第69話




 この老人と老婆が何者なのか、最後まで分からなかった。


 ただ、表の世界でも、また裏の世界でも力を持っていた事は確かだった。


 爺やと婆や(いつからか私達は老人と老婆のことをそう呼ぶようになっていた)は、私達に名前と、戸籍を与えてくれた。そして、愛を与えてくれた。本当の子供のように、私達を育ててくれた。


 爺やと婆やには深い教養があり、基本的な学問はもちろん、私達が興味を持った事は何でも教えてくれた。そして、沢山の本を与えてくれた。


 また、勉強だけでなく、遊び、というものを教えてくれた。


 爺やも婆やも老人とは思えぬほど身体が丈夫で、鬼ごっこやボール遊びなどの身体を動かす遊びにも付き合ってくれた。屋敷のボディーガードや使用人を巻き込んでのかくれんぼもしたことがあった。


 家には立派なオーディオセットがあった為、様々な音楽を最上級の音質で聴かせてくれた。


 私は、老人が好んで観ていた『北の国より』というテレビドラマが好きで、ロッキングチェアに座る老人の側で床にクッションを敷いて一緒にテレビを見たものだった。その何気ない時間は、今思えば、かけがえのない大切な時間だった。





 爺やと婆やは、私達を守る為に、常に厳戒態勢の警備を敷いていた。優秀なボディーガードを何人も雇い、洋館を守らせていた。高度なセキュリティーシステムで監視していた。それがあったから、あの穏やかで幸せな3年間を過ごせたのだと思う。私達は、爺やと婆やの大きな愛に守られていた。




 しかし、その幸せの中で生きることも、私達には許されなかった。




 その日、月が大きく輝く夜。異様な気配で目が覚めた。それが何なのか、私達はすぐに理解した。


 殺し屋の殺気。


 それは、動物が本能的に自然災害の予兆を察知するように、私達はその不吉な気配をありありと身体で感じ取っていた。



 爺やと婆やはすぐさま私達を寝室から連れ出すと、地下にある隠し部屋に連れて行った。



「いいかい、お前達。その奥の通路をずっと真直ぐ進めば、屋敷の外に出られる。婆や達が扉を閉めたら、振り向かずにその通路を走って抜けるんだよ」



 それが何を意味するのか、私達は理解していた。



「嫌だよ、マキナ達も戦う!」



 食い下がる私達を、爺やは優しく抱きしめてくれた。



「お前達は、何があっても生きるんだ。お前達は、わしらの最後の希望だから」



 そう言って、爺やは3つのエボルヴァーをそれぞれ3人に手渡した。そして、爺やと婆やは、優しい笑顔で、隠し部屋の扉を閉めた。




 10分ほど経過した。


 隠し部屋はシェルターになっているようで、厚い壁に囲まれている為、外の音は全く聞こえない。


 私達3人は、顔を見合わせて頷いた。そして、扉を開けた。





 洋館の中は、真っ暗だった。


 足音を立てないように、気配を殺して地下の階段を上り、身を屈めて廊下を進む。


 静かだった。


 どこに敵が潜んでいるのか分からない。私達はエボルヴァーを手に、警戒しながら進んだ。



 1階の居間までたどり着き、ゆっくり扉を開けると、スキンヘッドの大男がうつ伏せで倒れていた。


 ボディーガード長のタマルだった。


 タマルは優秀で、爺やと婆やから絶大な信頼を得ていた。


 そのタマルが殺された。


 私達は、目の前の景色が真っ暗な闇に飲み込まれていくような感覚に陥った。


 しかし、まだ諦めてはいけない。必死に、心が崩れないように勤めた。私達が、爺やと婆やを助けるのだ。

 


 居間を出て、階段を上り、2階に向かう。


 端から、1つ1つ部屋の様子を伺った。


 それらの部屋には、誰もいなかった。


 そして、いちばん奥の部屋、爺やの部屋までたどり着き、その扉に手をかけた。


 ドアノブに手を触れた瞬間、静電気が走ったみたいに、恐ろしいほどの殺気が全身に伝わってきた。


 私達は、少しだけ扉を開け、中の様子を覗き見る。


 そこには、血の海に伏している婆やと、大きな黒い爪に胸を貫かれ、力なく身体をだらりと宙に浮かせている爺や。その爺やを大きな爪で突き刺している、シルクハットを被った仮面の男。返り血を浴びたその姿が、月の光に照らされて不気味に輝いている。



 瞬時に、私達は飛び出そうとした。


 しかし、その刹那、先ほどの爺やの言葉が胸の奥から響いて来た。




 お前達は、何があっても生きるんだ——




 今すぐ飛び出して爺やと婆やを助けたかった。しかし、子供の私達ではあの大きな黒い爪に勝てないのは明白だった。小さな身体で、その力の差を痛いほど感じていた。


 今飛び出したら、私達は殺され、今夜起こったことは誰にも知られることなく、永遠に闇の中に葬られてしまう。


 そこで、全てが終わってしまうのだ。





 叫びたかった。


 しかし、その叫びを心に押し込んだ。かわりに、涙が溢れてきた。


 私達は、身を翻し、走った。


 廊下を走り、階段を下り、地下の隠し部屋に入ると、扉を閉め、ロックをかけ、その奥にある暗い通路をまっすぐに走った。


 どこまでも続く、冷たい無機質な細い通路。


 その先に、光など全く見えなかった。


 それでも、私達は出口を求めて走った。






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