第2話 貴方の学校に天使が贈り物
*
休み時間になると、僕は教室に生まれた新しい席の生徒に会いに行った。
「おい、ミル」
「はぁい。ソウタさん、奇遇ですね。こんなところでどうしたんですか?」
「奇遇も何もねえだろ。お前、そのセーラー服、どうしたんだ?」
「借りました」
「誰から」
「先生からです。何でも、展示用のセーラー服だそうで」
「ふーん。それで、校長先生の許可をもらってきたんだな」
「もちろん」
彼女は親指を立てる。
「天使だと言ったら、簡単に編入を許してくれましたわ」
「マジか」
「何か、お困りでしょうか」
「いや、いいんだ。それよりも」
生徒たちが、こちらに興味津々と言った瞳を輝かせている。
僕は悩んでいた。これはどこの誰にも言えることだが、新しい環境に入ったのなら、まずすべきこと。それは人間関係の構築である。つまり友達作り。それに失敗したのなら、暗澹たる生活を余儀なくされる。僕はミルを友達だと思ったことは無い。それ以上に仲の良い関係だと自負しているからだ。同じ屋根の下に住んでいるのだ。僕は、彼女の友達作りを手助けする義理があった。
ほっとけばいい。
畑に植えたジャガイモのように、水などくれずに育てた方が良く育つかもしれない。だけど僕はおせっかいだった。
「おいマコト」
近くの席で様子を見守っていたマコトが、びくっとした表情をする。
「来いよ。紹介するからさ」
「ああ」
びっくりしていたものの、やはりミルに興味があるようだ。
「待ってました。電光石火、俺参上」
マコトはひらりひらりと机をかきわけて、こちらへ来た。
「誰ですの?」
「俺の友達。マコトだ。サッカー部に所属してる」
「うんうん。それより天使様に会えるなんて、俺、なんか超感激。スプーン曲げとかできるの?」
「できません」
「おいマコト。エスパーと天使は違うだろ」
「え、違うの? でも、天使だったら翼があるんじゃないか? 空を飛べたり、できないのか?」
「それは……」
「おいマコト。無茶言うなよ」
「へー、じゃあ何ができるの?」
「掃除ができますわ」
「洗濯もできるしな」
「普通すぎてかっけー。そうなんだ。ミルっち、今日からよろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ」
「あ、僕、ちょっと離れるよ」
「どこ行きますの?」
「どこ行くんだ?」
二人の声が重なる。
「委員長に用事があってさ」
僕はクラス委員長の女子の席に近づいて行った。彼女も僕たちの方を見ている。
「よう、委員長」
「何? ナマケモノくん」
この委員長は、中学時代からの知り合いだ。名前は、一之瀬リリコと言う。メガネをかけていて、髪はショート。理知的な女性だ。真面目で頭も良い。そんな彼女がどうしてこんな馬鹿校に入学したのか。それには深い訳がある。
「実は一生のお願いがあるんだけど」
「何よ畏まって。今朝は悪い物でも食べたの?」
「違う。今日の昼休み、暇か?」
「えっ?」
リリコはびっくりした表情をした。
「いや違うんだ。今日の昼休み、僕と、ミルと一緒に、ご飯を食べてくれないか」
「へえ、ふーん。一つ聞いていい?」
「ああ、何だ?」
「ソウタとミルさんは、知り合いなの?」
「訳あって、そういうことになる。ああ、知り合いだ」
「あの、テレビで知事から表彰状をもらった件のこと?」
「良く分かるな。そうだよ」
「良く分かるって、誰でも知ってるし。まあ、とりあえず分かったよ。ただし」
「ただし、なんだ?」
「もちろん貸しよね」
「……モチよ」
僕は彼女の席を後にした。
*
それから、授業が一つ一つ終わっていく。
僕はやはり眠っていた。いや、眠っているというのは少し違う。机に突っ伏して、眠っているふりをしているのだった。本当に眠ればいびきをかいてしまう。
昼休みになった。
僕はいつものようにカバンから弁当箱を取り出して、顔をしかめる。ミルは弁当を持ってきていないだろうに。僕らの弁当は昨日の夕食の残りだが、ミルの分の弁当は家にあるはずだ。思い返すと、朝彼女は手ぶらだった。
僕はミルの席に行こうとして、踏みとどまる。すでに彼女の席には、クラスメイトの女性が群がっていた。様々な質問が飛び交っている。その様子を見て、僕は安心した。どうやらおせっかいをせずとも、彼女は友達を作れそうだった。だから、それを邪魔するのは、ちょっと罪悪感があった。
僕は弁当箱を持って立ち上がり、マコトの元に向かう。
「マコト、めし食おうぜ」
「ああ、いいよ。でもお前はミルっちと食べるんじゃねえの?」
「ミルも一緒に食う。食堂で食べよう」
「食堂? 何で? ここで食えばいいじゃん」
「ミルが弁当を持ってきていないんだ。買わなきゃいけない」
「そうか。分かった」
マコトは弁当を持って立ち上がる。
僕はミルの席に向かった。群がる女子の隙間から彼女に声をかける。
「ミル、メシ行こうぜ」
「ちょっと、横から入ってこないでよ」
気の強い女子が反感を口にする。
「うるせえな。おいミル。早く行くぞ」
「え、あ、はい」
「ちょっと待ちなよ。ミルはあたしらと弁当食べるから。男子はどっか行ってて」
「そうそう、ここは男子禁制でーす」
「ソウタくんと食べます」
ミルが小さな声で言った。
「え、いま、なんて言った?」
取り巻きの女性の一人が語気を強くする。
「ソウタくんと、一緒に食事します!」
ミルは大声で言って、席から立ち上がった。
「え、へえ、そ、そう」
女子が気弱になる。僕は自分の顔が真っ赤になる音を聞いた。心臓が早鐘を打っている。
「ミル、行こう」
僕は彼女の手を握る。
「はぁい」
「マコト、行くぞ」
「おういぇー!」
僕はミルを連れて教室の前に移動し、廊下側のリリコに声をかけた。
「委員長、一緒にめし行くぞ」
彼女はノートになにやら書いていた。シャーペンを下ろす
「わ、分かったけど。ちょ、ちょっと待ってよ」
リリコはノートと筆記用具を片付けて、カバンを持った。
「どこ行くの?」
「食堂だ」
僕たちは教室を出た。
*
食堂はそこそこ混んでいた。直方体の広い空間に、全部で五十人は座れそうな長テーブルが並んでいる。リリコとマコトに席を確保してもらい、僕はミルの分の食券を買いに行った。
「ミルは何食べる?」
「私はなんでもいいです」
どうしてか彼女は頬を上気させている。これからメシを食うだけなのに、変な奴だ。
「うどんで良い? それともラーメン?」
「ラーメンが良いです」
「そっか」
僕は券売機でお金を払い、カウンターに出しに行った。すぐに、三分ぐらい待ってラーメンが出てきた。
「はい一丁」
食堂のおばさんが男前に言う。
僕はラーメンが載ったオボンを受け取り、ミルに渡した。
「ありがとうございます」
「いいんだよ」
僕らはマコトとリリコがいる席に向かった。二人は仲が良い訳では無かったが、マコトがいつものノリでリリコに話しかけていた。
僕とミルは対面同士になって腰を下ろす。僕の隣にはソウタ。ミルの隣にはリリコがいる。
「それにしても、ミルっちに群がる女たちは、すごい人気だったな」
マコトがハンバーグを箸で口に運ぶ。
「本当、私、天使様なんて、初めて会うんだけど」
リリコの言葉に、ミルがてへへと笑う。
「リリコさんでしたよね」
「うん」
「これから、よろしくお願いいたしますね」
「よろしく頼むぜ委員長」
僕はぶっきらぼうに言って、弁当と格闘を始める。
リリコがミルの方を向いて微笑み、そして僕を見て唇をとがらせる。
「よろしくね。それと、ソウタ、何その言い方」
「いや、口が悪かった。許してくれ」
「ふーん」
「リリコさんとソウタさんは、友達なのですか?」
僕たちは苦笑いを浮かべる。
「友達かな?」
「中学時代のクラスメイトでしょ」
「まあ、そんな感じだ」
「なるほど。ソウタさんの旧友でしたら、私も心してかからねばなりません」
「旧友かな?」
「それでいいでしょ」
「まあいいか」
「おーい、俺を抜かして会話しないでくれ」
マコトが涙目になっていた。
「マコトさんでしたよね」
「おう、ミルっち。俺のことはマコトでいいぞ」
「マコトさんは、ソウタさんとはどんな仲なのですか?」
「まだ出会って一か月しか経ってないよ」
僕が答える。
「マコトでいい……」
またマコトが涙目になっていた。
「ふんふん。なるほど。良く分かりました」
「ミルさん、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど、いいかな」
リリコのメガネがギラリと光った。
「ミルちゃん」
「ん? ミルちゃん?」
「はぁい」
「あ、ミルちゃんって呼べってことね。で、それでなんだけど、ミルちゃん。ちょっと相談があるんだけど」
「ほいほい」
ミルがラーメンを一口すする。口をもごもごとさせて、幸せそうな顔をする。一杯五百円のラーメンでしかないのに、安い女だと思った。
「このナマケモノこと、ソウタなんだけどさ。授業中に毎回寝てるの。何とかならない?」
「ならない」
僕はぶっきらぼうに言った。
「そうですねえ」
ミルは両腕を組んで考える。
「んー、そもそも、ソウタさんの興味を引くような授業をしない先生も悪いのではないですか?」
「それは、この桜川高校じゃあ、面白い授業をする人なんていないよ」
「んー、それでは、耳に洗濯バサミをして授業を受けさせる、というのはどうでしょうか。痛みで神経が覚醒するかもしれません」
「それだ!」
「そうだな」、とマコトも賛成の声を上げる。
「そこ、うるさいぞお前ら」
僕は身が小さくなる思いだった。二人の女子が僕のことを話している。それは気分の悪いものではなかったが、触れて欲しくない話題だった。僕は月に一回精神科に診察に通っている。夜に深い眠りをもたらすような薬も飲んでいる。それでも治らないのだ。
「ごめんなさいソウタさん」
「いや、いいんだ。だけどさ、ミルもリリコも、俺のこの病気については、あまり触れないでくれ」
「病気?」
リリコがびっくりしたような顔をする。
「ああ」
ふと、時計を見ると、もうすぐ昼休みが終わろうとしていた。僕たちは歯切れの悪い会話をしながら、食事を続けた。
*
教室へ帰ってみると、嫌な感じがした。クラスメイトの視線が奇妙に歪んでいる。
僕はどうしたのだろうと思い、教室を見渡すと、黒板に異変があった。
僕とミルの名前がでかでかと書かれており、相合傘になっている。僕は嫌悪した。マコトは危険を察知したライオンのように警戒をしたし、リリコは眉を寄せて深刻そうな顔になった。しかしミルだけは顔を真っ赤にして、微笑んだ。
僕たちがぼそぼそと、「どうする?」「誰だ?」「誰なの?」と会話をしていると、ミルが一番に黒板へ向かった。そして白色のチョークを取り、相合傘の上に、ラブラブと書いた。僕らは笑ってしまった。ミルは教室を振り返り、両手を腰にあてて、えへんっ、と胸を張った。クラスメイトの、相合傘に関わっていないだろう生徒からも笑いがもれる。
「あんたら付き合ってるの!?」
女子の一人が声を上げた。おそらく、現行犯のグループの一人だろう。
「もちろんですわ」
ミルが親指を立てた。
僕は笑った。腹をひくひくとさせて声を出した
事実は知っての通り、僕とミルはラブラブでは無かったし、付き合ってもいないけれど、ここはそう言うことにしておこうと思った。そして、田中ソウタと天使のミルが付き合ったという噂は、学園中を駆け抜けていく。
これは放課後のことだ。
僕が帰りの支度をしていると、あからさまにヤンキー然とした男が訪ねてきた。両耳と口にピアス。学ランはボタンを留めずにはだけている。廊下にはヤンキーの仲間がたむろしていた。僕は震えた。もしかして、ミルと付き合ったということで、調子に乗っていると判断され、不良のリンチにあうのだろうか。僕は震えた。
「お前、天使と付き合ったって、本当か?」
肩を叩かれる。
「は、はい。それが、どうかしましたか」
「どうかしましたかじゃねえ!」
不良は叫んだ。
「ひぃ」
不良は右拳を僕の腹に当てた。
「やるじゃねえかお前」
不良はクールに言い放って、僕の席を後にした。
「ソウタさん、大丈夫ですか」
ミルが駆け寄ってくる。
「ああ、なんだったんだろう」
廊下で爆笑が起こる。おそらく、不良の仲間たちの声だろう。そして笑い声は遠のいていく。
そして僕たちは、高校の不良にも認められて、公認カップルとしてスタートしたのである。もちろん、本当は違うが。
*
帰り道、僕とミルは並んで歩いた。五月の夕焼けが、空に燃えている。町の花は次々に交代しては芽吹いていく。皐月が咲いていた。なるほど、五月は皐月である。道行く車が次々と走っては過ぎていく。排気ガスの匂いに、僕は顔をしかめた。
「あの」
「なんだよ」
遠慮がちなミルの声。
「怒ってますか?」
「怒ってる? 何に?」
「私が勝手に、学校に編入したことです」
「別に」
僕は空を向いた。怒ってはいないが、無関心というわけではない。それに、今日は色々あった。でも、
「逆だ」
「逆とは?」
「感謝してるんだ。お前には」
「感謝ですか?」
「うん。だって」
ミルが黒板にラブラブと書いた時から、僕は気分が爽快だった。高校に行って、初めて心の底から笑った。そんな気持ちをくれた彼女が、いとおしかった。
「俺は、とにかく怒ってないから」
「なら良かった」
ミルは両手を合わせて握る。
僕は夕焼けに目をやった。美しい。だけど、隣にいる彼女はもっと。
「あのー」
「なんだ」
またまた、遠慮がちなミルの声。
「実は、ソウタさんに相談があるんですが」
「相談ねえ、話してみそ」
「実は、お茶会の件なんですが」
「うん」
「ただ行くだけではダメだと思うんです。何か、出し物というほどのものではなくとも、特技みたいなものを披露しようと思ってて」
「まあ、何かあったほうがいいかもしれないな」
「でも私は、特技が何もないんです」
「じゃあ、これから考えなきゃなあ」
「はい、そうなんです」
「お茶会はいつだっけ?」
「八月の頭です」
「ふーん。じゃあ、一発芸でも考えてみれば?」
「……一発芸とは?」
「知らないのか。じゃあ、モノマネとか」
「モノマネ……、何かのまねをするということですか」
「そうそう、芸能人とか」
「芸能人は知っている人がいません」
「マジか。んー、お前の得意なことは?」
「食べることですっ」
「じゃあ、料理がいいんじゃねえの?」
「料理ですか。ソウタさんみたいに、上手く作れるでしょうか」
「いや、僕も上手くないから。そうだなあ、お菓子でも作って、持っていけばいいじゃん。お茶会なんだし、お茶菓子でぴったりだ」
「ふんふん。でも、インパクトに欠けるのでは?」
「インパクトなんて、どうでもいいんじゃないか。大会じゃあないんだろうし」
「ほむほむ、私的には、歌を披露しようと思っているんですが」
「お前、歌上手いの?」
「鼻歌ならば」
「鼻歌じゃあ……駄目かもしれないぞ」
「でも、私は歌を知りません」
「ふーん。じゃあ、レンタルショップに寄っていくか」
「レンタルショップ、とは?」
「好きな歌を、お金を出して借りれるんだ。俺も選んでやるよ」
「お金、かかるのですか?」
「それほどかからない、よし、行くぞ」
「あの、この前もお金を出してもらったばかりですし」
「うるさい行くぞ」
僕は彼女の手を取った。
*
レンタルショップ・ツルヤでミルは様々な歌を試聴した。僕は最近のJッポップにこそ明るくなかったが、昔のヒットソングならば知っていた。様々な曲を持ってきては、ミルに渡す。ミルはぴょんぴょんと跳ねながら音楽を聞くので、店員からにらまれた。しかしミルは気づかない様子であり、僕が注意の視線の的になった。
小一時間ほど音楽を聞いてからの彼女の感想。
「イイのありましたぁ。これで行きます!」
ムーシャというバンドの曲が気に入ったのか、彼女はディスクの入ったケースを渡して来る。僕はそれを店から借りた。
それから、なんと僕たちはカラオケに行くことになった。ムーシャの覚えた曲を早速歌いたいというので、僕がカラオケを紹介したのだ。
そして、彼女の歌う歌とは……
「いつでも~ どこでも~ 貴方~を、想っているよ~」
音痴だった。
壊滅的だ。
「私は~、この奇跡を~ いつま~で~も、大切~に、するよ~」
練習させたって。
きっと上手くならないだろう。
植物が歩けないのと同じだ。
彼女には、歌の才能が無かった。
*
次の日の昼休み。
僕らは昨日と同じメンバーで、教室の隅にいた。空いている席を使わせてもらって、四人で各々の弁当箱をつついている。昨日の夜に二人分の弁当を作ったので、ミルも弁当だ。昨日僕らを攻撃の的にしたと思われる女子のグループは黒板前を陣取っており、時々こちらに嫌な視線を飛ばす。ま、そのうち慣れるだろう。
僕とミルは、リリコとマコトに昨日あったことを言った。
「へぇ~、ミルっち、音痴だったんだ」
「ふーん、私、カラオケなんて行ったことないけど。でもお茶会の出し物か。困ったわね」
「僕は料理で良いと思うんだけど」
「私も料理しかない気がしてきました」
「何作るの?」
「お茶会なんだから、お菓子でいいんじゃない?」
「まあ、そうだよね」
「私に作れるでしょうか」
「作れる作れる。無理だったら、ソウタに習えばいいじゃん」
「そうそう」
「そうそうって、僕は料理できるけど、お菓子は作ったことないぞ」
「むぅ」
「レシピ通り作ればいんだよ」
「それか、家庭科の先生に習うとかね」
「家庭科の先生かぁ」
「それです!」
ミルは両手の平を合わせて握った。
「私、放課後に家庭科の先生にお菓子作りを習いに行きます」
「へぇ~、ソウタ、大変だなあ」
「大変ねえ」
「なんで僕が大変なんだ?」
「保護者だろ」
「付き合ってるんでしょ? 手伝いなさい」
「お世話になります」
ミルが上品に頭を垂れる。
「それは……」
睡眠時間が少なくなる。家に帰って夕食の準備や弁当作りを考えれば、就寝できるのは早くても九時……。僕の脳がカラカラと音を立てて回転した。
「ぼ、僕は」
「しなさい。ってかしろ」
リリコがきつい表情で言う。
「天使の手助けなんて、もう一生できないかもしれないんだからね」
「そうそう。ソウタ、天使を助ければ、死んだ後、天国へ行けるかもしれないぞ」
「そ、そうだなあ」
実際の気持ちとしては、天国に行くよりも生まれ変わりをしたかったが。しかし天国に行くというのも悪い話ではない。
「あの、それは神様が決めることなので」
ミルが半笑いで右手をあげる。
「決定! ソウタは放課後、職員室の家庭科の先生を訪ねること。そして二人で、お菓子作り同好会を結成すること」
リリコが両腕を組む。
「……、リリコ、お前も確か、放課後暇だよなあ」
「ま、まぁ、私も暇だけど」
「ふーん、これで面子は三人か。おいマコト。お前は入らないか?」
「いや、私を入れないでくれない?」
「五時半以降なら行けるぜ」
サッカー部は朝練が激しいので、夕方は少し早く終わる。
「じゃあ六時までやろう。よかったな、ミル。皆手伝ってくれるってさ」
「やりました☆」
ミルがバンザイをする。
「ま、まぁ、いいけどさ。言っておくけど、今年だけなんだからね」
「大丈夫だよ。リリコ」
「私は人界にいるのは、八月までですから」
「そうなの?」
「うん」
「じゃあ、皆で天国に行けるように、ミルっちのご機嫌とりまくらなきゃあいけねえな」
「それは、神様が」
「ま、天国がかかってるのなら、やるっきゃないか」
「うんうん」
「な、なんだかすごい誤解をさせてしまっていますが、あえて訂正せずにおきます」
「よし、じゃあ後はあれね」
「あれだな」
「あれですね」
「あれってなんだ?」
僕は分からなかった。
「ソウタさん、決まってるじゃないですか」
「うんうん」
「そうよ」
「私たちの名前を決めるのです」
*
昼休みが終わり、僕らは放課後までに同好会の名前を考えることになった。僕は机で眠ったふりをしながら、一生懸命考えていた。どんなのがいいだろう。ポイントは、お菓子を作る同好会だと言うこと。マスコットとしては、天使のミルがいる。これははずせないだろう。安直だが、ミルクッキー言うのはどうだろうか。クッキーはお菓子だし。
*
放課後、マコトは部活に行ってしまった。残された僕ら三人は、一棟の一階にある教員室を訪ねることになった。
「お菓子作りか」
阿部ナツミ先生が、話を聞いてくれた。この学校に家庭科の先生は二人いる。ナツミ先生は僕らのクラスの家庭科の授業も担当していた。
「引き受けてもいいよ。でもちょっと待ってね。色々、手続きが必要だから」
僕らは隣の会議室で、先生の手続きが終わるのを待つことになった。その間、僕らは考えてきた同好会の名前を出し合うことになった。
「それでは、まず私から行きます」
「おう」
「なんだか緊張するね」
リリコが自分の体を抱きしめる。ミルが続ける。
「私は、ザ・ラーメン菓子」
室内に静寂があった。
「ど、どうですか? 駄目ですか?」
「ミルちゃん、ラーメンっぽいお菓子を作りたいの?」
「もちろんです」
「べ、ベイビーラーメンみたいなもんか」
「なんですか? その、ベイビーラーメンというのは」
「市販されてるお菓子だよね」
「ああ」
「む~、パクリは良くないですよね」
「じゃあ次行ってみようぜ、リリコ」
「私? ソウタが先言ってよ」
「お、俺か。俺は、なんて言うか、超安直なんだけど」
「ドキドキしますね」
「安直でも何でもいいよ」
「えっと、ミルクッキー」
室内にどよめきがあった。
「いいんじゃない?」
「私もイイと思います」
「そっか。良かった」
「じゃあ最後に、リリちゃん」
「私ね、私は、トキメキラビリンス」
室内に寒風が起こったような気がする。
「な、なによ。何だって言うの?」
僕とミルは顔を合わせて笑った。
「な、何で笑うの?」
「リリコ、一応名前の由来を聞いてもいいか」
「いいわよ。おいしいお菓子を食べたお客さんが、幸せの迷宮に入って抜け出せなくなるっていう思いを込めたんだから」
「なるほどなあ」
「ほほぉ、リリちゃん凄い」
「でしょ? 良い名前でしょ?」
「じゃあ、どれにする?」
「マコトさんの考えた名前を、まだ聞いてませんが」
「あいつ、何でも良いって言ってたよ」
僕は六限が終わってすぐに、マコトに尋ねていた。
「この三つから選びましょうか」
「ザ・ラーメン菓子で良いと思う」
僕は言った。ミルクッキーも安直で扱いやすいと思うが、インパクトが足りない。トキメキラビリンスは、……コメントしづらい。
「私はミルクッキーが良いと思います」
「わ、私は、トキメキラビリンスが良いと思うんだけど」
「ザ・ラーメン菓子で決定な」
「何よ? 何であんたに決定権があるの? もしかして、同好会の会長をやるの?」
「いや、会長はミルだろう」
「じゃあ何? 闇の支配者って訳? 政治家みたいね」
「何で怒るんだよ。分かったよ。じゃあトキメキラビリンスで行くか?」
「うん」
「ミルクッキーで行きます」
ミルが両手の平を合わせて握った。
「ミルちゃん、良いの?」
「良いんです。なぜかと言えば」
ミルは二人を眺める。
「私が会長ですから」
*
五時半になると、マコトが部活を終えて会議室へ来ていた。
「へぇ、ミルクッキーって言うんだ。良い名前じゃん」
「そうかなあ」
「そうそう。ソウタ、お前結構、命名の才能あるんじゃね?」
「どんな才能だよ、僕はただ、ミルが中心にいるからと思ってだな」
「私が中心ですか?」
「ま、そりゃそうね。ミルちゃんの名前が入っている名前が、一番しっくりくるかも」
「まあ何でもいいや。それより、家庭科の先生はまだなの?」
マコトが言って振り向き、掛け時計を確認する。
「それが待ってるんだけど。中々来ないわね」
「おいおい、もう六時なるぜ?」
「もう一回教員室に行ってみましょうか」
「そうね」
「んだな」
「そうだね」
皆が納得して立ち上がった頃、突然会議室の扉が大きな音を立てて開かれた。
「お待たせっ」
「ナツミ先生!」
「遅いですよ」
「やっと来たか」
「やっとか」
ナツミ先生は、会議室に入ってくると興奮冷めやらぬと言った風で、僕たちを眺めまわした。
「皆、夏休みの初めに、池袋で夏祭りがあるのは知ってるかい?」
「初耳ですわ」
「そっか。ミルさんは天使だものね。知らなくて当然だわ。実はね、その運営員の中に親戚がいて、頼んだら屋台のスペースを提供してくれることになったわ」
「は?」
リリコが疑問符を吐く。僕も同じ気持ちだった。
「登山には頂があって当然。行動には目標があってしかるべきよ。そうじゃないと、どこに進めば良いか分からなくなるわ。君たち、夏祭りにお菓子を売るという目的が定まったのならば、心してかかりなさい」
僕たちは圧倒されていた。確かに、先生の言い分は分からなくもない。それに夏祭りでお菓子を売るというのならば、それは貴重な体験であり、楽しいかもしれない。しかし、
「先生、私たち、そんなに本格的にやるつもりはないんです」
「ありがとうございますぅ☆」
リリコの声は、ミルの感謝の言葉で打ち消された。確かに、僕もリリコの言葉に同意するような気持ちもあったが、ミルがやる気になるというのであれば、やるっきゃない。
「よし、皆! 明日から、お菓子作りに励むわよ!」
「先生、予算はどこから出るんですか?」
マコトが訊いた。
「ちっちっちっ」
先生は人差し指を振る。
「運営委員が、天使の祭りへの参加ならば、可能な限り出してくれるそうよ」
「ふぇー」
リリコが驚いて声を出す。
「その代わり、ミルさんのことを、宣伝に使わせてもらうということになったけどね。その点、ミルさんも良いかしら?」
「はい、かまいません」
「よし! じゃあ今日は、解散!」
時計を見ると、すでに六時を過ぎていた。
*
帰り道。
僕とミルはいつものように並んで歩いていた。ミルが先ほどからうんうんと悩んでいる。聞くと、どんなお菓子を作ったらいいか分からないでいるらしい。僕は言った。
「ミルは、どうして同好会の名前を、ザ・ラーメン菓子にしようと思ったの?」
「それは、あの、昨日のお昼に食べたラーメンがとてもおいしかったので」
「じゃあ、やっぱりラーメン菓子を作ればいいんじゃないの?」
「そうなんですが」
ミルは「はふぅ」とため息をつく。
「ラーメンをどうやってお菓子にしたらいいでしょうか」
そこまでは考えていなかったらしい。
「ん~、ちょっと待ってな」
僕はスマホを取り出し、検索エンジンで調べる。キーワードは、「お菓子」「ラーメン」だ。調べると、記事がいっぱい出てきた。一番最初にヒットしたのは……。
「チョコレートラーメンなんて、良いんじゃないか?」
「チョコレートですか?」
「ああ、作ってる人もいるらしい」
「チョコレートとは、どんな味がするものでしょうか。お菓子ですか?」
「お前、チョコ食べたこと無いの?」
「はい」
「じゃあ、ちょっと行くぞ」
「また買うのです?」
「うるさいな、チョコなんて百円だよ」
僕たちはコンビニへ行った。僕は板チョコを買い、外に出てミルに食べさせてみる。
「甘い☆」
「そりゃあ、チョコだからな」
「この、お菓子はすごいです。こんなお菓子を持って行けば、他の天使の皆さんも、驚くと思います」
「うん、かもしれないなあ」
チョコ食べたことが無いのは、ミルだけだったらどうするんだろう。
「かもしれないではありません。こんなにおいしいものが人界にあるなんて。まるで天国にいるような気分です」
「そんなにびっくりするんなら、もっと早く食べさせてやれば良かったな」
「いえいえ、私の胸は今、感謝でいっぱいです」
「そうか、良かった」
「これを具に使いましょう」
「ラーメンの具に?」
「はい」
「ふーん」
どんなラーメンになるんだろう。お菓子の範疇に収まれば良いのだが。
*
翌日の昼休み。
僕らは昨日と同じように、教室で机をくっつけて、弁当を食べていた。自然に、昨日の僕とミルのチョコレートの件が話題に上がる。
「えっ? ミルちゃん。チョコ食べたこと無かったの?」
一番驚いたのはリリコだ。
「はい。昨日食べて、それはもう夢心地でした」
「夢心地ね。やっぱり同好会の名前はトキメキラビリンスが良いんじゃないの?」
「何だそれ」
マコトが突っ込んでいた。リリコは鼻白む。
「何って、同好会の名前よ」
「そんな恥ずかしい名前、お前の脳味噌から良く出てきたなあ」
「う、うるさぁい」
「とにかく、ラーメンにするんだったら、スープが必要なんじゃないか?」
「そうですそうです」
ミルは両手をにぎにぎする。
「ふーん」
リリコは両腕を組んだ。そして続ける。
「チョコレートにマッチするお菓子と言えば、アイスじゃない?」
「ソフトクリームって言う手もあるけどな」
「コーヒーはどう?」
「皆さん、私には皆さんの言う名詞がさっぱりで」
「放課後に食べに行こう」
リリコが言った。
「いいのか? お前、金出すの?」
「そんな訳ないでしょ。あのねぇ、ソウタ。ミルはあんたの恋人なんだから」
「そうなのか?」
「違うんですか?」
ミルが両目をうるうるとさせていた。
「……おごってやる」
「お世話になります、いつもいつも」
「ふーん」
リリコはどこかつまらなそうな顔で、弁当のおかずをつまんだ。
そして時間が流れていく。
*
放課後。
学校から一番近いデパートに、僕たち三人は行った。そこでさまざまなお菓子をミルに食べてもらうことになった。アイスクリーム、ソフトクリーム、パフェ、色々だ。デパートには色んなお店が入っていて、服屋、市場、時計屋、メガネ屋、そしてお菓子屋さん、様々だった。人が溢れていて、デパートは賑わっていた。様々な香りがする。清涼感のある匂いだった。クーラーをつけ始めた店内はひんやりとしていた。
三十分も食べ歩くと、ミルは根を上げた。
「も、もう食べられません」
お腹はいっぱいになった彼女は、そう言って崩れ落ちそうになった。転びそうになるミルの体を僕が支える。
「もう食べられないか?」
「はぁい」
「リリコ、まだ食べてない物はあるか?」
「あるよ。ケーキ屋さんにまだ行っ無いわ」
「ケーキ?」
ミルがまた分からない名詞のようで、目をぱちくりとさせる。
「それは持ち帰りでもらって、夜に食べさせることにするよ」
「ありがとうございますぅ」
「いいんだって。それよりミル。ラーメンにするんなら、具だけじゃなくて、麺も考えなきゃいけないんじゃないか?」
「そうですね。麺はさっき食べた伸びるアイスでいいんじゃないですか」
「トルコの奴ね。でも、それだと溶けそうね」
「でも、冷えたスープなら、行けるんじゃないか?」
「いや、もっと良いのがある」
リリコが親指を立てた。
「ところてんよ」
「……いや、駄目だろ」
「何で? ところてん、おいしいじゃん」
「うーん。チョコレートと合うかなあ」
「それは、ちょっとげんなりかも」
「お餅がいいんじゃないです? さっき食べた」
「わらび餅か!」
「はい。あれならば」
「良いかもしれない!」
リリコも納得の顔だった。
「餅じゃなくて、麺になるように細く伸ばせばいいのよ」
「そうですそうです」
「ああ、行けそうだな」
「じゃあ、麺は決定ね」
「次は、スープか」
「あんみつで、良いんじゃない? チョコレート入れてさ」
「あんみつって、味が薄すぎないか?」
「じゃあ何がいいの?」
「コーヒー」
「はい没」
「何でだよ」
「コーヒーじゃあねえ」
「コーヒーなら知ってます。ソウタさんが家でいつも飲んでる。黒い飲み物ですよね」
「うん。甘いコーヒーにすれば、行けると思うんだけど」
「駄目よ。コーヒーゼリーを作るんじゃないんだから」
「ま、まあ確かに」
僕は両手を開いた。
「まあ、焦ってもしょうがないよな」
「そうですね。夏祭りまでは、まだ一か月以上時間があります」
「それじゃあ、学校に戻って色々研究しなきゃね」
「ああ、まずは材料を買うところから始めなきゃいけないな」
「ここで買わないのですか?」
「レシピが必要ね」
「ああ」
「レシピは、どこにあるのでしょうか?」
僕はポケットからスマホを取り出した。
「インターネットさ」
*
ナツミ先生は、三棟の二階にある調理室に同好会の活動の場を提供してくれた。五時半になるとマコトも駆けつけ、皆でスープについて悩んでいた。また、麺が本当においしくできるか実験しなきゃいけなかった。僕はインターネットでわらび餅の作り方を調べ、ナツミ先生に相談して、材料を注文した。と言っても買う物はわらび餅粉とお茶だけで良かった。後は砂糖と塩だけで、出来上がるようだ。
「そうかぁ、スープなら。やっぱりソフトクリームを溶かした感じがいいんじゃね?」
丸椅子にがに股で座っているマコトが言う。
「そうだな。それでためしにやってみるか」
僕もソフトクリームには賛成だった。
「ココナッツオイルも使った方がいいんじゃない?」
腕を組んで、右手だけで頬撫でている先生が言った。
「ココナッツオイル?」
ミルはまた新しい名詞が出てきて戸惑っている。
「味って、匂いだけで全然変わりますもんね」
リリコがうんうんとうなづく。
「ミル、ココナッツオイルは、ココナッツの匂いをさせるためのものだ」
「ココナッツとは何ですか?」
「ココヤシの果実よ」
先生が人差し指を立てた。
「それじゃあ、ココナッツオイルとソフトクリームの材料も注文しますけど、いいですか? 先生」
「もちろんよ」
僕は注文した。必要なものは調べた。生クリーム。牛乳。ゼラチン。バニラエッセンスなど。そして忘れてはいけないココナッツオイルだ。
そしてこの日から僕らの、お菓子作りが始まったんだ。日数がドクドクと過ぎていく。僕は毎日放課後が楽しみだった。料理はもともと嫌いじゃなかったし、他人と一緒にお菓子作りをするのがこんなに楽しいとは思わなかった。でも、本当はミルと一緒に同じ目標に向かって進んでいるということが、喜びをもたらしていた。僕は前にも思ったことがあるのだが、これまでミルに対して辛くしないように努めてきた。だけど、それ以上に彼女は優しい天使だった。包容力が半端ない。おかげで、一日中一緒にいる僕は、彼女の温かいぬくもりに包まれて、もうどうしようも無くなっていたんだ。僕は、いつか結婚することがあるのならば、彼女のような人が良いと思うことさえあった。
夢を見た。公園のベンチで寝転がっている光景。太陽がまぶしくて目を開くと、目の前にミルの顔があった。僕は膝枕をしてもらっていた。恥ずかしいとは思わなかった。僕と彼女は、どちらも上機嫌で、二人で過ごす時間を楽しんでいた。
がばっと、目を覚ます。
時計を見ると夜の二時。
僕はまたベッドに横になる。
「夢、か」
僕はまた瞳を閉じる。今度は、深い眠りに入って行った。
*
お菓子作りで一番悩んだのは、麺の型を取るにはどうすればいいかということだった。お菓子ラーメンということなので、麺状に伸ばさなければいけない。僕たちは液状のわらび餅を薄いトレイに入れて、固まった後、細く切ることにした。最初は失敗もあったが、最終的にはおいしいわらび餅が出来た。
スープは液状のソフトクリームにココナッツオイルで完成だった。ソフトクリームは濃厚にすると、とても美味しいとの皆の意見だった。
具は、チョコレート、タピオカ、コーンフレークを入れて、これも完成。
それらを入れるための器も買い、僕たちは来る夏祭りに向かう準備はいつでも大丈夫だった
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