あの世界のどこかで。

鮭崎

まあるい世界

中国の四川省の子供が尖ったものに刺さって泣いたのが始まり。


それから次に尖ったものに刺さる者が現れるのに少しの時間もいらなかった。


それはドミノ倒しのように、それは温暖化により溶けていく氷河のように、つまりは連続的に起こっていた。


人類はこの幾億年の歴史の中で初めて気がついた。尖っているものは危険だと。


人類の進化は、尖っているものの進化とともに行われてきた。だからこそ盲目になっていたのかもしれない。しかし気がついてしまったのだから仕方がない。


包丁、あるいはつまようじ、ときには秒針までにも恐れるようになる。


世界各国の首脳たちは頭を悩ませた。尖っているものに怯える病、先端恐怖症が全世界をウイルスのように蝕んでいたからだ。


尖っているものを見た者は暴徒と化し、それをまあるくするまでは止まらない。


そこで一つの名案が会議で挙げられた。それは世界中の尖ったものをまあるくしてしえばいいというものだ。これは素晴らしいと、議会では異例のスピードで採決され、世界の絶対の決まりとなった。


この案に対して、世界は手を広げ歓迎の意を示した。


 つまようじはゴム製になり、先端がまあるくなった。時計もデジタル時計のみとなった。それも円形のデジタル時計だ。




さてここで、その決まりによって恩恵を受けた人物がいる。レーザーカッターを商品に会社を運営しているF氏だ。


「やはり、先見の明がありますな、社長は」


そう言いながら専務は笑う。そうであろう。社長室の丸椅子にどかりと座ったF氏も同調し高らかに笑う。


「まさか、包丁の代用にレーザーカッターが売れるとは」


専務はまるで武勇伝を語るかのように、当時のことを思い返す。


「包丁は尖っているが、レーザーはまあるい」


F氏の会社のレーザーカッターの謳い文句はこれだった。


 これが功を奏して、大流行。一家に一台、どころではない売れ筋商品になった。F氏は顎の肉を震わせながら、大仰に頷いた。


「私にはわかっていたのだよ、全てがね」


芝居掛かった声をしてそう言うと、専務は拍手喝采を贈る。


F氏はその手に入れた権力と金が詰まっているかのように、ぶくぶくと太っていって、今ではまんまるになっていた。


「全てはまあるく収まった」


F氏は自分でそういった後、「うまい」と言って、笑い声をあげ、ムチムチとした小さい手をぺちぺちと叩いた。


「社長、そろそろE社の社長との会食の時間です。向かいましょう」


 そこで影の薄い、痩せた秘書は言った。F氏は「ああ」と答えると、ギシギシと鳴る丸椅子をゆっくり降り、カプセル型のエレベーターに乗った。


 エレベーターの窓からは流線型をしたビルが立ち並ぶのが見える。なんと美しい光景だろうか。しばしの間見とれていると一階に着き、エレベーターの丸いドアが開く。


「ここにタクシーを呼びますので少しお待ちください」


 そう言うと秘書はF氏を歩道に残して、歩いて行ってしまった。手持ち無沙汰になったF氏は大あくびをした。そこで、F氏のすぐ近くに大型犬がいるのに気がついた。


 F氏は「うわぁ」と言い、その場を飛び退いた。犬の歯もまあるく削られてはいるのだが、やはり近くにいると驚くものである。


 そして飛び退いた先が悪い。そこは車道であった。F氏は昔よりさらに流線型になった車にすんなりと轢かれる。


 ボンネットであろうところに乗り上げて、そのままはねとび、地面に身体をしたたかに打ち付けた。F氏の膝の骨が折れすこし皮膚を突き破り飛び出ていたものの、命には別状はなかった。


 F氏は痛みの中でもぼんやりと、やはりまあるくなっていてよかった、昔の車では開放骨折だけでは済まされなかった、と考えていた。


「だれか、すまないが救急車を呼んできてくれないか」


 F氏は通行人に訴えかけるのだが、誰も動こうとはしない。通行人は皆、F氏の飛び出た骨を見て硬直している。


 たしかに、大怪我を見てしまうと、ショックですぐには行動できないだろう。しかしこちらも緊急事態なんだと、F氏は怒りを感じる。


「はやく、救急車を呼んできてくれないか」


 F氏は怒声にも似た叫び声あげた。


 すると、若者が前に出てきた。「おお、助かるよ」とF氏が言おうとして、それを途中でやめた。若者が不可解なことを言っているからだ。




「骨が、尖っている」



 尖っているものを見た者は暴徒と化し、それをまあるくするまでは止まらない。

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