第38話




「顔だけは傷つけずに取っておかないとな。潰すのは、心臓だけだ」



 ボスの黒い拳が降り注ぐ。荘子は目を閉じることなく真っ直ぐ見据え、ボスの左手を掴んでいた。





 ここで死ぬわけにはいかない。




 わたしは、犯罪のない理想の世界を創るのだ。





 こんなところで、終わってたまるか。







 何かが千切れるような音。



 荘子の頬に飛び散る、赤い血液。





 目の前が、真っ黒になり、絞められていた首の痛みもなくなった。




 真っ黒な闇が揺れている。





 いや、それは闇ではなかった。





 漆黒の黒い翼だ。





『ごめん、遅くなった』



 それは、なづきの後ろ姿だった。


 なづきの、鞭のような紐状のエボルヴァー・リリパットでボスの左手、両足を縛って行動不能にしていた。


 荘子の心臓を潰そうとしていた右手は、肘の辺りから消失していた。


 そして、ボスに肩車されるように、マキナが両脚でボスの首を締め付けるようにして広い肩の上に乗っていた。



『おめぇ、うちのかわい子ちゃんに何してんだよ』



 マキナのエメラルドグリーンの瞳が鈍く光り、ボスのソフトモヒカンの髪をぐっと引っ張りながら、黄金色に輝くエボルヴァー・ハインでボスの太い首を鮮やかに切断した。



 首の無い巨体に跨り、返り血を浴び、生首を無造作に掲げているその姿は、まさしく死神だった。



 その光景を見て、荘子は再び、揺るぎない事実を再確認する。




 この3人は、わたしを殺そうと思えば、いつでも殺すことができるのだ。




 マキナはボスの骸から降りると、「お前も違う」と言って、手に持っていたボスの顔に赤い筆で×印を書き、それを投げ捨てた。


 それが済むと、志庵が駆け寄って来て、仰向けに倒れている荘子に手を差し伸べた。



『遅れてごめんにゃ』


『いえ、ありがとうございます』



 ゆっくりと立ち上がると、なづきがナギナタを拾って来て、荘子に差し出した。そして、倒れている磨瀬木の方を見た。



『出来るか?』



 荘子は何も言わずに頷き、ナギナタを受け取ると、磨瀬木の方に歩き出した。



 荘子——



 マキナが荘子に何かを言おうとしたが、志庵がそれを制した。荘子は落ちていたカタナ型のエボルヴァーを拾い、磨瀬木のそばに投げ捨てた。


 磨瀬木は少し顔を動かし、それを見た。



『拾って』


「はは、ただじゃ殺してくれないってわけかい、スカムズ」



 そう言うと、磨瀬木はカタナを掴み、腕に力を込めて上半身を起こすと、震える脚で立ち上がった。



「言い訳するつもりじゃないけど、俺は自分で、俺はとんでもない罪を犯してしまった、とんでもないクズだって分かってる。だから、お前達に殺されるのも当然だと思ってる。だから、気の済むまで俺を痛ぶって殺してくれよ。それで、俺の罪が消える訳じゃないし、俺が殺した人間が生き返るわけじゃないし、俺がクスリを売った人間の人生が元に戻る訳じゃないけど、でも……」



 磨瀬木はカタナを強く握り、真っ黒な刃を出現させた。そして、荘子に斬りかかった。荘子もナギナタを起動させ、磨瀬木の刃を受ける。




 わたしは、まだ迷っている。




 磨瀬木の刃は、荘子を傷つけようとする意志は全くなかった。荘子も、力無い磨瀬木の刃をかわすだけだった。



 磨瀬木お兄さんは、わたしにとって特別な、大切な人だ。





 生命の刃がぶつかり合い、眩い光りが散る。





 でも、だからといって、お兄さんだけを見逃すようなことは許されない。磨瀬木お兄さんは、多くの人を麻薬中毒者にして、挙げ句の果てに人を殺した犯罪者なのだ。





 犯罪者は全て、殺してしまうべきなのだ。





 きっと、どんなに救いようのない犯罪者にだって、大切に想ってくれる人はいたはずだ。あの通り魔の犯人を匿っていた女性だって、悲しんだかもしれない。




 だから、わたしだけ、磨瀬木お兄さんだけ、なんていう例外は許されない。




 わたしが心に誓った信念に従うならば、もしお父さんやお母さん、千聖や萌、大切な人たちが犯罪を犯したとしても、わたしはその人を手にかけなければならない。



 その覚悟がなければ、わたしが理想とする世界なんか、到底創れないし、それを創ろうとする資格すらない。




 しかし、磨瀬木の顔を見るたびに、決意が揺らぐ。




 いい歳した大人なのに、子供のように笑うあの笑顔。



 家で剛と晩酌をし、酔っ払って荘子を肩車して家中走り回ったこと。



 荘子が磨瀬木のために描いた似顔絵を、心から嬉しそうに受け取ってくれたこと。





 振り払おうとしても、次々と思い出が湧いてきて、心の中を満たした。それは、涙という形をとって、荘子の瞳からこぼれ落ちた。




 このわたしの一撃で、それらは全て無と化してしまうのだ。


 人を殺すということは、そういうことなのだから。





 ダメだ。





「くっ!」



 荘子は磨瀬木を弾き飛ばした。


 そして、背中から倒れた磨瀬木のそばまで来ると、少しだけマスクをずらし、その黒いフードの中にある素顔を磨瀬木に見せた。


 それを見た磨瀬木は、大きく目を見開いたまま、少しの間動けないでいた。




「な……。まさか、しょこたん、なのか?」




「うん」




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