富士山は静岡のものです

紅葉

第1話

「今日は寒いな」

「富士山かなり白かったよ、雪積もってて」

富士山の上部に積もる雪の量でその年の冬の寒さを判定するよくある静岡県民の光景。

「まあこっちに雪が降ることはないんだけどな」

「そりゃ日本一雪の降らない県だからね」

「寒い寒い言っててもなんだかんだ10度近くあるもんな真冬なのに」

「今日マイナスいってるとこも多いんだってね」

「来年からそんな県に行って寒さ耐えられるかな」

「君は無理だろうね寒がりだし」

「来年からは富士山の雪を見て季節を感じる日々も終わりか」

これは富士山の間近、いやむしろ富士山の麓言わば富士山そのものに住んでいたころのお話し。



「追試の度に朝起こされる方の気にもなってね」

「次はひっかからないように善処します」

母の憎まれ口を流しながら車から降りた。実際、送迎のために車を出してくれていることには感謝しているし、朝練や追試なんかで早く行かなければ行けないときに5時起きさせていることを申し訳なく思っている。

ならば歩けというのが最もなんだろうが、静岡は電車が少ないだけでなく遠いのだ。北部はほとんど山であり斜面がきつく人口も少ない。そんなところに線路が開通するわけもなく、電車は必然と海沿いに限られてしまう。私は残念ながらどちらかというと山沿いであり最寄り駅であるここ富士根駅にすら徒歩30分はかかってしまう。自転車でだと行きは15分程度だろうか。


「行きは」という表現をしたのは帰りはその倍以上の時間と体力を消耗するからだ。先述の通り私が住んでいるのは斜面の先だ。つまり自転車を選択した場合は部活を20時に終え電車に乗り9時前に最寄り駅に着いてから、疲れた身体で40分以上坂道をダンシングする必要がある。これは両親がさすがに私の身体的にも、また高校生とは言っても親からはまだまだ子供である私の心配ということからも看過しにくかったようで送迎をしてくれている。

坂道さえなければと、単純な移動の便からも考える毎日だったし、もっと便利なところに住みたいと考えるのはしょっちゅうのことだ。

しかしそれも坂道の大元を考えれば仕方のないことだろう。坂道の原因、つまりはこの地形を作っている山は日本人なら誰でも知っているかの山だ。

富士山。日本人の多くは憧れを抱き、観光に訪れる場所。世界遺産にも選ばれ、世界にも認められる名実共に日本最高の山であるそれは、しかし富士山の麓に住んでいる私たちにとってなんら感慨深いものではなかった。

朝起きたら富士山を主軸にした写真のように視界いっぱい広がる日々を繰り返したら当然の帰結と言える。富士宮市民にとって富士山は北の方角を示すコンパスでしかなかった。

だから今日も富士根駅から見える富士山は別段真新しいことはなかった。

追試を無事切り抜けて授業が始まった。先生は熱心な指導をしながら時々「ここ最近のセンターで狙われるからな」なんて口にしている。

私たちは冬に受験を控えていた。一応は所謂地区トップ高だったために補講をやったり課題を多く出したりと先生も生徒も必死だった。

私にも当然志望している大学はあった。そこは今住んでいるところを離れ一人暮らしで通う必要がある。

むしろ望んでいることだったのだが、そんな日が近づくにつれなにも変わらず別段なんでもないはずの富士山が日に日に大きく、寂しく見えていった。

離れて見て初めてその大きさに気がつくなんて別れた恋人みたいな感想かもしれないが、近すぎると分からないことは確かにあるようだ。富士山に憧れ貴重な休みを使ってまで観光に来る人たちの気持ちが初めて理解できた気がする。

受験が近づくにつれ面談も増え、どの大学のどんな学部に行ってなにをしたいかという質問を何度か担任の先生にされた。私の質問は決まってこうだった。

「ここに戻ってきます。教員になって」



 帰省して再び富士山を目にする。迎えに来てくれた親の車に乗りながら目にするそれは、今は赤く燃えており温かく「お帰り」と言ってくれているような気がした。

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富士山は静岡のものです 紅葉 @MomijiKoyo

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