09/02/08:00――チィマ・王の名
船が横づけされ、帆を畳めば無事に停泊できる。軽く飛び降りたチィマ、サラサ、ギィールの三人は船を振り返った。
「とりあえず――」
緊張を一切していないチィマが、船上にいるサクヤへ向けて言う。
「様子見ってことで、今日中……遅くても明日には戻るよ。カイドウさんの指示に従ってくれれば問題ないだろうけど、港は連中の不可侵領域だ、外に出なけりゃ問題はない」
「一日で戻れるのか?」
「連中のことだ、港からそう遠くない位置に街を作ってある。鴨が引っかかりやすい上に、流通拠点にもなるからな。外にでたがらないから余計に――っと、まあいいか。んじゃ行ってくる」
「おう。二人を頼んだ」
「諒解」
じゃあ行こうと、緊張に身を包む二人を誘い、まずは港にある宿場へ。
「注文は二つだ。口を出さないこと、それと……誰にも触れられないこと。この二つを守る限り、どうとでもなるし、どうにでもする。とりあえず一日はそれで我慢ってことで」
「わかりました」
「うん、従う」
ここからは未知の領域だ、その緊張も納得できる。そのくらいの方が好都合かと思ってしまうチィマは、少し自己嫌悪したが、そのまま港を出た。
やはり、二百メートルほど先に街があった。かつての記憶にはないが、どうせ中身は同じだろう。
外套を羽織って、真正面から堂堂と中に入る。
まるでゴーストタウンのような静けさがあった。異物に対して逃げを打つような、好奇心もなければ人気もない。生きているのは自分たちだけだと錯覚しそうになる。おそらく街全体を把握しようとしても、似たような感想を抱くだけだ。
変わらない――。
この時点で視線を感じられていないのならば、もう打つ手はない。察することができていても、それを表に出すようでは話にならない。相手の意図を読むことができれば、ようやく対等になる。
ここは、そういう大陸なのだ。
「ん……? よう、旅人か?」
ひょろっとした男が、にこやかな笑顔を浮かべて顔を見せた。先陣だ、警戒もされやすいが、儲けを取りやすいため、特に弱い連中がその立場を使う。もちろん、その限りではないけれど。
「そうだ」
チィマは笑みを浮かべず、後ろの二人と警戒の気配を〝合わせる〟ようにして、硬い表情で頷く。
「へえ? わからんことだらけだろ、宿にでも案内してやろうか」
「――ああ、親切だな。そりゃ助かる」
肩の力を抜くように、ぎこちなく微笑みながら、チィマは頷いた。
「こっちだ」
それをどう受け取ったか、こちらに背中を見せて、男は先導する。不用心と紙一重だが、このくらいのデメリットを示さなくては、相手の信頼を勝ち取れないし、儲けも出ない。
だが、五メートルと動かない内に、チィマは口を開いた。
「ところで、その宿は安宿か? それとも高い宿か?」
「――」
男が思わず振り返り、やっぱりアマチュアかと思ったチィマは、ポケットから取り出したラミル銀貨を一枚放り投げた。
安い宿では待ち伏せ。高い宿ではそれなりのセキュリティ、だ。どっちにせよ案内するだけで儲けが出る。
「行先は変更だ。〝
「……あんた、知ってるじゃねえか」
「そっちが見誤っただけだ。いいから黙って案内しろ。それとも――」
「いや、いい。こっちだ」
さて、この時点ではまだフィフティだ。罠を仕掛けるようなら、それを突破すればいいだけの話で、販売屋へ至る道はほかにもある――と思っていたのだが、一つの平屋の前で男は止まった。
「ここだ」
入り口から十二分、移動距離と街の全体図を想定して所在を確認したチィマは、銀貨をもう一枚投げて渡した。男はそれを受け取り、すぐに背を向けて去る。それを見送ってから、チィマは中へ入った。
中にいたのは初老の女性で、カウンターに本を置いて読んでいる。老眼なのか、眼鏡をしていた。
「聞きたいことがある」
やはり銀貨を一枚弾けば、本に目を落としたまま彼女はそれを左手で掴んだ。
「〝
「この街には二件、軽いトラブルなら金貨一枚」
端的に返答があったので、今度は金貨を一枚渡した。弾く時の音で気付いただろうに、彼女は微動だにしない。
だから。
「ホンカスの大将は今、どこにいる?」
「――」
本題を問えば、即答はなかった。けれど驚きが伝わって来たので、チィマは左手を後ろに回し、入り口を二人に警戒するよう指示して、距離を詰める。
「どうした、返答がないな、販売屋」
「〝外〟の人間にはお勧めしない」
「いつから販売屋は、他人の事情を気にするようになったんだ? ――ツラを上げてから、もう一度同じセリフを言え」
「……――っ!」
ゆっくりと顔を上げた彼女は、一瞬の硬直よりも早く、椅子から飛び上がって距離を取った。この大陸では、感情が作り出す硬直は致命傷になる場合が多い。そのため、こういう矯正を受けている。
「返答はどうした?」
「その、外套――」
白を基調にして。
右の袖口に赤色の紋様、これは翼を広げた龍を模している。
背中に黒で円形を主として描かれる紋様は、背負うべき家紋だ。
「もう一度だけ、聞く。返答がないなら潰すだけだ。ホンカスの大将は今、どこにいる?」
「この街にいる。二日前に……来た」
「そうか」
平静を保った表情で、しかし、間違いなく背筋に汗を浮かべた彼女は、即答を返した。だからチィマは、金貨をもう一枚、広げてあった本の上に置いた。
「いい趣味の魔術書だな。酒場か?」
「ここから西に二つ行った通りの、二階宿の酒場だ……」
「充分だ」
あえて、背中を見せて外套を見せながら、チィマは外に出て、その後ろに二人がつく。様子を窺えば、さっきよりも緊張しているようだった。
たぶん――だけれど。
あの女性のことが〝わからなかった〟からだろう。チィマに対する反応ではなく、それ以前のことだ。
仮に戦闘をしたとして、どう切り抜けるかも、浮かばなかった。
つまるところ探りを入れても判明せず、踏み込みを見せても反応がない。そういうわからない、不明の対象として映ったはずだ。
仮にも、金で情報や物品を仲介する販売屋だ。さきほどの案内をした野郎とはレベルが違う。
だがそれでも、渡された情報の信憑性はフィフティ。通りを二つ移動して、遠くからの視線をいくつか感じながら、チィマはその宿を見つけ、正面に見張りがいないことを確認して中に入った。
見張りを立てるような馬鹿じゃない。ここを守っていますと示すなんて間抜け、この大陸では長生きできるはずもないのだ。
重い空気が酒場にはあった。中には五人――と、店主。チィマは大して気にせずに、まずはカウンターへ向かい、銀貨を二枚。
「足りるか? ジンジャエールを二つ」
「……はい」
頷き、金を受け取ったので、そのままゆっくりと店内の――そう。
やや小柄で、一人でテーブルを占拠していた女の前に、対面に、どっかりと腰を下ろして足を組んだ。
「――ああ、そっちの空いたテーブルに、二人は座っててくれ」
背もたれに片腕を乗せるようにして、サラサとギィールに言っておいて、チィマは外套の内側から酒瓶を一つ取り出して、目の前のテーブルに置いた。
そして、待つ。
重苦しい空気の中、店主がジンジャエールを運んできたので、二人の席へ顎で示す。そこでようやく、対面の女が視線を店主に投げた。
続けて運ばれたのは、一本の酒と、二つの空いたグラス。その一つを手に取ってチィマは持ってきた酒を注げば、相手も同じことをしていて。
グラスを、お互いに交換する。
無言のまま、一気に飲み干して――ようやく。
そこで、挨拶が、終わった。
ほぼ同時に、お互いが出した酒瓶を手に取って、手前に寄せ、今度は自ら注いだ。
カーマイン。
ラベルに描かれたその酒は、流通はしているものの、ありふれたものではない。高価なと、そう前置すれば意味合いは伝わるだろうけれど、それ以上に、入手するにはそれなりの立場が必要になる代物だ。
「ヴィクセン……」
柔らかい、棘のない女声。腰までと長い黒髪は健在であり、四十近いというのに、未だ若さを保った美貌――ともすれば、幼いとすら思えるような彼女の左手、その甲には、ホンカスという〝
「また、これが飲めるとは思っていなかったわ」
「俺だって、まさか持って来るとは思ってもみなかった」
「そっちのは?」
「旅の同行者――ああいや、俺が同行しているのか。ここに来るのは初めてだ、あまりからかってやるな」
「組織じゃないのね」
「笑わせるな、仮にもこいつを背負った以上、冗談でも組織なんか作るかよ」
「かつても今も、あの野郎に拾われた時点で、それはお前のものよ。そうでしょう?」
薄く、微笑んだ彼女は、愛おしそうに言う。
「チィマ・レギア――
それを証明しに来たのでしょう、と言われれば、詰まらなそうに鼻を鳴らしてチィマは煙草に火を点け、箱を対面の女に投げた。
「癪な話だ、カナリロ・ホンカス。ちなみにホンカスってのは魚、サメの一種らしい。――見覚えは?」
顔を横に向けてサラサを見れば、小さく頷きがあった。
「稀だけど船乗りが見かけることもある」
「調べてくれたの?」
「それこそ、冗談だろう……見知ったカタチの魚を見たってだけの話だ。はっきり言って、俺からの質問はないも同然だ。こちとら旅人で――ここに留まる理由も、今はない。それでも一度くらいは、ツラを拝んでおこうと思った。あんたがくたばる前にな」
「あら、あなたが殺してくれるんじゃなく?」
「死にたいなら大陸を出ろ」
「冗談よ。――当時、何が起きたのか、覚えている範囲を。それと彼の……先代の、墓の場所」
「アーベルの湖近くに、墓標がある。ほかのに混ざってな……」
「名は?」
「シシル」
「そう……本名をそのまま使ったのね。それで?」
「当時か」
相手が煙草に火を点けたのを見て、チィマは僅かに視線を反らしてから、間を作る。ここにいる連中は全員、ホンカスの一員だ。当主であるカナリロが手出しをしない以上、何もして来ないが――何より。
チィマもまた、当時のことは、あまりよく覚えていないのだ。
「おそらく、あの時の俺は親父と戦闘をしていたんだろう。今度こそ殺せるって時に、邪魔が入ってな……その印象だけは強く残ってる」
「邪魔? お前と、あの人の戦闘の邪魔なんて、よっぽど腕がないとできないでしょうに」
「雨の、知ってんだろ。あのクソ野郎だ」
「――、あれか……けれど、どうして? 私が見た限り、邪魔をするような性格ではなかったけれど?」
「親父の〝病気〟については、その様子じゃ知らないようだな」
「え――?」
「当時はよくわからなかった。邪魔をした雨のに正面からぶつかって、親父を引きずってベースを確保して、俺も命を使って凌ぐつもりだったんだが……俺が死にかけるより前に、親父が死んだ。病気だと知ったのは後だ……」
「雨のに、拾われたの?」
「似たようなものだな。心臓を媒介にして術式を使用してたから、俺はほぼ死んでた。だがまあ、良い腕の医者がいて、俺は生かされたわけだ。……皮肉なことにな。で、治療の際に聞いたのが、その病気の話だ。どうやら俺もそうだったらしくてな、再生治療で今は問題ない。愚痴を聞いた限りじゃ、死線を渡ったらしいが」
「中身の話?」
「臓器じゃなく、骨に付随する細菌らしい。〝中身〟を食う虫のイメージで、ほぼ間違いない。体内で繁殖はするんだが、本来なら人の持つ抗体が無害なものに変換する。そのサイクルが人の生活には必須であり、まあ……免疫力の低下が引き起こしたと、そういうことなんだろう。感染するものではないが、特定の環境下での生活で引き起こされる可能性が高いと、そう言っていた」
「そう……病死、なのね」
「どうかな。俺が殺してやれなかった時点で、俺が下手を打ったのと同じだ。親父なら気付いてたはずなのに、俺にそれを隠し通せてた。クソッタレな話だろ」
「……正直な話、あの人が死んだことを、私は納得できていなかったわ。あなたが生きているとすら、思ってもいなかった。だから、今まで通り生きて来たの」
「口には出さずとも、足取りを探るために――か。親父は謝罪を口にしていたが、俺もあんたも、それを受け取りたくはないだろ」
「……そうね」
「親父のぶんまで、とは口が裂けても言わねえよ。この外套は、俺のために俺が背負った。便利に使う気は毛頭ないし――気付いた連中もいない。ここじゃ、五年やそこらですぐ変わる。それでいい」
「アクアレギアを、名乗るつもりもないのね?」
「
「どうかしら」
小さく笑って煙草を消した彼女は、美味しそうにグラスを傾ける。
「あんたは相変わらずか?」
「ええ。そっちは?」
「悪いが、すぐに海へ戻るつもりだ。ここへ来るのは、まだわからない。ホンカスと敵対せずに街を潰す方法もあるにはあるが、そこまでのトラブルを作るつもりも、まだないからな」
「ふふ……怖い子ね」
「思慮深いと言って欲しいね。臆病と言われても感情は揺らがない」
「――知っていると思うけれど、念押ししておくわよ。私たちは、絶対に、この男に関わる一切に手出しをしない。例外は一つ、この男が牙を剥いた時だけ。一方的な蹂躙には対抗措置を。けれど、そうしないことに全力を費やしなさい」
「はい」
「承知しました、再度通達しておきます」
「ま、妥当な判断だ」
「天敵だものね、あなた」
「潰すなら最初にホンカスを狙うってことも、あんたは理解してるだろ」
「いやね、本当に怖い子。こっちの手段も見透かされそう」
「どうだかな? 手段に関しちゃ、俺もあんたたちも、数は同じくらいなもんだろ。できるのも、……できないのも、な」
「だからこそ〝やらない〟――そうね?」
「自殺がしたいなら、俺に向けないでくれ。面倒が増える」
「それはこっちの台詞。ここに来るまでに六人の〝色〟をつけられて、それを知らない振りで来たでしょう? 色落としまでこっち任せだなんて」
「俺は〝気にして〟いない」
実際に、それは気付いていた。魔術のごくごく簡単なマーカーであり、場所の把握が可能だったり、複雑なものになれば盗聴もできる。それをあえてつけてきた――が、取り除くのはホンカスの仕事だ。
何しろ、チィマは気にしていないのだから、気にする方が除去なり何なりと対処をする。もちろん、ホンカスがチィマに対して色を逆につける、という可能性も考慮の上だ。
何も、言葉だけの探り合いではないのだ。見落としそうな、自然な一挙であろうとも、見逃した振りをして、把握する。
それがわかっているからこそ――サラサも、ギィールも、飲み物にすら手がつけられないのだ。
当事者でもないのに、その余裕すらない。
「色が落ちたのなら、そろそろ行くか……」
「うちをシャワー代わりに使わないでちょうだい」
「なに、用事はあんたのツラを見ることだけだ。外にまで影響のあるような術式なら、ここを出てから対処するさ。〝次〟もヴィクセンでいいのか?」
「〝外〟の酒を飲めるのは私くらいだもの、構わないわ」
「墓場はわかりやすくしておいてくれ。頭からかける場所がわからないんじゃ、無駄になる」
「口止めはしないわよ?」
「好きに使え。――ああ」
そうだと、席を立って酒瓶を片手に持ったチィマは一つ、思いついたように問う。
「若作りだが、お前のガキは?」
「なあにそれ、遠回しに抱きたいって言ってるの?」
「曲解が好きな女だ……」
情報を明かさないことも、明かせないことも、どっちだって状況によって有利に運ぶ。元より返答は期待していない。
まあ――運が良かったのだろう。
六番目の用事、その一番難しいだろうことが、ここで終わったのだから。
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