第2話 オルダー・バナード

 「母が……、母がどうかしたんですか?」

 すっかりも落ち、黄昏色から夜色に模様替えしたアストロナイズ市内。自宅マンションの駐輪場にポツンと設置された防犯灯。その光に照らされながら、ニュートはオルダーに詰め寄っていた。オルダーの着ているジャケットの襟元は、ニュートの両腕に掴まれて深い皺が影となっている。見開いたニュートの眼には鬼気迫る物があり、オルダーも気圧される程だった。

 「ニュート君、落ち着け。落ち着くんだ」

 「父さんが死んで、母さんもいなくなったら……、僕は、僕はこれから先、どうやって生きて行けば良いんですか!? この家からも追い出されて、路頭に迷って勝手に死ねとそう言いに来たんですか!? 僕は、僕は……」

 そこまで言い掛けた時、ニュートは自分の視界がグラリと大きく揺れ、次第に暗くなっていくのを感じた。力の抜けた両手はオルダーのジャケットを握っていられず滑り落ちる。

 「僕は……」

 そしてついに、膝をついて地面に倒れ込んでしまった。


 「ニュート君、ニュート君! しっかりするんだ!」

 オルダーは何度も名前を呼びかけながら、ニュートの首筋や左手首に手を当て、さらに口腔に耳を近付ける。幸い、脈拍や呼吸は止まってはいないようだ。


 救急車を手配するか?

 いや、救急車を手配した所で、近隣の医療機関は今日の診察を終了している。恐らく、あちこちの病院をたらい回しされる事になるだろう。呼吸も脈拍も正常なら、一時的な失神状態とも考えられる。ならば……。


 彼は正面にそびえ立つマンションの端から端をぐるりと見回し、決意を固めた。確か事前に確認した資料によるとニュートの自宅は、このマンションの3階305号室だったはず。この際、自宅で介抱する方が手っ取り早い。オルダーは両腕でニュートを抱え上げ、マンションの入り口であるオートロックドアに向かって歩き出す。時折、ニュートの表情を確認するが、まだ目を覚ましていない。


 オルダーが汗だくで305号室に向かっている頃、抱えられているニュートは夢の中にいた。その内容は、古い記憶をダイジェストで振り返っているようなモノだった。


  ……自分が宇宙居住者アストロナントである事を明確に自覚したのは、一体何時の事だろう。最も古い記憶は、5歳の時に両親に連れて行ってもらった新型資源採掘船の進空式――建造された宇宙船が初めて宇宙空間を航行する式典だと思う。装飾された展望室で大勢の招待客が歓談している中、ニュートは分厚い放射線遮蔽ガラスの外にある宇宙船建造ドックを眺めていた。彼の背後には、家を留守にしがちな父が珍しく母と一緒にいる。


 やがて展望室内に設置された館内放送用スピーカーから勇壮な船出のマーチが鳴り響くと、建造ドックから巨大な採掘船が浮き上がった。船尾には、目が眩むほど明るい熱核ロケットエンジンの噴射光が瞬いている。


 太古の時代、海の生態系において頂点に君臨していた首長竜。そのスタイルを模した新型採掘船はゆっくり進路を変え、展望室の方に向かって来る。展望室の天井部分に嵌め込まれた沢山の窓ガラス。その全てに採掘船の影が覆い被さる。ニュートや招待客らは、首長竜の腹部を真下から見上げる状態となっていた。巨大生物に飲み込まれるような錯覚。その場にいた全員を圧倒させるのに十分過ぎる演出である。船体のあちこちに見える小さな光1つ1つが窓であり、そこには乗員が存在するかもしれない。現実が、頭で理解していたの巨大感を打ち砕く。


 もちろん言うまでも無い事だが、宇宙船はこれ1隻だけでは無い。アストロナイズ社船籍の船だけでも実に100隻以上が存在し、貿易や資源採掘等に従事しているという。既にニュートの脳は理解の限界を超え、文字通り開いた口が塞がらない。そんなニュートを見て、父親は大声で笑うのだった。


 ……ニュートが目が覚ますと、ソファーの上に寝かされていた。家具の配置から、自宅である事はすぐに分かった。彼の額には固く絞った濡れタオルが載せられており、暫くの間ひんやりとした心地良さに身を委ねていた。ぼんやりした頭でなぜソファーの上に寝ているのか考える。

 「確か、駐輪場でオルダーって人に会って……」


 記憶の糸を手繰っている途中、キッチンの方で何か物音がした。ソファーからゆっくり起き上がり、足音を立てないようにキッチンの方を覗いて見る。キッチンではチノパンに安物ジャケットという恰好の男性が、独り言を言いながら食器棚の中を物色していた。

 「マグカップは……と。やっぱり、余所の台所ってのは、勝手が分からんなぁ」

 「あの……、何やってんすか?」

 ニュートは、ボリボリと頭を掻きながらマグカップを探す男――オルダー・バナードに声を掛けた。キッチンの隅にあるコーヒーメーカーからは、抽出されたばかりの黒い液体が香ばしい香りを発している。

 「やぁ、気が付いたかい? いやぁ、君を抱えて3階まで登るのは正直骨が折れたよ。全く、歳は取りたくないよな。ははは」

 後ろ髪を束ね、無精髭を生やしたオルダーは、冗談交じりに自分の腰を叩いた。

 「オートロックドアとか電子錠とかあるのに、どうやって入ったんですか?」

 オルダーは2人分のマグカップにコーヒーを注ぎながら、質問に答える。

 「このマンションは、アストロナイズ社が社宅用に建設したものだし、ここの防犯・管理一切を管轄してるのは、アストロナイズ・セキュリティ――私が所属してる会社だよ。そして、私は一応その道のプロだ。つまりは、入れて当然ってとこさ」

 そう言って、オルダーはマグカップの1つをニュートに手渡す。

 「ま、コーヒーでも飲んで落ち着こうか。温まるし、頭も冴えるぞ」


 リビングルームに戻った2人はテーブルを挟んで差向いに座り、無言でコーヒーを啜っている。そろそろ良いだろうと時機を見計らったオルダーが、口火を切った。

 「さて、どこから話したものかな。……まずは、君のお母さん――メアリー・カーバインの略歴について話しておこうか」

 「母の略歴なんてどうでも良いです。母に何があったのか教えてください!」

 結論を知りたがるニュート。オルダーはすぐに彼を宥めた。

 「慌てる乞食は貰いが少ないぞ。ま、一応話しておくのが決まりなんでね」

 ……そう言って、オルダーはジャケットの内ポケットから書類を取り出し、その内容を読み上げていった。


 メアリー・カーバイン

 資源採掘会社『アストロナイズ・マテリアル』に所属。

 同社が所有する資源採掘船ハンマーヘッド船長。 


 略歴:

 技能訓練校卒業時に1級航宙士ライセンスを取得。

 5年前、配偶者(夫)のディーン・カーバインと死別。

 2年前、レスター・フローライン船長の推薦を受け、船長昇格試験に合格。


 ここまで読み上げた所でオルダーは一旦言葉を止め、ニュートの質問に応じた。

 「あの……、母さんは船長だったんですか?」

 「ほら、聞いといて良かったろう。これを説明しておかないと、保険金の支払いなんかで揉めるのさ。家族がそんな仕事してるなんて知らなかったってね……で、ここからが本題だ」


 これからオルダーが何を話すのか。ニュートは薄々感付いていた。改めて覚悟を決める。拳を握り、歯を食いしばり、おまけに瞼も閉じる。その様子を見て、オルダーは歯科医にでもなったような気分を味わっていた。


 「今から24時間前、アストロナイズ・マテリアル船籍の資源採掘船ハンマーヘッドが、同社所有の資源小惑星レーナルト周辺で消息を絶った。ハンマーヘッドは、その……、君のお母さんが船長として乗船していた船だ」


 ニュートは覚悟していたとはいえ、実際にオルダーの口から告げられた真実に衝撃を隠せなかった。オルダーは、情報の続きを淡々と述べる。


 「付近を航行中だった他の採掘船が救援に向かったが、熱核ロケットエンジン用の水素燃料が爆発したらしく船体は殆どバラバラだったそうだ。これだけの規模の事故が発生した後、24時間生存出来る可能性はゼロに等しい。……非常に言い難い事だが、君のお母さんを含めた乗員462名の生存は絶望的だろう」


 数秒の静寂。室内にニュートが鼻水をすする音だけが聞こえた後、キッチンの蛇口からは一滴の水滴がこぼれ落ちた。ニュートの目から涙がこぼれ落ちたのも同じタイミングだった。オルダーはさらに淡々と――最早、感情の無い機械の様に言葉を続ける。


 「会社規定に則り、君のお母さんを含めた犠牲者の合同葬を行う事になっている。また、遺族である君には、見舞金と保険金が……これも社の規定に従って支払われる。法的関連書類を用意して来たから、同意するのであればサインを貰いたい」


 オルダーに言われるまま、ニュートは次々と書類にサインを書いていく。あまりに何度もサインをさせられたので、途中から自分の名前を意味する文字列が単なる曲線の集合体にしか感じられなくなっていた。全ての書類にサインされた事を確認すると、オルダーは上着の内ポケットに仕舞い込んだ。


 「……これで良しと。合同葬儀は3日後に執り行われる。辛いだろうが、君にも出席して欲しい。お母さんが、どんな人達とどんな仕事をやって来たのか。それを知る良い機会だ。きっと、今後の君の役に立つだろう。他に何か質問はあるかな?」


 工場のライン作業の様な勢いでサインをさせられたニュートは放心気味だったが、とても大事な事を思い出した。

 「あの、この家は……、僕はどうなるんですか?」

 オルダーは腕組みしながら片目をつぶって少し考え、答えらしい物を口にした。

 「さっきの書類の束にサインを貰って来るのが私の仕事なんでね。詳しくは分からないが、恐らく社の規定に沿って、何かしら対応がされると思う。それまでは、ここに居ても良いんじゃないか? 私も会社に帰ったら、上司に聞いてみよう」


 あまり役に立たないオルダーの返答に、ニュートは残念そうにうな垂れた。

 「オルダーさんの言う事は、何もかもばっかりですね。まるで、子供のお使いみたいじゃないですか。良い歳した大人のくせに」

 ニュートなりに皮肉を言ったつもりだが、オルダーはの余裕でそれを軽く受け流した。

 「それが、ってもんさ。そうだ……一応、連絡先を教えておこう。少しは君の力になれると思う」

 ニュートは、オルダーが差し出した名刺を投げやり気味に受け取った。


 用事の済んだオルダーは、ニュートの自宅から早々に退散した。マンション入り口のオートロックドアから外に出た彼は、305号室の辺りを見ながら一人ごちる。

 「このままで良い訳ないよなぁ。やっぱり」

 とは言え、何か良い考えがある訳でもないオルダーは、大きな溜息を1つ吐くと気持ちを切り替え、会社に戻る事にした。……と、マンションの敷地を出る途中、駐輪場に停めてある1台のバイクに惹き付けられた。記憶を辿ってニュートが乗っていた事を思い出すと、傍にしゃがみ込んで駆動系や電装系を一瞥する。彼はたったそれだけでバイクの性能を見抜いた。

 「これは、なかなかの業物ワザモノだぞ……」


 一見して、アストロナイズ・モータースの製品じゃないのは分かる。メーカー名の刻印が無いという事は、個人工房のカスタムバイクだろうか。それにしては、溶接痕ビードの処理や塗装に至るまでレベルが高過ぎる。学生が、そう簡単に買える代物でない事は確かだ。ニュートは、どこでこんな物を手に入れたのだろうか。オルダーは手帳を取り出し、念のため登録番号票ナンバープレートを控えておく事にした。


 『資源採掘船ハンマーヘッド爆発事故』は報道規制が解かれ、その日の夜のニュース番組で大々的に報じられた。だが、どのテレビ局のキャスター達も同じ内容をただ繰り返すばかりで、ニュートが期待していた新しい情報は何も無かった。時間経過に伴う新展開と言えば、アストロナイズ社は傘下企業が所有する全ての宇宙船に対し、熱核ロケットエンジンのチェックを命じたそうである。どうやら、エンジンの整備不良が爆発事故の原因と考えているようだった。


 画面の中では、『宇宙船評論家』という肩書の――普段どうやって生計を立てているのか疑問を感じる専門家とやらが、熱核ロケットエンジンの原理を説明していた。その専門家によると、現在運用されている殆ど全ての宇宙船は、その推進力に熱核ロケットエンジンを採用しているという。これは、核融合炉で発生した熱エネルギーによって、ロケット燃料(水素燃料)を加熱膨張させ、ノズルから噴射させるという物である。熱核ロケットエンジンの理論そのものは、かなり昔から知られていた。だが核融合炉の開発が思うように進まず、現在主流となっている『高ベータ核融合炉』の実用化をもって周辺技術の開発が一気に進んだという。


 熱っぽく語る評論家の口調に、門外漢の女性キャスターは若干引き気味である。スタジオに用意されたイラストは極めてシンプルな物だったが、直後に映し出された実際の熱核ロケットエンジンの映像は複雑怪奇な金属部品とパイプの塊とも言うべき物体だった。『こんなのじゃ、爆発するよな』と、ニュートは素直に思った。


 ――月面。

 アストロナイズ社傘下には、実に様々な業種の会社が存在する。宇宙船建造会社『アストロナイズ・スペースクラフト』もその1つ。宇宙船の建造や保守点検を主な業務とするグループ企業きっての稼ぎ頭であるが、爆発事故関連の報道に前後して宇宙船用ドックは建造用・整備用問わず大騒ぎとなっていた。整備員達は次々と入渠にゅうきょしてくる多種多様な宇宙船のエンジンチェックに追われていた。また、広報関係者もマスコミ対応に忙殺されている状態だった。


 地の果てまで続くように並ぶ宇宙船用ドックの1つに、1隻の資源採掘船が着陸した。船体に書かれた文字によると、船名は『サンダーヘッド』というらしい。その巨体は、大昔に海の生態系で頂点に君臨していた『首長竜』を模しており、サイズぎりぎりのドックに見事停船させたのは、優秀な操舵士がさり気なく腕を見せたと言ったところか。


 操舵室の中央に設置された船長席。そこに陣取っていた痩せ気味の男性は、頭に載せた船長帽を被り直すと周りの乗員達を軽く労った。そして、右側の肘掛部に設置されたインターフォンの受話器を手に取り、船内放送で全乗員に語りかけた。


 「船長のフローラインより全乗員に告ぐ。約6ヶ月に及ぶ今回の航海だったが、諸君らの不断の努力により、こうして無事月面に帰港する事が出来た。本当に有難う。本船は荷下ろしと整備のため、この17番ドックに1週間滞在する。作業は全てドック側の職員が行う。従って我々は全員休暇という事になる。しっかり体を休め、鋭気を養ってくれたまえ。それから――」

 受話器を握るフローライン船長は、一旦言葉を切ってから再び口を開いた。

 「皆も知っている通り、資源小惑星レーナルト周辺でハンマーヘッドの爆発事故が発生した。一足早く星となった仲間達に対し黙祷を捧げよう」


 ――黙祷!


 サンダーヘッドの船内の到る所で黙祷する船員。

 フローライン船長も船長席から立ち上がり、船長帽を脱いで瞳を閉じた。暗闇の中に浮かんで来たのは、一人の女性の顔だった。彼女の名は、『メアリー・カーバイン』。1級航宙士としての卓越したセンスは、結婚による数年のブランクがあるとは思えない物だった。彼女はフローラインの強い推薦もあり、船長昇格試験に一発で合格した経緯を持つ。フローラインとメアリーは、言わば『上司と部下』であると同時に『師匠と弟子』でもあった。が……今にして思えば推薦した事が悔やまれる。


 自分が推薦などしなければ。ずっと、部下として自分の手元に置いておけば。彼女は、死なずに済んだかもしれない。もしも、時計の針を戻せるのなら……。


 ――なおれ! 全員、解散!


 わずか1分程度の黙祷であったが、フローライン船長には悠久の時に感じられた。

解散の号令と同時に下船の用意をし始める乗員達。フローラインは船長席の背もたれに体を預け、もう二度と会う事の無いメアリーに対し再度黙祷を捧げた。彼の頬を、一縷の涙がこぼれ落ちる。――まるで、夜空に流れる流星のように。  

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