第3話 レスター・フローライン
『資源採掘船ハンマーヘッド爆発事故』の犠牲者462名を弔う合同葬儀は、市内最大の市民ホールにおいてしめやかに執り行われていた。会場正面に設置された祭壇には、冥土に赴いた乗員全員の遺影が配置され、彼や彼女らの死出の旅路が寂しい物とならないよう視界に入るあらゆる場所が大量の花で飾り立てられている。喪主を務めるアストロナイズ社代表取締役CEOのグレン・ネオスから犠牲者へ哀悼の言葉が贈られた後、現在までに判明している事故の内容にも触れられた。
今回、爆発事故が発生した資源採掘船ハンマーヘッドは、アストロナイズ社傘下企業の1つである資源採掘会社『アストロナイズ・マテリアル』が所有する宇宙船であった。全長300mを超えるVLCM(Very Large Crude Miner)級に分類され、『流線型の船体ライン』と『船首に設けられた高分解能小惑星探知レーダー』という外観的特徴から、大海を縦横無尽に泳ぐシュモクザメを船名の由来としていた。
事故が発生した直後、救援に向かった他の資源採掘船によって現場写真が撮影された。それにより、恐らく熱核ロケットエンジン用の水素燃料タンクが何らかのトラブルによって爆発したものと推測された。現在、周辺宙域では飛散した残骸の回収作業が行われており、それらを持ち帰り次第、アストロナイズ全社をあげて事故原因究明に努めるとの事であった。グレンCEOはそこで話を切り上げ、遺族や参列者らの献花へと式次第を進めさせた。
会場のそこかしこから聞こえる嗚咽の声は止む事が無く、弔問客らの長い列が献花台まで延々と続いている。その中には、一見して犠牲者と同業であろうと分かる制服姿の航宙士も数多く見受けられた。ニュートは早くから列に並んでいたため、彼の足の裏や膝が弱音を吐き始める前に献花台に辿り着く事が出来た。3日前、オルダーによって母の死が伝えられようとした時、失神するほど動揺したニュートは事実を冷静に受け止められるまでに気持ちを持ち直していた。
『母さんが亡くなった事は確かに悲しい。しかし、いつまでも落ち込んでばかりではいられない。事故で命を落とす可能性がある事は、航宙士になった時から覚悟していただろう。――それよりも、父さんと母さんは僕が早く一人前になる事を、天国で望んでいるに違いない』
母の写真を正視し、花を捧げ、母への想いを心の底にある頑丈な箱の中へ仕舞い込む。そして瞳を閉じ、4月に入学する技能訓練校で勉学に励む事を亡き父と母に誓った。
ニュートが母の遺影を前に気持ちの整理を済ませた頃、彼の約2m右側に……同じく『メアリー・カーバイン』に対して献花する人物がいた。資源採掘船サンダーヘッドの船長――レスター・フローラインである。制服の左上腕に喪章を付けた彼は、船長帽を左脇に抱えたまま花を捧げ、部下であり弟子であったメアリーの死を改めて悼んだ。月面に入港した後、船乗り同士のネットワークを通じて情報を集めてはみたが、ハンマーヘッドの『航行データ記録装置』――所謂、ブラックボックスを発見したという一報は未だに入っていない。代わりに、船長のメアリーに対して、彼女の操船ミスを疑う声が出始めている事も知った。優秀な愛弟子であった彼女に限って、船を爆破させるような過ちを犯すはずがない。だが、彼女を疑う声を否定出来る証拠は今のところ何も無い。彼は何も出来ないでいる自分に苛立ちを感じながら、献花台の前から退いた。
大勢の弔問客で混雑する合同葬儀場の片隅。ホールの壁に背中を預け、場内の雰囲気に溶け込みつつ、葬儀の様子を眺め続ける礼服姿の人影が2つあった。そのうちの1人、ニュートに母親の訃報を知らせに来た男――オルダー・バナードが口を開く。
「全く、幾つになっても
不謹慎とも取れるオルダーの発言。彼の左側に立つ人物はそれを諭す様に返す。
「理不尽な悲哀に直面した人々は、正義の存在を切望し、かつそれが行使される事を期待する。それはつまり、我々の活動を支持してくれるという事だ。よく憶えておきたまえ」
彼はオルダーよりも二回りほど背が低く、グレーの頭髪をオールバックで纏めていた。一見すると窓際の閑職で定年を待つ肩書きだけの課長といった風貌だが、銀縁眼鏡の奥に控えた瞳には、幾多の修羅場を潜り抜けた経験から来る凄みがあった。……と、彼の強調した『我々』という言葉にオルダーが反応する。
「……では、漸く私も公安課の一員って訳ですか……」
「正式な辞令は、4月に入ってからになるがね。まだ内密だが、この爆発事故について正式に事故調査委員会が組織される事になった。私にも社の公共安全部・公安課代表として参加するよう御声がかかった。とりあえず、君には私の手足として動いてもらう」
彼の言葉は抑揚の少ないボソボソとしたものだったが、オルダーにとっては大層嬉しい内容だったようである。背筋を正したオルダーは、彼に深々と頭を下げた。
「こちらこそ、宜しくお願いします! クローラさん!」
クローラと呼ばれた人物は、右手人差し指をスッとオルダーの唇に当てた。
「これからは、私の事を課長と呼びたまえ。良いね?」
「わかりました。課長」
「前にも言ったが……、うちの課は、筋の良さそうな人材を独自にスカウトして編成している。私もその慣例に従い、君をスカウトした。その期待を裏切ってくれるなよ」
「承知しております」
「さてと、私はそろそろ社に戻るが……。オルダー、君はどうする?」
課長に問われたオルダーは、内ポケットからボロボロの手帳を見せて答える。
「ちょっと、調べものがありますんで。私はここで」
「ほう、今回の事故と関係がありそうなネタか?」
「さぁ、それは何とも……。ただ、正式な辞令が出ると、こういう内職をやる暇が無くなりますから。今のうちに何とかしておこうかと思いまして」
「仕事熱心も程々にな。明朝、社で会おう。君の事を課員に紹介する」
オルダーとクローラ課長は、時間をズラしたうえに別々の出口から葬儀場を後にする。2人の会話も、2人の存在も気にする者は誰もいない。献花の列は……まだ当分途切れそうに無かった。
一旦自宅に戻ったオルダーは、肩の凝る礼服から安物ジャケットとチノパンに着替えた後、アストロナイズ市内にある車両検査登録事務所を訪れた。原則として、ここで検査登録された自動車・バイク等だけが、アストロナイズ市内の公道を走れる事になっている。一般には、役所のような公的機関として認識されたりもしているが、自動車製造会社『アストロナイズ・モータース』のれっきとした検査部門の1つである。
オルダーは窓口で頬杖をついていた女性職員に『アストロナイズ・セキュリティ』の職員とだけ名乗り、手帳に走り書きした
「こちらが、その
「おお、さすがプロ。仕事が早いねぇ。……どれどれ」
彼女が検索してくれた登録記録のデータから、この番号は『トニー・ゲルマー』なる人物によって持ち込まれたバイクに対して付与されたものと判明した。
「トニー・ゲルマー……ねぇ。職業は修理工場経営か……」
渋い顔で思考を巡らせるオルダー。女性職員が彼の顔を心配そうに見つめる。
「あの……、検索したデータに何か怪しい所でもありましたか?」
「いやいや、何でもない。大変重要な手掛かりになったよ。協力有難う!」
女性職員の熱い視線に見送られつつ事務所を後にしたオルダーは、検査登録申請の際に『トニー・ゲルマー』が書類に記載した現住所へ行って見る事にした。ところが実際に現地に着いてみると、建築基準をパスしたのが不思議なくらいの半分潰れかけた店舗……というより小屋と言った方が良さそうな建屋が存在していた。傍らの看板には、確かに『ゲルマー修理工場』と書かれてあり、ここで間違いは無さそうである。
オルダーは店の入り口に面した狭い通りの影に隠れ、暫く監視してみる事にした。こうしていると、子供の頃に熱中した『かくれんぼ』を思い出す。大抵の子供は成長の過程で別の対象に興味が移り、こういった幼稚な遊びから卒業して大人になっていく物だが、オルダーは『かくれんぼ』が大好きなまま今日まで生きてしまった大人であった。
視界が
オルダーはメアリー・カーバインの死亡を伝えに行く前、ニュートについて可能な限り調べていたつもりだった。しかし、小中学校の女性事務員から手に入れた情報には『ゲルマー修理工場』に関する情報は一切出て来ていない。
「……なるほど、モグリでバイトやるなんざ、なかなか見所があるじゃないか。ま、それはそれとして……あの『トニー・ゲルマー』って奴は何か怪しいな」
とりあえずこの日は、『トニー・ゲルマー』の写真を数枚撮影して退散する事にした。猟犬が持つ鋭い嗅覚にも似たオルダーの勘。それが『トニー・ゲルマー』という男に隠された何かを感じ取っていた。だが、『かくれんぼ』は帰宅時間が肝心な遊びでもある。確たる根拠が無い今日の所は、この辺が引き際だろうと彼は経験から判断した。オルダーは音を立てないよう慎重にその場を離れ、繁華街の人混みに紛れたところで周囲を何気なく見回し、尾行されていない事を確認する。振り向きざまに茜色の
――ほぼ同じ頃、フローライン船長は次の航海に備え、自宅で荷造りの真っ最中だった。元妻とは何年も前に離婚しており、自宅マンションには荷造りを手伝ってくれる心優しい家族など1人もいない。船乗りという仕事柄、家にいる事も少ないため家具や調度品に対する執着も無く、質素を通り越して殺風景という表現が適切であった。室内で最も高価な家具の1つであるスチール製デスクの上には、フォトスタンドが1つ置かれている。そこに入れられた写真の中で、フローライン船長とメアリー・カーバインが並んで敬礼をしていた。満面の笑みを浮かべる2人は共に船長帽を被っている事から、メアリーが船長昇格試験に合格した直後の写真と思われる。
「そういえば、こんな写真も撮ったんだったな」
フローライン船長は、フォトスタンドを手に取り……荷物に入れるかどうか暫し逡巡した。これを手にしている限り、もうこの世に存在しないメアリーの笑顔に引きずられ続けるような気がしたのだ。その亡霊と言っても良い存在は、重大な局面に於いて彼の判断を誤らせ、乗員もろとも船を危険に晒すかもしれない。それを予想出来てもなお、彼はフォトスタンドを手放せないでいた。じっと目を細め……写真を凝視する。もう何度も泣くまいと思っても、彼の涙腺はいう事を聞いてくれず、大粒の滴が容赦なく目からこぼれ落ち、フォトスタンドのガラス表面を濡らした。
実を言うと、フローライン船長とメアリーには、2人だけの秘密があった。表向きは『上司と部下』あるいは『師匠と弟子』という間柄を貫き通していたが、本当はそれ以上の親密な関係だった。それは、籍こそ入れてないが、ほぼ夫婦と言っても大して違わないほどの。
2人の関係は、フローライン船長の指揮するサンダーヘッドにメアリーが1級航宙士として配属されたすぐ後から始まったが、同時にお互いを尊重し合う礼儀や厳格さも存在しており、気の緩みから指揮を誤るといった事は一切無かった。また、息の合った2人のチームワークに他の乗員が全幅の信頼を寄せていた事もあり、サンダーヘッドが建造・就航されて以来最も船内が充実していた幸せな時代だったとも言えた。
彼は全ての照明を落とした部屋の中で、フォトスタンドを手にしたまま女々しく泣いた。外はすっかり夜の装いとなっており、窓から忍び込んだ街の明かりだけが静かに彼を慰めている。……それから少し後、今流せるだけの涙を取りあえず流し切ったフローライン船長は、フォトスタンドを荷造りしたカバンの中に押し込んだ。……今彼は、今後一切揺らぐ事の無い決心を固めたのだ。その決心が何であるかは、亡きメアリーとフローラインしか知る事は無い。
部屋の主が床につき、ハンガーに下げられた制服が次の朝を待ちわびていた。
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