09/02/11:30――ギィール・一つの前提

 一気に脱力したのならば、それは今まで緊張していたという証である。

 今回のことに限って言うのならば、そもそも、緊張していたことを隠そうともしないし、安堵における脱力を誤魔化すような真似も、できるような気がしなかった。

 宿場を抜けて船にまで戻ったギィールとサラサは、乗り込んですぐ、大きく吐息を落として腰を下ろした。立ち上がるのも面倒なほど、なんというか全身がだるい。

「お疲れさん。早かったんだな?」

「思ったより、俺の用事が早く済んだからな。そっちは食事の準備? 俺たちのぶんある?」

「三人増やすなんてのは、そう難しいこともねえよ。宿場で野菜や肉も仕入れたからな」

「そりゃいい」

「っていうか……ごはん食べられる気がしないー」

「ええなんというか、水も喉を通らないんですよね……」

「そうか? じゃ、急がなくても良さそうだ、仕込みからのんびりやっとくよ」

 言いながら、鼻歌交じりに料理を始める。そこにハクナとフルールも合流した。

 全員揃って、である。

「そんなに酷かったのかい?」

「酷いというより……フルール、そもそも自分とサラサ殿は、チィマさんについて歩いていただけで、ただの一言も口にはしていませんし、何もしていませんよ」

「あーうん、っていうかね、何もしなかったっていうか、できなかった。あそこ、おかしいよ。なんていうか――ルールが見えない」

「はは、そんなに難しくはないけどな。俺が逢った相手も悪かった」

「それです。あの方は一体?」

「そう! あの人めっちゃ怖いんだけど! 一言、口を挟んだら酷い目に遭うっていう直感があった!」

「あー、それがわかったんなら、雰囲気に呑まれずに理解へ踏み込めたってことだから、自信持ってもいいよ」

「なんの慰めにもなってない……!」

「あいつはカナリロ・ホンカス。六番目で最大の〝組織セル〟であるホンカスの大将だよ。定期的とは言わずとも、街と街を渡り歩きながら、各地に組織員を置いている」

「……それは、手足を置いているのですか?」

「いや、そう考えるのは自然だけど、それなら手足を切断すりゃ切り崩せる。だからあの女は、全員含めて〝胴体〟にしてるんだよ。それこそ、一人に手を出しただけで街が一つ潰れるくらいには、上手くやってる」

「そんなのできるんだ。どうやるの?」

「説明は難しいな……関係性の築き方や、立場の利用なんかは、状況によって変化するし、それを適時利用できるなんてのは、連中にとっちゃ息を吸うようなもんだ。わかりやすい探り合い――なんてのは、俺もあいつもやらないよ。気付かない振り、気付いた振り、やっている振り、やらない振り。そんなのが、ごちゃ混ぜになって真実は闇の中。その闇が実は光の中だったと気づくのは、現実が危機へ変わってからだな」

「しかし、あの方の言を信じるのならば、チィマさんが天敵だ、とのこですが」

「ああ、あれ。どっちもどっちなんだけどな……見ての通り、六番目ってのは組織を作ることが主軸になってる。ほぼすべての人間が、組織に属していると言っても過言じゃないし、その方が生活はずっと楽になる上、都合も良い。であるのならば、逆に、その中でも個人で生きられるのならば、それ自体が脅威になるんだよ」

「え、それ矛盾してない?」

「まあな。でも、連中は組織ありきで動いている。闘争も、騙し合いも、個人よりもその裏、組織を意識せざるを得ない。簡単に言えば、個人にはあまり通用しない方法だってことだ」

「しかし、個人ならば、裏がないとわかれば、やりようがあるのでは?」

「もちろんだよ。けど、こっちは組織を意識した方法を知ってる。その上で、組織に属している連中ってのは、裏のない〝個人〟になることを怖がるからな……」

「抜けたくはない――と、そういうことですか」

「ほぼ意識はしてないよ? でも、現実に交渉の段階で、既に俺がその組織を潰していて、生き残りが自分ひとりだと知った相手が、動揺もなく当たり前のように交渉する状況ってのは、今まで経験したことがない」

「あ、それはわかる。国なんかも同じだよね」

「いずれにせよ、俺の脅威を一番知ってるのは、あのカナリロだよ。逆に言えば、対応が難しい組織ってのは、俺にとってホンカスになる」

「お互いにそこは認めているのですね?」

「まあ、当時は俺じゃなくて親父だったけど、闘争は過去何度か行ってる。まるで、お互いの手札を明かすようにな。酷いもんだったらしい」

「ゲーム感覚? それとも、確認作業?」

「どっちもって感じ。さっき対峙してみて感じたが、お互いに同じカードを隠し持ってたよ。違うカードは、せいぜい二枚。それが通じるかどうかは、オープンしてからわかる。だからこそ、クローズのままにしておこうってのが、今のところの判断だ。俺もあの女と事を構える気はないから」


 お互いが同じカードを持っている。


 手元に作られたロイヤルフラッシュを見て、これで勝てるとは思わず、これではイーブンだと納得するだけ。けれど、どちらかの手札は、一枚がジョーカー。あるいはそれすらも同じ。

 オールインか、降りか、それもまた駆け引きの材料になる。

 拮抗しているのならば、その判断すらも〝同じ〟になるはずで――。

「参りました」

「うん、甘かった。ちょっと時間置きたい……」

「はは、まあお疲れ様。あの女の相手をするまでは、結構上手くやってたとは思うけど」

「どうでしょうか。上手くやれていたところ、釘を刺された感じは否めませんが?」

「狙ったわけじゃないって」

「でも、随分金をばらまいてたよね?」

「面倒だったからな。金で解決できるなら、それが一番楽だろ。使わなくてもいいけど、時間がかかるし」

「最初に行った店は――いえ、あれは店なのですか?」

「ああ、〝販売屋ブローカー〟は金のやり取りで情報や物品なんかを売買できるんだよ。組織というよりも、技術が必要な中立。加えて、街の維持にも必要になるから、敵に回す馬鹿はそうそういない。街がつぶれる時には、一番先に逃げ出すからよく生き残るし。ついでに〝救助屋レスキュー〟っていうのがあって、トラブルを金で解決する店もある」

「金で解決できるの?」

「するんだよ、姉ちゃん。簡単に言えば、まず救助屋に指定の金を渡す。これはトラブルの種類で、結構変動するんだけどな。そうすると、救助屋がトラブルの対象と交渉して、いくらなら納得するかを決める。その金を、こっちが相手に支払えば、丸く収まるってわけ」

「軽いトラブルで相場が金貨一枚とか言ってなかったっけ……?」

「あそこじゃ安い方だよ。もっとでかい街だと、三枚くらい。相手の行動にもよるけど、軽いトラブルじゃ十枚くらいは必要かな。一回の稼ぎはでかいんだ、あいつら」

「なるほど。使わないことが前提なのですね」

「うん。でもま、それでも仕事として成り立ってはいるから」

 事前情報ではなく、経験が物を言う現場だと、ギィールは思う。だが、その経験を積むためには大陸に踏み込まなくてはならない――難しいところだ。

 だが、意識することはできた。ほかの大陸でも、それを念頭にすることはできる。

「いい経験になりました。見通しが甘かったことも」

「しかしギィール、ボクは会話を聞いていて、それなりにわかる部分もあるが――そのホンカスの女とやらに逢った時、何を感じた?」

「最初、チィマさんが対面に座るまで、自分はその存在に気付きませんでした。隠れていたというよりも、むしろ、自分には認識できなかったのでしょう。けれど認識した瞬間、これでは隠れるのは不可能だと思うくらいの存在感がありました」

「あー、もっさんと対峙した時よりも怖かったくらいの威圧だったよね。人間特有っていうのかな、あれ」

「雰囲気に呑まれたのかい?」

「いえ、それとも少し感じが違いました」

「チィマ、このあたりの機微については、どうなんだい」

「ありゃあの女の悪い癖だ。最初は俺に意識を向けて、二人には知らん顔してたんだけど、連れだってわかったから、意識したんだよ。で、警戒や威圧じゃなくて――ごくごく簡単に、あの女の土俵に、無理やり上げたわけ」

「ほう……そんなことができるんだね。しかし、彼女から見れば、こう言っては何だが素人のようなものだろう?」

「いくらでも手はあっただろうな。だから、悪い癖。まあ俺も状況によっては使うけど――自分の土俵に上げるってことはさ、本当はすげー簡単なことで、つまり、相手と自分を〝対等〟にする――相手をきちんと見るってことだから」

 逆に言えばそれは、相手に見られることになり、また同時に、こちらも見ることを強要されるのだ。

 否応なく、差を見せられる。それが恐怖として感じられたのだろう。

「ま、俺が手負いなのを見逃されたのは助かったってところだよ」

「病み上がりだったもんね、チィ。あー……ちょっと横になってくるー。ハクナ、ごはんの時に起こしてね」

「わかった目覚まし置いておく」

「あれ、かなりびっくりするんだよね……」

 一度眠れば、だいたいのものはすっきりするサラサとは違い、ギィールは切り替えにやや時間がかかる。それは性格上、仕方のないことだ。

「力だけでは、どうしようもないのですね」

「使い方の問題だよ。サクヤさんなら、どうかな」

「――ん? 何が?」

「今までの情報を総括してみたらって話」

「ああ」

 鍋を混ぜながら、つまり料理をしながら、あくまでも視線は手元に落としたまま、サクヤはようやく話しに混ざった。

「そうだなあ……一番近いのは、ギィールが話してた〝一手〟なんだろうと、そんなことをぼんやり思った」

「一手、ですか?」

「言ってただろ? 戦闘ってのは、あらゆる手を尽くして、その一手を届けるためのものだって。つまりそれって、一撃を与えるために、無数のフェイントを入れる――みたいなもんだろ」

「まあ、そうですね」

「一つ、そこで疑問があった。ギィール、届かせたい一手が、現実に届いたとしよう。――お前にとってそこから〝先〟は、終わりか?」

「終わり……とは、言いませんが、区切りではあります」

「だろうな。で、チィマみたいに性格の――」

「ちょっと待ったサクヤさん、性格じゃないからな!」

「……、……あ、すまん。信憑性の論議が頭の中で始まってた。ともかくだ、こいつみたいに意地が悪いヤツは、こう考えるわけだ。じゃ、届かせるつもりのない一手が届いたら、相手は――ギィールはどう反応するんだろうってな」

「いわば、偶発的に、ですか?」

「意図して作られた、な。フルール」

「……ん? 呼んだかい?」

「お前の得意分野だろ」

「ああ……可能性の列挙かい? 確かにギィールは一本の道を作りたがるけれどね。そういえばギィール、将棋をやっただろう」

「ええ、今でもできますよ」

「こいつ、旅先で賭け将棋やってたけど、マジで容赦ねえからな……」

「仕込みがいいのさ、ボクじゃないけれどね。チィマはどうかな」

「一応俺もできるよ。戦術把握には便利だし、一通りは」

「当ててみようか。チィマの得意な戦術は〝千日手〟だろう?」

「ははは」

「小細工、と言ってしまえば陳腐に聞こえるけれどね、その規模が大きければ、一本の道では敵わない。これは可能性の模索でもあり、想像力でもある。もちろん、それを越える一手は存在するけれどね。対応しようにも〝入玉〟してしまえば、そもそも手数がなくなってしまうものだ」

「視野が狭いと?」

「簡単に言ってしまえば、そうだ。それだけじゃないけれど……なんだろうな。ボクも模索中だよ」

「模索、ねえ。俺なら視野が狭いんじゃなく――作る道が小さいと言うけどな。なにをどうしてと、手段については俺が口を出す分野じゃないとは思っているが、いずれにせよギィール、まあサラサもだけど、今のところはただ、チィマに動かされているだけだ。それは実感してるんじゃねえのか?」

「ええ、この頃の訓練でようやく、ですが」

「さっきの話と同じだよ。そこで裏を搔くとか、意表を衝くとか、そういうことを考えてるようじゃ手玉に取られるだけだからな」

「……? 先ほどの話とは、どのことですか?」

「チィマが言ってたろ――相手の土俵に乗せられたって。つまり、まずはチィマの土俵に上がるか、お前の土俵に上げさせりゃいい。そこでようやく〝対等〟だろ? そうなりゃ、動かされることもねえと、俺は考えたけどな」

「……見ているものが違う、でしょうか」

「――、そうだ。いや、そうか……それだ、なるほど、複雑なものほど得てして俯瞰すれば簡易なものとして映るとは、このことか。おいチィマ、こりゃ言ってもいいもんなのか?」

「いいんじゃない? 遅かれ早かれ気付くだろうと思ってたし」

「……? 見ているものの違いですね?」

「そうだギィール、それ自体は何ら特別なものじゃない。誰だってそうだし、俺だってそうだ。お前は戦闘ができる、俺は料理を作る。言いたくはないがサラサはトラブルを作るし、ハクは技術屋だろ。その上で――戦闘の中に、勝ち負けそのものだって、違いはある。俺から見れば、ギィールにとっては武器を破壊することで、サラサにとっては目的を達することだ」

「ええ……自分も言いたくはありませんが、サラサ殿の目的は流動的で気分次第ですからね」

「まあな。だが、それはスタイルの違いだろ。イザミさんは先手を取り続けることだ。その上で、誰よりも速いことを求めた。じゃあ、チィマはどうなんだ? こいつは細かい手を積み重ねる。さっきの話じゃないが、一手を届かせないために罠を多く用意する。だからといって、たぶん、真正面から小細工なしでも充分に通用する腕を持っているはずだ」

「しかし――その論で行けば、これも先の話に関わるとは思いますが、それこそあらゆる理由が内包されるのでは? 相手を計り、騙し、裏を搔き、裏を表にする……」

「そう、つまりそいつは〝手段〟なんだよ、ギィール。見ているものが違うってお前の言葉で、俺はそこに気付いた。裏返しのカードの中に、戦闘っていう項目が含まれてる」

「――、自分たちとは違い、そもそも、戦闘の中に理由を持たない? あるいは、戦闘を含めた、大きな目で見ての理由が?」

「そうだ。全てがそこに収束してるんだよ……チィマが天敵である理由、組織セルである必要性、金で解決するのが一番楽である必然性、相手を対等にする蓋然性」


「まさか……」


 大前提として、その目的を敷いたのならば?

 複雑なやり取り、手数の多さ、自己防衛の手段――その多様性。


「そもそも、どうすれば勝てる? 何をしたら負けだ? あまりにも基本過ぎて、考えるまでもなく、ギィールは教わっていて、それを俺もお前に教わった。処世術だ、大前提というより基礎も基礎。であればこそ、――それは〝芯〟だ」


 そう、それは。


「芯であり、志でもある……だから」


 重要で、当たり前で、大事であればこそ。


「だから、チィマさんは〝心〟を削るのですね?」


 チィマは、複雑な感情を持て余したよう、歪んだような苦笑を浮かべた。

「ともすれば、思想誘導の一種にもなるだろ、こいつは」

「なるほど、六番目の大陸の異様な雰囲気も、それを前提としたのならば理解できる部分が多くなります。なんだか〝目的〟を持っていないような感覚も、頷けますね」

「……はは。面倒に思えるかもしれないけど、対人に関してはそれが一番楽なんだ」

「そうか? 俺に言わせれば、面倒極まりないだろ。そんなに手札を揃えて、使えるかもわからん手を打って、最終的に心を削って屈服させる――時間もかかる。ただ、ある一定の維持を求めるなら、殺しなんてのは少ない方が良い」

「確かにそうだね、俺もほかの大陸で同じことをしようとは思わない。ルールも違うし、それこそ面倒だ。でも、それこそ最終的には、これが一番楽になる。何しろ〝次〟がないんだ」

「それは報復ですか?」

「そう、どんな綺麗に解決したところで、必ず次が待ってる。一年後か、五年後かはわからないけどな。で、その次ってのは大抵の場合、組織が絡む。だから心を折っておく。削り切る。そうすれば必ず、そこで終わりだよ。次はない、二度と関わろうとすら思わなくなる」

「だから旅人はカモ扱いになる――ってか。後腐れがないしな……」

「チィマさん、一つ質問が」

「予想はできたけど、一応聞く。なに?」


「もしも――自分が相手ならば、どうなさいますか」


 仮の話。

 けれどでも、それが一番身近であり、理解が早いのだ。


「簡単だよ」


 がりがりと頭を搔いたチィマは、空を見上げながら言う。


「武器を持たず、騙しを主体として、全額稼ぐ前に手を引けばいい。この程度なら問題ないって一線を守れば、ギィールさんが相手なら、それで退いてくれる。つまりそれは、連中にとっても同じで、都合の良い駒ってわけ。ほどほどに使って」


 そう、あくまでも、ほどほどで。


「欲をかかないだけで、充分なんだよ」


 心を削るまでもなく、まともに相手をしなければいい――だなんて。

 悔しさや、怒りよりも前に、その程度なのかとギィールは呆れてしまった。


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