08/12/09:00――チィマ・コウノの娘

 自分と他人との違いに気付いたのは、早い方だと思う。

 そもそも誰だとて、自己と他者との境界が曖昧な時期を幼少期に過ごす。自分にできるならば他者にできて当然だと思うし、同じものを見ていると疑いもしない。けれど六番目で過ごすに当たりそれは早急に解決すべき問題であるし――なにより、チィマにとっては、本物の陽光というのを、感じたことも見たこともない。

 そう、感じたこともなかったのだ。

 ほかの人たちが夜と言っている時間の方が陽光を感じられるし、温度もある。今でこそ馴染んではいるが、昔は首を傾げたものだ。けれどそれは、なんの間違いでもなく、錯覚でもなく、思い込みでもない。

 代償である。

 〝偽装具現フェイク〟なんて術式はそもそも、魔術師にとっては基本とするものであり、特質すべきものではない。ともすれば、そんなのは魔術特性センスじゃないと言われることもある。

 人が摩擦を発生させて火を起こすのと同様に、魔術師は空気中の可燃物を集めて術式で火を起こす。自然法則、あるいは世界法則の中に収まる方法で、ただ魔術と呼ばれる別の手段を使っているだけのことで――それこそが、偽装具現の初歩。そこから魔術特性によって得意不得意が作られるとされる。

 だから逆に言えば、得意も不得意もない状態。

 純粋の魔術師、と呼ばれることも、かつてはあったらしい。

 ――ゆえに真理へ触れられる。

 そう言っていたのは、誰だったか。

 師に拾われてから魔術を学んだのも嘘ではない。ほとんど無意識にチィマは技術を盗み、己のものとして扱っていた。もちろん、ぱっと見ただけで扱えるものではないし、それなりに条件もあるが――他人と自分は違うと、その差異に最初から気づいていたのだから、偽装具現の扱いに困ることはない。

 であればこその、代償だ。

 違うかたちで具現するために、昼夜が逆転している。

 ま、どうであれこれが今の自分だと思えば、大して苦にはならないし、だからどうしたの一言で片づけられるほど、慣れたものだけれど。

「つっ……まだ痛むな」

 さすがに一晩では、せいぜい折れた骨を元に戻して固定するくらいがせいぜいだ。それでも、動ける範囲を確認しておく必要もあるし、打撲はともかく、筋肉が固まるのは避けたい。大きく伸びをするようにして、一息。足や腕を折られなかっただけマシだ。

 船室の窓を押し開け、窓枠にもたれ掛かるよう腰掛にして外を見れば、午前中だというのに戦闘訓練をしていた。今日の相手はカイドウがやっている。

「……ん? なんだ、もう動いてんのか」

「コノミさん。あのクソトカゲには黙っておいてくれ、うるさそうだ」

「誰だ?」

「雨の」

「お前、好かれそうだなあ……ってことは、サクヤには見せたわけか。私はとやかく言わねえけどな?」

「再現率について、とやかく言われないだけマシってことで。俺が見せたのは体術だけ――とはいえ、サクヤさんなら気付いてんだろうけど」

「だろうな。チィマだって気づいただろ。連中の中で最も厄介なのは、サクヤとハクナの二人だ。黙って納得するだけハクナの方が怖い」

「警戒はしてないよ。これからも」

「その方が良いだろうな。しかし――そろそろ、私くらいは飛び越せそうだ」

「おい……」

 冗談だと、笑いながら言ったコノミは煙草に火を点ける。

「いるか?」

「肋骨やられてる相手によく言うよ……貰う」

 外から差し出された煙草を受け取るが、コノミの視線は海に向けたままだ。

「今日、カイドウがやるってよ」

「ん……ああ、もしかして、足場封じか?」

「それ」

「本当なら俺がそろそろ、やるべきだったんだけど――まあカイドウさんなら問題ないか」

 海での動きに慣れてきた頃合いで、足場として扱える理由そのものを瓦解させてやるのだ。となれば次は、足場の確保に神経を割かなくてはならず、必然、戦闘に支障をきたすようになる。

 それを繰り返す。

 できるようになったことを、当然になった頃に潰してもとに戻し、また改善させる。それこそ嫌味とも思えるくらい何度もやって、その先にある〝当然〟を目指すわけだ。

「どう?」

「そうだな、私でも最低限、そのくらいのことはやらなくちゃ、連れては行かない。単独で戦場に干渉して、三つ巴を〝休戦〟に落とす、くらいの技術と思考は必要だろ」

「あんたそんなことやってたのかよ……」

「昔の話だ。未熟なガキの頃だぜ、そんなの。リンドウさんとこに行く前に、親父とな」

「だったら随分とスパルタだったと、俺は反応すればいいか」

「はは、今となっちゃ懐かしい想い出だ」

「当時は?」

「何も。達成すること以外の思考なんか回らない」

「だろうな。つーか、コウノさんどうにかしてくれ……イザミさんはあれで、場所と相手を選ぶからいいけど、コウノさんはマジであれ、すげー迷惑なんだけど! あー痛い……」

「叫ぶなよ。親父もお袋も、好き勝手やってるんだ、私は知らない。親父はいつだって、ああだからな……どんな行動でも、それが乱暴なやり方だろうが、迂遠だろうが、こっちの背中を押してくれる」

「結果的には、と付け加えてくれ……だからって見せつける必要はないだろうに」

「一緒に、お前以外の連中にも刺激を与えるためだろ」

「わかってるけどさ……!」

「教育者の理念としては、お前より上だ。何しろ、私を育てたからな……」

「……話し声が聞こえると思ったら」

 ひょいと、横から顔を見せたサクヤは、あきれ顔だった。

「もう動いてんのか、チィマ」

「じっとしてるのは性に合わなくてさ」

「じゃ、ちょうどいい。なあチィマ、あいつら――サラサとギィールってのは、そんなにわかりやすいもんか?」

「俺にとってはそうだけど、その前に、どういう思考から?」

「あー……」

 そんなに難しい話じゃないと、腰を下ろしたサクヤは海を見ながら口を開く。

「罠にはめる、裏を搔く。そういった行動を念頭にした場合、感情とは果たして有利に働くかどうか、そんな考察をしてみた。たとえば驚きだ。戦闘中、驚きの感情を見せた時、相手にとってはどう捉えられるか――細かくはともかくも、大きくは隙と捉えられるだろう。だが現実として、虚実がそこに含まれる」

 つまり、驚きの感情そのものが、嘘か真実か。

「一度目はまあいいとして、戦闘中に三度、違う局面での驚きを見た。もしも俺なら、わざとだろうと判断して、それは隙ではなく誘いであると思うはずだ。そこで俺は気にしないようにする――そこまで考えて、ふと思った。気にしない、つまり度外視したのならば、それがもう既に〝罠〟なんじゃねえか? 少なくとも俺にとって、驚きそれ自体が意識の外、除外されたのならば、本来あるべき情報量を自分から減らしているんじゃ?」

「よく考えてやがる……ついでに言えば、戦闘内においてそれは、お前自身の〝驚き〟も意識しないことになるぞ」

「だが逆に、その虚実を考えたのならば、囚われる。今のは嘘か、真実か? 囚われれば迷いを生む。簡単に言えば、わからなくなる。つまりこっちも、この時点で罠だ。チィマ、お前がやってたのは、こういうことの積み重ねなんじゃないか?」

「いつから積み重ねたのかって問題はともかくとして、まあだいたいその通り。ずっと笑みを張り付けて交渉していたところで、笑っていることが既に欠点だ。つまりこいつは、笑み以外を隠そうとしていると相手に思われる。隠し事があるのなら、そうと思われたなら、交渉は不利だな」

「つーことは、そもそも正しい判断なんてねえ――そうだな?」

「はは……状況に応じて顔を変えて、対応するには、経験を積む以外にないし、正解なんてのは結果が出るまではお預けだよ」

「だろうな……まったく、冗談じゃねえ」

「……冗談じゃないのはこっちだ。おいサクヤ、お前そこまで考えるヤツだったか?」

「五年だ、コノミさん。その間に馴染んだんだよ。頭でっかちだとは思われたくねえ」

「いやサクヤさんは、そういうんじゃないだろ」

「そうか?」

「それを教えるために、姉ちゃんとギィールさんは訓練してんだからな……」

「やっぱそうか。もっとも、あいつらの場合は俺みたいに気付いて終わりじゃなく、気付いて対処までが必要だろ。その先に〝自然体〟って言葉が落ちてりゃ、それでいいんだけどな」

「教えてやらないのか、お前は」

「ん? まだ聞かれてねえから」

 つまり、サラサとギィールも、サクヤのこういう部分は既に認めており、問えば答えがあると知っていて、問うことを避けている――ということだ。

「つってもギィールは気付いてるだろうし、サラサは気付いたら駄目なタイプだ。俺は料理を煮込むのと同じで、じっくり時間をかけて考えた結果ってだけ…………昼飯は煮付けにするか。今朝釣った大物、あれの頭とか」

「はは、そりゃ楽しみだ」

「……サクヤ、できるかどうかって判断はその中に含まれてるか?」

「俺がって話なら、最初から〝やらない〟って判断を下してるよ、コノミさん。そのうちの半分は、できないってやつだ。俺にとっては、六番目はまだ早い。足を踏み入れるなら、それこそ五年、十年先になるだろうと見てる」

「予想は?」

「あー……どうだろ。俺はチィマの〝目的〟を聞いちゃいないが、それ次第だろ。フルールに言わせれば、今の可能性だと五日くらいが限度になるとは言っていた」

「ん、ああ、あのトカゲは〝追跡トレース〟があったか。精度自体に疑問視はするけどな。チィ?」

「再現率は高いけど、基礎となる情報取得自体が……と、本人には言ってないからなこれ。分析癖があるのは認めるけど、それを黙ってるのも癖っつーか」

「どっちかっていうと、チィマの場合あれだろ、隠し癖? どうでもいいことと一緒に、大事なものも隠しとく。で、大事なものを明かしたところで、どうでもいいことは黙っておくとか、そういう〝駆け引き〟が日常なんだろ。さっきの話じゃねえけど、そこを意識させれば勝ちだし、されなけりゃ上手いこと扱える」

「知ってるかサクヤ。チィみたいな手合いが苦手とするのは、手の内を読みながらも〝無関心〟であるか、分析をするヤツだ」

「心を許してる相手は除外するって、付け加えてくれるなら、俺としちゃありがたいね。ちなみにギィールは、勉強になると言ってるし、サラサは面倒がなくて良いと評判が高い。ハクに至っては全スルーだ」

「フルールは」

「あんなトカゲに期待しちゃいねえよ。あれこそ、チィマよりも距離が難しい。いじって遊ぶくらいは簡単なんだけどな、ギィールが上手く〝誤魔化し〟を入れてる。そこを探るほど無粋じゃねえよ」

「その点、想像はしてる?」

「それなりにな、当たりはつけてる。あいつは竜化、獣化もできる〝人型〟だ。……あるいは、そのことに鈍感なのは当人かもしれねえけどな。だったら余計なことを言うなって、ギィールのアピールだろ」

「さすがだなあ、サクヤさんは」

「褒められることはなにもねえっての。だいたいお前だって、模倣はできるが当人そのものになれるわけじゃないっていう核心の部分を、えらく意識してんじゃねえか。なりきって戦闘することはあっても――その一部を使って戦術を組む真似は、まだ見てねえし、それはもう模倣じゃなく、チィマ自身だろ。であればこそ、違うって意識を強めなくちゃならない。人は矛盾を抱くものだが、正面から受け止めてるお前の方がよっぽど、褒められることをしてるだろ」

「そうでもないけどなあ……」

「不毛だってことさ。さあて、軽くおやつでも作ってやるか……」

 大して気にしていない、といった態度で前甲板へ向かう。サクヤにとっては世間話みたいなものだ。

「ティレネ、どうしてた?」

「逢ってないのか。2等を取って足を止めてるし、コウノさんもイザミさんもいるだろ」

「へえ……2等まで行ったとは、よくやるじゃないか」

「ティレ姉ちゃんに、教えなかったんだよな」

「あいつが望むことは叶えてやってるし、初歩くらいは私も親父も教えてある。ただ、それ以上は教えてない。ここらは生活の問題だな」

「――ん? 生活なのか?」

「親父もお袋も、ありゃ旅人だ。一ヶ所に留まる性格じゃないし、今も昔も変わってない。ついでに言えば、浮遊大陸が落ちた件にも一枚噛んでる」

「マジかよ……」

「そんな旅にガキを同行させるわけにはいかないだろう? だから私は、一人で生きて行ける技術と、知識、そういったものを仕込まれた。けどティレネはそうじゃない。私はだいたい家にいるし、旦那だってどちらかと言えば行商だ」

「あー……ファビオさん、元気してるか?」

「おう、ティレネがいないと寂しいってよく言ってる。最近は王国にも足を運んでるから、家にいることも多い。基本は放任だが――ま、一人で生きて行くなんてことは必要ないし、そうならないために私らがいるんだ」

 それを過保護だと笑えればいいのだけれど、そうではない。

 それが、当たり前なのだ。疑問の介在の余地などない――おかしいのは、チィマたちなのだから。

「羨ましいね。いや、妬ましいのかも」

「眩しく映る? ――だが、そっちを選ぶこともないし、求めることもない。違うか?」

「違わないな。だから、……まあ、サラサ姉ちゃんやギィールさんたちとも、違うわけだ。求めないし選ばない」

「本音は、どうだ。行けるか?」

「俺の用事を済ますのに、一度入ってから確認する。下調べみたいなかたちで……荷が重いとは言わないけど、正直に言えば、六番目を不用意に荒らしたくもない」

「郷愁か」

「一応、ほとんど覚えてなくたって、俺はあそこの出身だからな、愛着もある。もちろん師匠には感謝してるし、郷愁って言えばそっちの方が強い。……というか、師匠から何もないのか?」

「まだくたばるようなことはないが、本を開いてる時間は減ってたな。躰を動かして、ギャンブルで頭使って、家でのんびりお茶をする――はは、歳を食ったもんだ」

「そりゃイザミさんと同い年だしな……」

「安心しろ、あそこに住んでて無茶することはない。騎士の育成も、顔を出すのはだいたい私だ。小遣い稼ぎだな」

「二年くらいじゃ、そうそう変わらないか」

「お前らガキは、随分と変わる」

「それ、俺も含め?」

「自分はそうじゃないって理由があるなら、聞いてやる」

 この人も、なんだかんだでコウノの娘だなと思って、その言葉には苦笑だけ返した。

「コノミさんも六番目には、行ったことがあるんだよな」

「ああ、玉藻たまもと一緒に旅をしてた頃にな。海は開かれてたが、船には乗らなかった」

「天魔と一緒か……」

「一つ目の街で、どういう仕組みか理解したから、玉藻は一人で遊ばせたけどな。しばらく、尻尾のベッドがなくなって辛かったが、まあ、本人には言ってない」

「あれマジで反則だろ? 俺、なんの警戒もなしに熟睡したの、一度借りた時だけだかんな。以降は怖くて借りることもできない」

「はは、私だって似たようなもんだ」

「もう契約は切れてるんだよな?」

「厳密には、契約変更だけどな。切れる時は、私が死ぬ時か、玉藻が消える時だ。長いこと一緒にいたから、離れててもだいたいわかる。旦那が嫉妬するくらいにはな」

「そりゃまた羨ましい限りで……」

 視線は海へ向かい、チィマは軽く目を細める。

「――あそこまでやる必要があるのか? そんなツラだ」

「隠し事はできないね。まあ……俺みたいなのは、俺だけで良いと思っちまう。これはあれだろ、結局のところコノミさんが、ティレ姉ちゃんに対して、教えなかったのと似たようなもんじゃないのか?」

「同じだとは言わないが、まあそうだろうな。けど、そいつを決めるのは当人だ。こっちじゃない」

「わかってる――けど、なあ」

 あまり乗り気にはなれない。だが、それでも否定するほど馬鹿でもない。

「とりあえず、お前は怪我を治せよ。誤魔化しが上手いから、完治してなくても振る舞えるだろうしな……」

「諒解、まあそっちが先決か」

 それでも、考えずにはいられない。

 果たして。

 サラサとギィールは、一体〝どこ〟を目指しているのだろうか、と。


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