品である『人』になり得るのです! 『血の味』も含めて知識を教える事が我々の本当の職務では無いでしょうか?」


 ヨウコの演説が終わった後、室内はしばらく静かだった。

 やがて、パチパチとまばらな拍手が起こり、最後は全員が拍手していた。

 ……そしてそれは、しばらく鳴りやまなかった。

 


 

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