第3話 ハッピでハッピー


 僕たちは喧嘩していた。

 いや、喧嘩というほどではないのだけれど、出来上がったお菓子のネーミングについて悩んでいた。

「だから、わらび餅ラーメンでいいじゃねえか」

 マコトが言う。放課後であり、今は彼が言うところのわらび餅ラーメンを皆で試食している。麺がつるつるとしていておいしいし、ココナッツの匂いと甘いスープが、まろやかな味わいを演出していた。

「おいしい☆」

 ミルはほっぺたが落っこちそうな顔をしていた。

「そんなの駄目よ。これはお菓子なんだから、ラーメンっていう名前は付けない方が良いわ」

「でもこれ、ラーメンっぽいぜ」

「ああ、旨いな」

 僕はちゅるちゅると麺をすする。

「ラーメンって言う方が、インパクトがあると思うけどな」

「インパクトなんていらないの」

「ふむ」

 先生が両手を組んでうなった。

「じゃあお前は何が良いんだよ」

「決まってるじゃない。キラキラメモリーよ」

「それ、お菓子の名前じゃないだろう」

「お菓子の名前よ。良い? 私が作ったんだから、名前はキラキラメモリーで決定」

「いや、お前だけで作ったんじゃねえし」

「キラキラメモリー、良いと思います」

 ミルの賛同の声。

「ほら、ミルちゃんもこう言ってるわ」

「おい、ミルっち~」

 マコトが落胆する。

「ねえ、ソウタはどうなの?」

 僕はコーンフレークをかりかりと咀嚼しながら、

「僕はなんでもいいよ」

「よしっ、じゃあ先生。そうことなので、お菓子の名前はキラキラメモリーになりました」

「却下」

「えっ?」

「ネーミングセンスなさすぎ。頭悪すぎ」

「私、頭は良いんですけど」

「良い、皆。このお菓子の名前は私がつけるわ」

「そんなっ」

「なんて言う名前なんですか?」

 僕が水を向けた。

「名付けて、ワラビ餅のココナッツ仕立て・ラーメン風よ」

「……凄いですね」

 ミルが感嘆の声を上げる。

「いいじゃん。先生すげー」

 マコトが前かがみになり、両手で自分の太ももをさする。

「確かにいいなあ」

「皆、行けるわ。夏祭りはもらったわよ!」

「待ちなさいよ」

 リリコが立ち上がった。

「名前は、キラキラメモリー!」

「却下」

「駄目だな」

「リリちゃん、ごめんねえ」

「あきらめろよ」

「ぐすん、もういいよ」

 リリコは腰を下ろし、調理台に突っ伏した。

 そんなこんな。

 僕たちの暑い夏が始まろうとしていた。



 期末テストが終わり、夏休みが近づいていた。テスト期間は同好会の活動が無く、僕とミルは家に帰って一緒に勉強したりした。もちろん睡眠時間を確保するために、勉強は八時で切り上げることになったが。

 ミルは掛け算の段階で分からないようであり、正直言って今回のテストは壊滅的だと思われた。しかし彼女は頭が良かった。僕の古い中学校の教科書を読破し、問題を解いた。一週間もしないうちに、彼女は中学校を卒業するほどの学力を手に入れた。そしてテスト前夜、ミルは次の日のテストの科目を一夜漬けで何とかしようとしていた。彼女の熱意に心を打たれ、僕も一夜漬けに付き合った。焼きそばなどを作り、夜食二人で食べたりした。テスト期間は、学校が半ドンで終わるので、僕らは家に帰るとすぐにベッドにダイブした。そしてまた夜に起きては、一夜漬けの勉強。僕たちの生活リズムはおかしくなっていた。

 テストが過ぎ、答案が帰ってくる。僕の点数は、ぎりぎり赤点を逃れるほどであった。ミルはとても点数が良かった。僕はとてもイライラした。勉強を始める前までは掛け算も出来なかった彼女、なのに数日で僕よりも頭が良くなるなんて、あり得なかった。嫉妬だった。天使だから頭が良いのかもしれないとも思ったが、僕はこのいらだちをどこへぶつければいいだろう。

 僕はミルにこんなことを言ってしまった。

「なあ、お前、いつ天界に帰るんだ?」

「八月の頭です。だから、あと十日ですね」

「良かったな、故郷に帰れてさ」

「はい!」

 最低な気持ちで言葉を吐いた僕に対し、ミルはいつものように返事をした。だけど、僕の気持ちは伝わっただろう。彼女が震えていたからだ。僕は、最低野郎だった。


 *


 夏休みが始まり、僕たちの学業は一学期を終えた。夏祭りの日まで、あと五日と迫っている。僕らは夏休みだというのに学校の調理室に集まり、屋台の準備をしていた。マコトはサッカー部に行っている。

「まずは着物ね。私、用意してきたから」

 リリコは開口一番にそう言った。紙のバッグから衣装を取り出す。それはピンク色のハピであり、ハッピでハッピーと刺繍がされていた。

「これよ」

「わあ☆ リリちゃん偉い」

「その刺繍、お前が縫ったのか?」

「そうよ」

「すごいわねえ。さすが家庭科の成績は五の女の子ね」

「先生、他人の成績をばらさないでください」

「これ、僕とマコトも着るの?」

「もちろんよ」

 この恥ずかしい服はなんだろう。同好会やお菓子の名前に自分の意見が通らなかったリリコの最後のあがきだろうか。でもよく見ればデザインは凝っている。裾が海の波の絵柄になっていている。

「分かったよ。まあ、お祭りなんだし。馬鹿になってやるさ」

「馬鹿になるってどういうこと?」

「その意気よ! ソウタくん」

「私も馬鹿になりますぅ」

 ミルが両手をグーにしてバンザイをした。辺りを走り回る。まるで小学生のようだ。

「後は、なんだけど」

「うん」

「運送会社に麺とスープを運んでもらわなきゃ。さすがにその場で作るっていう訳にはいかないしね」

「そうだね。麺は固まるのに時間がかかるし、スープだって冷蔵庫には入りきらないだろうしね」

「まかせなさい! 準備はばっちりよ」

 先生が腰に両手を当てた。

「もうナゴミ運輸に手配してあるわ」

「さすが先生」

「やるなあ」

「うっぴゃー☆」

 ミルが何か良く分からない奇声を上げている。

 そして僕たちはこれから、祭りに必要な分の麺とスープを作ることになった。客がどれくらい来るか分からないので百人ぶんを昼と夜に用意し、計二百人分のものを作った。それは大掛かりな作業であり、祭りまでの残された時間まるまるを使うことになる。でも、僕たちは楽しんでいた。


 *


 夏祭りが始まる。

 池袋の公園沿いの一角に、僕たちは届けられた屋台のセットを準備していた。朝早くから来ており、汗にまみれながらの作業が続いた。夏休みとは縁がないスーツ姿のサラリーマンやOLが僕たちに視線を送っては過ぎていく。屋台の暖簾には、でかでかとワラビ餅のココナッツ仕立て・ラーメン風と書かれている。他にも、天使の作るお菓子の店とも書かれている。お祭りの匂いがした。僕はウキウキしていた。

「ソウタさん」

 ハッピを着たミルが話しかけてくる。

「何だ?」

「お客さん来るかなあ」

「きっと来るさ」

「もちろんよ。私がハッピを用意したんだからね」

 リリコが割り込んでくる。

「俺がいるんだ。女性客をメロメロにしてやるぜ」

「マコト、酔っ払ってやるのか」

「違う違う。俺の心の声が叫んでいるんだ」

「ちょっと自重した方がいいかもな」

 皆がクスクスと笑った。

 そして屋台は出来上がっていく。お客さんが座って食べるスペースも用意されているため、場所は広々としていた。


 *


 朝の十時、僕たちは営業を開始した。最初、女性陣はお菓子を作り、僕とマコトで客寄せをしていた。お客さんは来るには来たが、客入りが悪い。そこへ、今までどこに行っていたのか、ナツミ先生が駆けつけた。ハッピを着ている。

「あんたたち何やってるの?」

「何って、客寄せを」

「逆よ逆。男は中に入った入った。ミルさんとリリコさんは外。当たり前でしょう」

「なんでだ? これから俺がサッカーで鍛えた筋肉ショーを披露しようって言うのに。女性客をメロメロにだなぁ」

「あんたはどんだけナルシストなの? とにかく、男性と女性は交代しなさい」

「はーい」

 僕たちは仕事を交代する。ミルが表に立つと、道行く男性が振り向いた。彼女の美貌に翻弄されたのかもしれない。男性はお菓子を買って、腰かけに座り、ちゅるちゅると食べた。

「う、うまい」

「ですよねっ」

 リリコが二カッと笑顔を浮かべる。そして、その客を最初に、男性客がどしどしと押し寄せることになる。

 昼の分のお菓子は、十二時を待たずに売り切れてしまった。一杯五百円のお菓子。五万円の売り上げがあったが、材料費や運送料を引くと、儲けは五千円ほどである。ただ、僕たちの場合、儲けが欲しい訳ではなかった。皆で夏祭りという目標に向かい、おいしいお菓子を作り、お客さんに食べてもらう。そして高評価を得る。それが僕たちの課題だった。

 昼のぶんが売り切れると、僕たちは夜まで暇になった。僕とミルはそろってお祭りの見物に出かけた。マコトとリリコは、店で後片付けをしている。一時間経ったら交代で、今度は僕たちが片付けをしないといけなかった。

「ソウタさん、お祭りって楽しいですね」

「ああ」

「まるで、天国にいるような気分です」

「ああ、そうだな」

「ソウタさん? あまり元気が無いようで。もしかしてお腹が痛いのですか?」

「違う、違うんだ」

「そうですか。ならよかったです」

「ミルは、もうすぐ天界に帰るんだよな」

「はい。お茶会を終われば、帰ります」

「そうか」

 お別れが悲しかった。だけど、それ以上に、僕はミルに聞いてみたいことがあった。

「なあミル」

「はぁい」

「これが、この祭りが終わったら、お前に聞きたいことがあるんだ」

「何か、深刻なお話ですか」

 ミルは僕の雰囲気から何か感じとったようだ。

「ああ」

 僕は俯く。

「分かりました。なんでもおっしゃってください」

「ありがとう」

 それから僕たちは、かき氷屋さんでブルーハワイを食べ、帰り道にリンゴ飴を買った。僕はスマホでミルの姿を取った。ミルはノリ良く、笑顔を浮かべてポーズをとってくれた。


 *


 天使の作るラーメン風のお菓子は大盛況だった。夜の六時からまた営業を始めた僕たちの屋台は、二時間ほどでまた売り終わってしまった。皆、すっきりとした笑顔でしめくくり、屋台のセットの片づけを始めた。途中まで片付ければ、後は業者さんがやってくれるらしい。僕たちは早々と引き上げ、花火を見ることになった。先生を含めた僕たち五人は、夜空に咲く大輪の花を、興奮さめやらぬと言った様子で見物した。

「すごい、すごいっ」

 ミルは僕の手を握って、上下に振っていた。花火を見るのが初めてのようだ。

 だけど僕は、花火なんて見ていなく、花火を楽しむミルの横顔を眺めていた。赤白黄色の光が当たる度に、彼女は笑顔を浮かべる。こっちの方が、断然綺麗だったんだ。


 *


 夜、僕ら綺麗に片付けが終わり、何も無くなった空間に集まっていた。

「それでは、皆さん」

 ミルがしゃべりだす。僕たちは静かに見守る。

「お菓子作り同好会、ミルクッキーは、今日で解散します」

 彼女は言葉を切りながら、思いを告げる。

「皆さんのおかげで、お菓子作りは大成功しました。全ては皆さんのおかげです。私はすごく楽しかったです。皆さんも、同じ気持ちなら良いと思います」

「ああ、楽しかったよ」

「もっかいやろうぜい」

「私も、楽し……」

 リリコは悲しくなって、しとしとと泣いてしまった。

「ほら、悲しいの無し無し」

 先生がリリコの背中を撫でる。リリコが泣いてしまったことは、ミルにも伝染し、マコトにも伝染したようだった。皆が泣いていた。それだけ、今まで楽しかったということだ。僕はと言われれば、泣いていなかった。いつからか、眠くてあくびをかみ殺した時ぐらいにしか、僕の瞳は涙を流さない。だけど、悲しい気持ちは伝わってきた。

「私はもうすぐ天界に帰りますが、皆さんのことは、天国に行けるように、神様にお願いしようと思います」

「マジで!」

 マコトが泣きやみ、現金な面を見せた。

 リリコがその頭を叩く。

「痛って、何すんだ」

「空気読んでよ」

 ミルは続ける。

「それでは、皆さん。最後は笑ってお別れをしましょう。そして、いつの日か、またお会いしましょう」

「うん」

 リリコが瞳をうるうるとさせる。

「これで、会長である私の言葉は、終わらせていただきます。本当に、本当に本当に、ありがとうございました」

 ミルが上品に腰を折った。僕は拍手を送った。それにつられて、皆は拍手をする。ミルは両手の袖を顔に当てて、泣いてしまった。

 それから。

 僕たちは終電に間に合い、自分たちの町へ帰ることになった。僕とミルとリリコは桜川町。マコトはその隣町である。


 *


 結局、言えなかった。

 僕は家に帰ると、さっそく風呂に入った。早く寝ないといけない。睡眠時間を確保しなければ、朝と夜が逆転した生活になってしまう恐れがあった。高校生としては、それはまずいだろう。

 その時。

 風呂場の扉が、がらがらと開かれた。

「お、おいっ」

 僕はスポンジで体を洗っていた。後ろを見ると、バスタオル一枚を体に巻いた、ミルの姿があった。

「ソウタさん。お背中を流します」

「べ、別にいいって。それより、入ってくるな」

「ソウタさん。失礼します」

 ミルは風呂場の扉を閉め、僕の後ろに座った。背中に両手を当てる。

「ソウタさん。ソウタさんは昼に言いました。私に、何か話したいことがあるって」

「そんなこと別に良い。それよりも」

「ソウタさん。私はもうすぐ天界へ帰ります」

「う、だから、だから何だって言う……」

 ま、まあいいか。

 僕はミルを風呂場から追い出す気がそがれてしまった。

「ソウタさん。話してください」

「風呂に入ろう」

 僕はミニタオルで腰をしばり、ざぶざぶと湯船の中に入っていく。

「あのっ、私はまだ体を洗っていません」

「気にしなくていい」

 僕はミルの手を掴んで、引っ張った。彼女も湯船に入る。湯船からお湯がこぼれてタイルに流れる。僕たちは背中を向け合って、風呂に入った。

「ミル」

「はい」

「実は、昼にも言ったけど、話したいことがあるんだ」

「はい、なんでしょう」

「知っての通り、僕は毎日が眠くて眠くてしょうがないんだ」

「そのようですね」

「それで、なんだけど。校長先生にも相談して、医者を勧められたんだ。色々あって、精神病院へ行くことになったんだけど、医者は体や精神には問題ないって言ってくれて。それで、普通の人と同じような生活を送って良いって」

「それは、素晴らしいことですね」

「ああ。だけど、僕の体は年々悪くなってるんだ。年々、睡眠時間が増えていっている。これって、どうしてなのかな。天使のお前には分からないか?」

「そんな悩みですか」

 ミルは笑った。背中ごしに振動が伝わってくる。

「笑いごとじゃない」

「笑いごとですよ。もっと深刻なものかと思いましたわ」

「深刻って?」

「借金で困っているとか、そういう感じだと思いました」

「うちに借金は無い」

「良かったです」

「それより、解決方法は無いのか?」

「そうですね。天使の私なんかの意見に過ぎませんが、それでもいいでしょうか?」

「いいよ」

「お医者様の言う通り、ソウタさんの体に異常は無いと思います。ただ」

「ただ?」

「ソウタさんが、もうダメだと思うときまで、状態は悪化し続けると思います」

「もうダメだと思う時?」

「はい。そして、ソウタさんがもうダメだと思い、人生における何かに挫折した時、ソウタさんの体はゆっくりと回復を始めるでしょう。回復のスピードは、ゆっくりだと思いますが」

「治るのか?」

「はい、治ります」

「挫折する時って言うのは?」

「例えば、ソウタさんが眠くてしょうがなくて、もう高校に行くのはやめようと思った時なんかです。例えばの話ですよ?」

「こ、高校だけは出とけって、親に言われてて」

「良いご両親ですね。でも、そんなの不意にすればいいんです」

「不意にする?」

「ええ、高校を出るか出ないかなんて言うのは、人生においてちっぽけなことではないですか?」

「……そうかもしれない」

「ソウタさん、もうダメだと思った時や、もう嫌だと思った時、天に向かって私を呼んでください。そうすれば、きっと私が駆けつけて、ソウタさんの相談に乗ります」

「本当か?」

「はい。私はいつも天からソウタさんのことを見ています」

「分かった、ありがとう」

「いえいえ、お礼を言わなければいけないのは私の方です。今まで、ありがとうございました」

「天界へ、帰るのか?」

「はい。あと三日後です」

 ミルは立ち上がり、風呂を出て行く。僕はまた恥ずかしくなって、下を向いた。

「ありがとう」

 僕の声は、小さすぎて、果たして彼女に届いたかどうか、分からなかった。

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