第4話 そして、お茶会に行く二人
*
その日、僕は病院の母の病室を訪れていた。水道水をマグカップで飲みながら新聞を読んでいる母に、僕は思い切って告げた。
「母さん」
「なんだい? 息子よ」
「僕、高校が終わったら、働くことにするよ」
「ふーん」
母さんは何を考えているのか、新聞に顔を落としたままだ。
「それでさ、バイトする。最初は短い時間のシフトにしてもらって、それで、それから何年もかけて、少しずつ時間を延ばしてさ、最終的には八時間で働ける会社に就職することにするよ」
「ふんふん」
「いいかな」
「ソウタ」
母はやっとこちらを向いた。
「お前の人生だ。好きにしな」
「……うんっ」
やっぱり、高校を辞めることはできなかった。両親が悲しむだろうから。でも、大学や専門学校にはいかない。というかいけない。僕は、幼い頃の元気を取り戻すために精一杯生きようと思った。これが、僕の出した結論だ。誰にも文句は言わせやしない。
*
お茶会の日がやってきた。
その日曜日の朝、朝食を食べていた時、ミルは僕に言った。
「ソウタさんも、一緒に行きましょう。皆さんに、紹介したいです」
「……いいよ。行こう」
僕はもう心の準備は出来ていた。もちろん、ミルとお別れをするということに、だ。彼女とのお別れの時間が少し伸びたって、気にすることは無かった。
*
東京都品川にある、民家風の隠れレストランで、パーティーは催されるようだった。僕は九人分のお菓子を両手に持って運んでいた。もちろんバッグに入れてある。スープはこぼれないように、百円ショップで買った便利なフタをしてあった。
お店につくと、ミルは最初に、店の主人に頼んで、お菓子を冷蔵庫に入れてもらった。後は他の天使が到着するのを待つだけである。僕とミルは、ソファに座って、天使たちの到着を待った。
*
「来ないですね」
もう午後の三時になった。十二時から待っているというのに、ミルの友達は来ない。店の電話が鳴った。主人が出る。そして電話を置き、ミルにこう告げたのだった。
「皆さん、来れなくなったそうですよ」
僕とミルは、二人分のワラビ餅ココナッツ仕立て・ラーメン風を食べた。ミルは悲しそうな顔で、どうしたらいいのか分からない様子だ。今日は、ミルとのお別れの日である。そして僕は、ミルと笑顔でお別れをしたかった。僕は立ち上がる。
「ソウタさん?」
「ちょっと待っててくれ」
僕は店の支払いを済ませる。そして戻って来て、ミルに手を掴み、立たせた。
「行くぞ」
「行くって、どこへですか?」
「ついて来れば分かる」
*
最近秋葉原に出来た、グドラックグラウンド、通称GGという遊園地があった。僕たちはそこに行った。元気を出して、懸命にミル手を引く。話題の中身なんて無いような会話でも、元気一杯に話す。遊園地の持つ強い幸福オーラが後押しして、僕はとにかく一生懸命だった。
ジェットコースターに乗った。
観覧車に乗った。
潜水艦にのった。
二人でソフトクリームを食べた。
僕は、今日、この彼女の手を、離すつもりは無かった。
コーヒーカップに乗った。
マスコットと一緒に写真を撮った。
スタンプコースを巡った。
ミルは、最初こそ元気が無かったものの、だんだん調子が上がってきた。
そして、あるところで、ミルは立ち止まる。左手で指さし、
「ソウタさん、私、あれに乗りたいです」
メリーゴーランドだった。
「ま、マジか」
高校生にもなってメリーゴーランドに乗るのは、抵抗があった。
「ダメですか?」
ミルは笑顔から、涙目になって瞳をウルウルとさせる。
「ば、馬車だよね」
「もちろん、お馬さんです」
「……」
僕は、僕は、僕は――。
「乗ろうじゃないか」
ミルの喜ぶことならば、何でもしてあげたかった。僕たちは列に並び、お馬さんに乗る。
「きゃははっ」
ミルの心の底からの笑い声を聞いたのは、今日初めてだった。
そして、幼稚園児が喜びそうなポップなメロディーがかかり、メリーゴーランドが回り始める。馬は上下に動き、辺りの照明が虹色に光り方を変える。多分、今日この時の僕は、世界一勇敢な男かもしれなかった。
*
二人でナイトパレードを鑑賞し、終わるとレストランで夕食を取った。遊園地のレストランと言うことで値が張ったが、かまうもんか。それからミルがお城の方に行きたいと言ったので、僕たちは向かった。その折、ミルはまたしても足を止めた。
「ソウタさん。あれはなんですか?」
ミルが指さす。
そこにはプリクラ機があった。
「あれは、写真を撮るための機械だ」
「一緒に撮りましょう」
「いいよ」
僕たちは列に並び、自分たちの番が回ってくると、機械の前に立った。プリクラなんて撮るのは初めてだが、ミルに機械の操作はできないだろう。僕が操作した。
「あ、これ、文字書けるみたいだな」
「何て書きましょう」
「上に書こうぜ。俺は、ん~」
僕はペンを持ち、自分の頭の上に(楽しい)と書いた。
「あ、ずるい」
ミルがペンを取り上げ、自分の頭の上に、(仲良し)と書いた。
僕らは顔を合わせ、笑いあった。その瞬間プリクラがシャッターを着る。
「え、もう?」
ミルは意表を突かれたようで、髪型を急いで直しながら、笑顔を作った。果たして出来上がったプリクラは。変顔をしているミルと、緊張にちょっと硬くなっている僕の顔がプリントされた。
「あはは」
僕は笑った。
「もうっ、笑わないでくださいなあっ」
ミルは涙目だった。
*
ラッキーキャッスルというお城の前で、ミルは僕の手を離した。そして僕の対面に移動し、口を開いた。
「ソウタさん。今日はありがとうございました」
「いや、俺の方こそ、付き合ってくれてありがとう」
「私は、天に帰ります」
「そ、そうか」
時間が着てしまった。シンデレラタイムである。
「泣かないでくださいなあ」
「へ?」
僕は自分の顔に両手で触れた。濡れている。あくびの時以外に泣かないはずの僕が、泣いていた。
僕は鼻をすすって、両目を服の袖でこする。
「誰が、誰が泣いてるって?」
「ソウタさん、楽しかったです」
「俺も、実は、俺もなんだ」
「それでも、さようならです」
ミルの声音は、震えていた。
「行かないで、くれないか」
僕は本心を言ってしまった。
「それはできません」
「そうか」
「それでは、さようならです」
キスもしたこと無かった。
でも、手をつないだことは何度もあった。
僕と彼女は恋人では無かったけど。
僕と彼女は、心ではつながっていた。
「ああ」
「プリクラの写真、マスコットとの写真、お祭りでの写真、お菓子のこと、皆、大切にします」
「僕もだ」
ミルの体が、うっすらと透き通り始める。彼女は天に帰るのだ。
「ソウタさん。私はいつでも、貴方のそばにいます」
ミルの体が消失した。
「ああ」
僕は、笑顔を作れただろうか。失敗したかもしれなかった。
*
僕はひどく泣いていた。子供の用に泣いていた。お母さんにアイスを買ってもらえなかった幼稚園児のようだった。泣きながら、うずくまり、行動できずにいる。これからどうしよう。分からなかった。
十分もそうしていただろうか、僕は立ち上がり、遊園地の出口を目指して歩き始める。
「出会えて良かった」
僕はその独りごとを何度も唱えた。素敵な三か月だった。おそらく、これから何年経っても、この期間の事を振り返るだろう。そして、そのたびに勇気をもらえるに違いなかった。
GGの出入り口を出たところで、花火の上がる音が聞こえた。ひゅるる~と音が鳴る。僕は振り返る。すると、花火が文字を咲かせた。
☆彡ソウタ☆彡
何だろう。僕は花火にくぎ付けになった。
♡大好き♡
二発目の花火に心を打たれた。僕はただ、感動していた。この花火はきっと、ミルが起こした奇跡なのだろう。そして、泣いている僕を天から見たミルが、泣くなと言ってるのかもしれなかった。僕は恥ずかしくなり、そして平静を取り戻した。
「俺も、俺も大好きだ!」
僕は天に向かって叫んだ。
天使のミル。優しいミル。
僕のたった一人の想い人。
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