My name is“SCUM”

第68話 My name is “SCUM”



 私達は、自分が何者なのか、知らない。


 自分の名前さえ、知らなかった。


 ただ、物心ついた時にはすでに『殺し』をしていた。


 それしか知らなかった。


 友達と追いかけっこをするかわりに人を殺し、絵本を読んでもらうかわりに暗殺術を叩き込まれた。





 幼い頃は力がなかったので、目標の飲食物に毒を盛るのがメインの殺しだったが、そのうちにナイフを持てるようになると、殺しの幅も広がった。


 私達は、いつも大体3人1組だった。でも、言葉は一切交わさなかった。お互いに、何処にいてもついてくる影のようなものだと思っていた。




 作戦以外は、何処かの地下室のような場所に監禁され、ひたすら暗殺術の訓練をさせられた。そこでの記憶といえば、寝る前に見た真っ黒な天井だけだ。




 そんな、黒い海の真ん中に浮かんでただ漂っているだけのような日々を送っていた。


 私達は、黒い海に浮かんでいる流木だ。


 人間と呼べたものではなかった。





 ある日、いつものように、殺しの任務を与えられた。この日は、ナイフを持たされた。見ているだけで肌が切れそうな、恐ろしい刃だった。


 地下室を出る前に、ひとりの老人の顔を覚えさせられた。私達は、その老人の画像をただのデータとして頭の中に保存する。



 スーツを着た男性に、黒い高級セダンに乗せられ、大きな洋館に連れて行かれた。


 そこでは、広い庭に人が沢山集まっていた。皆、ドレスやスーツを着て、グラスを手にして、何やら話し合っている。


 庭に面した広い居間では、弦楽四重奏団がクラシック音楽を奏でている。


 私達は、沢山いる人の中から、目標を確認する。目標は、庭で白い椅子に座って数人に囲まれ話しをしている。


 そのうち、目標が庭から洋館の方に移動した。それを確認すると、スーツの男は私達に合図した。



 ——行け。



 私達は、目標の後を追う。


 目標は老婆に付き添われ、階段を上り、2階のいちばん奥の部屋に入って行った。暫くして、老婆がひとりでその部屋から出てくるのを確認すると、私達は素早く目標の部屋に入った。


 目標は、ロッキングチェアに腰を掛けていた。そして、部屋に入ってきた私達を見ると、微笑んだ。



「おや。お嬢ちゃん達、わしの部屋に遊びに来たのかい? ほれ、そこにお菓子があるじゃろ。好きなだけ食べていいよ、ゆっくりしていきな」



 私達は、囲むようにして目標に近づいた。


 そして、飛びかかった。


 1人は目標の口を塞ぎ、1人は目標の身体を抑え動きを封じ、私がナイフで、刺す。


 刃が肉を割いて食い込む、確かな感触。


 しかし、私は失敗した。


 急所を外したのだ。


 目標は腹をおさえてその場にうずくまり、私たち3人はその場に立ち尽くした。


 すぐさまナイフを抜き、もう一度急所を狙って刺すべきだった。しかし、何故か身体が動かなかった。



「ああ! 一体どうしたの!」



 後ろから声がした。振り向くと、扉を開けて、老婆が立っていた。幼心に、私達はここで終わりなのだと理解した。



 老婆が人を呼ぼうと通信端末を取り出したところで、目標の老人がそれを制した。


 老人は、ナイフが刺さったままの身体で、私達3人を、包み込むように抱きしめた。



「こんな幼い子供に刃を持たせるとは、なんと酷い……」



 そう言って、老人は涙を流した。


 老人の、私達を包む、大きな腕と大きな身体の感触。この時初めて、私達は人の暖かさというものを知った。



「ばぁさんや、この子達の事は秘密にしといてくれ」



 扉の前でその光景を見ていた老婆は、呆れたように両手を腰に回した。



「何言ってんだい! ……まったく、医者には診てもらいますからね! アンタがリンゴの皮を剥こうとして間違えて刺しちゃったって言っとくよ」



 そう言うと、老婆は通信端末で医者に連絡を取った。それから、私達に隠れているようにと、隣の部屋に案内してくれた。



 部屋の外からは慌ただしい人の声が聞こえたが、私達はただその場に立ち尽くしているだけだった。







 日が暮れて、屋敷が静かになった頃、老婆が部屋に入ってきた。



「お腹空いただろう、おいで」



 私達が黙っていると、ほれほれ、と言って老婆は3人の背中を押して部屋から連れ出した。


 階段を下り、1階の居間に入る。


 すると、ベッドに横になっている老人が寝転びながら手を振った。ベッドのそばにはガートル台が置かれ、点滴の袋が吊るされてあった。



「やぁ、来たかい。あんなところに閉じ込めて悪かったね。そこに座ってご飯を食べな」



 そう言って、老人は居間の真ん中に置かれたテーブルを指差した。老婆が背中を押し、私達はそれぞれ席についた。



「こんなものしか用意出来なくてごめんね。パーティーに来た輩を追い帰すのに精一杯でね」



 そう言いながら老婆が出してくれたのは、どんぶりに盛られたチキンラーメンだった。溶き卵とネギだけの、シンプルなものだった。



「ほれ、食べな」



 老婆に促され、私達は、ラーメンを一口、すする。



「美味しい……」



 老婆は、嬉しそうに微笑んだ。老人も、笑顔で頷いた。私達は、ただひたすら、黙ってラーメンを食べた。



 笑顔の老人と老婆、明るい居間、ラーメン。


 全てが暖かかった。




 あの時のチキンラーメンの味は、一生忘れられない。








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